オレノテキ
胸騒ぎがして急いで城に戻ったカトリは、国境付近で民が戦争反対を掲げていることを知らされた。
それにより国王はラステマと前向きな話し合いに応じると軍の後退を決定した。
政局が大きく動き出し、王城は慌ただしくなっていた。
カトリは自室で待機していたが、じっとしていられず部屋の中をグルグルと歩きまわっていた。
「姫様! やはりウィルロア王子の働きかけのようです!」
「本当に!? それなら今ウィル様はーー」
「それが、事情は分かりませんがキリク殿下とご一緒に急ぎアマスへと発つそうなんです!」
「!」
「すでに準備を終えています! 急いでください!」
カトリは侍女に促されて慌てて部屋を飛び出した。
王城にウィルロアが滞在しているのは内密にされていた。オリガ妃の計らいで出立の前にカトリが知れたのだった。
やはりお父様の方針転換にはウィルロア様が大きく関わっていた。お兄様も説得してくださったのだわ。そして、私を助けてくれたあの喪服の女性も、きっとウィルロア様だった――。
カトリは泣き出しそうになるのをぐっと堪えて走った。
ウィルロアは今すぐにでもここを発ってしまうという。
「――っ」
間に合うだろうか。
会いたい。
一目でもいいから、あなたに――。
「ウィルロア様!!」
馬の嘶きが聞こえ、これでは間に合わないと大回廊からバルコニーへと出た。外を見下ろせば正に今馬車が発車したところだった。
2台の馬車に護衛の騎馬が囲むように連なっている。 どんどん離れていく一行にカトリは肩を落とした。
「間に……合わなかった」
手摺にへたり込み項垂れかけた時、後方の馬車に寄り添う二騎が御者に声をかけた。騎馬にはウィルロアの護衛が乗っており、カトリに気づいて主に知らせてくれたのだ。
「――っウィル様!!」
顔を上げて渾身の声で叫ぶ。
気づいて! お願い止まって!
カトリの願いは届き、離れていく馬車の速度が落ちていく。完全に止まる前に扉が開かれ、中から勢いよくウィルロアが飛び出した。
「っカトリ!」
馬車から飛び降りたウィルロアは、体勢を崩しながらもこちらに向かって走って来る。カトリも身を乗り出して名前を呼んだ。
同行している護衛や見送りに出た者達が驚く中を、彼は私だけしか見えていないかのように夢中で駆けていた。
「今そちらに――!」
「いいや! そこで聞いてくれ!」
ウィルロアはバルコニーの側で立ち止まると、声を張り上げて叫んだ。
少しでも近づきたくて手摺から落ちそうになるほど身を乗り出す。一言一句も聞き逃したくはなかった。彼に伝えたい想いがあった。
「私、私ーー」
だけどこんな時に限って言葉は上手く出て来てはくれない。もどかしくて胸を拳で叩く。
あなたに別れを告げたけれど、あれは本心ではなかったのです。あなたが最後まで伸ばしてくれた手を私は離してしまったけれど、あなたを傷つけてしまったけれど、本当は離れたくなかったしあなたの側にずっといたかった。
「私、あなたを愛――」
「ごめん! 約束を守れなかった!」
カトリはなぜウィルロアが謝るのか理解できなかった。
風がカトリの艶やかな黒髪を巻き上げ顔の輪郭を見せる。信じがたい言葉がはっきりと耳にとどいた。
「君との婚約を白紙にした! 和睦と共に成立する結婚は執り行わないと、デルタ王に伝えた!」
カトリは聞いていられなくて咄嗟に身を引き、両手で両耳を塞いだ。
どくんどくんと心臓の音が大きく頭の中で木霊する。
結婚が、なくなった? ウィルロア様が、白紙にした?
「――っ」
いやだ聞きたくない!
