不死鳥が死ぬ時
イグは完全に悟った。透過を見られても、自分は死なないのだと。
これまで、自分の姿を見た人間は、殺すしかなかった。
唯一接触を許可された、マキ以外。
そのように、服従されていた。
このタイミングで命令が解けたのは、奇跡だった。
こいつらのことも、殺さなくちゃいけないところだった。
イグは握っていたミカケの頭を雑に放った。そのままふらっと後ろに倒れそうになるのを、ミカケの肩を掴んでいたリルイットが支えた。自分よりも色濃く紅い、えんじ色の髪の男と目が合う。透き通るようなサファイアブルーの瞳をした、これまでに見た誰よりも、美しい顔立ちの男だった。
目は合ったけれど、イグは何も言わなかった。彼も何も言わなかった。イグはすぐに、マキの元に駆け寄った。
「マキ……」
マキは完全に放心状態だ。顔はこちらを向いているというのに、目の前の俺のことも見えていないようだ。
お腹の中に戻された赤子が、死んでいることをマキは察した。どうしてそれがわかったのか、親でない俺にはわからないが、あの状況だ。生きている方が、奇跡か…。
リルイットは、彼女に駆け寄った赤髪の男の背中を見ていた。ミカケの死も、赤子の死も、耐え難く苦しい。
(助けられなかった……)
また、あの憎悪で、人が死んだ…。
俺の目の前で、2人もだ……。
ミカケは目を閉じたまま、笑っている。彼の口元を垂れる血を無意識に手で拭った。彼の顔の血が拭き取られた代わりに、リルイットの指には赤い血がついた。リルイットはそのまま、彼を横たわらせた。
(助けたかった……)
アデラとリネも、言葉を発することもなく、2人寄り添ってリルイットを見つめていた。
「マキ……うぅ………」
まるで人形のように生気を失った彼女を抱きしめながら、イグは涙を流した。
『イグ、ありがとう……』
この子を作った日のことを、俺はよく覚えている。
ザッ…
『私この子を、大切に育てるよ……』
ザッ…
「誰だ?!」
リルイットは、こちらに近づく何かの音に反応した。森の木々の奥から、真っ赤な髪の、人の姿をした何かが、こちらに歩いてくる。
(魔族……)
リネはすぐに反応した。それは人の姿をしているが、魔族だ。そいつの姿は前に会った姿とはまるで違っていたが、リネはすぐに誰だかわかった。そいつはリネのよく知る、いや、皆がよく知っている、魔族だったのだ。
穏やかな顔を表情をしていて、優しく微笑んだそいつの目の下には、朱色の逆三角の入れ墨のような模様がついている。背中には、天使のように真っ赤な羽の翼が生えていた。
(ロッソ…)
リルイットも気づいた。その姿は、フェネクスの擬人化なのか、それとも彼の、本当の姿だったのだろうか。
どうしてだ…。どうして生きている…?
ロッソは人間を襲おうとした。服従の紋に背いたはずだ。墜落して、そのまま死んだはずじゃ…。
【やっと見つけました】
(ロッソなんだろ…)
【リルイット。それに皆さん、ご無事で何よりです。…いや、無事ではありませんか】
ロッソはそう言って、死んだ赤子を孕むマキと、憎悪に飲まれたミカケを順番に眺めた。
「お前は……?」
イグは彼が誰なのか、気づいてはいなかった。ロッソはゆっくりと、彼に歩み寄った。イグはロッソを見上げて、不審そうな顔つきだった。
すると、ロッソはイグの前に片膝をついて、忠誠を誓う姿勢で彼の目をまっすぐに見ると、いつもの穏やかな口調で、イグの脳裏に話しかけた。
【ご主人様、私を救ってくださって、ありがとうございました…】
(お前は…まさか……ロッソか……?)
ロッソはにこやかに微笑むのを、イグは呆然と見ていた。
【ご主人様があの時命令を解除してくださったおかげで、私は死なずに済みました】
(……)
【ですからこの命、どうかお力になりますように】
(え……?)
ロッソはマキのお腹に手を当てた。激しい光が放出され、イグは目を眩ませた。
「ぐうっ!!」
(何だ…? 一体何が……)
イグが目を開けた時、ロッソの姿はなかった。目の前ではマキが目を閉じていて、静かに息をしていた。
その頃エーデル城で、シルバを地上におろしたフェネクスは、ふと上を見上げて、南の空を睨みつけた。
(死んだな……)
親のロッソが死んだのを、フェネクスは感じ取った。
『あなたは悪魔の鳥フェネクス。炎と生きる不死の鳥です。不死の力は悪魔の力。その身を炎に捧げれば、あなたは何度でも蘇りますよ』
『その力は、あなたに守りたいものができた時に使いなさい。でもその力を使ったとき、あなたは死にます』
自分が産まれた時に、ロッソに言われた言葉を思い出した。
(冗談じゃねえ!)
