舞踏会でキレる
準備を済ませて舞踏会場に到着し、設けられた王族専用の席に座った。
貴族が列をなして順番に拝礼した。
成長した姿で戻った第二王子に皆興味津々だ。常に視線を感じ、相変わらず令嬢からはうっとりとした視線を向けられる。
ラステマに戻って半月。
ずっと城に引き篭もっていたわけではなく、社交界では早々にウィルロアを歓迎した催しが開かれていた。
令嬢たちは美しく成長したウィルロアに、紳士たちは聡明で物腰柔らかい振る舞いと隠すことの出来ないスター性に釘付けになった(※自分評)。
特に年頃の令嬢はカトリ王女という婚約者がいるにも係わらず、ウィルロアに対して積極的だった。
一時の恋を楽しもうというのか、はたまた婚約者がいても勝てるという自信の表れか、まだ自分にも機会はあると勘違いしているのか、どちらにせよウィルロアは無数の色目にもなびくことは無かった。
ウィルロアの使命を考えれば、己の感情優先で動く浅慮な彼女らに好意を抱くわけがない。
笑顔でいながらも、ただの顔見せと挨拶をするだけの時間は退屈で仕方なかった。
挨拶が終わるとウィルロアはそわそわとカトリの到着を待った。
今夜の主役は勿論、世紀の結婚を控えたウィルロアとカトリの二人だ。
煌びやかなシャンデリアはラステマの技巧を凝らした職人の作りで、一面に張られた大理石に反射され、真昼の様に明るく会場を照らす。
余すところなく置かれた金銀宝石をちりばめた税を極めた豪華な飾りは、生花の代わりに会場を飾り立てていた。
ふとデルタでの暮らしを思い出す。
デルタの宮廷はどこかしこにも花が飾られ、宮廷中が甘い香りに満ちていた。
ラステマに比べると質素な感じは否めなかったが、それでも生けるものを飾っていたからか、温かみがあり癒しの空間が生まれていた。
ラステマが冷たいと言いたいわけではないが、無機質な飾りはどこか寂しく、飾り一つでこうも印象が違うのだなと、そんなことを考えているとデルタの一団が登場した。
キリクにエスコートされながら現れたカトリ王女は、先程の清楚な装いとは違い実に美しかった。
黒髪と白い肌に合った濃いブルーのドレスは、肩からレースが流れ背中が大きく開いて艶やかだ。
会場からも感嘆の声が漏れ聞こえる。シャンデリアの光に反射して、アクセサリーがカトリをきらびやかに輝かせた。
ウィルロアはぎゅっと拳を握る。
これがなんでもないアクセサリーなら、素直に美しいと心躍るのに。アズベルトがプレゼントしたものと聞いたばかりではその心中は複雑だった。
「……ふん」
隣のアズベルトが鼻で笑ったので更に気分が悪かった。それでも、ただでさえ心証の悪いアズベルトとこれ以上関係を悪化させるわけにもいかず、耐えるしかなかった。
「殿下の選ばれた宝飾品はどれも王女によくお似合いですな!」
追い打ちをかける様に、近くで晩餐会にも参加していたセーロン議長がこれ見よがしに称賛する。明らかにウィルロアに聞かせようと声を張り上げていた。
ウィルロアは表情を変えることはなかったが耳を塞ぎたくなった。
勿論カトリに似合っていて素敵な宝飾品だ。アズベルトが選んだというのが気に食わないのだ。
「あれは私が贈ったものではない」
「え?」
「ふんっ」
隣に立つアズベルトはそっぽを向いてしまった。慌てるセーロン議長を横目にウィルロアも驚いていた。
アズベルトのプレゼントじゃない? それなら、さっき鼻で笑ったのは、今みたいに不機嫌に憤慨していただけか。
「……」
俺って、こんなに単純な生き物だったんだな。
心の靄は晴れ、満面の笑みでカトリを見つめた。
変わらずの無表情だが赤く紅を塗られた唇は僅かに震えて引き結んでいる。
前に言っていた護衛の気持ちが分かった。
出会ってまだ二日だが、カトリの無表情の中に僅かな変化を探し、感情を読み取るのが楽しくなってきた。
緊張……してるのかな? いや、ダンスが苦手と言っていたから、舞踏会自体が憂鬱なのかも。
キリクとエスコートされたカトリは、国王に挨拶をしてこちらに振り返った。
余計なことは頭の片隅に置いて、目の前に意識を集中した。
一歩前に出て紳士の礼を取ると、婚約者に向けて手を差し伸べる。キリクに促されカトリも前に出て礼をとり、ウィルロアの手を取った。
初めて触れた手袋越しでも伝わる体温に、鼓動が小さく鳴った。
最初のダンスは会の主役である二人が披露する。
