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命よりも大切なもの

リルイットは、ただその場に立ち尽くしていた。放心するマキを見て、もう一言も声が出ない。


俺の炎があの赤ちゃんを抱きしめた時、あの子はもう、死んでいたんだろうか。


マキさんが妊娠してるなんて、知らなかった…。

赤ちゃんもまだ、すっごく小さかったよな…。お腹だって全然出てなかったし…。でもあそこまで形成されてんだろ、ちょうど妊娠20週くらい…? シェムが俺の元を去った時も、確かそのくらいじゃなかったっけ…。


やっとエルフたちを倒したってのに、何なんだよこの状況…。


ちらっと一瞬、アデラとリネを見ると、2人と目が合った。同じような表情を浮かべているから、ちょっとだけ安心した。わけがわかんねえのは俺だけじゃなさそうだ。


すると、マキさんにイグと呼ばれていた、シルバそっくりの赤髪の男が立ち上がった。そいつはズカズカと歩いて俺の前を通り過ぎると、気絶しているミカケさんの前にしゃがみこんだ。持っていた剣を、柄が上になるようにクルンと持ち替えて、ミカケさんの心臓に向けた。


「な、何するんですか?!」

「殺すに決まってんだろうが…ガキが殺されてんだよ…」

「だからって、こ、殺すなんて…」

「はぁ? こいつを庇うのか? 見てなかったのか? こいつが何をしたか」

「み、見てましたけど……」


咄嗟に声を上げてしまった。何で俺は、ミカケさんをかばっているんだ。人間だから? 命を助けてもらったから? 魔族はあんなに簡単に殺したのに…何で俺……。


「リル、その人は強化剤αを飲んでいますわ。放っておいても死にますわよ」


リネはそいつは殺されても仕方ないという雰囲気で、そのように言った。


(そうだ…ステラも強化剤αを飲んで、おかしくなって…)


「く、薬のせいで…こうなったんじゃ…」

「いや、ミカケは薬を飲む前から、マキを殺すつもりだった。俺に戦闘で勝つために、薬を飲んだだけだ」

「そんな…ミカケさんが……こんなことするなんて……」


俺は、信じられなかった…。

だけど、マキさんの腹を切ったのも、俺の目の前で赤ちゃんを殺そうとしたのも彼で……


「げふっ!!!」


すると、突然ミカケが血を吐いた。シャワーのように大量の血を吹き出した。


(一緒だ……ステラの時と……)


俺はそれを見て愕然とした。また俺の前で、人が死ぬ……。


ステラが死んだ瞬間を思い出す。俺は何も出来なかった。どうにかして、彼女を助けられなかったんだろうか。


ふと彼に初めて会った日のことを思い出す。


『昔好きやった子によう似とうわ…なんでやろ。そんなんあり得へんのやけどなあ…』

『はあ……』


彼と話したのは本当に少しだけで、あれだけで彼のことをわかることなんて出来るわけがないけど。


『何で助けてくれたんですか…ミカケさんが死ぬかもしれなかったんですよ…』

『何でやろ…』

『……はぁ…?』

『匂いが好きやからかなあ…リルの』

『またそれですか…?』


ああ言った時のミカケさん、俺は空を飛んでいたから顔は見えなかったけど、穏やかな口調だった…。さっきみたいな殺気なんかまるでなかったし…。だけど少し、せつなそうだった…。


「げほっ! げほっげほっ! ぉえっっ!」


ミカケは意識を取り戻すと、そのまま咳き込み血を吐きながら、激しく苦しみだした。


「ちっ」


彼の吐いた血がかかったイグは舌打ちをして、彼の頭を鷲掴んだ。


「ミカケさん!!」


俺は無意識にミカケさんに駆け寄って、イグって男が彼の頭を握りつぶすくらい力を込めている傍ら、彼の肩に手をやったんだ。


「っ!!」


彼に触れた俺は、驚いた。殴った時にはわからなかったが、彼の身体を、闇が侵食しているのに気づいた。その感触は、あの時俺が触れた魔王の闇、そのものだった。


【憎悪、憎悪……】


魔王の声が、俺にも聞こえた。


【この男の憎悪は、美しい……】


(憎悪を食ってるのか………?)


