国境付近で
オルタナ公爵領にあるデルタとラステマの国境付近の村は、村民の殆どが農業で生計を立てていた。
元々人の往来が少ない村は穏やかな時間が流れているのだが、今では軍人が忙しなく行き交い、開戦間近に物々しい雰囲気になっていた。
戦争が始まればここも戦火にさらされるだろう。
農民たちは家と畑を捨てて、南へ避難する準備を進めていた。
農夫のダンは、息子のオダルと一緒に籠いっぱいの野菜を抱えて農道を歩いていた。
「ダン、あの話聞いたか?」
農道が交差する開けた場所に、村人が数人集まって井戸端会議をしていた。最近は戦争の話題ばかりで、不安な気持ちから村人が集まっていた。
「ウィルロア王子のことならさっき聞いた」
馬に乗った軍人がやって来て、ラステマ人の三人組を見かけなかったかと聞かれた。
国中にウィルロア王子を見かけたら捕えるよう触れが出たらしい。
「和睦がおじゃんになったかと思えば戦争がおっぱじまるっていうし。生まれ故郷を捨てて逃げなきゃならんのに、今度はウィルロア王子が不法入国したと聞いたら準備もままならねえだろが。無茶をしたもんだ」
賠償案を提示したデルタとラステマの交渉が滞り、ウィルロア王子は停戦を結ぶため護衛騎士二人だけを連れて、自らデルタに入国したという。
どうやらデルタは端から戦争を回避する気が無いようだ。逆にウィルロア王子を人質に取ろうと、躍起になって探していた。
「捕まえて殺されたら後味悪くてかなわん」
「なんだいあんた達!」
男達の会話に作業から戻った女達が混ざってきた。
「ウィルロア王子の悪口かい!?」
「は? 言ってねえよ! ラステマ人のせいで王子が不憫だなって話してたんだよ!」
「ならいいけど。ウィルロア王子を見つけても軍に引き渡すんじゃあないよ!」
「見つけたら私達でカトリ様に会わせてあげるんだからさ!」
デルタ人の女達は怖いほどにウィルロアの肩を持っていた。
「例のロマンス劇の影響だよ」
ダンの隣に立つ男がこっそり理由を説明した。
触れが届く数日前、珍しく村に旅人がやって来て、一冊の本を無償で置いていった。なんでも今王都では、このロマンス小説が元になった劇が人気で、公演は連日大盛況という。
開戦間近に娯楽が人気を博すとは、王都の連中はお気楽なものだと呆れていたら、内容を聞いて納得した。
ロマンス小説は、カトリ王女とウィルロア王子の恋物語だった。
主人公二人の名前は違うが、敵国同士の王子と王女が恋に落ちて婚約をする。容姿の特徴も相まって、両殿下の置かれた状況を彷彿とさせた。
物語では次々と二人に試練が迫り、恋敵の邪魔が入ったりすれ違ったり。最後は国同士が再び争いを起こし、二人は引き離されてしまう。
どう考えてもお二人をモデルにした話で、悲恋にどっぷりとはまった国民は、カトリ王女とウィルロア王子を不憫に思い、密かに応援しているのだ。
「お前らみたいに一時の流行りに乗っかって助けようなんていう薄っぺらい気持ちじゃねーんだよこっちは」
「王子は俺達の恩人だぞ! 見つけても誰が教えるか」
農夫からしてみれば、農機具を改良してくれた王子には大恩があった。
表向きは貴族の働きかけがあったとあるが、ウィルロア王子がラステマの技術を持って助言したのは皆が知るところだった。
そして王子は、王妃様の命を救ってくれたお方でもある。これは劇によって知ったことだが、どうにも真実味があり、王子のお人柄とカトリ王女が突如デルタに戻られたことから、王子の働きかけがあったのだと皆が納得した。
「今も両国の戦争を止めるために尽力なさっている」
「あたし達の暮らしを守ろうと奔走されているんだ」
「カトリ様を大事に想ってくださるお方だ」
「王妃様を救ってくださった」
「この恩を返さないでいられるかい!」
各々がウィルロア王子に対する想いを語っていく中で、誰一人として悪口を言う者はいない。
ラステマ人に対する嫌悪は未だ残っているが、十年デルタで暮らし、デルタ人に寄り添い今尚両国民の暮らしを守ろうと奔走するウィルロア王子を、国軍に差し出す程恩知らずな奴はここにはいなかった。
「父ちゃん、早くいこうよ」
オダルが立ち話に飽きて袖を引く。
「何だダン、出立の準備はまだなのか?」
「これからだ」
「明日にはこの村ともおさらばだ。準備を急ぐんだぞ」
「くそっ。せっかく育てた麦も畑も全部焼けちまうのか……」
「農地より命が大事だ」
「本当に、ウィルロア王子が戦争を止めてくれたらいいのにな……」
ダンは挨拶をして家路を急いだ。
「おーじ、だいじょうぶかなぁ」
「……」
