充ちる
「な、何なの?!」
「ちょっとあれ、騎士団じゃねえの?!」
乱闘を目撃していた裏通りを行き交う人たちが、口々に騒ぎ立てる。
(この騒ぎ、まずいですね…)
「どうしましょう…」
ウルドガーデが困惑していると、夜の精霊グリムが突如生界に姿を現した。
「グ、グリム…!」
ウルドガーデは目を見開いて、彼を見ていた。
それは腰まで届く黒髪で、真っ黒い肌をした精霊だった。
更に黒いローブをまとい、その姿は夜の闇に同化していた。
顔立ちは人間の男に近くて、仮面に似た冷たい表情を浮かべている。
【……】
グリムは何も言わず、その場所一帯にいた人間たちを、皆眠らせ始めた。
(な、何だ……目の前が…真っ暗に……)
フェンモルドもその精霊の力で、くらっとすると、すぐに意識を失うように眠りについた。
(皆さん、ここで見たことは、夢だと思い込むことでしょう…)
ウルドガーデはバタバタと倒れていく人間たちを、ふぅっと息を付きながら見ていた。
「ありがとうございます、グリム…」
【……】
やはりグリムは何の言葉も発せずに、ウルドガーデと一度目を合わせると、そこから消えた。
ウルドガーデは彼がいなくなったそのあとを、じっと見ていた。
夜のその街が静まったと思うと、ウルドガーデの後ろから、じゃりっと地面を歩く音が聞こえた。ウルドガーデはハっとして後ろを振り向いた。
「……」
そこにいたのは、悪魔だった。
真っ黒な顔に身体、顔には赤い目が2つだけついている。
(不眠の悪魔族……グリムの力が及ばないとは…)
「あ、あなたがリルさんを止めてくれたんですよね」
ウルドガーデが言うと、悪魔はしばらく沈黙した後、答えた。
「俺はシェムを守っただけさ」
「シェムハザさんの、お友達ですか……?」
「いんや。違うけれど」
悪魔は、眠ってしまったシェムハザの元に近寄ると、しゃがみこんだ。
身体は斬られて酷い火傷も負っているが、スースーと息をしていた。
(このくらいなら、明日には自然治癒するか)
シェムハザの無事を確認し、悪魔は安心した様子だ。悪魔はそこから立ち去ろうと、背中に黒い翼を生やした。
最後に悪魔は、リルイットを一瞥して言った。
「その男、何者だ」
「リルさんのことですか…? 何者と言われましても…」
「……」
(臭いがする。魔族の血の臭いが)
「あなたこそ、誰なのですか?」
「俺はカルベラ」
「カルベラさん……ひゃっ!」
カルベラと名乗った悪魔は、その翼をバタバタとはためかせた。その風は、砂煙を起こして、ウルドガーデの目をくらませた。
(まあいいか。俺には関係ない)
そのまま悪魔は、夜の空の彼方に飛んでいってしまった。
ウルドガーデはリルイットの元に駆け寄った。
気絶している彼の姿は、いつものリルイットと同じだ。
(先ほどの姿は一体……)
ウルドガーデは心配そうな面持ちで、リルイットを見つめていた。
「ウ、ウル……」
リルイットが目を覚ますと朝になっていた。彼はウルドガーデの家のベッドで眠っていた。
「リルさん、大丈夫ですか?」
「う、うん……。えっと、何でここにいるんだっけ」
「覚えていませんか?」
「えっと……」
リルイットはぼーっとした頭を動かしては、昨日のことを思い出そうとする。
「確かシェムハザとホテルに行って、出てきたら兄貴に出くわして、それでなんかわかんないけど喧嘩になって……えっと…」
「私が駆けつけた時には、お兄さんに剣を振るっていましたが」
「え?! 俺が?!」
リルイットは驚いた様子でウルドガーデを見た。
「それをかばったシェムハザさんを、リルさんが斬りました」
「え……?」
(何だそれ……全然覚えてない……)
「……ぜ、全然覚えてないけど……そっか……ウルが助けてくれたんだ…ありがとう……」
「いえ…」
ウルドガーデも心配そうに彼を見ている。
夜の精霊グリムの力のおかげで、はっきりとした目撃者は存在しなかった。ウルドガーデが、ただ兄弟喧嘩て殴り合いをしていただけだと話をでっち上げて、その場をおさめたということになった。
「ああ、兄貴とシェムハザに謝んねえと…! ていうか、何で喧嘩したんだっけなあ〜」
