桜の造形
あれ……またこの夢…?
いや、俺は眠ってなんていないのに、夢なんかみるわけないだろ。
やっぱりこれ、思い出なんだろうか。
それにあの子の名前、やっと思い出した。
ユッグだ……。
これきっと、スルトってやつの、思い出に違いない。
『ラスコは可愛いよ……』
オスタリアの宿屋で、俺は彼女にそう言った。
顔を気にする彼女に対して、なぐさめようなんて思って適当に言ったわけじゃないんだ。
俺本当に、そう思ったから言ったんだ。
リルイットは、ステージにたくさんの木を生やし始めた。それはもちろん、炎の造形だ。
「おおおお!」
「何だ? 術師か?」
観客たちは目を見開いてその光景を見ている。
「おっと…これはすごい……次から次へと木が生えてきます!!」
足場のなくなりそうな司会者は、ステージの端に身を移動させた。リルイットは1人、下から伸びてくる木のその枝に乗って、ぐんぐん上へと上がっていく。
木々たちはステージいっぱいに生えると、その何もない枝につぼみが現れ始めた。つぼみはだんだんと大きくなり、花を咲かせていく。
「桜だ」
「うわあ〜……」
花は次々に増えていき、ステージは桜の木で埋め尽くされた。あっという間に桜は満開になり、その美しさを披露した。
その満開の桜と同化するようにステージから微笑みかけるリルイットの姿は、まるで桜の精のようだ。
『桜って綺麗よね〜』
リルイットの母は、満開の桜を見上げながら言った。
この日は家族で花見に来たんだ。
『そうだね〜』
リルイットは適当に相槌をうって、弁当の唐揚げをバクバク食べている。
『全然見てねえじゃねえか』
兄のフェンモルドは呆れた様子で、口いっぱいに唐揚げを放り込んだリルイットを見て言った。
『うん? 見てる見てる。んー! この唐揚げうんめ!』
『ったく…風情のねえ奴だ』
『そう言えばお父さんね、プロポーズの時に桜の花束をプレゼントしてくれたのよ!』
『ええ? そうなの〜?』
母がそう言うと、リルイットとフェンモルドは父の方を見た。腕を組んで、あぐらをかいて、目を閉じている。
(寝てる……)
『うふふ! 懐かしいわ〜』
『父さんも、よくこんな美人な母さんを落としたよな〜』
お世辞にも格好良くはない寡黙な父さんと、美人で明るい母さん。2人はすごく仲が良くって、俺はそんな2人の愛を目一杯受けながら幸せに育ってきた。
俺は続いておにぎりを頬張りながら、呑気に寝ている父親をぼーっと見ていた。
『何で桜?』
兄貴が聞いた。
『だよな。プロポーズと桜ってあんま関係なくね? バラあげたりとかは聞くけどさ』
『確かにな』
すると、突然父が口を開いた。
『桜は優美な女性を表す花だ。可愛らしい母さんにぴったりだと思ったから、特別にオーダーしたんだ』
『びっくりした! 寝てたんじゃねえのかよ』
『まあそういや、母さん春生まれだしな』
『うふふ』
その話を聞いたあと、弁当に夢中で全くちゃんと見ていなかった桜を、俺もやっと見上げた。ふと目についた枝垂れた桜の花を見る。小さくて、確かに可愛らしい。白にも近い淡い桃色は、見ているだけで何だか暖かさを感じるんだ。
すると、ふっと風が吹いて、たくさんの花がバラバラになって散っていった。俺が見ていたその花も。
『あ』
花びらは風に乗って飛んでいく。俺が目で追ったその花びらの1枚は、遠くにいた誰かの頭の上に乗っかった。その子も気づかずに、どこかへ行ってしまった。
『あ、唐揚げもうねえじゃん』
それはただの、幸せな家族の思い出。
そんな話をしたことも忘れていた。
唐揚げとおにぎりをたくさん食べたことは、覚えていたんだけどなあ。
「綺麗ですねえ〜……」
「本当ですわねぇ……」
ラスコとリネは、非常に穏やかな気持ちで、その桜を見ていた。
他の観客たちもそう、まるで花見の気分だ。会場が一体化して、春の始まりを体感している。そんな心地だ。
桜は美しい。
俺は今なら、そう思う。
可愛いとも思う。
可愛いの意味も、今はよくわかる。
当然のように知ってる。
だって俺、人間だから。
愛って言葉だって、よく知ってるよ。
俺が知らないのはね、その感情の方なんだ。
なあスルト、お前は知ってたの?
