君から始まった道
キリクが国王の部屋を退出した後、軍部で国境付近の状況を確認した。その際に有事が迫っていたのでキリクも軍服に着替えるよう促された。
「……ああ、部屋を変えたのだったな」
いつもの癖で皇宮に向かう足を止めて向きを変える。
キリクはウィルロアがデルタに入国したのを知って、念のため私室を変えていた。
それでもこの警備を掻い潜って辿り着けるはずはないと思っていた。
思っていたのにーー。
未だ慣れない部屋を開けて入ってみれば、目の前にはいるはずのない人物が立っていた。
「……ウィルロア」
一瞬女かと思ったが、ベールを外すと金の髪と青い瞳の見知った男が姿を現す。
女装までするとは、ここまでなりふり構わず来たらしい。
「はぁ……、リジンだな」
ここの場所を知る者は限られている。ウィルロアは肯定も否定もしなかったが、キリクはショックが大きくチェストに寄りかかった。眉間を抑え、深いため息をこぼす。
「まさか身内に裏切られるとは……」
「誰も裏切ってなどない」
お前がそれを言うのかとキリクは腹が立って顔を上げた。真っ直ぐと見つめる澄みきった空のような瞳が余計にも感情を逆撫でる。
「ならばお前がここまでたどり着けたのは何故だ? 我が国が無能だからか!?」
「……」
「リジンじゃないならカトリか? オルタナか? そういえば母上が劇団を使って印象操作していたな。城の内外では使用人や民に助けられたのだろう。オリガとシシリも協力したのではないか?」
「そうではなくて、誰も君を裏切ってなど――」
「はっ! これのどこが裏切りじゃないと言えるんだ!?」
「ーーっ君が魅せた夢じゃないか!」
ウィルロアが珍しく声を荒げた。仁王立ちして両手を広げて訴えた。
「他の誰でもない。君が望み、尽力し、心を砕いてきた夢だ。その夢に魅せられて皆ここまでついて来た。君の描いた和睦という夢を私達が諦められなかっただけだ!」
「私達?」
「そうだ。私は幼すぎて和睦のわの字も思い浮かばなかった」
大陸会議でキリクが語った両国の未来に、心踊ったのを今でも鮮明に覚えている。
「君の背中を見て歩いてきた。君だからこそ共に頑張れたし君だからこそ信じてここまで来れたんだ。君がいなければとっくに諦めていただろう」
キリクの顔は苦渋で歪み、しかし思い直したかのように目を瞑ると顔を逸らした。再び険しい顔を浮かべるとソファに沈むように座る。
ウィルロアはその動作をゆっくりと目で追い、自身も向かいのソファに腰を下ろした。
「……勝手な事を言うな。ラステマの王太子の謀反で和睦が潰えたんだぞ」
「本当にラステマのせいだけか?」
「和睦反対派組織のことなら――」
「そうじゃない。キリク、腕を見せてくれ」
「……なんのことだ」
「君がユーゴに斬り付けられた腕のことだよ」
「……」
核心を持っているウィルロアにキリクは叔父に吹き込まれたのかと訊ねた。叔父からの情報だったなら、政敵である王弟の悪あがきだと誤魔化すつもりだった。しかしウィルロアは首を横に振って王弟との接触を否定した。
「襲撃の時、君が腕を抑えていたのを見た。君の立っていた場所には血だまりが出来ていた」
ああ、確かにあの時ウィルロアと一瞬目が合った気がした。見られていたのかと納得する。
「その時は特に気にも留めていなかった。だが賠償請求の内容を聞いておかしいと思いたった。ラステマを追及するなら、王太子が怪我を負った事実は優位に働く。それなのに使者は君の怪我には一切触れなかった」
軍を動かして脅しをかけるほど早期決着を望んでいたデルタ。それなのにデルタはキリクの怪我をひた隠した。それはラステマに知られては困る理由があったからに他ならない。
そしてシシリがオリガの侍女になったと知って、ユーゴの身に何か良からぬことが起きたのだとウィルロアは確信した。
「君はユーゴを守っているのだな」
キリクは顔色を変えることなく否定も肯定もしなかった。
「それで? 今度は我々を脅して賠償を白紙にするか? それとも戦争回避が望みか?」
使者を立てず自ら乗り込んで来た真意を訊ねるキリク。ウィルロアは視線を落とし、ゆっくりと間を取って口を開いた。
「私はこの件を明るみにするつもりはない」
「――は?」
「デルタの隠蔽を知るのは私だけだ。ラステマはこの事実を誰一人として知らない。だから私が直接交渉に来たのだ」
「なぜ――」
「私の目的は、デルタ王国と新たな和睦を結ぶこと」
キリクは思わず立ち上がって叫んだ。
「馬鹿な! そんなことが出来るわけない!」
「出来る。大丈夫だ。ユーゴも守ってみせる!」
キリクの顔が再び歪み、瞳が潤む。
ウィルロアの言葉を信じていいものかと葛藤していた。開戦間近で状況を一変することが本当に可能なのだろうか。軍は動きだし、国民は既に避難を開始している。その中でもう一度ラステマと和睦を結び直すことが出来るのか――。
「道はまだ残っている。君から始まった道だ。君が諦めなければ和睦への道は途切れることはない!」
「ーーっ」
キリクはぐっと拳を握り頭を下げた。そして顔を上げてウィルロアに懇願した。
「……聞かせてくれ。私だって、この夢を捨てきれないんだ」