禍々しい黒い闇は、彼の身体を心ごと食らっている。そうか…この闇が…ステラのことも食い殺したのか…。このままじゃ、彼も、魔王に……。


俺の手を伝って、俺の炎がまた流線になって、彼の身体の中に、入っていく。1本の長い長い線になって、彼の記憶をたどるように、追っていく。そこに憎悪の根源があるはずだ。


ミカケさん……あなたは何を、そんなに、怒っていたの…?



そして俺は、見たんだ。彼の記憶を。

彼の大事な思い出を。




『これ食うか?』

『ズゥウ〜!!』


それは映像を見てるみたいに、俺の中に流れ込んだ。


『あんたの名前や。ズーズー鳴くからあんたはズーや』


それは彼と1匹の魔族の出会いだった。


『ズー、お母さんはもう死んでもた。もう動かへんねんで』

『ズゥ〜〜……ファズぅ〜……』


親が死んだ魔族を、彼は育てていたんだ。


『困ってる人がおったら助けるやろ普通』

【普通助けへんけどなあ】


魔族の名前はズー。どこにでもいる普通の魔族だ。


『ちょおズー! 花踏んでる!!』

【はあ?】


この無慈悲な感じ。俺もよく知ってる。

魔族に育てられた俺の友達も、ちょっと前までこんな感じだったよな。


【魔族は1人で作るやん。人間は2人で作るんやてこの前言うてたやろ。どうやって作るん】

『そんなん秘密や!』


2人はどんどん仲良くなったんだ。友達になったんだな。


【ミカケ……】

『ズー、あんたは何も悪ないよ。先に襲ってきたのはあいつらや』


ある日2人の男女がズーを襲った。あの2人、マキさんに似ている…。


【ミカケ……】

『どうしたんよ……』

【僕……この子要らん……】

『はあ?』


記憶は1つの節目を迎えた。


【ミカケのことを考えとったら、出来た】

【ミカケとずっと一緒におりたい。けどあかん。ミカケは人間や。人間と魔族は、家族にはなれへんの】


そうか。この日2人は、友達じゃなくなったんだ。


『人間、好きな子の前では裸になってもええんよ』

【好き……? 僕のこと好きなん?】

『そやな。そういうことになるんやろな』


この日2人は、愛し合ったんだ……。


【ミカケ……好き…………】

『産めよ…ちゃんと……』

『その子ら、わいとズーの子やからな』


彼は本気で好きになったんだ。この魔族を。

人の形さえしていない、この魔族を。


『ズーは可愛いな』

【ええ? そんなわけないやろ…】

『可愛いで』


魔族に笑いかける彼の顔はすごく穏やかで、優しい。


『ズー、結婚しよな』


俺はその愛を、けなしたりなんかしない。

だってすごく、綺麗だから。


俺がずっとずっと欲しがっていたもの。

これまでに一度も手に入れられなかったものだ。



俺はミカケさんの脳裏の中に足をおろした。その真っ白な世界で、彼は橙色の長い髪を垂らして、ポツンと座っている。


「ミカケさん…」


俺が声をかけると、ミカケさんは顔を上げた。


「ズー?」


彼の目には俺が映った。ズーじゃないよ。俺はリルだよ、ミカケさん…。


『昔好きやった子によう似とうわ…』


『匂いが好きやからかなあ…リルの』


『どんな匂いなんですか…』

『鳥かな!』


「ミカケさん…」

「何や、リルか…」


ミカケさんは、折った膝を両腕で抱えて座ったまま、またそこにうずくまった。彼の長い髪は、地面にも数センチついている。


俺は彼の隣にやってきて、腰掛けた。


「俺、ズーと同じ匂いですか」

「うん……懐かしい匂いがすんねん…」

「そうですか……」


ミカケさんは膝に顎をつけながら、ぼーっと前を見ていた。

俺もふと前を見ると、そこには彼の心臓が、闇に食べられているところだった。

