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やさぐれ王子と無表情な婚約者  作者: 千山芽佳
第三章

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ウィルロアの過去3それぞれの道へ

 

 ウィルロアは時々下町に降りては、ドナとゼンと交流を深めていった。

 ここに来れば孤独ではなかったし、下町の汚い言葉には開放感を抱いていいストレス発散の場となった。


「おっまえマジ最高!」


 ある日、練習用の剣を持っていくとドナは大喜びした。

 ウィルロアは剣の型を教え、ドナは剣術の稽古に励んだ。

 ドナの弟は両目が見えなくなったが、ラステマで使用されるような長い棒をプレゼントし、障害物を避ける訓練を始めた。

 ゼンとは農機具の改良で話し合う機会が多かった。

 当初の予定通り、ウィルロアはアイデアと知識だけを与え、運用に関しては全てゼンに任せた。

 ゼンは頭が切れるし人脈もあったので、信頼のおける大人に仕事を頼んだおかげで下町の暮らしは豊かになっていった。

 ゼンが誰を頼り、どうやって事業を形にしていったかはウィルロアの知るところではなかった。だがそれでいいと思った。


 王城では相変わらず空気のような扱いを受け、貴族の娘には偏愛され、その家族には疎まれてユーゴ達の嫌がらせに耐える日々。

 そんな日常も使用人から毒を盛られたことで、体力的に下町へ行くのが困難になってしまった。

 悶え苦しんでいたところを、キリクの婚約者オリガ嬢に声をかけられたこともあった。

 しかしウィルロアは誰の力も借りるつもりはなかった。大事にして和睦に亀裂が生じるのはなんとしても避けたかった。

 唯一ウィルロアを気にかけていた王妃が西大陸に外交で不在の時でよかったと思う。

 あと数年我慢すれば、ウィルロアはラステマに戻りカトリと結婚ができる。

 そのためには毒の件は一人で解決しなければならない。ここに頼れる者はいないのだからーー。


「う、はあ、はあ」


 吐き気を催しベッドに倒れ込む。声が漏れないよう口を毛布で覆って蹲った。

 犯行はどんどん大胆になっていた。

 ある日は水に、ある日は食べ物に、今日はウィルロアが愛用していたカップに毒が塗られていた。


 痛みが治まったのは夜中になってからだった。

 ウィルロアはふらつく足取りで起き上がると、廊下を歩いて王家の間に入っていった。無関心な使用人のお陰でここまで来るのに咎められたことは一度もない。

 壁一面にデルタ王家の肖像画が飾られている。見渡せるように部屋の真ん中に置かれたソファに腰かける。


「……カトリ」


 左の下方に飾られた、少女の肖像画を眺めた。

 二人の兄に挟まれ、少し緊張気味にはにかみながら描かれていたのは、ウィルロアの婚約者であるカトリ王女だ。

 カトリは何も言わない。じっとこちらを見下ろし、ウィルを見ていた。

 僕の仲間はここにいる。


「元気かい? そっちは寒くはない?」


 絵画の中の少女はもちろん答えるはずもない。


「元気に過ごしているかな。寂しくはない? 私は――、もう随分と辛くて孤独を感じている」


 このまま命を落とす恐怖さえ覚える。

 怖いと、助けてと、言えたらどんなに楽だろうか。


「君が同じ想いをしないで過ごしていることを願うよ。きっと両陛下や兄上が、気遣ってくれているだろう」


 椅子の上で両膝を抱えて目を閉じた。

 君がいるから、僕は逃げずにここにいるんだ。


「会いたいな……」


 ウィルロアにとってカトリの存在は希望であり、救いなのだ。


「君とエーデラルで静かに暮らしたい。何の責任も、しがらみもない生活を、君と――」


 そんな些細な願いでさえ、運命は叶えてはくれないのだ。





 外交から戻った王妃がエミエラ病に罹り、治療薬が手に入りづらい状況になった。

 一週間待って何の成果もないと、ウィルロアは意を決して動くことにした。

 本当はゼンを頼ってエーデラルの薬を送ってもらうつもりだったが、キリクの贖罪を聞いて離れ離れの母娘にしてやれることがないかと考え、危険な橋を渡ることにした。



「何考えてんだ! ここで身を隠させてくれって!? お前、自分の立場を分かっているのか!?」


 いつもの平民服ではない姿にお忍びのマントだけ羽織ってゼンの家の戸を叩いた。

 カツラも被らず金の髪を隠すことなく現れたウィルロアに、ゼンは眉間を寄せた。

 ウィルロアがカトリを王妃に会わせてやるために王城を飛び出したと知ると、机を叩いて激怒した。


「王妃様にもカトリ様にも同情はする。けど、俺は言ったよな? この和睦は必ず成功させてくれと。お前が未だに下町に来ていることさえ反対だったんだ。それが……置手紙をして逃げて来た? 俺に一週間も匿えと!?」

「頼れるのが君しかいなかった。ここにいる間は外には出ないし絶対に迷惑はかけない」

「迷惑の話をしてるんじゃねえ!」

「王妃様を救うためにも協力して――」

「悪いが俺は救えるかどうかも分からない王妃様より、この先を生きる多くの民のためになる事を優先する。カトリ様を呼び寄せて母娘を対面させて何になる!? お前が和睦の取り決めを守らないことで反故になったらどうするんだ! どう考えてもリスクの方がでかい!」

