帝国の騎士リルイット
「おはようございます。リルさん」
銀色の長い髪の美女ウルドガーデ・ダルティネは、道端で彼を見つけると、ぺこりとお辞儀をした。
「おはようウル」
リルと呼ばれたえんじ色の髪の男は、にこやかに微笑むと、ウルドガーデに手を振った。
「お兄さんは一緒ではないんですか?」
「ああ、兄貴は研究室にこもりっぱなしだ。また仲間内で恐ろしい実験をしてるに違いないよ」
「まあ、恐ろしいだなんて!」
リルイット・メリクは、美しいサファイアブルーの瞳をした、まだ18歳の男だった。街の皆からはリルと呼ばれて親しまれている。えんじ色のくせっ毛の髪は天然パーマのように緩く波打っていて、耳が隠れるくらいの長さだった。
美少年という言葉がしっくりくる。色白で、すらっとした体型だが、身体はしっかりと鍛えられている。口もうまいし、明るくて爽やかな笑顔をいつも振りまいている彼は、その街の女の子たちにもかなりモテていた。
ウルドガーデとは幼なじみで、彼女も街1番の美女と評判だった。エメラルドグリーンの透き通るような瞳は、変に大きすぎるわけでもなく、とにかく彼女の顔立ちに非常によく似合っている。その銀色の髪はまっすぐに腰まで伸びていて、顔だけでなく体型も申し分ない、絵に描いたようなモデル体型だ。
2人はいつも一緒にいて、美男美女カップルだなんて友達からは囃し立てられたりもしていたが、彼らは恋人というわけではなかった。一度でもそのような関係になるということはない。2人はただの、友達なのだ。
リルイットには3つ上の兄がいた。名前はフェンモルド・メリク。通称フェンは、根っからの研究者だった。仲間の研究者たちと、朝から晩まで研究に明け暮れている。研究所に泊まり込んでは、家に帰らない日だって何度もある。
フェンは確かにリルと兄弟だったが、明らかに弟のリルの方がかっこよかった。フェンはリルの出来損ないみたいな顔で、簡単に言うと不細工だった。
その上毎日毎日研究のしっぱなしで、身なりに時間をさくはずもない。ボサボサの髪型に伸びたヒゲは不潔な雰囲気を漂わせて、余計に彼の印象を悪くした。
しかしリルイットは、フェンモルドのことを大切な兄として物凄く慕っている。頭がそんなによくないリルは、研究者としての兄を大変尊敬していた。ウルドガーデもそのことをよく知っている。
2人は都会街シアンテールの道端で、その朝たまたま出くわしたのだ。住宅はもちろん商店街に観光名所も多数、街はいつも多くの人間たちで賑わっている。街の真ん中にそびえ立つのは王族たちが住む巨大な白い城だ。遠方まで広がり続ける彼らの住む帝国の名前は、シピアといった。
「ウルはどっか行くところだったの?」
「はい。昨日の台風で隣町マルキアが津波の被害にあったんです。それの復旧作業のお手伝いに」
「ああ、随分ひどい雨と風だった。マルキアは海に面しているからな。どれ、俺もついていこうかな」
「城に行かなくてよろしいのですか?」
「いいのいいの。俺は自由出勤だから!」
「まあ!」
「復旧作業も大事な仕事だしな! 力仕事くらいなら出来るかな」
「ありがとうございます。もう馬車が来る時間です。ではリルさんもご一緒に」
リルイットはこの国の騎士団の1人だった。
騎士は昔から少年たちの憧れだったし、大人になってからも騎士というだけで、大変尊敬の眼差しで見られる。つまり花形の職業なのだ。
リルイットもまたそれに憧れ、運良くすべりこんで騎士団に入団した。しかし不真面目なリルイットは、何かと理由をつけては騎士団の訓練をサボったりしていた。
ウルドガーデは、国では珍しい、精霊と話が出来る人間だった。精霊たちと仲の良いウルドガーデは、精霊の力を借りることができるのだ。彼女のような人間は精術師と呼ばれていた。