ユッグのことが、好きだったんだろ…。
また、突風が吹いた。強風だ。
ブワッッッ
桜の花びらが、一斉に舞い上がった。
フラワーシャワーのようだ。それよりももっともっと多い。
ここには何十本もの桜の木が生えているからね。
スルトとユッグが桜を見上げていると、ブワッと風が吹いた。
その時も花びらが一斉に風に巻かれて枝から離れたんだ。
『あ……』
『でも桜って、儚いんですよ。風が吹くだけですぐに散っちゃって』
『ふうん……』
花びらは、空を飛ぶ。
この花びらもまた、俺の炎の造形だ。
だけど俺の想像したように、この炎は今、桜なんだよ。
風はどこかへ消えてしまった。
置いていかれた花びらは、客席中に散らばった。
大丈夫、燃えやしないよ。その炎には熱はない。俺はもう、炎の温度も操れるからね。
「あ……」
ラスコの手のひらにも、花が落ちてきた。ラスコはそれを、ふわっとキャッチした。
(花びらじゃない)
それは花の形をしていた。がく片と花托が離れたようだ。まん丸としたその小さな花は、ころんと彼女の手のひらに顔を向けた。
(可愛いです)
ラスコもそれを見て、優しく微笑んだ。
大きな拍手と共に、リルアのアピールは終了した。リルアは木から飛び降りて、深々とお辞儀をした。顔を上げると、その花びらも木も、すぅっと消えてしまった。
「これで自由アピールタイムは終了!! リルアちゃん、素敵なお花見をありがとうございました〜!! いやあ〜こんな素敵な桜を見ていたら、何だか1杯やりたくなっちゃいましたねぇ!」
司会者がクイっとお酒を飲むフリをすると、観客はハハっと笑った。
「さあ、審査員はリルアちゃんの得点をつけております! 皆様もお手元の投票ボタンを押してくださいね! 10分後に投票は締め切られ、そのまま結果発表が始まります! どうかもうしばらくお待ちくださいっ!!」
こうして、自由アピールタイムも幕を閉じた。
「ふぅ……」
俺は何をしたわけでもないが、何となくどっと疲れて、息を漏らした。
「素敵な花見だったね」
「うん?」
俺に話しかけてきたのは、踊り子のティーサだった。
「あれ……お前…よく見たら……」
俺はその子の顔を真正面からよく見たら、ハっとした。濃い化粧と衣装のインパクトで、正直気づかなかった。
(俺に告白してきた、あのダンスの子じゃん……!)
「うん?」
ティーサは頭にはてなを浮かべてこちらを見ている。
うわ……変わりすぎてわかんなかった…。ていうか生きてたんだ。エーデルに住んでんだよな…引っ越したのか…?
名前ティーサって言うんだ。知らなかった…。
ていうか……こんな偶然あるんだ……。
ああ、でも俺は、今はユッグの姿だった。
「いや、何でもない…です…」
「そう」
(夢叶えたんだな……すげえな…)
ティーサと交わした言葉はそれだけで、彼女はすぐにどこかへ行ってしまった。今度ちゃんとリルイットの姿で、彼女の踊りを見に行こうかな。
びっくりするかなあ…。それとももう俺のことなんて、覚えてないかな…!
俺は優勝は出来なかった。3位にも入らなかった。
優勝は、ティーサだった。
「ムキー! 何であたしが2位なんだわーっ!!」
ラッツは地団駄を踏んでいた。
2位の景品は、有名エステシャンの特別コース利用券だった。
「うわ〜良かったねぇラッツ! 2位なんてすごいね〜!」
彼女の元にやってきたシルバは、パチパチと手を叩きながらいつもの笑顔を浮かべていた。
「ふん! まあいいんだわ…。それよりこの券、売ったらいくらくらいになるんだわ……?」
「え…それも売るんだ……」
ラッツは券とにらめっこしながら、そんなことを考える。
「うわあ〜!! すごいですわ! 最高ですわ〜!!!」
3位は高級フルーツと有機野菜の詰め合わせだ。カゴいっぱいに入ったその果物と野菜を前に、リネはご満悦だった。
その景品を持ち帰ったアデラは、彼女の喜ぶ顔を見ては、(まあ、こっちの方がいいか)なんて思っていた。特に負けたことに対する悔しさはない。
「アデラ様〜〜!!」
リネはアデラに飛びつくように抱きついた。
「ありがとうございます!!」
「どーいたしまして……」
初めてのプレゼントも大成功。リネはすごく幸せそうに喜んでいるけど、実際俺の方が幸せを感じてると思うよ。
(またなんかあげよ……)
アデラは彼女の頭を撫でながら、優しい笑みを浮かべた。
「リル!!」
俺がラスコの元に帰ると、彼女は俺を不審な顔つきで睨みつけている。
気づけば日が暮れていた。辺りは暗くなって、少しばかり寒くもなった。風が吹くと、ゾクっと身体が震える。
「ごめんごめん!! ミスターコン出ようと思ったんだけどさ、何かうまく受付できてなかったみたいで…」
「リルアって、リルですよね?」
「えっ……」
(な、何でバレてんの……?!)
