公子の正体
オルタナ領から王城に戻ったカトリは、王都にある教会に着くと足取り重く馬車から降りた。
「?」
外が騒がしいのが気になったが、護衛達に促されて教会の中へと進んだ。
「王女様! お初にお目にかかります。私は伯爵家の――」
「我々にもご挨拶の機会をお与えください!」
「美しい王女様にお会いできて光栄です!」
「せめて名前だけでも憶えていただけませんか!?」
中に入るなり噂を聞きつけて待ち構えていた貴族の令息たちに囲まれた。
軽い会釈だけして護衛に守られながら、急いで祈祷室まで移動する。
「このように手順も踏まず押しかけるのは止めてください。姫様が困惑されています」
カトリを守るようにオルタナ公子が貴族達の対応に当たってくれた。
オルタナ公子は手紙の件以降も親身になって、王都まで随行してくれた。今ではカトリの盾となってくれている。
「あなたこそなんの権限があって我々を非難するのですか?」
「正式な婚約者でもないのに邪魔をしないでいただきたい!」
貴族達の抗議に公子は毅然とした態度で答えた。
「キリク殿下に帯同の許可をいただいています。あなた達こそ私を非難したいのなら正式な手順を踏んでください」
「……く」
「それに――」
オルタナ公子は髪を掻き上げながら不敵な笑みを浮かべた。
「あの方が私に盾となるのを望んでいるのです」
令息たちにはオルタナ公子の余裕の表情は勝ち誇ったように映っただろう。『あの方』がカトリのことで、深い仲だと宣言されたのだと勘違いしていた。
悔しそうに散り散りに去っていく令息たちを見て、カトリも微笑んだ。
彼の言う『あの方』とは、決してカトリのことではなかった。
『どうやら勘違いをなさっておいでのようです』
オルタナ邸でカトリが公子から手紙をもらい、訪問を許可すると彼は直ぐに訪ねて意味深にそう告げた。
***
「豊穣の女神にご挨拶申し上げます」
「初めまして。オルタナ公子」
カトリは素っ気なく挨拶をしてソファに座っていた。そして顔を上げず、あからさまに不機嫌を装った。
協力を仰ぐために会うと決めても、結婚が破談になったと知ってすぐ自分を売り込んでくる浅ましさも、カトリの気持ちを無視した強引さも全てが不快極まりなかった。
「できれば王女様と二人きりでお話がしたいのですが、人払いをしていただけませんか?」
「必要ありません。話があるのならばこのままどうぞ」
部屋の中にはカトリの気持ちを酌んだ護衛や侍女が目を光らせて待機していた。
カトリのはっきりとした意思表示に、公子は逡巡した後「ああ」と、何かに気付いたように笑った。
「どうやら勘違いをなさっておいでのようです」
「?」
そこで初めてカトリは顔を上げ、オルタナ公子の顔を見た。
深緑色の瞳からは恋慕も野心も感じられない。
不思議そうに眺めるカトリを余所に、席を立って「では庭園を散策しながら話すのはどうでしょう」と提案された。
どうやら公子は二人きりになりたいのではなく、二人だけの話がしたいようだ。声の届かない位置でなら護衛が付くのは構わないという意味だ。
「……わかりました」
カトリも立ち上がり、二人は庭園へと移動した。
開けた四阿に腰をかけて向かい合う。離れた場所では侍女と護衛が待機していた。
「ここでなら私達の会話は聞こえません。お話を聞かせていただけますか?」
「はい。ラステマでの騒動を聞きました。そこで王女様がお困りかと思い、私ならお力になれるのではないかと考えました」
「……」
なんだ。やはりただのご機嫌取りかとがっかりする。公子は続けた。
「実は、私には姫様にべた惚れの友人がおりまして」
「……え?」
「自己犠牲の塊のような男で」
「!」
「十年も国のために耐え忍んでいたのがこんな結果となり、友を不憫に感じていたのです」
「あなた、まさか――」
「そいつには大きな借りがあるんですよ」
公子の少し下町訛りの混ざった言葉に息を呑む。
カトリは記憶の中から以前ウィルロアが話してくれた人物を探した。
下町で、咄嗟に名前が浮かばず、兄の名を使ったと、庭師に、友人が出来て、きたない言葉を習い、その友人の名は確かドナと――。
「私、ゼオン=オルタナが、二人のお力になりたいと思います」
「『ゼン』!」
まさか公子が身分を隠し、ゼンと名乗ってウィルロアと下町で親交があったとは。
確か彼は社交から遠ざかっていたと聞いたが、どうやら王都の下町に入り浸っていたようだ。貴族として出会ったのではないのなら、あのやさぐれ王子のウィルロアと仲が良かったのだろうか?
