ウィルロアの過去2一度腐ったものは元には戻らない
ウィルロアはある件で王妃の私室に来ていた。
「ウィルロア王子、変わりはありませんか?」
「はい。元気です」
「そうですか。このひと月は何をして過ごしましたか?」
王妃とのこの問答は月に一度行われる。
ユーゴからは王妃がウィルロアを気にかけているとやっかみを受けたが、事実は少し違っていた。
「最近は読書をしています。東大陸の太閤記を読みました」
王妃がウィルロアの答えをさらさらと紙に書いていく。
実は王妃は内密にウィルロアの母親と手紙のやり取りを交わしていた。
和睦のために他国で暮らすことになった幼いカトリとウィルロア。同じ境遇の母親同士、子供の様子を知りたい気持ちは同じだった。
二人は非公式で月に一度の文通をしていたのだ。
ウィルロアはいつものように、明るく元気に受け答えをした。決して虐げられている事も、孤独を感じている事も口にはしない。
ラステマにいる皆に心配をかけたくなかったし、和睦が白紙になって欲しくなかった。
ウィルロアがいじめにあっていると聞いて、負の感情がカトリに向いてほしくはなかった。仕返しだと言ってカトリの待遇が悪くなるのは嫌だった。
「それから、友達と遊びました」
「まあ!」
「あちらは友達とは思っていないのですが、とても楽しかったです」
「あなたの優しさを知れば皆あなたと友達になりたいと思うはずです」
ドナの名前も身分も言わなかったので、貴族の友達と勘違いしていると思う。デルタはラステマと違い、王城への入城規制が緩く、貴族なら自由に出入りしていた。だからいつどこで誰と会ったと疑われる心配はなかった。
「よかったですね。お母様も喜ばれるでしょう」
温かい眼差しを向けられると母のように無性に甘えたくなるのだが、そこは我慢だ。
王妃の微笑みには僅かの心配も混ざっていて、視線がカトリの姿絵に映ったことで気になった。
「王女に、何かありましたか?」
「……」
「い、意地悪なことでもされたのですか?」
王妃は首を横に振った。
「ラステマで暮らし数年が経ったというのに、未だ寂しいと、母に会いたいと言って塞ぎがちだそうです」
「あ……」
「同じ立場のあなたはこんなにも耐え偲んでいるというのに。ごめんなさい」
「謝らないでください。私は王女の存在に救われています。同じ状況に置かれた仲間として、王女の気持ちは理解できますから」
「優しい子ね……。ありがとう」
ウィルロアは王妃の私室を後にし、庭に向かった。
ここでもラステマと違い、デルタでは護衛が付かないので、誰にも呼び止められることなくすんなりと庭に辿り着けた。
でもオルタナ将軍の事もあるからどこかで見張りがいるのかもしれない。
「お。王子今日もお出かけか?」
お目当ての庭師は剪定をしているところだった。
「あ、いや、違くて……、この間は怒られませんでしたか?」
「ん? わざわざ心配して来て下さったのか? 全然怒られていませんよ」
「よかった。ではあの服はどうしましたか?」
小屋で脱いだ平民の服がどうなったか気になっていた。
「作業小屋に置いてやしたよ。王子が来たら着替えてから行くよう将軍にも言われてたんで」
「え!?」
ウィルロアは益々将軍の意図が分からなくなった。
もしやこれは罠か? いやでも貶めたいなら昨日のうちに出来たはずだ。
だったらこれもデルタの緩さなのかもしれないと、都合よく解釈することにした。
結局、庭師の誘惑に負けてまた王城を抜け出してしまった。
知られたとしてもオルタナ将軍を巻き込んでしまおうと悪知恵を働かせた。
ゼンにだけは怒られるから会わないように周囲を気にしながらスタートした二度目の冒険。道に迷うことなく順調に進んだ。
下町に入り、隠れ家の近くでドナの姿を探す。
「やめてくれよ! それには手を付けないでくれ!」
路地の方から喧嘩のような声が聞こえ、聞き覚えのある声に駆け寄るとドナが腹を抑えて蹲っていた。
「ドナ!」
「アズ!?」
ウィルロアがドナを蹴った男を睨みつける。
男は松葉杖を向けて威嚇し、その手には昨日装飾品を売って手に入れた硬貨の入った麻袋が握られていた。
泥棒、かと思ったが、松葉杖の向こうに片足が無い。昨日のゼンの話を思い出した。
「クソ親父! もう家に帰ってくんな!」
ドナが罵る。泥棒――もといドナの父親は、松葉杖をつきながら麻袋を持って逃げて行った。
まさか自分の息子を松葉杖で殴り、金を奪っていく親がいるとは衝撃だった。
「俺の人生底辺だ底辺! クッソ親父!あんな奴くたばっちまえばいいのに!」
「怪我はしてない?」
「触んな! くっそ痛えわちくしょう!」
ドナは殴られた腹を抑え、ぼろぼろと涙を溢して叫んでいた。
「借金もあるのに働きもしねえで昼間っから酒浸りでよぉ! ふざっけんなよすぐ暴力振るいやがって……。最悪だよもう、うんざりだ!」
理不尽な暴力に憤りながら、ドナは傷ついた顔をしていた。よく見ると頬にも殴られた跡がある。