「ゼン――」

「大体、お前がそこまでする必要はないんだよ! カトリ様はお前の婚約者じゃないんだから!」


 ウィルロアは目を大きく見開いて固まってしまった。

 ゼンの言葉を何度も頭の中で反芻しても、理解ができなかった。


「……デルタもラステマも、カトリ王女をアズベルト王子の元に嫁がせたがっている。今頃ラステマで仲良くしてんじゃねーの? 当事者なのに、知らないのはお前だけなんだよ」

「……」

「これで分かっただろ。お前がそこまでする必要はないんだ。だから、大人しく王城に戻れ」


 衝撃の事実に理解は中々追いついてはくれなかった。

 ウィルロアはゆっくりと玄関へ向かい、おぼつかない足取りで扉に手をかけた。


「……城に戻るのか?」

「……君に頼れないのなら、一人で何とかする」

「ーーっ馬鹿か! どこに行くって言うんだ!」

「とりあえず行ける所まで行って森で身を潜めて――」

「ふざけんな!!」


 がんっと壁に後頭部を打ち付ける。ゼンに胸ぐらを掴まれて部屋の中へ引き戻された。


「てめえのせいで和睦が反故になったらどうしてくれ――」

「私だけが責任を取れば済む!!」

「!」

「両陛下が兄上と王女の婚姻を望んでいるのなら、私を排斥するのにいい機会だ。和睦反故の前に私が罰を受けるだろう」

「お前――」

「いざとなれば私にも交渉のカードがある。両国に脅しをかけて、黙っている代わりに和睦の継続を願い出るつもりだ」

「……マジの馬鹿か。それでお前に何の得があるっていうんだ。その頬の痕だって、殴られてまで――」

「うるさい! 離せ!」


 ウィルロアは珍しく声を荒げてゼンを突き飛ばした。


「得だと!? 自分の得なんて最初から考えてねぇ! 両国の未来だけ考えてここまで来たんだ! 俺が望み俺が責を負った。カトリと結婚できないからなんだ。俺は国のために成せることを最後まで全うするだけだ! お前に何が分かる! お前に――」


 ゼンは突き飛ばされて尻もちをついていた。ウィルロアの訴えに圧倒されていたが、再び出て行こうとするウィルロアを慌てて呼び止めた。


「待て! 俺が、悪かった……。お前の覚悟を軽んじた発言を撤回する」

「……」


 ウィルロアは足を止めて振り返った。


「なんて顔してんだよ……」


 憔悴し、傷ついている姿にゼンは胸が痛んだ。放っておけるほど、既に浅い付き合いではなかった。


「そこまで言うなら匿ってやる。協力するよ」

「! 本当に?」

「ああ」

「ありがとう!」

「ばか。礼を言うのはデルタ人である俺の方だろ?」


 ウィルロアは肩を竦めて手を伸ばし、ゼンを立ち上がらせた。



 それから国中を挙げてのウィルロアの捜索が始まった。

 下町の長屋で身を潜めていたが、ドナにもこの件は伝えなかった。

 ゼンに頼んでエーデラルへ手紙を届けてもらった。うまくいけばこれで王妃の命も救えるかもしれない。


 五日後にカトリがデルタ城に着き、王妃が助かったという知らせを受けた。

 ウィルロアは安堵で泣きそうになった。

 よかった。本当によかったと心から神に感謝した。


「一週間後に山小屋に移動して兵士に見つけてもらうことにしよう」


 ゼンの提案に頷き、ウィルロアは家出から約二週間後、無事オルタナ将軍に保護されてデルタ城へと戻った。


 それからデルタ王は、ウィルロアを寛大な心で再び受け入れてくれた。

 そして本音をぶつけてくれたキリクと良好な関係を築けるようになった。

 ユーゴとは相変わらずで、目立った嫌がらせは減ったがシシリ嬢の件はいつまでも絡んできてしつこかった。

 そんなに好きならその労力をシシリ嬢にぶつければいいのにと言ったら、顔を真っ赤にして退散して行ったので留飲を下げることにした。


 家出の一件以来、下町へは足が遠のいてしまった。

 あれだけ大騒動を起こしてしまった後で、おいそれと城を飛び出すのは難しかった。

 使用人や護衛の改善も後押しされた。

 それでも鍵のついた部屋で、下町言葉で罵る癖は消えなかった。



 風の便りでゼンが下町のリーダーを辞めて姿を消したと聞いた。

 心配しなかったと言えば嘘になるが、最後には元気に別れの挨拶をしていったと聞き、彼ならどこにいてもうまくやっていけるだろうと思った。

 そしてあのドナは、なんと兵士見習いに合格した。ウィルロアが下町に行けなくなっていた間も、修練を怠らなかったらしい。

 ドナが寄宿生活に入るというので、お祝いに家に招待された。父親が静かにドナを誇らしげに見守っていた姿が印象に残っている。

 二人の友人がそれぞれの道を歩むと同時に、ウィルロアもラステマへと戻る日が近づいていた。



 これは、ウィルロアがデルタで過ごした思い出の一部分。

 それを今、かつて身を隠した山小屋で邂逅に誘われたのには理由があった。





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