「お2人は家に帰られてますよ。それよりリルさん、どうしてシェムハザさんとホテルに?」
「えっ?!」
そのあとリルイットは覚えている範囲で事の顛末を、ウルドガーデに話すのであった。
「うう……」
フェンモルドは、自分の部屋のベッドの上で目を覚ました。
というか身体が重い…。
何かが乗っている……。
ゆっくりと目を開けると、目の前にシェムハザの顔があったので発狂した。
「うわぁあああああ!!!」
「やっと起きたのかフェンよ! 随分眠っていたものだなあ!」
「え?! 今何時?!」
フェンモルドが半身を起こして時計を見ると、もう昼前になっていた。
「……」
研究所に行く気分にもなれずに、ハァとため息を吐いてまたベッドに寝転んだ。
(えっと……何がどうなったんだっけ……)
昨日の夜の記憶が、思い出せない。
リルイットに何か暴言を吐いた…ような気がする…。
何を言ったのかも思い出せない。
何が夢で何が現実だったのかも、もうよくわからん…。
「リ、リルは…?」
「私が起きた時から、リルイットはいなかったぞ」
「……」
シェムハザはにこやかに笑いながら、俺の腹の上に跨るようにして座っている。
「おりてくれ……」
シェムハザをどかして何とか起き上がって、ボサボサの頭をかきむしる。
「フェン」
ふと隣を見ると、シェムハザが俺の顔を覗き込んでいる。
俺はハっとして、顔を真っ赤にした。
それと同時に、昨日のことを薄っすら思い出した。
(そうだ…。シェムは、リルと交配を……)
そうか、それで俺は怒って、リルイットにも酷いことを言って……。そのあとは…何故か思い出せないけど…。
「う、うまくいったのか…?」
「何がだ?」
「リルと…子作りしたんだろう?」
「していないが?」
「え…?」
シェムハザはまっすぐ俺を見ている。
俺の推測だけど、シェムハザは、嘘をつけるような奴じゃないはずだ。
「何でしてねえんだよ。2人でホテルに行ったんだろ」
「したくないと言った」
「何でだよ。俺なんかよりも、リルの方がかっこいいだろ? リルとの子供、欲しいだろ?」
「欲しくないが」
「……」
シェムハザは、すごく美しい。
俺なんかじゃ、不釣り合いなんだ……。
「かっこいいとはなんだ」
「え…そりゃ、顔が整っていて、綺麗だろ…。それに比べて…俺は醜い…同じ兄弟なのに、こんなにも…」
フェンモルドが俯きながらそう言うと、シェムハザは言った。
「顔なんて人それぞれじゃないか。それぞれ違っているからいいんじゃないか。みんな同じだったら、誰が誰かわからないさ。私にとって顔なんてものは、誰かを認識する判断材料でしかないよ。そんなことよりも私は、フェンの心が好きさ。優しさが好きさ。思いやりが好きさ。もちろん顔も好きさ。フェンのものなら全て好きさ。だから私はフェンがいいのさ。フェンとの子供が欲しくて仕方ないのさ。それ以外に理由なんてあるもんか。フェンは私を可愛いと言ったが、そうじゃなかったら私のことを好きにはならないのかね。そんなの私は悲しいね。私は私の心を、1番最初に見てほしいのさ」
シェムハザはそのまま、フェンモルドにキスをした。
(あ……)
フェンモルドはシェムハザの愛に触れて、涙を流していた。
2人は身体の求めるままに、キスを続けた。
(好きだ……シェム……君のことが……)
シェムハザもその時初めて、キスの心地よさに気づいた。
子作りには必要ないと言っていたその口づけは、2人の愛を確かめるためのものだったんだと理解した。
なあフェンよ、私は初めて、誰かを好きになるという気持ちを知ろうとしているよ。
魔族ってやつは、愛なんて知る必要はないと、魔王様から口を酸っぱくして言われたものだよ。
だから知らなくていいと思っていた。
だけどこの気持ちを、消すことなんてもう、できるわけがないのさ。
だってこんなに君のことが愛しくてたまらないと、思ってしまっているのだからね。
(今度は、ちゃんと愛し合っているさ……私たち……)
私はこれまでに感じたことのない幸福な気持ちになったのさ。
今度こそ出来るといいけれど。
2人の愛が形になる。それが2人でつくる子供なんだと、私も理解ったのさ。