騒ぎに人が集まって来た。ドナは立ち上がって涙を拭った。ふらつく身体を支える。
「心配してくれたのに、当たって悪かったな」
ドナはバツの悪そうに謝った。
「かっこ悪いとこ見られたな」
「そんなことない。家族のために頑張ってるドナはかっこいいよ」
「うっ! はっず……、涙も引くわー」
「家まで送るよ」
二人が歩き出すと野次馬もまばらに解散していった。
「……ごめん。ゼンから聞いた。あの金借金返すのに使っていいって言ったんだってな」
言ってはいないと思うが、口止め料には納得したし、使い道は特に気にしていなかったので否定はしなかった。
「クズみてえな親父だけど、昔はあんなんじゃなかったんだぜ。朝から晩まで畑にいてさ、俺達にも優しかったんだ……」
「そうか」
「ああー早く大人になりてえ! 軍人になれたら親父にやり返せるのになー。強くなりてえよ。家族に楽させてえ……」
「ドナならきっとなれるさ。応援する!」
「……そこは笑う所だろう」
「なんで? 軍人になりたいんだろう?」
「……」
「だけどーー先ずは俺に勝たなくちゃ」
「いや既に勝てそうだから」
ウィルロアはドナを家の前まで送り届けた。
家と言っても、下町の家は長屋の様に家同士屋根が繋がっていて、お風呂やトイレ、竈も共用で使われていた。
中を見られたくなさそうだったので、ウィルロアは入り口前で別れを告げた。
結局昨日のお礼は言えずじまいだった。数メートル歩いてから振り返り、ドナが家に入ったのを見届ける。
前を向くと、目の前にゼンが腕を組んで立っていた。
「! ゼン……、あの」
「付いて来い」
ゼンは機嫌が悪そうだった。ウィルロアが忠告を無視してまた下町に降りてきたからだろう。
ウィルロアもゼンに聞きたいことがあったので素直に付いていくことにした。
下町の長屋の一角にゼンの家があった。
中に通されたが、家というより部屋のような、決して狭いだけの理由ではなく、ベッドもない部屋に生活感は感じられなかった。
「二度と会わないって言ったのに、どういうつもりだ」
「約束をしたつもりはない」
「はあ……。悪目立ちしやがって」
「それよりも、お願いがあるんだ」
「は?」
「近くの畑に連れて行って欲しい」
「はあ!?」
「王都以外のデルタの暮らしを知りたい。農機具を見せて欲しいんだ」
ゼンは疑いの目を向けていたが、「付いて来い」と言って二人は乗合馬車に乗り込んだ。
一時間ほど馬車に揺られると、視界に一面の畑が広がった。
今の時期は葉物の収穫期で、畑で採れた野菜は領主が管理して他国に流通する。
興味深く畑を観察していると、ゼンが農夫に声をかけてくれた。
収穫が終わって土を起こしている一面に移動し、使っている農機具を見せてもらった。
一通り農夫からも話を聞き、二人は再び乗合馬車で揺られながらゼンの家に戻った。
「それで、何をする気なんだ? ただ見学しに行ったわけじゃないだろう?」
「今の自分に何ができるだろうと思って。実際に見て考えてみたんだが、農機具を改良できないかな」
「改良したところでドナの親父は治んねえし農地は戻ってこねえよ」
「分ってる。でも農機具の改良をすれば、ドナと同じ境遇の子供は減らせる」
「……」
「見た所、農器具は旧式を使っているようだ」
「全てを入れ替えるには金も労力も時間もかかるんだよ」
「安全ロックを取り付けるだけなら低コストで済むと思うんだが」
「安全ロック?」
「後付けできるから負担は少ないし、僕のラステマでの知識で事足りる」
「本当か!?」
「ああ。ただしゼンの協力が不可欠だ。工房の確保に後ろ盾も欲しいから信頼できる商家か貴族が必要だ。僕が関わっていることは伏せなければならないから、君に仲介役を担って欲しい」
「……なんで俺に言う」
「なんとなく、顔が広そうだなって……」
ゼンは警戒心をむき出しにした。
「君が断るなら、実現は難しいと思う。諦めるよ」
「……はあ。分かった。お前の案に乗る。交渉も後ろ盾も俺に任せろ」
「よかった!」
元からアイデアだけ携わるつもりだった。ラステマ人のウィルロアが関わって良い問題ではない。デルタ人が始めることに意味があるのだ。
ウィルロアとゼンは遅くまで新しい事業について話し込んだ。
ゼンは下町の人達を雇用することまで考えていて、仲介役として適任だと改めて感じた。
「これならドナのお父さんにも出来る仕事だ。これをきっかけに前を向いてもらえたらいいな……」
ある程度の話を詰めて、ゼンは立ち上がって窓の外を眺めた。
「一度腐ったものは元には戻らない」
外は夕日で赤く染まっていた。
「……腐ってしまったものでも調理を加えれば形を変えてまた美味しくなる」
「それでも……完全な元の状態に戻れるわけじゃない。今更だ、改心しようが家族が許すわけねえ」
「……」
振り返ったゼンの表情は逆光でよく見えなかった。
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