出会いと別れ
(この人…結界師……?!)
俺よりもくっきりとした、綺麗に染め上げたような赤髪の彼は、俺のよく知るシルバと全く同じ顔だった。だけどその目つきも声も、あの穏やかな彼と違って、非常にきつくて怖い。
「イグ…さん……」
「イグでいいよ……。何だよ。何か用かよ」
「いや…だって……」
イグはハァっとため息をつくと、リルイットの腕をそのまま引っ張って、誰もいない裏庭のベンチにどしんと座り込んだ。俺もつられるように、少し間を開けて、彼の隣に座り込んだ。
「何で透過するんですか…」
「ああ……癖だった」
(まあいっか。もう解いて。疲れるし)
イグは結界を解いた。2人の色が、一瞬で元に戻った。
「敬語もシルバみたいでうぜえからやめろ」
「え……うん……」
(シルバのことも、知っている……)
「シルバの……双子?」
「はあ?!」
イグは濁ったようなその低い声で、俺を睨みつけた。声も……シルバとかなり似ている。シルバからは出ないような、怒った声だけれど。
「いや、だって顔そっくりだし…」
「双子じゃねえよ」
「じゃあ、貴方は一体…」
「お前、名前何」
俺の言葉を遮るように、イグは尋ねた。
「リルイット…」
「ふうん。それでリルって呼ばれてんだな」
「うん…」
威圧がすごい…。マキさんほどじゃないけど、この人も怖い……。
「なあ」
「うん?」
イグはぼーっと前に建つエーデル城を見ながら、話をした。
「無理矢理にでも壊した方が良かったと思うか…」
「え?」
一瞬何の話かわからなかった。だけど数秒後に、ミカケさんの中のズーの記憶のことだと察した。
「いや……」
「壊したら、生きていたかもしれない。だろ?」
「そうかも……しれないけど…」
ミカケさんのズーとの記憶。それはミカケさんの人生そのものだった。ズーの記憶をなくしたミカケさんには、一体何が残るんだろう。
「でもあれは、ミカケさんにとってすごく大切なものだったから……」
「ああ。それは俺にも、よくわかったよ…」
イグも見たんだ。ミカケさんの記憶を。
どうやってかは、わからないけど。
イグは続ける。
「でも、生きてさえいれば、また新しい思い出が作れたかもしれないよな」
「うん…」
「また新しい相手に出会って、恋をしたかもしれないよな」
「うん…」
それはもちろんそうだ。生きていれば、出会いなんてたくさんある。楽しいことだってたくさんあるはずだ。ズーのいない世界でも、彼が幸せに生きられる可能性は、ゼロじゃないはずだ。
「なあ、お前はどっちが正しいと思う?」
イグは俺に尋ねた。その細く灰色に濁った瞳で、俺を見つめている。
「記憶を消して生きるのと、思い出を持って死ぬのと」
イグは俺にそう問うたけれど、俺に答えは出せなかった。
「わからない」
だって俺は、ミカケさんと同じじゃないから。
同じように、誰かを愛したことなんてないから。
俺がそう言うと、イグはまたため息をついた。
「やっぱり壊せば良かったのかねぇ…。死んじゃ意味ねえもんな…」
「イグはそう思うの?」
「まあ、今よく考えたらな」
(あの時は迷わず壊したのにな…。どうして壊せなかったんだろ。はぁ……俺が殺したみたいだ。元々殺そうとは思ってたんだけどさ……。ったく……なんっか胸糞悪いんだよなぁ……)
「でも、それも間違ってはないと思う」
「んあ?」
俺には愛なんてわからない。
だけど…
「ミカケさんも消してほしくなさそうだったし、それに…」
「うん……?」
「ミカケさんが忘れてしまったら、ズーが…可哀想かなあって……」
「……!」
それを聞いたイグは、驚いたように目を大きく見開いた。
(こいつ……)
リルイットはイグにそっと笑いかけた。
「だからイグも、自分を責める必要はないよ」
「……別に俺は…そんな風には……」
「なあ、イグはどうやって記憶を読んだの? 何で記憶を消せるの?」
「はあ?」
「何で姿を隠してんの? イグはエーデルナイツなの? シルバとマキのことは知ってんだろ? どういう関係なんだ?」
「おいおいおい。そんな一気に質問すんじゃねえよ…」
イグは呆れた様子でリルイットを見た。
(本当に……綺麗な顔だな……こいつ……)
「お前こそどうやってミカケの記憶を読んだんだよ…」
「さあ……」
「さあじゃねえよ…」
「うーん……生まれ持った能力?」