フェネクスはバッサバッサと羽を羽ばたかせ、宙に浮いた。
「ど、どうしたの?!」
それを見たシルバが、彼の起こす砂煙に目をやられそうになりながら、声をかけた。
【人間に仕えるなんて俺はごめんだぜ! 俺は悪魔の不死鳥様だ! もうお前らに会うことはねえ!】
「え? ま、待ってよ…! ねえ、まだ名前もつけてないのに…!」
【そんなもんいらねえんだよ! 俺はあのアホな親鳥とは違う! あばよ!】
フェネクスはそう言い残して、空高く飛び上がると、シルバの元から去ってしまった。
「……」
シルバは目をこすりながら、ロッソの子供が飛びあがって、空の彼方に消えるのを見ていた。
ぴくっ
マキのお腹に手を当てると、イグは胎動を感じた。
「ガキが生き返った…」
イグがつぶやくと、「本当ですか?!」とリルイットは彼の元に駆け寄った。イグはその胎動に確信を持って、うんと強く頷いた。
「どういうことだ?」とアデラはリネに尋ねた。
「さっき現れたのはロッソです。ロッソは悪魔の不死鳥フェネクス。自身の持つ蘇生の力を他人に使った時、フェネクスは死ぬのです」
「……」
それを聞いたリルイットとイグも、顔を見合わせた。
リルイットは目を閉じて、ロッソに追悼した。
(ありがとう……ロッソ…)
スルトの友達だったロッソ……。
もっと話を……したかったなぁ………。
今度こそ、死んでしまったのか……。
リルイットはロッソの消えた跡を眺めて、何もできなかった自分を悔やみながら、歯を強く噛み締めた。
俺たちはそのあと、エルフに捕まって気絶している騎士たちを保護した。偉そうなことを言っていたゾディアスも、完全にウイルスにやられて気絶していた。それを見たアデラはふんっと小バカにしたような態度だった。
俺はリネに聖水をほんの少しだけ飲ませてもらうと、みるみるうちに元気になった。
「リネ…どうやってここまでやってきたんだよ」
「ふん! 貴方に教える必要なんてありませんわ!」
リネはプイっとそっぽを向いて、ずっとアデラの腕に抱きついては、彼のそばから離れようとはしなかった。
流石に全員に聖水を飲ませるわけにはいかなかった。聖水を作ると、リネの寿命が減るそうだ。残っていた聖水をラスコに飲ませ、植術で騎士たちを運んでもらった。
「うう…一体何が起こったんですか…」
「あとで全部話してやるよ、ラスコ」
そう言う傍らで、俺はマキさんを背負うイグという男を見た。
「俺が把握したらな……」
俺は残った力を振り絞って、来た時よりも倍の大きさの鳥に変身すると、全員を乗せてエーデル大国を目指して飛んだ。
ミカケさんの死体も持ち帰った。解剖用だ。すごく心苦しいけれど、あの憎悪から身を守れる方法を、何か見つけられるかもしれない。
俺が飛行している間に、ラッツたちと無線が繋がった。ラスコたちが話をするのを俺も聞いていた。どうやら俺たちがいない間に、向こうも大変なことになってしまったらしい。雷を操る鳥に、大国が襲われたそうだ。国民の中に死者も数名出てしまったとのことだ。俺たちが城を離れている間に見知らぬ強力な魔族の襲撃、偶然なのだろうか。
とはいえ、その雷鳥とやらをシルバが倒したらしい。あいつの能力、雷落とすだけじゃなかったか? よくそれで雷鳥倒せたよな…。どうやって倒したんだろう…。
1時間ほどの飛行で、何とかエーデル大国に帰還した。街の一部の区画は崩壊している。無線で聞いていたから驚きはしないが、やられた箇所の損傷は本当に酷い。敵の魔族の力の強さが伺えた。
俺たちが着陸するところに、ラッツとメリアンが迎えに出てきてくれていた。
「生きてるの、あんたたちだけなんだわ?!」
俺から降りるラスコたちを見て、ラッツはぎょっとした様子で声を上げた。
「いや、皆気絶してるだけだから…」
ラスコは植術で倒れた騎士たちを運んで、その城の庭の地面に並べていった。敷き布団代わりにふかふかの草のマットも用意してあげた。
「うわっ! これは酷くやられたね……」
メリアンはすぐに負傷した騎士たちの治療に取り掛かる。
「何か手伝いますか?」とラスコがメリアンに尋ねると、「じゃあ高熱でやられている騎士たちに解熱剤を」と、用意していた薬を飲ませるようにラスコにお願いをした。
「あれ…?」
リルイットは皆が降りたのを確認して人間の姿に戻ったのだが、あのイグという男の姿がない。
「リル、どうしたんだわ?」
「いや、イグってやつが一緒に……」
「イグ? 誰なんだわ、それ」
「え…?」
(ラッツも知らないのか……?)
ラッツは首を傾げている。その名前に聞き覚えすらまるでなさそうだ。
「俺、ちょっと探してくる…!」
「は? ちょっと、何なんだわ?!」
途中で降りられるわけがない。近くにいるはずだ…!!
「イグさん?! どこ行ったんですか?!」
エーデル城を一周するように、俺は城の庭を駆け回った。
「イグさん?!?!」
すると、自分の腕を誰かに強く引っ張られるのを感じた。
(っ!!)
俺がその掴まれた腕をふと見ると、自分の身体の色が半透明になっているのがわかった。見覚えがある。これは、確か……ラッツの透過結界に入った時と、同じ色だ…。
「でけえ声で俺の名前を呼ぶんじゃねえよ……」
その手の主は、俺が探していた赤髪の男、イグって奴で間違いなかった。




