妊娠した天使
2度目の交配を経て1週間後、無事に妊娠にありついたことが確認できた。
「よくやったよフェン! あとは産ませるだけだな」
ラミュウザたち研究員は、フェンモルドに拍手を捧げた。
「はぁ……」
フェンモルドは安堵のため息をついたと共に、嬉しさのあまりどうにかなりそうだった。
しかし研究員たちに、あの天使に本気で惚れているなどと知られるわけにもいかず、その場はなんてことないという態度を貫いた。
妊娠の報告を受けたシェムハザは大いに喜んでいて、その日はリルイットも一緒に、3人でパーティーなんてしたものだ。
リルイットは最初こそ信じられないという面持ちだったのだが、最終的にはフェンモルドとシェムハザの妊娠を共に祝ったのであった。
それからフェンモルドも研究所に戻って、再び仕事を再開した。
シェムハザとの時間は減ってしまったが、朝ごはんと夜ご飯を一緒に食べる。たまの休みにはどこかへ出かけに行く。
それだけで、幸せだった。
とある日、カルベラがいつものように木の上にもたれかかっていると、シェムハザがうきうきした様子でやって来た。
「聞いておくれよカルベラ!」
「お前の話など聞きたくないよ」
「うふふ。そんなに聞きたいかね!」
「……」
シェムハザは満面の笑みで自分のお腹を擦りながら言った。
「すごいよカルベラ! 私の中に、人間との子供がいるのさ!」
カルベラはハァとため息をついた。
「確かにすごいが、そんなに嬉しいことなのかい」
「嬉しいさ、もちろん」
シェムハザは幸せそうに笑っている。
(駄目だこいつは。俺の忠告も無視して本当に子供なんて作りやがった)
カルベラは再び、大きなため息をついた。
シェムハザは毎日お腹をさすっては、赤ちゃんに話しかけていた。
返事もないのによくそんなに話が出来るもんだと、フェンモルドは笑ったものだ。
「フェンよ、この子は君との子だよ。私はね、話したいことがたくさんあるのだよ。この子も聞きたいはずさ」
「まだ赤ちゃんも何言ってるかわかんねえだろ」
「そんなことはない。フェンに似て頭がいいに違いないのさ!」
「そんなに俺も頭よくないけどな…。まあいいや。仕事行ってくるよ」
「おお! 気をつけてな! フェン!」
その日もフェンモルドを送り出すと、シェムハザは家の片付けを済ませた。
家事も人並みに出来るようになった。
しばらくするとやることがなくなって、シェムハザはまた外に飛び出した。
(ああ、なんて幸せなのだろう! きっとこの気持ちが、そうなんだ! 私は魔族だが、愛を知ろうとしている…!)
いつもの場所にいる悪魔カルベラの元に、シェムハザはやって来た。
カルベラは気怠そうにシェムハザを見ているのだが、構わず天使は話し出す。
「なあカルベラよ、私ねえ、『愛』ってものがなにかわかりそうな気がするんだね」
「まさか。魔族に『愛』なんてわかるものかい」
「そう思っていたんだがよ、私どうやらこの子を一緒に作った人間のことが好きみたいなんだね」
「人間のことはもともと好きだと言っていたろう」
「そうなんだが、その男への好きはなんだか違うのさ。特別なのさ」
「……」
「まあ君にはわからないだろうが」
カルベラはハァとため息をついた。
「魔王様にバレたらとんでもないことになるだろうさ」
「バレやしないよ。魔王様は世界中の憎悪を食らうのに必死さ。私たちに構ってる暇などありゃしないさ」
「そうとは限らんよ。気をつけろ、シェム」
シェムハザはヘラヘラと笑っている。
いや、浮かれている…。
フェンモルドと我が子とその幸せで、頭がいっぱいに違いない。
「カルベラよ、悪魔はお前で最後だろう。子供は作らないのかい?」
「いらないよ、そんなもの」
「あと何千年1人で生きるつもりだい。仲間の悪魔が欲しいと思わないのか?」
「いらないよ、そんなもの」
ぼそっとそう言ったカルベラは、本当にいらないと思ってそう口にしたのだけれど、シェムハザはそうだとは思わなかった。
(どうれ。この幸せ、この独り身悪魔にもわけてやろうじゃないか)
「行くところができた。それではまた、カルベラよ!」
「ああ、もう二度と来るんじゃないよ」
「あはは! また来るよ!」
シェムハザは手を振って、空高く飛び上がっていった。
カルベラはぼぅっとその空を見上げたあと、大きなため息をついた。
シェムハザがやって来たのは天界だった。
そこには白く光り輝く球体の形をした神様が、台座に乗っている。
「神様!」
「おや、シェムハザではありませんか。どうかしたのですか?」
「神様にお願いがあるのさ」
「何でしょう?」
「悪魔を1人作っておくれよ。生界には悪魔が1人しかいない。仲間がいなくて可哀想なのさ」
しかし神様はうーんと悩んでいる様子だ。
「え? 駄目なのか?」
「悪魔を作ったのはゼクロームでしょう。魔族だけは、どうにも私には作れないのです。なのでゼクロームに頼むしかないでしょう」
「ええ〜? 魔王様には会いたくないのだよ」
(人間との子供を授かったなんて知られたら、どんなお咎めがあるかわかったものじゃないのさ)
「困ったものだなあ」
神様もしばらく考えたあと、あ!とひらめいたような声を出した。
「これを貸してあげましょう、シェムハザ」
神様がそう言ってその球体の身体から出したのは、小さな鏡だった。
「何ですかこれは」
「複製を作る鏡です。これでその悪魔をもう1人作ってあげたらいかがですか?」
「おお! そんなものがあるのかね!」
「今はもう使っていませんのでいいですよ。ただし、使い終わったら返しに来てくださいね。これは神の器物なのです。特別にお貸しするのですよ」
「ありがとう神様!」
鏡はその意志で大きさを変えられるらしい。
複製した物は姿見はまるで同じだが、心は異なるという。
あくまで複製されるのは見た目だけなのだ。
シェムハザは鏡をポケットにしまうと、意気揚々とした様子でカルベラのところに向かったが、姿が見つからなかった。
(まあいい。いつでも会えるさ)
シェムハザは家に帰ると、たまには自分が何か料理でも作ろうかと思って、キッチンに立った。
(お腹が空いたなあ〜)
しかし、その途中で具合が悪くなってきた。
(うう……き、気持ち悪い……)
様々な食材の匂い、ご飯の炊ける匂い、すべての匂いが不快でたまらない。
(なんだこれ…いきなり……おええっ!!)