「はぁ……?」
「なぁ、イグは結界師なんだろ? 透過結界、ラッツと一緒だろ? 記憶を消せる結界術とかあんの?」
「ねえよ…」
「じゃあ何? 何で記憶を消せんの?」
「……生まれ持った能力」
イグはリルイットとまるで同じように答えると、彼は不審そうにイグを見ていた。そのしかめた顔を見て、イグはふっと笑った。
「まぁ、またおいおいな」
イグはふっとベンチから立ち上がった。
「え…? ちょっと、どこ行くんだよ」
「お手伝いだよ」
「お、おてつだい?」
わざとらしくその言葉を強調したあと、イグはそのまま城下町の方に向かっていった。
「リル! ここにいたんですか!」
「ラスコ?」
イグはラスコとすれ違った。ラスコはイグにちらりと目が行ったが、イグは彼女に一瞥もくれず、気怠そうに歩いていった。
ラスコはそのまま、ベンチの前に立つ俺の元に、困ったような顔をしながら駆け寄ってくる。
「大変ですよリル!」
「ど、どうした…? そんなに慌てて」
「アデラさんとリネさんが、エーデルナイツを辞めるって!」
「え……」
青髪の弓使いの男は、その大国を抜けると、強靭な角を持つ白き馬に跨って、改めてその大国の景色を振り返った。最奥にそびえたつ巨大な城は、この数カ月の間、彼の家だった。
短いようで長かった。部屋はろくに掃除もしなかった。戻らなかったあの部屋の中に、大切なものは特にないはずだ。だって何を置いてきたかのも、特に覚えていないから。
食堂のシェフたちには大変世話になった。面と向かって礼を言ったことはなかったが、いただきますを言う時には必ずその顔を浮かべた。どの料理も美味しかった。食べ合わせの無茶苦茶な皿を食べる俺のことを、味覚音痴だとリルは馬鹿にしていたけど、俺は何をどんな風に食べても美味しかった。
俺を乗せて走ってくれる彼女と出会えたのは、ここに来たおかげだとも思っている。だからそのことには、すごく感謝をしている。
「アデラ様、本当は名残惜しいのではないですか?」
「いや、別に。ここのモットーは俺には合わない。だから辞めるんだ」
アデラは最後にエーデル城を一瞥したあと、大国の外の見慣れた道をそのまま真っ直ぐ、先に進むようにとリネに言った。
「リルにお別れを言わなくてもよろしかったんですか?」
「いいよ」
仲間が出来た。
俺がずっと欲しがっていた仲間だ。
皆、俺と同じ人間だ。何の疑問もなく、俺のそばにいてくれた。
だけどそれを手放しても、守りたいものが俺にはある。
リネはアデラを乗せたまま、道なりに走っていく。前方に何もいないのを目と鼻と耳で察知して安全を確認したリネは、何も言わずにその足を速めて、ぐんぐん加速していった。
あっという間に平原に飛び出した。昔の仲間たちと共に、魔族を駆逐した大平原。そこにはリネ以外に魔族はいない。そこにいるのは、自然に生きる僅かな草食動物だけだ。
群れる数匹の鹿たちの横を、美しきユニコーンは一瞬で通り過ぎた。
リネは何度も何度も、彼を乗せる夢を見た。
ずっとこんな風に、一緒に大地を駆けたいと思っていた。
夢は叶った。そしてこれからは、願った夢よりも、想像できないほど幸せな毎日が待っている。
今や世界はかつてないほど大規模な、こんなにも暗い時代に突入しているというのにだ。
「これからどこへ行くのですか?」
「決めてないな」
宛はない。家もない。金は、まあ少しくらいならある。
食べ物を買って、矢を買って、そうだな、鞍も買ってやろう。あとは何を買えるだろうか。
1時間ほど走って、平原を抜けた。国の横も通り過ぎて、ぐんぐん進んでいく。旅人や商人たちの横を通り過ぎるが、ユニコーンのあまりの速さに、彼らに声をかけることも出来ないだろう。
山を超えて、草原を超えて、また国を通り過ぎた。
人間たちはむやみに国の外には出ない。だからその道は、基本的にはすっからんとしている。
宛はない。でも目的はある。
「俺は俺のやり方で、人間を助ける。時には魔族もな」
「私は何処までもついていきますわ。私の持つ全ての力を、アデラ様にお貸ししますわ」
彼らは1人の人間と1匹のユニコーン。
人間と魔族が争うこの時代に、2人は互いの全てを受け入れ、共にいる。
彼らは旅をする。終着点はない。
「腹が減った」
「どこか国に寄りますか?」
「いや……狩ろう」
バシュウウンン!