「い、いや……その……」
「どうせ術で変身したんでしょう? どうしてあの姿に?!」
「いや、だから、この前夢の話しただろ? その時出てきた美人の姿に変身してみただけだって…」
「夢……」
(そう言えば、そんな話をしていましたが……)
「……」
ラスコがすごい剣幕だったので、俺は話をそらそうと、適当に喋った。
「いや〜…でも駄目だ! ミスコン出たはいいけど、3位にも入れなかった! やっぱ大人しくミスターコンでて、肉もらったほうが良かったかな〜」
「何でミスコンなんかに参加したんですか?!」
「いや…だから…」
「うん?!」
ラスコは俺に顔を近づけた。ずっと不審そうな顔つきだ。
だけど俺はその時、そんなこと気にならなくて…
ああ、やっぱりあのバラのネックレスを、ラスコにあげたかったなあ〜って、そんなことを考えていた。
「どうして参加したんですか?!」
「……あげかったから」
「うん?」
その事を言おうと思ったら、何だか急に照れくさくなった。恥ずかしくなった。どうしてだろう。
「ラスコに……あげたかったから……」
「な、何をです……?」
「バラの…ネックレス……」
「え……」
ラスコは顔を赤くして、胸がうるさいくらいにドキドキと鳴っているのを感じた。
「何で私なんかに…」
「似合うと思ったから……」
「……」
俺は何故だか、彼女の顔を見ていられなくなって、顔を背けた。
こんなことは、生まれて初めて。
だから俺には、わけがわからない。
「ごめん。でも駄目だった。負けた。完全に負けた!」
「べ、別にいいですよ…。あれは私よりティーサさんの方が似合いますから」
「またそんなこと言って…」
「別に僻みなんかじゃありません。純粋にそう思っただけです! それに…」
ラスコはカバンにしまっていた桜の花を取り出した。
「私は代わりにこれ、もらいましたから」
「え?」
(桜の花……?)
「リルの花見もとっても凄かったですけどね! 私はリルが優勝でもおかしくないと思いましたけど!」
(だって私、リルアに投票しましたからね!)
「ラスコ、それ、俺のじゃない」
「え?」
「俺の桜はもう、全部消したんだ」
「え? じゃあこれは、本物…?」
「うん」
「……」
「客席の外側に、1本だけ桜が咲いてる木があった。それが飛んできたんじゃないかな? 今日は時折風も強かっただろ」
ラスコは呆然と、その桜を見ていた。
「何だ……リルがくれた桜じゃないんですね…」
「え……」
ラスコは何となく残念そうにしていた。
(なんだよ……それ……)
俺は何となく心が掴まれるような思いだった。
「私、花は皆大好きなんですけど、桜はその中でもすっごく大好きなんです」
「何だよ。赤色が好きなのに、赤い花が好きなんじゃねえの?」
「うーん。そうですけど、桜は特別好きなんです!」
そう言って笑ったラスコの顔は、やっぱりユッグに似ていた。
(可愛い……)
やっぱり、ラスコは可愛いよ……。
「あ……」
ふと気づくと、俺が下ろしている右手には花束が握られていた。
「うわ、びっくりしました! 何なんですか」
「いや、これは俺じゃなくて、炎が勝手に……」
その花束は、炎の造形。
俺がゆっくりとその花束をあげて中を見ると、薄い桃色の桜が、ブーケの中に満開になって顔を出している。
(桜の花束だ……)
「うわあ、綺麗ですねえ」
「……ん!」
俺はそれを、そのまま彼女に渡した。
「えっ? くれるんですか?」
「やるよ…。俺からプレゼントがほしかったんだろ!」
「そんなこと言ってませんよ。自意識過剰ですね! これだからイケメンは」
「うるせえな。いいから、やるっつってんの!!」
俺はやけになって、彼女にブーケを押し付けた。
「ありがとうございます」
ラスコはびっくりしたようにその花束を受け取った。改めてその美しい桜を見ては、感嘆の声を漏らした。
「ねえ、この桜」
「何だよ」
「あったかいですよ、すごく!」
『スルトはあったかいですね!』
ユッグはただの、夢の中の女の子だ。ユッグとラスコは全然別人のはずなのに。
どうして、似ているんだ…。
「ほら、触ってみてください」
ラスコは俺の手を引くと、その花に手を近づけた。確かに…熱気を感じる。そりゃこれは炎の造形なんだから…熱を持っててもおかしくはねえよ…。別に俺が作ったわけじゃないけど…。
それよりも直に感じるのは、彼女の手の熱だ。彼女の肌の、触れる熱。
「ね?」
「うん……」
もう外は寒いはずなのに。
身体が火照るのは、俺の根源が炎だからだろうか。
それとも桜の熱気が手のひらを伝って、俺の中を泳いでいるからだろうか。




