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やさぐれ王子と無表情な婚約者  作者: 千山芽佳
第三章

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ウィルロアの過去1下町仲間

 

「動くな」


 デルタに来て五年。十二歳のウィルロアは、無謀にもデルタ城を抜け出し下町に来ていた。


「上等なもん持ってるじゃねえか。全部置いてってもらおう」


 酒の匂いを漂わせた男数人に囲まれ、ナイフを突きつけられた。

 通りを歩く人はまばらで、そうでなくても皆関わり合うまいと避けていた。

 一人で来るべきではなかった。とは言え付いてきてくれる臣下もいないのだが。

 生まれて初めて怖い思いをし、こんな経験は後にも先にも二度とないだろうと思えた。


「ちょっと通して――ああ坊ちゃんこんな所に迷い込んでたんですかい?」

「?」


 ハンチング帽をかぶった少年が男達の間をすり抜けてウィルロアの手をとり、意味深に目配せした。

 少年に見覚えはなかったが、彼が助けようとしているのが本能的に分かり黙って頷く。


「おいゼン、何の真似だ」

「邪魔すんじゃねえ!」


 男達は獲物を掠め取られまいとゼンという少年に凄んだが、彼は意に介さず頭を振った。


「バラゴから坊ちゃんのお守りを言い使ったんだよ」


 バラゴという名を聞いて、男達の勢いが削がれたのが見て分かる。追い打ちをかけるように、「おっさんたちが『保護』してたって言っとく?」と聞いた。

 善意で声をかけたのなら報酬をもらえるかもという提案だ。勿論善意ではない男達は、顔を見合わせて舌打ちをすると、諦めて去って行った。


「あの……」

「ついて来い」


 助けてもらったお礼を言おうと声をかけたが、ゼンは雰囲気をがらりと変えて、顎をクイッと動かし歩き出した。

 大通りを抜けて路地裏の突き当りに、崩れかけた小屋のような建物があった。扉を覆うようにカーテンが垂れ、隠れ家のような場所に入って行く。


「ゼン、買って来たぞ!」


 帰りを待っていた小柄な少年は、ゼンに駆け寄ると麻袋に入った硬貨を差し出した。

 ゼンは麻袋を受け取ると、中を確認して舌打ちをした。


「誤魔化されやがって」

「嘘だろ!?」

「馬鹿ドナ。銀貨の枚数が違うだろ」

「くっそあんのタヌキじじい舐めやがってえ!」


 癖毛の強い華奢な少年はゼンに頭を小突かれ、悔しそうに「わりい」と謝った。

 付いてきたはいいが、ウィルロアは一体何を見せられ、ここで何をさせられるのだろう。

 一気に不安になって後退りすると、ドナと呼ばれた色黒の少年に腕を取られた。


「おい。金目のもんは置いてけよな!」

「え」


 それではさっきの酒臭い輩と同じではないか。


「命は助けてやったんだから礼くらい寄越せよ。どうせ金持ちの息子だろ?」