ウィルロアはその後も何か叫んでいたが、カトリは耳を塞いだままその場に蹲った。
手刷りに隠れてウィルロアの姿は見えなくなった。
暫くして恐る恐る耳に当てた手を離す。周りは静かになって再び車輪の音と共に一行はアマスに向けて出立していった。
「う、うぅー」
バルコニーでボロボロと涙を溢すカトリ。
喉の奥から心臓まで締め付けられたように痛い。現実を受け止められず、ショックで胸が張り裂けそうだった。
***
ウィルロアはキリクから服を貸してもらい、ようやくドレスとおさらばできた。
ロイとサックスも無事で、ゼンと共に王城の門をくぐりアマスに向けて準備を整えていた。
数時間前にデルタ王とキリクと三人で今後の話し合いをし、その中で周辺諸国がアマスで臨時の大陸会議を開くことを知った。
アマスには教皇庁があり、新たな和睦を結ぶためにも交渉をしなければならなかった。
それならと、大陸会議に間に合うようキリクと共に急いで出立することとなった。
ウィルロアが馬車に乗り込む。
デルタと和解は出来た。戦争は回避された。ただ一つだけ、カトリに何も伝えられないまま去るのが心残りだった。
「殿下。王女様がいます」
ロイとサックスが気づいてくれたお陰で、出立前にカトリと会うことが叶った。
伝えなければならないことがある。どうしても自分の口から伝えておかなければならないことが。
「ごめん! 約束を守れなかった!」
和睦締結のためにカトリとの婚約を白紙にしてしまった。すぐに迎えに行くと言ったのに約束を違えてしまった。真っ先にカトリに詫びたウィルロアだったが、諦めてはいなかった。
「君との婚約を白紙にした! 和睦と共に成立する結婚は執り行わないと、デルタ王に伝えた! だけど私は諦めない! こんな事を言ったら卑怯だし君を困らせてしまうとわかっているけど、どうか待っていてほしいんだ! 必ず迎えに行くから、もう少しだけ私に時間をくれないか!?」
子供の頃から君だけだった。
異国の地で孤独に苛まれ、自我を消して耐えて、そんな俺の支えがカトリだった。
同じ境遇で辛い日々を耐える君がいたから、俺も共に頑張れたんだ。
ラステマに戻り君に会えると思うと緊張して外の空気を吸いにいった。到着を待ちわびてカーテンを覗き見た。デルタが俺を婚約者と認めてくれた時は心から安堵した。
実物の君は口下手だけど心の中ではおしゃべりで、芯があって大事なことを見誤らない強い心の持ち主だった。
俺の情けない卑怯な本性を受け入れてくれて、辛い時は励ましてくれた。
俺に笑いかけてくれる君が愛しくてーー、会うたびに惹かれていった。
君との結婚は俺にとって義務でも何でもなかったんだ。
「次に会う時は君を離さないと誓う! 愛してる……、愛してるんだカトリ……」
最後の方は感極まって声が詰まってしまう。
この声はカトリに届いただろうか。
ウィルロアは思いの丈を叫んだ。目を瞑って、一人噛みしめていた。
「見えてる? 見えてないな? なあ、あっちも聞こえていないんじゃあ――」
「ゼン!」
「うおビックリしたぁ」
渾身の告白にゼンが興味本位で近づいて来た。バルコニーには既にカトリの姿はなかった。
「お前に頼みがある。お前にしか頼めない」
「な、なんだよ……」
ウィルロアは人に聞かれないようゼンの肩を抱き馬車の方へ歩いた。
「オルタナ公子を知っているか?」
「……は?」
「オルタナクソ公子だよ!」
「……マジで言ってる?」
「オルタナバカ公子がカトリに言い寄ってるんだよ! 俺がいない間オルタナアホ公子からカトリを守ってくれ! カトリに近付かないようオレノテキ公子を監視するんだ!」
必死に懇願するウィルロアにゼンはようやく合点がいった。
「……ああ、なるほどなるほど。失念してたわー」
「オイオイオイしっかりしてくれよ!」
「しっかりすんのはお前の方だよ!」
「あ?」
「まーいーや。おもしれえからほっとこう」
「頼んだぞ! 友よ! 信じているからな! 絶対だぞ! お願いします!」
「はいはい。とっとと馬車に乗れ」
ゼンは呆れながら背中を向けて手を振った。
ウィルロアはその背にもう一度心の中で頼んだぞ! と強く念を送る。
それからバルコニーを見えなくなるまで名残惜しく眺めたが、やはりカトリの姿はそこになかった。