もう、あと半分しか残っていない。


「気持ち悪いと思う? 魔族のことが好きなんて」


ミカケさんは呟くように、俺にそう聞いた。


「思いませんよ」

「へえ……リルは優しいんやな……」


闇はバクバクと、心臓を噛みちぎる。あれは心臓なのか。それとも憎悪の塊なのか。一体何なのか、わからないけど、あれが食べ切られた時、彼が死ぬんだっていうのが、何となくわかる。


「ミカケさん、俺の兄貴も、魔族に恋をしました」

「そうなん。どんな魔族に?」

「天使です」


俺がそう言うと、ミカケさんはふっと笑った。


「天使は美人やもんな……」

「ズーも負けないくらい可愛いです」


ミカケさんは顔を俺の方に向けると、嬉しそうに、そして照れくさそうに笑って言った。


「せやろ…可愛いやろ……ごっつう……」

「はい」

「ふふ……お世辞でも嬉しいわ」

「お世辞じゃないですけど」


何て穏やかな時間なんだろうかと、俺は時を疑いたくなったよ。目の前では、こんなに恐ろしい闇が、あなたを食べているというのに。


すると、彼もその闇が心臓を食べるのを見ながら、言った。


「あれな、わいの憎悪なんやで」

「……」

「結構でかいやろ……なかなか食べきるまでに、時間がかかっとうみたいやな…」

「ミカケさん…」


俺は彼の方をじっと見た。


「ミカケさんはまだ、怒っているんですか…」

「うん…」

「マキさんを許してあげることはできないんですか…」

「うん…」

「どうしても…?」

「うん…」


どうすればいいんだ。

もう彼を助けることはできないのか。

考えられる方法は1つだけだった。

彼が、あの憎悪を手放すことだと、彼の物でなくすることだと、そう思ったんだけど…。


憎悪を消すのは、難しいみたいだ。

彼は消したいとも思っていないみたいだ。


彼はもう、食われるのを待つことしかできないんだろうか。


「マキさんを傷つけて、満足しましたか?」


俺がそう聞くと、ミカケさんは首を横に振った。


「わいはわかってもうた。あの女をどれだけ傷つけても、わいの憎悪は消えへん」

「……」

「あの女をもし殺しても、わいの憎悪は、消化されへんと思う。また似たような奴を見つけて、殺し続けると思うわ」

「……」

「せやから、もうわいは死んだほうがええんよ」

「っ…!!」


彼は完全に死を悟っていた。

受け入れていた。

だって、最初からこうなることを知って、あの薬を飲んだんだ。


「マキに悪いことした…」

「え…?」

「マキの赤ちゃん……殺してもうた……」

「ミカケさん……」


『この子の名前、お前がつけてくれないか……』


「ぅう……」


彼は突然、激しく泣き出した。

涙が溢れるように流れて、止まらなくなっていた。


「ほんまは名前…考えとったんや……。殺したい女やと思ってたのが…だんだん……殺さなあかん女に変わってて…」

「ミカケさん…」

「あの人……顔怖いけど……ほんまはええ子やの………。わかるんよ…そんなん………」


彼は、後悔してる。


「名前、何にしたんです?」


俺が尋ねると、彼は答えた。


「シズナ……」

「どういう意味ですか?」

「シズナのシズは、静かの静。穏やかで、冷静で、芯のある子になるように。ナは名前の後ろによくつけたりすんの。わいの村では漢字から意味をとって名前をつけたりするんよ」

「へぇ、いい名前ですね」


優しいシルバに、落ち着いたマキ。2人の子の名前にぴったりだと、リルイットも思う。ミカケさんは適当につけたんじゃないとわかる。


俺はふっと彼の憎悪を見た。


(侵食が、止まっている……?)