彼女もまた国に雇われたフリーの精術師で、国の様々な場所に駆けつけては、その力を使っている。
すると、リルイットとウルドガーデのところに、1台の馬車がやって来た。2人の前にたどり着くと、御者の男が手綱をきゅっと引っ張って、それを引いていた茶色い馬が静かに停止した。
中には既に、体格のいい男が1人、乗っている。
「よぉ! あれ、リルも一緒か」
「おはようベンガル」
「おはようございます、ベンガルさん」
リルイットとウルドガーデは、彼に軽く挨拶をすると、馬車に乗り込んだ。御者が手綱を振るうと、馬車は駆け出した。
先に乗っていたのはベンガル・スワ厶という黒髪の短髪の男だ。鍛え上げられた筋肉は、リルイットのそれよりも遥かにたくましい。背も高く、顔もいかつく、リルイットと同い年には見えないくらいには老けていた。そして彼は、どんなものでも石のように硬化することが出来るという、人外的な力を持った、硬化師と呼ばれる人間だった。
この世界には、特異な能力を生まれ持った人間がいる。神様が選ばれた一族だけに、特別に与えてくれた力だと言われている。
能力は様々。精術師や硬化師もその1つ。全部でどれくらいあるのか知らないが、そういう奴らはまとめて術師と呼ばれている。
この国では、術師は国に雇われるのがほとんどだ。そうでなくても、国に管理されていた。
そうでもしないと、その力を使って、何らかの悪さをされては困るからだ。
雇われた彼らは、その力を国のために使うことを、命じられている。法律に違反するような行為に力を使わないことはもちろんだ。
その命令に逆らえば、命の保証はない。
そんな命令を下しているのは、国の国王、並びに女王陛下だ。彼ら2人は、世界で有数の呪術師の一族だ。
呪術の中には服従の術というものがある。服従の紋という魔法陣の上に対象を数秒乗せると、相手に好きな命令を下せるようになるらしい。服従の術をかけられると、それをかけた呪術師の命令は絶対に守らなければならない。命令を破ると痛みが伴い、気絶したり、呪術師が願えば死ぬのも容易だ。
国王たちはその呪術を、国の統治のために使用している。そしてお互いにも呪術をかけあい、自分たちもその力を悪用しないことを互いに命じることで、国そして国民全てに安全を誓っている。というわけだ。
「またサボりかよ、リル」
「サボりじゃねえよ! マルキアの復旧作業の手伝いさ」
「誰もお前に頼んじゃいねえよ」
「うるさいな。いいだろたまには。毎日訓練続きで、俺も飽き飽きしてんだよ」
「国の騎士団たるものが、こんなに不真面目で大丈夫かねぇ」
「うふふ…まあでも、騎士団がお暇ということは、世界が平和であるということですからね」
この世界には、魔族と呼ばれる生き物が住んでいる。その姿は様々、確認できる者だけでも種類は100を軽く超える。
動物に似た4足歩行の魔族や、人間に似た姿の魔族、見た者が非常に少ない伝説の魔族など、とにかく多種多様。例をあげようか? グレイウルフ、トロール、妖精、ドワーフ、ドラゴン、とにかくたくさんだ。名前だけじゃあイメージわかないか? まあ、そいつらが出てきた時に、おいおいな。
ちょっと昔じゃあ、一部の魔族が人間を襲ってくることなんかもあった。
言葉も話せない下等魔族が食料荒らしに街にやってくることもあったし、頭のいい魔族とも領地の取り合いで争いになることもあった。
魔族はどうにも気性が荒く、野蛮な奴が多いんだ。人間よりはアホだけど、動物よりも頭はいいからちょっとタチが悪いだろ。
んで、そんな時は俺たち騎士団が出向いて、争いを鎮圧するわけだ。
まあでも最近じゃ、あんまり魔族との揉め事も起きないようだけどな。
というか、俺が入団してからは一度もない!