「あ……」

「ドナ、手を放せ。そいつは貴族だ」


 ドナは素直に手を離し、両手を頭の後ろで組んだ。

 ゼンの指摘に驚きで心臓が激しく動悸する。ウィルロアは平民の格好をして身分を隠していたので、何故バレたのか不思議だった。


「平民にしては服が綺麗すぎるんだよ。あとそんな高価な装飾品なんて平民は付けねえよ」


 ゼンはウィルロアの心を読んだように説明した。


「貴族のボンボンが興味本位で市政に出てくるのは別に珍しいことじゃねぇ。ただ護衛も連れず慣れてないとゴロツキにカモにされるぞ」


 ハンチング帽の下には金の髪色を隠すようにカツラまで被っていた。だからラステマ人ということまではバレていないようだ。

 ウィルロアは言われた通り、不相応な装飾品を全て外してゼンに手渡した。


「助けてくれて、ありがとう」

「……助けたのは善意じゃねえし、今お前の所持品全部奪ってんだけど?」

「さっき君が言ったじゃないか。男達の様に手荒な真似をされなかっただけマシだって。僕もそう思うから、対価を払わせてくれ」

「……」


 ゼンはウィルロアを見定めるかのようにじっと見た。そしてドナに装飾品を投げた。


「これ売って金にして来い。今度は騙されんなよ」


 ドナは元気よく返事をして跳ぶように駆けていった。


「名前は?」


 名前!? ここで本名を言ったら絶対にバレる。だが偽名まで用意していなかったので咄嗟に出てこない。


「キ、ア、アズ、アズです」


 咄嗟に兄の名前を一部貸してもらうことになった。挙動不審な態度に偽名だと気付いているはずなのに、ゼンは気にする様子もなく続けた。


「で、貴族が供も付けずあんな場所で何してたんだ?」


 ウィルロアは返答に迷った。

 供も付けていないのは自分に従う臣下も騎士もいないから。何故市政に来たかと聞かれれば――、ほぼ衝動的だった。

 王城でのウィルロアは目立たず波風立てずいつも静かに笑って過ごしている。

 使用人はウィルロアを透明人間のように扱うのに、部屋にいると時々息が詰まりそうだった。


「……家に居場所がなくて、飛び出したら道に迷い、気付いたらあそこに」


 まともな会話も久々だった。

 解放感で気持ちが高ぶっていたのかもしれない。ウィルロアは正直に答えてしまった。


「なんだただの家出小僧か」


 なんだと気持ちを軽んじられたのは心外だが、それ以上ゼンが追及してこなかったのは助かった。

 ゼンは視線を落としてウィルロアの両膝にある擦り傷をちらりと見た。

 慌てて半ズボンの裾を伸ばして隠す。飛び出す前、ユーゴ達に小屋に閉じ込められて転んだものだった。


「さっきのピンはね指摘したらすげえ高く売れた!」


 先程装飾品を売りに行ったドナが得意顔で戻って来た。麻袋を渡し、ゼンは確認して上出来だと頷く。そして自分は何も受け取らず、全額をドナに戻すと、「家出小僧を下町で遊ばせてやれ」と命じた。