「せやけど……あかんねん」


しかし、闇の侵食は、再び始まってしまった。バクバクとまた、音を立てて、噛みちぎっては飲み込んでいる。


「わいにとって、ズーが全てやねん。あの子がおらんなった今、ちゃんと生きていくことももう難しいんよ」


ミカケさんは笑ってそう言った。


彼の愛は、美しい。

それは俺もスルトも、手に入れられなかったものだ。


スルトは美しさを求め続けていたけど、叶うことはなかった。

そして俺は今も愛を求め続けているけど、どうしても本物を手に入れられない。


だけど今、俺たちが欲しがっていたはずのそれらは、彼の憎悪の根源になってしまった。


なあ、だから魔王は、愛なんていらないと、魔族に教えようとしたのかな…。

その理屈も今なら、ちょっとはわかる気がするんだ…。


心臓があとほんの少しというところで、2人の前に、赤髪の男が現れた。イグだ。イグは座っている俺たちの前に立ちはだかっては、その細い目でこっちを見下ろした。


「はぁ…。あんたら…どうやってここに来たんよ…」

「ミカケ。俺ならお前を、助けられるけど、どうする」

「はぁ?」


俺も不審な顔つきで、彼を見上げていた。


すると、イグは1つの青いクリスタルを取り出した。片手で掴めるほどのそのクリスタルの中には、ズーの姿が映っている。


「なっ、何なんそれ!」

「記憶だよ。お前の中にある、この魔族の」


そのクリスタルの面々には、様々なズーが映り、その時ミカケが見たものとまるで同じように動いていた。リルイットは察した。


「ミカケさんとズーの……思い出……?」


イグはうんと頷いた。


「返して! 返してや!!」


ミカケはイグからそれを奪い取ると、大事に抱きしめた。


「俺ならそれを壊せる。そうしたら、お前は死なずに済む、ミカケ」

「嫌や! ズーのことを忘れるなんて! 絶対に嫌!!」

「それを壊さないと死ぬぞ!」

「ええよ! それでもええ!」

「いいから!! それを渡せよ!!」

「嫌や! 絶対に渡さへん!!!」


ミカケはそのクリスタルを守るようにぎゅうっと抱いたまま、イグとは逆の方へと駆け出した。


(絶対壊させへん! 絶対…!)


「ちっ!」


イグはまた舌打ちをして、ミカケを追いかけた。


(くそが…!! 殺そうと思ってたってのに…!!)


見ちまった。こいつの記憶を…。


知ってしまった。こいつがマキを殺そうとした動機を…!!


(気持ちはわかる…。だけど許せない。マキをあんなにボロボロにしたこいつを…絶対許せない。だけど、殺せない。殺したら、こいつと同じになっちまうから…!!)


「生きろよ…、生きて、マキに謝れよ……!! マキにも謝らせるから……!! それでどっちも、許さなくたっていいから………! 生きろよ……ミカケ……!!!」


イグは声を上げたが、ミカケは絶対に止まらなかった。振り向きもしなかった。


リルイットはハっとして彼の心臓を見た。残っているのはほんの一握りの欠片だけだ。


「駄目だっ!!」


ミカケさんはちゃんと後悔をしていた…!

まだやり直せるはずだ……!!


憎悪を止められるはずだ…!!!


リルイットは駆け出して、その闇に掴みかかった。


「やめてくれ! 殺さないで…!!!」


リルイットはその闇をぎゅっと握りしめて燃えるようにと念じたが、炎は微塵も上がらなかった。


(燃やせない…!!)


そしてそのまま、闇は最後のひとかけをぺろりと食らって、リルイットの手を擦り抜けるように、その闇も姿を消した。


「あぁ…………」


その瞬間、その場所は激しく目が眩むほどの光に包まれて、リルイット、そしてイグは、現実に戻された。


リルイットはハっとして目を開けた。リルイットに肩を掴まれたまま、ミカケは幸せそうに眠ったような顔をして、死んでしまっていた。













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