騎士団は、給料も弾むし、住民たちにちやほやされるし、まさに花形! この俺にぴったりの天職ってやつだ。
しばらく馬車が進むと、数十分でマルキアにたどり着いた。海に面する街、マルキア。俺も夏にはたまに海水浴にくるよ。ああ、今はちょうど秋の終わり頃だよ。台風もよく来る季節なんだけど、今回のは本当に酷かった。みたいだよ、見りゃわかるってもんだ。
だって堤防、ぶっ壊れてるからさ。
「おーおー、やられてんな」
「作業している街の方がいますね! 合流しましょう!」
そしてリルたちは復旧作業を手伝った。
ウルドガーデは土の精霊の力を借りて、被害箇所の再建を試みる。柔らかい土をベンガルの力で石のごとく硬化して、より頑丈な建築物にしていくのだ。腕っぷしに自信があるベンガルは、力仕事も楽々こなした。
ウルドガーデは風の精霊の力を借りてゴミを集めると、火の精霊にそれを焼却してもらっていた。
ああ、ちなみに俺たち、精霊とか見えないから。見えてるのはウルだけらしい。まあ、ウルの力は本物だし、彼女が見えると言うなら、見えるんだろう。
しかしリルイットには特異能力なんてものはないので、集まっている街の人たちの中にすっと訪れた。街の、女の子たちの、中だ。
「お兄さん、もしかして騎士団のリルイット様ですか?」
そうすると、向こうから話しかけてくれる。絶対に。
「ああ、そうなんです。今日は皆さんのお手伝いに!」
リルイットが微笑むと、女性たちは目をハートにして、惚れ惚れとした様子で彼を見ては騒いでいた。
「なんて素敵な方! お噂の通りね!」
「私たちの街まで来ていただけるなんて…本当にありがとうございます!」
女性たちにリルイットが群がられているのを、ベンガルは白々しい目で睨みつけた。ウルドガーデは微笑ましそうにその様子を見ているだけだ。
「あいつ、何しに来たんだよ…」
「うふふ。隣街でもモテますねぇ、リルさんは」
「いいのかよ」
「何がです?」
「リルが女どもにチヤホヤされてよ!」
「別に私は構いませんが」
「……」
ベンガルは口を尖らせて、平然として作業を続けるウルドガーデを見ている。
「じゃあさ、ウル、仕事が終わったら俺と…」
「ああ、こっちも手伝ってくださいノームさん!」
ベンガルの話を聞いていないのか、彼を無視してウルドガーデは精霊のところに行ってしまった。ノームというのは土の精霊の名前だ。
もちろんベンガルにも精霊の姿は見えない。
「はぁ……」
ベンガルはため息をついて、作業を再開した。
その頃リルイットの兄フェンモルドは、研究所で実験の真っ最中だ。
「ラミュウザ、適合実験の結果は?」
研究者ラミュウザが結果の書かれた紙を持って、研究者たちのところに戻ってくる。フェンモルドもそこに集まった。
「きたよ、ついにきた! 適合者が見つかったんだよ!」
ラミュウザは満面の笑みを浮かべている。
ラミュウザ・ダリシエーは、この研究所の第1責任者だ。医者ではないが、人体解剖の技術はピカイチの腕前。頭ももちろん良くて、知識と技術で彼に勝る者はいない。
「本当か! 誰だ?」
「この中にいるんだよ! 御都合のいいことに!!」
「おお! で、誰だよそいつは」
研究者たちはガヤガヤと騒いでいた。
「フェンモルドだよ!」
皆は一斉にフェンモルドの方を見た。
「お、俺?!」
フェンモルドは目を見開いた。
ラミュウザはフェンモルドの肩に手をやると、うんと頷いた。
「大丈夫だよフェン。完璧な適合者だよ。手術成功率は100%に近い。失敗なんてあり得ない」
「よ、よし……頼むぜラミュウザ…」
「すごいですフェンさん!」
「長寿の夢が見えてきましたぁ!」
研究者たちはバンザイして大いに喜んでいた。
「こっちはいつでもいいよ。どうするフェン」
「早いにこしたことはない。その先に時間がかかるからな…。それじゃ、今からでも…」
「おお! 頼むぜフェンモルドさん!」
「フェンさんが俺たちの最初の希望です!」
皆は口々にフェンモルドを応援していた。
そしてフェンモルドは、手術室に運ばれていった。
「ヒルカ、行くぞ」
そして第ニ責任者ヒルカ・オルジェ。
ラミュウザと非常に仲が良い。ラミュウザとヒルカは、フェンモルドの同期だ。先輩たちの代から長々と続いてきたこの研究だったが、先輩たちは引退し、今は彼らの世代となっている。
ラミュウザはヒルカと共に、手術室に向かった。