1羽の鳥を仕留めると、木々を集めて火を起こし、焦げないように丁寧にそれを焼く。彼が手早くその作業を行うのを、リネは人間の姿になって惚れ惚れしながら見ている。
「手慣れてますのね!」
「ずっとこうやって生きてきたからな」
仕留めた鳥を食べる前に、その命に深く、感謝をする。
「いただきます」
2人は手を合わせてそう言った後、いい匂いのする絶妙な焼き加減のその肉を、がつがつ食べ始めた。
「美味しいですわ!」
「うむ」
食堂で食う飯は美味かった。何の手間もいらずにすぐ食えた。そこに行けば、目の前にもう、食いきれないほどの料理があった。
だけど、自分で狩って焼いて食べるこの肉も、また美味い。優劣はつけ難いよ。俺は味覚音痴だからさ。
だけどはっきりわかるのは、彼女と一緒なら、何でも美味しいということだ。
「ごちそうさまでした!」
食べ終わった彼女は、満足そうに幸せな表情を浮かべながら、手を合わせてそのように言う。俺も同じ言葉を繰り返した。彼女に教えてもらった言葉たちは、いずれ言うのが当たり前みたいになって考えなしに口に出すかもしれない。だけどその意味は、忘れないようにしたい。気持ちがなけりゃ、言っても意味がない。そんな風に思うのは、俺だけだろうか。
日が落ちるのも、だんだん遅くなってきた。それは春が来た証だ。やがて夜がやって来た。俺たちはその誰もいない草原で、足を止めた。
夜はまだ寒い。布団はない。だけど俺が子供の頃は、そんなものはなかった。身体が覚えている。知っている。この寒さに負けないで眠るために必要なものが何か。
そう、俺はいつも、アデラートに守られるように、その体温に触れて眠っていた。
「アデラ様、本当に宿を取らなくてよろしいんですか?」
「いいよ」
ユニコーンに戻ったリネは、その平原にて足を折りたたむと、楽な姿勢をとった。アデラは彼女の前で、その片腕を、折った片膝に置きながら、だらりと座る。
「もうおやすみになりますか?」
「そうだな」
時計はない。辺りの暗がりと瞼の重さが、寝る時の合図だ。たまに吹く風が肌に触れるとやっぱり冷たい。この草も全然ふわふわじゃあない。でも何となく懐かしい。外で自然の音を耳にしながら眠るのは、何となく落ち着く。
「リネ」
「何でしょうか?」
「そっちいっていい?」
彼はユニコーンのすぐ隣に座ると、そのままもたれかかった。彼女の白い身体に、自分の背中をぴったりとつけて、横になった。見上げると、彼女の頭が自分の真上にあった。
(あったかいなぁ……)
彼女は首を曲げてその顔を下ろすと、彼の美しい顔を見ようとした。彼はそっと腕を伸ばして、彼女の顔を見上げながら、その大きな顎を優しく撫でた。
彼女は5センチくらいの長さの、厚みある舌をぺろりと出すと、彼の白い頬を、例えば犬が主人にやるように、舐め回した。
「ふふっ」
アデラはくすぐったくて、目を細めて笑った。彼女の口から漏れるその吐息もまた温かかった。
アデラは同じように舌を出すと、彼女の舌と触れ合った。それに気づいたリネは、自分の頭をもっと下げて、仰向けに寝ている彼にキスをした。彼は彼女の首を強く抱きしめて自分に近づけると、彼女の大きな口も舌も、その全てを咥えては舌を伸ばしながら、何度も激しくキスをした。
「アデラ様……」
「んん………」
しばらく人間の男とユニコーンはキスを続けた後、その身を寄り添うようにして、互いの体温と心音を全身で感じた。その心地よさにゆっくりと目を閉じて、落ちるように眠りについた。
第1章終了です。ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
次からは第2章が始まります。今後ともよろしくお願い致します!