「ただいま〜!」
先に帰ってきたのはリルイット。なんだか不快な臭いがする。
「んだ? ゲロくせえ……うんん?!?!」
シェムハザがキッチンの流し台に嘔吐しているところだった。
「ちょおおお!!! なになになに?! 何吐いてんの?!」
「り、リルイット……気持ち悪い……おえええええ!!!」
「ええええ?!?!」
シェムハザはその日以来ずっと家で寝転がることになった。
妊娠中に人間におこる、悪阻というやつらしい。
どうやら天使にも悪阻があるようだ。
シェムハザのそれは食べ悪阻というやつで、何か食べていないと気持ち悪くなるらしい。
そしてシェムハザは、鏡のことなどすっかり忘れてしまっていた。
フェンモルドは山ほどご飯のストックを作って、シェムの食べたいものを用意したり、身体をマッサージしたりと、出来る限りシェムを手助けした。
そんな生活がしばらく続いた。
そしてその様子を、影から見ているピンクグレージュの髪色の天使がいるのであった。
「人間との……子供……くくく…」
天使はほくそ笑みながら、何処かへ飛んでいった。
今年は割と早く、春がやってきた。
気候は過ごしやすく、暖かくなった。
そしてある日、研究所に行くと、ヒルカはフェンモルドに言うのだった。
「よし、それじゃあ次の魔族と交配だ」
「え?!」
「え?じゃねえよ。当たり前だろ」
フェンモルドはものすごく顔を引きつらせた。ヒルカは負けないくらい彼を睨みつけた。
「そんな協力的な魔族がまた見つかったのか…?」
「ああ。シェムハザの友達だって言ってな、自分も子供を作りたいんだと」
「えええ?! 友達ぃ?!?!」
「とにかく会ってみたら? なかなかの美人な天使だぞ〜」
「ちょ、ちょっと」
ヒルカはフェンモルドの腕を引っ張って、ラミュウザはフェンモルドの背中を押しながら、別部屋へと案内する。
(友達って…まじかよ…どうなってんだよ…!)
ヒルカはその扉をガラっと開けた。
「あれ…」
その部屋はもぬけの殻だった。
「あれ〜? いないな」
「はったりだったのか? くそ…」
(ほっ……)
フェンモルドはほっと胸を撫で下ろした。
シェムハザの悪阻は何とか収まったようだ。
外にも出られるようになったシェムハザを連れて、今日はピクニックでもしようなんて言って、少し広い公園に出かけた。
ベンチに座って、早起きして作った弁当を広げる。
「おお! 料理が箱につまっている!」
「弁当というんだよ」
「ハンバーグにナポリタンにウインナー! ああ、ブロッコリーと小松菜の和え物が邪魔をしている!」
「野菜も食わねえと、赤ちゃんに栄養行かねえぞ…」
「ふうむ…。仕方ない! では食べよう!」
公園の遊具で遊ぶ子どもたちを眺めながら、俺たちは穏やかな心地で弁当を食べた。
シェムハザのお腹はなかなか大きくなってきた。
赤ちゃんがシェムの中に入っていることを実感する。
弁当を食べ終えた俺は、その大きくなったお腹に耳を傾けた。
「動かねえなあ…」
「そんなに簡単に動かないさ」
シェムは笑いながら、そんな俺の頭を優しく撫でた。
(ああ、幸せ……)
遊んでいる子どもたちの楽しそうな笑い声が、心を和ませる。
「いい天気だねえ」
「春だからなあ……」
「春は好きさ…冬も好きだがな」
「俺も…」
俺はシェムハザの膝に寝転がった。
もう少し腹が出てきたら、これはもう出来ねえかもなあ…。
ふと顔を上げると、シェムハザと目があった。
シェムハザは、一瞬恥ずかしそうな表情をしたけれと、そのあとまたニッコリと微笑んだ。
すると、ザッと木の影から何かが立ち去っていくような音が聞こえた。
(うん? 鳥か…?)
目をやった時にはもう何もいなかった。
「どうしたフェンよ」
「いや、何も」
俺は目を閉じて、シェムハザの体温をしばらく感じていた。