「その反応を見るにウィルロアは姫様に裏の顔がバレているようですね」
いたずらな顔で笑う公子に、その時の慌てたウィルロアの姿を思い出し、カトリも緩く口角を上げて微笑んだ。
だけど、彼の顔を思い浮かべるとすぐに涙が滲んだ。
「ごめんなさい……」
「……」
「ウィルロア様とは、どこでお知り合いに?」
「身分を隠して下町で暮らしていた時に知り合いました」
オルタナ公子は成人するまで公爵領に引き篭もっていたとあるが、真実は半分家出のような状態で身分を隠して下町で暮らしていたという。
「手紙で力になるとは申しましたが、私は公爵家の跡取りとして国を裏切るわけにはいきません。あなたをラステマに送り届けたり、デルタが不利になるようなことには一切協力しません」
「わかっております。私も国に害をなすつもりはありませんし、あなたに罪をきせるつもりもありません」
「ご配慮感謝します」
「オルタナ公子は何故私に協力を? あなたの身も危ういのではないですか」
「ラステマでの襲撃は聞きました。私自身が平民として暮らしていたのもあって、和睦がもたらす可能性を簡単には捨てきれませんでした。諦められないのはウィルも同じはずです」
「はい。私もそう思います」
「しかし和睦締結は現実的に難しいでしょう」
「……」
「しかし今ならまだ戦争は回避できる。そのために現状を打開できるのは、両国民のために心を砕き、愛されているあなたと、あいつしかいないと思っています」
「……ありがとう」
ゼンの言葉に報われる想いだった。
「私に協力するのをオルタナ将軍はご存知なのですか?」
「父には話していません。ですが姫様に声をかけた時点で気付いているでしょうね。まあ、多少は見逃してくれると思います」
「しかし……」
「父はラステマの軍人で公爵の地位がある。しかし同時に父もまた、あいつに恩を感じているようです」
「それは?」
「俺を更生させたことでしょうか」
ゼンはバツが悪そうに頬を掻いた。
「ウィルロアの手助けはしますが、我々にも限界があるというのをご理解ください。どの道あいつ次第です。失敗しても死んでも、我々にはどうすることも出来ません。ただ十年の歳月を費やしてきたあなた達二人があまりにも不憫で、出来ることがあるなら可能な範囲でお力になろうと思いました。例えば、きちんとお別れするための手紙を届けるとか……」
戦争を回避したいと言ったゼンも、ここまで捩じれてしまった後では和睦も婚姻は難しいと考えているようだ。
「……ありがとう。では手紙を二通届けていただけますか?」
「二通ですか?」
「はい。一つは私も友人を救いたいので王城のオリガ王太子妃に。もう一つは無益な争いを避けるために、ウィルロア様に秘密裏に手紙を届けて欲しいのです」
「……それはデルタのためですか?」
「両国のためです」
「失礼だとは思いますが、ウィルロアへの手紙は内容を読ませていただいてから判断しても?」
「勿論。ただしあなただけです。陛下や兄達には悟られてはなりません」
「分りました」
それからゼンは約束通り手紙を届け、その後もカトリを支えてくれるようになった。
ゼンは下心がなく、ウィルロアの友人ということもあって信頼できた。
巷では二人が仲睦まじいと噂が流れたが、ゼンもカトリも気にしなかった。
***
カトリは教会で祈りを捧げ、帰りの馬車に乗ろうとステップに足をかける。
「公子はどうしたの?」
オルタナ公子の姿が見当たらない。侍女に訊ねたが、護衛と顔を合わせながら言い辛そうに答えた。
「公子様は先に王城にお戻りになりました」
「……そう」
歯切れの悪い態度に首を傾げる。馬車に乗り込もうとステップを登ると沿道の方から市民の声が切れ切れに聞こえて来た。
「ウィルロア王子が王都に――」
「――デルタ兵が何人も――」
「オルタナ公子も慌てて追いかけて――」
カトリの足が止まる。
「ひ、姫様、王城に戻りましょう」
「……ウィル様が、いたの? ここに!?」
もしや到着の時に騒がしかったのはウィルロアがいたからなのか? ここに、目と鼻の先にウィルロアがいたのか。
恋しさが込み上げると同時にカトリの全身から血の気が引いた。
ウィルロアは兵に見つかり、追いかけられている!