ダンスホールに躍り出て一同が見守る中、楽団の生演奏に合わせて初めの一歩を踏み出した。
ダンスが苦手だと聞いていたので楽団には事前に曲調の遅いワルツをリクエストしておいた。ワルツは男性側のリードが重要になるので、これで失敗しても自分の責任になるだろう。
勿論ウィルロアはダンスも得意なので彼女に恥をかかせるつもりはない。
苦手だと言っていたカトリのダンスだが、踊ってみれば杞憂だったと分かる。
皆が心配するようなことはなく、むしろウィルロアの呼吸にきちんと合わせて踊れていた。
ただ視線だけはどうしても下がりがちなので、苦手と言ったのは本当のようだ。
「お上手ですね」
踊っている最中に声をかけるのはマナー違反だったが、緊張をほぐしてやりたかったし何より自分が楽しみたかった。
ぱっと顔を上げた彼女とようやく目が合い、今度こそ自分の気持ちを認めてしまうほど心臓が高鳴っているのが分かった。
十年越しにようやく会えた俺の婚約者。
姿絵ではない。実物のカトリが目の前で、その大きな黒い瞳に自分を映し出している。
ウィルロアは嬉しくて相好を崩した。
「折角ですから楽しみましょう」
カトリから返事はもらえなかったが、ウィルロアの足取りは更に軽くなり、彼女ももう視線を落とすことはなかった。
退屈だと思った舞踏会も、無機質に感じた会場も、カトリと踊ると実に温かく甘い香りが漂い、乾いた地のラステマに花が咲いたようだ。
カトリは無言で無表情のままだったが、それでもウィルロアは彼女と踊りながら会話をしているような気持になった。
ゆっくりと曲が終わり、向かい合って礼をする。
観衆からは割れんばかりの拍手喝采が湧き起こり、二人は再び手を取り合って周囲の観声に答えた。
円滑な和睦に向けて仲睦まじい姿をより効果的に見せることが出来たと思う。
ウィルロアは役目を果たし、エスコートしながら気分よく歩き出した。
「!?」
急に左腕に重みを感じ、肩が床に引っ張られる様に下がる。そのまま態勢を後ろに崩され、膝ががくんと崩れてしまう。
会場の拍手は止み、ざわりと動揺が広がった。
振り返ると原因は繋いだ手の先のカトリにあった。
一瞬何が起こったのか分からないほど、何もない場所でカトリが転んだのだ。
いや、崩れ落ちたというのが正しいかもしれない。
ダンスは滞りなく踊った。終わった後に転ぶとはどういうことだ。
「王女――」
起き上がれないカトリにウィルロアも膝を折って肩に手を添える。カトリは俯いて足首を押さえていた。
「! 大丈――」
「カトリ!」
観衆の中から一目散に駆け寄ってきたのはアズベルトだった。
「カトリ大丈夫か!? 立てないのだな? だから素直に私に任せておけばよかったのだ」
「……」
「私なら君にこんな無理はさせなかったのに」
どうゆうことだ? カトリは元々怪我をしていたのか?
もしや、襲撃の時に怪我を負っていたのか。だが何故アルベルトだけがそれを知っている。それに、彼女の名を――。
「私に掴まれ。カトリ」
アズベルトの声は遠巻きに様子を窺う周囲には聞こえていない。間近で見ていた自分だけが、彼女の表情を窺い知ることが出来た。
カトリは無表情ではなく、頬をうっすら赤く染め、潤んだ瞳で唇を噛みしめていた。
そんな表情も出来るんだ……。
冷静な感想を抱きつつ、その時ウィルロアの中で何かが切れた。
ウィルロアの存在を無視してカトリに触れようとするアズベルト。伸ばされた手が触れる前に、ウィルロアは兄の手を払い落とした。
「な、何をする!」
何をする、はこちらの台詞だ。
アズベルトの後に駆け寄ってきたキリク達も無視し、カトリを引き寄せるとドレス越しに肩と膝裏に手を差し入れた。
そのまま彼女を横抱きにして立ち上がる。
会場から微かな歓声が聞こえたが、それよりも腕の中にすっぽりと収まる少女が発した小さな驚きの声に、ウィルロアの心は揺れた。
鬼の形相で見つめ拳を握るアズベルトに、いつものような笑顔ではなくはっきりとした態度で対峙した。
「〝カトリ〟は婚約者である私が連れて行きます」
「後のことはお願いします」とだけ告げ、カトリを抱き上げたまま出口へと向かった。
会場中の視線が集まっていたがウィルロアは気にすることなく堂々と前を向いていた。
緊張して強張るカトリが俯きながら服をキュッと掴むので、彼女に自分のせわしない心臓の音が聞こえやしないか、それだけが気がかりだった。