 ドナは大きく頷いたが、ウィルロアは訳が分からず立ち尽くした。

 ドナはお金を両手で握りしめ、「来いよ!」と、スキップをしながらカーテンの向こうに消えていった。


「せっかくだ。気分転換してから帰んな」


 ウィルロアが身に纏う平民の服にわざと土埃をこすりつけながらゼンが言う。


「ここには邸宅では出ないうまい料理がたくさんあるし、貴族じゃ経験できない遊びがたくさんある」

「……でも」

「口止め料だ。帰って泣きつくんじゃねーぞ」

「! 分かった」

「おいドナ! ついでにこいつのご丁寧な口調も直しとけ!」

「おうよ」


 すぐ戻るはずが思わぬ形で街を散策することになった。

 戻って来たドナに手を引かれ、くすぐったい気落ちで街へと繰り出した。



 見るもの、感じるもの全てが初めてのことで、景色がきらきらと輝いて見えた。


「なんだドナ、キレイな兄ちゃん連れてんな!」

「ドナ。美味しい桃だよ持ってくかい?」

「この間は手伝ってくれてありがとうよ」


 護衛も供も連れない街歩きは初めての経験で、終始怯えながらも見るもの聞くもの全てが新鮮で心躍った。


「……いい匂い」


 香ばしい匂いに屋台の前で足を止める。「食うか?」とドナが麻袋を開けて三つ注文してくれた。


「何だドナ、今日は珍しく金持ってんな」

「うっせーよ」

「親父に奪われんじゃねーぞ」

「おー」


 屋台の店主が軽口を叩きながら手際よくパンを用意した。


「こっちの奇麗な坊ちゃんは見ねえ顔だな。貴族の道楽か?」


 店主がちらりとウィルロアを見たので、ハンチング帽を目深に被って顔を隠す。

 ゼン同様、気にした様子のない店主に、貴族がお忍びで出歩くのはデルタでは珍しいことではないのだと知った。


「ソース多めにしてくれよ!」


 出来上がったサンドウィッチを受け取ると、ウィルロアの前に差し出す。

 ドナはその場で大口を開けてかぶりついた。品物を持ったまま立ち尽くすウィルロアに、ドナがどうしたと訊ねる。


「立ったまま食べてもいいの?」

「いいに決まってんだろ熱々のうちに早く食え!」


 ウィルロアは許可をもらい、はじめて立ち食いなるものをしてみた。


「いただきます」

「いただ? なんだそれ」


 ドナが眉をひそめて訊ねる。


「食事の挨拶だよ。食材と生産者、料理人に敬意と感謝の気持ちを込めた言葉なんだ」

「ふーん」


 手に持っても分かる熱々のバンズを口に運んだ。しゃきしゃきの野菜の噛み応えを感じ、目を大きく開けてもう一口食べる。素材本来の甘みを消さない絶妙な加減のソースに舌鼓した。

 食べる手は止まらず、あっという間に完食してしまった。

 見事な食べっぷりに店主は気を良くして豪快に笑った。


「相変わらずうまかったぜ!」

「ごちそうさまでした」

「おう。ドナ、危ない事には首突っ込むなよ!」

「わかってるって」


 ドナは残った一つを布に包んで鞄にしまい、店を後にした。


「食べないの?」

「おー、弟に持ってく」

「優しいお兄さんだね。それにドナはすごく人気がある」


 ドナと街を歩くだけで何度も呼び止められた。

 視線を感じて顔を上げると、ドナはウィルロアをじっとりと睨んでいた。


「お前、身分隠したいんだろ?」

「う、うん」

「なら変な言葉使うんじゃねーよ。『おら!』『くそ!』はい言ってみ」

「え?」

「なんか気持ちわりーの! あっちにもこっちにも育ちの良さが滲み出てんだよなあ。怖い思いしたくねえなら舐められないようにしろ。お前顔がいいからすぐ掘られるぞ」

「掘ら?」


 ウィルロアの言葉遣いは下町では異質に映ってしまうようだ。


「『おめぇすっげえ人気者じゃん!』はい」

「おまえ、すごい人気者じゃん」

「すげぇ」

「すげ、え?」

「そうそう」


 下町言葉講座を受けながら、二人は大衆劇を観たり賭け事をしたり、観光名所を巡って時間はあっという間に過ぎていった。


「さっきアズに絡んだのは賭博や詐欺ばっかしてる悪い奴らでさ」


 ドナは歓楽街で迷い込んだウィルロアを見つけて、ゼンに助けを求めたという。


「剣さえあればあんな奴ら俺一人でやっつけたんだけど」

「剣術習ってんの?」

「習ってない。でも俺鍛えてるから、あんな奴ら一発で倒せた」


 拳を見せたドナの腕はウィルロアよりも細かった。


「穏便に済ませたかったから、ゼンを呼んだんだ。俺が助けてやったんだぜー」

「そうか。ありがとうな」


 ゼンが名前を出したバラゴは、以前下町の子供達のリーダーだった男で、兵士見習いに合格して今は貴族の私兵になっていた。だから男達は疑わず慌てて去って行ったのだ。ゼンの頭の回転の速さに助けられた。