「大変ーー」
いてもたってもいられなかった。馬車から飛び降りると、無意識に足は駆け出し侍女の制止も聞かず市政の中へと飛び込んでいった。
どこ!? ウィル様! 無事でいて!
路地に入るとカトリは手を掴まれた。
「! ウィル様――」
「姫様」
「!? どなたですかっ!」
「私はダン侯爵家のガイドと申します。カトリ王女の姿をお見かけしお声をかけました」
「……手を、離していただけますか?」
無礼な態度ではあったが丁寧にお願いした。しかし小侯爵は手を離さなかった。
「ラステマの王子が姫様に害をなすかもしれません。オルタナ公子がいない今、私が王女様をお守りします」
「結構です」
「危険ですのでこのままで。折角ですから護衛が来るまで私とお話をーー」
「離してください!」
強く拒否すると小侯爵は驚いて手を離した。
「不躾に御身に触った無礼をお許しください。しかしこうでもしないとあなた様にお会いできないと思ったのです。……愛しております」
「気持ちわ……、自身の気持ちばかり押し付けるのが愛とは言いません」
「そう言わずにどうか私にも機会をお与えください!」
鳥肌が立って恐怖で身が竦む。小侯爵はカトリの手を再び取り、あろうことか腕を引いて距離を縮めてきた。
「やめ――」
「いだだだだ!?」
圧迫感が解かれ、顔を上げると小侯爵の背後にベールを被った女性が立っていた。
果敢にも小侯爵の腕を締めあげたベールの女性は、カトリから引き離して間に入ってくれた。
「な、何をする!」
ベールの女性は答えず、小侯爵を締めあげたままカトリに下がっているよう首を傾げて合図する。
「何だお前は――離せ!」
しかし相手は男性。あろうことか小侯爵はか弱い女性に体当たりした。突き飛ばされたベールの女性は勢いよく地面に叩きつけられてしまった。
「うっ!」
「きゃあ! 女性になんてことをーー!」
「姫様!」
「! ここです!」
騒ぎに駆け付けた護衛がすぐに小侯爵を取り押さえた。
「こ、これは違うんだ。この女が、離せ僕は何もしていない! 姫様すみません。そんなつもりはなくて……少し興奮してしまったようです」
喚く小侯爵を見るのも嫌で顔をそらす。小侯爵は消沈して護衛達に連れて行かれた。侍女がカトリの無事を確認していく。
「私は大丈夫。それよりもあちらの女性を見て上げて――あら?」
先程まで地面に倒れていたはずの女性が忽然と姿を消していた。
どこに行ってしまったのか。お礼もしていないというのに。
身なりは平民ではなさそうだった。喪服を着ていたということは伯爵家の関係者だろうか? 倒れた時に低いうめき声を上げていた。怪我を負っていなければよいが……。
「姫様? どこか痛みますか?」
「ううん……大丈夫、よ」
低い、うめき声?
カトリは女性が倒れた場所を振り返った。
「……」
あれは、本当に女性だったのだろうか。
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次話更新は月曜日となります。
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