二人で並んで歩きながら、ウィルロア王子の心配をするオダルの頭を撫でて頷いた。
軽く足を捻挫していたが、無事馬車には乗り込んでいた。大丈夫だ。きっと王都に行って戦争を止めて下さる。そう心の中で呟いた。
数日前、ダンがオダルと森で狩りをしていると、デルタの軍人に会った。
「村人か」
頬に十字の傷跡がある軍人は、背中に人を背負っていた。
「頼みがある。この人を匿ってはくれないか。報酬は払う」
ダンは咄嗟に息子を庇っていたが、軍人が背負っていた男を見て腰を抜かしそうになった。
カツラの下から覘く金髪、整った容姿にお忍びの服――。
ごくりと生唾を飲む。村を出立する前に精力を付けようと狩りをしていた矢先に大事に巻き込まれてしまった。
軍人は是非を尋ねたが、農民のダンに拒否権は初めから無かった。
軍人の指示通り、日が暮れるまで森の中で身を隠し、暗くなるのを待ってダンが背負って移動した。
周囲を警戒しながら家に入り、木のベッドに背負っていた男を寝かせる。
フードがはだけると、美しい金の髪が薄汚れたベッドの上に流れた。
十字傷の軍人は一方的にダンに説明をした。
「怪我はしていない。騒がれたら困るので薬で眠らせたが時期起きるだろう。起きたら色々聞かれると思うが、お前が森で拾ったことにしてほしい。そして匿っていることは絶対誰にも言うな。デルタの軍人が訪ねて来てもだ。噂の一つでもたったらお前達を殺す」
「あの」
「質問は許さない。余計な詮索はするな。誰に何を聞かれても知らないと言え。俺のことも他言無用だ」
「……」
「ラステマに送り返すための迎えを用意するまで二、三日匿ってくれ」
「……わかりました」
「お前もだぞ」
「うん。誰にも言わないよ」
「よし。これは報酬の一部だ。残りは迎えから貰うように」
そう言って十字傷の軍人は足早に出て行った。
大変なことになったと大きなため息を溢して椅子に座った。
程なくして気絶した男が起きた。
「……ここは?」
輝くような澄んだ青い目、やはり男はウィルロア王子だった。
「森で倒れている所を我々が助けたんです」
王子は憔悴していて、用意した食事にも手を付けなかった。
護衛が二人いると聞いていたが、お一人なのは何故だろう。あの十字傷の軍人は何故ウィルロア王子を助けたのだろうか。
詮索するなという言葉を思い出し、余計なことは考えまいと首を大きく振った。
それから二日が経ち、軍人の言う通り夜中に迎えがやって来た。
「ベリン商会のゴズと申します。デルタ軍があなたを血眼になって探していますよ」
商人は十字傷の軍人の事は一切話さず、噂を聞いてここへ辿り着いたと言った。勿論それが嘘だと知っているのは商人とダンだけだった。
「私があなたのお命を救って差し上げます」
「何故助ける」
「決まっています。お金ですよ。私が無事あなた様を送り届けたなら、謝礼金を頂戴いたします」
恰幅の良い商人は、意地汚い笑みを浮かべた。
「金か……。商人相手だと逆に信用できるな」
「でしょう? ではラステマまで送り届けますので――」
「いや。行き先はラステマではない」
「はい?」
「キリク王太子は今どこにいる?」
「……オルタナ領から、王都へ戻られる予定だと聞きましたが」
「では王都へ向かってくれ」
「ーーっ何考えてんですかい死んじまうぞ!」
思わずダンは叫んでいた。オダルが怖がって怯えた。
「あ、すみません……」
「ただで死ぬつもりはないし、ここまで来て引き返すつもりもない」
「……」
「ですが王子の一件で王都は封鎖され、警備が厳重になりました。商人でも検問を受けますぜ」
「荷台でも商人の格好でもなんでもする。王都に無事届けてくれたなら、報酬を倍払おう」
「……では、それに加えてラステマ王家との良縁を望みます」
「いいだろう」
王子はあっさりと引き受けて外套を羽織った。
商人は意気揚々と外に出て準備をする。
入り口に立って振り返ると、高貴なお方にも関わらず、農民であるダン達に向かって深く一礼をして出て行った。
「おうじ、だいじょうぶかな」
王子が出て行って二日経ったが、未だ軍人達はウィルロア王子を血眼になって探している。つまり無事商人の馬車で王都に向かっているのだ。
「オダル、村のみんなで移動している間はその話をするなよ」
「うん」
「よし。準備はいいな。俺達も行くぞ」
ダンの村は国境近く、既に軍人の出入りがあった。村人全員が家や農地を捨て、ここから南に移動を開始する。
不安がるオダルの手を握り、ウィルロア王子の無事を祈りながら生まれ育った村を後にした。