キリクの想いを受け止めたウィルロアは肩を強く掴んで頷いた。その手から揺ぎ無い決意が伝わっていくのを感じる。
「私はラステマの王になる」
この男からそんな言葉が出てくるとは思ってもみなかった。放心したキリクに追い打ちをかける様にウィルロアは続けた。
「そしてデルタの王は、君だキリク」
「!」
「王になるんだ。今、すぐに!」
「まさか……!」
ようやくキリクはウィルロアがやろうとしていることに気付いた。
「『一世一代』の聖約に引っ掛かるのなら代替わりをすればいい。私とキリクが新しい王となり、再び和睦を結ぶんだ」
「しかし『一世一代』の条件はクリアしても、『確固たる意志』では同じ内容で条約を結べないだろう」
「分かっている。だから――」
そこで初めてウィルロアが発言を躊躇する様子を見せた。
「……カトリとの結婚を、白紙にする」
「どういうことだ?」
「和睦締結で両陛下が出した聖約の文言は、『私とカトリの婚姻をもって和睦を成立させる』とあった。私とカトリの結婚の部分を取り除き、ただの和睦とするのさ」
「少し強引過ぎないか?」
「分かっている。だから教皇庁にはこの聖約で妥協しなければ100年前と同じ大陸中が戦乱と化すと警告する。教皇庁だって平和を維持できるのなら多少の事には目をつぶってくれるだろう」
ウィルロアの言うことは強引な部分もあったが、キリクは概ね納得した。しかし踏ん切りの付かない部分もある。それはウィルロアだって同じだろう。
あんなに、結婚するのを夢見て耐えてきたというのに――。
「君は、それでいいのか?」
「……ああ」
ウィルロアの返事を聞いて、キリクも覚悟を決めなければならなかった。
「話は分かった。しかし王位譲渡の件は私の一存ではどうにも出来ない。陛下に相談の上でーー」
「その必要はない。話はすでに聞いた」
「!?」
キリクが答えるより先に、扉が開かれデルタ王が入ってきた。
背中で手を組み、背筋を伸ばして二人を見下ろす。国王の登場に慌ててウィルロアも立ち上がり礼をとる。
デルタ王は外で話を聞いていたと言って二人に座るよう促した。
キリクはウィルロアと密会していたことに少し後ろめたさを感じていた。
「父上、なぜこちらに――」
「国境付近で動きがあった」
「「!」」
「急を要するため伝えに訪ねたのだ」
二人は真っ先に最悪の事態を想像した。
アダムスが抑えきれなかったか? ラステマが開戦の火蓋を放ってしまったのか!?
和睦の再締結も戦争が始まってしまえばどうにもならない。
だめかーー。
「睨み合いを聞かせる両軍の間に、国境付近の住民が押し寄せたらしい」
「!?」
「南に避難せず、戦争を止めろと居座っているそうだ。それも、ラステマの民と共に……」
「ーーっ」
安堵からか、胸が詰まってか、ウィルロアが両手で顔を覆った。
ウィルロアの予想は幸いにも全て外れてくれた。
「両軍、国民を害するわけにもいかず対応しあぐねいている。何度追い払っても動こうとしないそうだ。我々の想像以上に、民は和睦を受け入れ平和を望んでいたのだな……」
ウィルロアだけではない、キリクとデルタ王もまた民の捨て身の訴えに強く心動かされていた。
「キリクよ、お前に王位を譲る。私に代わってこの国を導くのだ」
「父上」
「元より全ての責任は私が取るつもりだった。お前達が望み、描いた和睦への道。お前達で結ぶのが最良だったのだろう」
穏やかな表情で息子に跡を託すデルタ王。父親からのバトンをキリクはしかと受け取った。
デルタ王がウィルロアへ向き直る。
「本当にユーゴの件は無かったことにしてくれるのだな」
「はい」
「口約束だけでは信頼出来ぬ。いくらお前が信用たる男だとしてもだ」
「勿論です。ただしこの密約は書面に残しておくのも憚られる内容です。そこで私からも、今から国家機密をお二人に漏らそうと思います」
「なに!?」
「ラステマも我々に不都合な隠し事があったのか?」
ウィルロアは目を瞑ってそうだと頷いた。
「兄、アズベルトは生きています」
「なんだと!?」
「私もあなた方と同じく身内を匿っているのです。どうかこの事実はお二人の胸の内にしまっていただきたい。露見すれば私の害となるでしょう」
衝撃の事実に、デルタ王とキリクは顔を見合わせてから頷いた。
「アズベルトは生きていますが、替え玉にした囚人が何者かに殺されました。私の臣下がその男を追っています。その他にもアズベルトが残してくれた証拠から兄を嵌めた黒幕が分かりました。徹底的に断罪するつもりです」
兄アズベルトは、ローデン将軍の誘いにのりながらも将軍の背後にいる者達を探っていた。
ただでは転ばない、さすが兄上だ……。お陰で共に恨みを晴らすことが出来ますね……。
「絶対に許すつもりはありません。相応の罪を償ってもらいます」
ウィルロアから静かな怒りがほとばしる。
デルタ王も想いは同じで協力は惜しまないと約束してくれた。
そして三人は和睦と制裁に向けて話を詰め、両軍を国境から撤退させることに合意した。
ウィルロアとキリクはそのまま教皇庁の置かれたアマスに出立することになり、ひとつの心残りだけ残して馬車に乗り込んだ。