「あの店絶対詐欺だぜ!? あーくそ続きは今度にしようぜ。また遊びに来んだろ?」

「……」

「ま、いーけど」


 次の約束を出来ないウィルロアに、ドナも気づいてそれ以上は誘っては来なかった。


「酒場の近くや歓楽街さえ避ければ城下はいい所だし気のいい奴ばかりだから」

「うん」

「あのさ、アズは貴族だろ? その、剣術習ったことあんの?」

「子供の頃に、少し?」


 自信の無さから答えが疑問形になってしまった。ドナはいたずらな笑みを浮かべ、「俺、アズには勝てそうだわ」と弄った。

 否定できないウィルロアに、楽しそうにドナは笑った。赤毛が夕焼けで真っ赤に染まっていた。


 時間はあっという間に過ぎていった。

 もう城に戻らなければならない。

 デルタに来てから自分の役割を忘れた事は無い。ウィルロアが戻らなければ外交問題に発展してしまうだろう。

 別れが近づいているのを感じて、最後にドナに挨拶をしようとした。


「クソ親父――」

「え?」


 ドナは何かを見つけて駆け出した。


「わりいアズ! 急用ができたからこれで。また会おうな!」

「あ、ドナ――、ありがとう、な!」


 きちんとお礼をしたかったが、ドナは手を挙げて慌てて大通りの方へ走って行った。


「お前の金で遊んだのに礼を言う奴があるか?」


 背後から突然声をかけられて驚く。ゼンは呆れながら笑みを浮かべていた。


「口止め料と言ったのはゼンだろう? それに、貴重な体験をさせてもらったし楽しかったから、いいんだ」

「いい子ちゃんだな」


 それはユーゴにもよく言われていたので、決して誉め言葉ではないと知っていた。


「帰り道わかんないんだろ? 送ってってやるよ」


 人の波で見失う前に、ドナが小さな子供に駆け寄っていたのが見えた。

 ウィルロアはゼンの後に付いて行く。


「ありゃドナの弟だ。事故で視力を失った」

「視力を?」


 ゼンが歩きながらドナの家の事情を話して聞かせた。

 ドナの一家は元々王都から離れた農村で農業を生業に生計を立てていた。

 二年前、家族で農作業をしていた時、父親と弟が農機具に巻き込まれ、父親は片足を、弟は両目を怪我して視力を失ってしまったという。一家は治療費に多額の借金を背負い、父親の怪我で農業を続けられないと農地や家を売り、働き口を求めて王都に越してきた。


「母親は昼から夜中まで酒場で働き、ドナは夜に歓楽街の客呼びをしている。家には出歩けなくなった弟と父親が留守番をしているんだが、父親が事故を悲観して酒浸りになって度々暴力を振るうらしい。さっきも、弟が逃げて来たんだろうな」

「何故その話を俺にする? ドナの置かれた状況に同情しろと? 金を奪われたからと憲兵に突き出すつもりは元からない。それとも、もっと金が欲しいのか。悪いが俺自身が動かせる金はそれほど多くはない」


 ゼンはウィルロアに笑った。


「下町は農作業中の事故で農家を続けられなくなった家が集まってできた。まともな仕事に就けず、生きていくために犯罪ギリギリの事をする者達ばかりだ」

「……何が言いたい」

「毎年何百もの人が農作業中の事故で命を落とす。デルタはそれだけ、鉱物資源が乏しく産業が遅れている国なんだ」

「……」

「ドナだけが貧しくて可哀そうなんじゃない。そんな子供がザラにいるのが現実だ。食うには困らないが、農地を失えば職も乏しい。それをあんたに知っていてほしかった」


 ウィルロアはぎくりとした。

 もう一度何が言いたいのかと聞く勇気はなかった。

 もしかしたら、ゼンはウィルロアの正体に気付いているのかもしれない。髪色は隠せても、青い瞳の色までは隠せなかった。

 産業技術と鉱物が充実しているラステマなら、農機具をより安全に使いやすく改善できる。


 疑いは確信へと変わった。

 ゼンは迷子になって帰り道の分からなくなったウィルロアを、王城の抜け道と繋がっていた軍の施設まで送り届けた。

 足を止め、対面したが顔を上げることが出来なかった。


「いい気分転換になったか?」


 ウィルロアは恥ずかしさで小さく頷く。

 途中、歓楽街に連れて行かれそうになったのには困ったが、ゼンの言う通り屋台の料理は王城で出されるものと違って味付けがしっかりついていて暖かく、美味しかった。初めての賭け事はドナが散財するのを必死に止めて、市中の劇は観客同士が近く声を出せるのが新鮮だった。

 目には見えないもの、机上では学べないものがあるのだと知った。


「元気でな。二度と会わないことを願うよ」


 それだけ告げて、ゼンは去って行った。

 ウィルロアに、もう二度と城から抜け出すなと言いたかったのだろう。

 和睦を成功させるために、象徴として馬鹿な事はするなと――。



 ウィルロアは元来た道を戻った。

 門は通らず、壁にある抜け穴から入りこそこそと庭を突っ切って隠し通路をくぐった。

 建物から視線を感じたが顔を上げずに走った。

 帰り道はずっと城に戻った時の言い訳を考えていた。


 城を飛び出したきっかけは、いつものように第二王子ユーゴとその取り巻き達に嫌がらせを受けた帰りだった。

 何度騙されれば気付くのか。ウィルロアが孤独と知って優しい振りをして近づく彼らに、期待しては掌を返されて毎度痛い目を見た。

 この日も庭師の使う小屋に閉じ込められ、逃げ出す時に両膝を擦りむいた。

 デルタで暮らし、耐えるのが使命と分かってはいても、人肌が恋しく孤独が辛く、近づいては裏切られる。日々の繰り返しで心が折れそうだった。

 そんな痛みに耐えながら庭園で時間を潰しているとキリクの姿を見つけた。

 デルタに来る前はキリクといい関係を築けると信じていた。しかし思い描いた関係にはなれなかった。

 デルタ国民はカトリ王女を深く慈しみ愛していた。デルタに来て知った話だが、彼女は豊穣の女神の加護を受けた王族なのだという。

 和睦のためとはいえ、神殿で啓示と祝福を受けた幼い王女を、敵国に送る時は多くの民が反対したそうだ。

 王女をラステマに奪われたと感じるデルタ国民は、やり場のない怒りを目の前にいるラステマの王子に向けた。

 国民の怒りが直接ウィルロアに届く事は無かったが、デルタ王族や城で働く者、貴族の冷ややかな反応で、否応にも歓迎されていないのだとわかった。

 向けられた憎悪と無関心に、幼いウィルロアは大層戸惑い傷ついた。

 友であるキリクでさえ心の拠り所にはなってはくれなかった。

 キリクは直接ウィルロアに危害を加えることはなかったが、一貫して沈黙を貫いていた。はじめは戸惑いもしたが、成長するにつれて彼の立場を理解するようになった。

 デルタの王子として、国民感情に反してウィルロアと安易に親しくはできなかっただろう。難しい立場であり、妹を奪われた兄としての複雑な感情も理解できた。

 だから庭園で何度かキリクを見ても、ウィルロアから声をかけることはなかった。

 この日もやり過ごすつもりだったのに、一瞬目を離した隙にキリクが忽然と姿を消した。

 過去の記憶が蘇る。前にも庭園で遊ぶキリクとユーゴを羨ましく眺めていたら、突然声が聞こえなくなって二人が姿を消したことがあった。

 興味を引かれてキリクがいた場所、うっそうと木が生い茂る部分を掻き分けた。


『お?』


 まさか人がいるとは思わなかったので、驚いて尻もちをついてしまう。


『ラステマの王子か』


 庭師のガジルと名乗った初老の男は、ウィルロアが一国の王子と知っても物おじせず、にかっと笑って言った。


『王子も抜け出してぇのか?』


 まさか王城の一角に抜け道があり、二人の王子(実は国王も)、利用しているとは知らなかった。

 これを自分に話してもいいのかと庭師の適当さが心配になるが、デルタの国民性なのか、ラステマと違って緩い所があった。

 興味を抱いて一度部屋へ戻ると、前に嫌がらせで置かれた平民の服に着替えて戻った。

 そして庭師の小屋で偶然見つけたカツラを思い出し、それも持って思い付きで城を抜け出した。

 結果、あのように迷子になって路地裏に連れ込まれそうになったのだ。

 行きは王城から長い蔦で隠された穴を抜け、民家らしき庭を出て壁沿いに進み出た。

 帰りはその逆で元来た道を辿っていく。行き帰り共に窓から騎士のような男と目が合った気がしたのは、ここが軍の施設と知って、もしかしたら王族のお忍びは把握されているのかもしれないと思った。だから庭師も気にせずこの道を教えたのかもしれない。 

 それなら、すでに王城にはウィルロアが城を抜け出したことが知られているだろう。それ以前に、いくら放置されているとはいえ、こんな遅くまで安否が確認できなかったら今頃騒ぎが大きくなっているはず。

 活発なウィルロアはラステマでもよく侍従を振り回し、心配をかけていた。身勝手な行動からの罪悪感に、過去の記憶を思い出し、懐かしさで泣きそうになった。

 ウィルロアは歩きながら首を振って記憶を遠くへとやる。

 デルタの人達に心配をかけたと心を痛めながら、同時に勝手に飛び出した事も、平民の格好も知られてしまったならウィルロアへの監視は厳しくなると思われた。

 そうなればもう二度とドナに会えなくなるだろう。ゼンに釘を刺されるまでもなかったと思った。



 王城の庭に辿り着くと、そこには行った時のまま、庭師のガジルが胡坐をかいて居眠りをしていた。

 虫の音が耳に心地いいほどの変わらぬ静かな夜。

 ウィルロアを探すための松明の明かりも、身を案じて呼びかける声も、抱きしめて無事でよかったと涙する人もここにはいない。


「……また」


 また、期待して傷つく。何度繰り返せば学習して平気になるのだろう。

 その傷は小さなものから大きなものまで、心臓を抉ってウィルロアの心を弱らせる。この城には大冒険をしてきた不安と高揚感を語り合う友達も、帰りを待ってくれる家族もいないのだ。


「あ? なんだ王子戻ってたのか」


 起きた庭師が優しく声をかけてくれる。


「王子が行って一時間後位に将軍が迎えに来てな」

「!?」


 やはりあそこは軍の施設で、きっと報告が行ったのだ。嫌な汗が出る。


「そこの作業小屋で待ってたさあ」

「……」


 ウィルロアは庭師に促されて重い足取りで作業小屋に向かった。


 作業小屋に入ると、仁王立ちのオルタナ将軍が立ちはだかっていた。

 その姿を見ただけで血の気が引いて身震いがした。


「すぐにこれに着替えてください」


 姿を見るや目の前にウィルロアの服を差し出した。


「王子が城下に行ったことは私と私の部下しか知りません」


 だがウィルロアが部屋にいないのは既に知られているというので、オルタナ将軍は着替えを急かした。

 庭師の作業小屋を借りて着替えをする間、ウィルロアはいいわけを考えていた。

 外出がオルタナ将軍にしか知られていないのなら、誤魔化せるかもしれない。


 ウィルロアがオルタナ将軍と共に王城に戻ると、報告を受けたメイド長と侍従長が、先に部屋で待っていた。

 案の定事情を聞かれたので、庭を散策していたら作業小屋に閉じ込められて鍵をかけられたと答えた。

 これは半分嘘で半分本当だ。真っ暗で湿気くさい臭い。『出して!』と叫んでも聞こえてくるのは笑い声だけ。膝の怪我が鮮明に思い出されて悲壮感で顔を歪めた。

 作戦通り、侍従長とメイド長は顔を見合わせて困った顔を浮かべた。

 ユーゴや貴族の子供達が、ウィルロアを虐げているのは周知の事実だった。

 原因が自国の王子にあるのなら、他国の王子を強く咎められない。

 案の定、二人は事実確認だけして去って行った。


「……」

「……」


 気まずいのはその後だ。部屋に残ったオルタナ将軍は、ウィルロアが自らの意思で王城を飛び出した事を知っている。

 だが彼はその場で訂正しなかったのだから、黙認してくれるのだと考えてよさそうだ。その意図は分からないが。

 将軍は特に何も言わず、警護の確認だけして去って行った。


 ウィルロアはようやく一息ついて、部屋にあった水差しをコップに注いだ。喉が渇いていたので一気に潤おそうと飲み込む。


「ぐうっ!」


 飲んだ水の半分を吐き出してしまう。よく見れば水は濁っていて泥臭い。


「――くそっ」


 思わず下町で習ったばかりの汚い言葉が口をついた。

 ウィルロアが黙って耐えているからか、嫌がらせはエスカレートしていた。

 立ち向かうには既に勇気も気力も削ぎ落された後だった。

 止めてくれと懇願し、言い返した事もあった。結果は変わらず、むしろ倍にやり返されて心が折れてしまったのだ。

 王族が公然と嫌がらせをしているのだから、使用人達もこうして大きく出るのだろう。


「俺が、何したって言うんだよ! ふざけんな!」


 ぶつける相手もない憤りを汚い言葉で罵ると、不思議と気持ちが晴れた。



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