キリクの過去7 涙の真相
王妃に薬を投与した翌日、執務室に今回の件を聞くため事情を知るカトリとキリク、宰相が呼ばれた。
「治療薬はどこで手に入れたのだ?」
「あの……」
「ラステマではまだ開発されていないと聞いたが?」
「その、オルタナ公爵が……」
「オルタナが?」
「私は、馬車にいたので、詳しくは……」
カトリはぐんと背が伸びて可憐な少女に成長していたが、相変わらず話すのは苦手のようだった。
「ではオルタナから詳しく話を聞こう」
「公爵はウィルロア王子の捜索に向かうところです」
「ウィルロアはまだ見つかっていないのか? 何も連絡はないのか?」
心配するキリクにカトリが裾を引っ張る。
「その、公爵が、心配はいらないと――」
「!」
キリクが父を仰ぐと、同じ顔をして頷いた。
「ますますオルタナから話を聞かねばならないようだ。すぐに呼び戻せ」
長旅から戻ったオルタナ公爵は、王妃の無事を確認した後、直ぐにウィルロア王子の捜索に向かうため軍服を纏っていた。
呼び戻されたオルタナ公爵は、キリク達の前で治療薬入手の経緯を説明した。
「カトリ様を連れてデルタへ戻る道中、エーデラル領で一人の旅人に出会いました」
旅人は農業を学ぶため、大陸中を旅していると言った。西大陸にも行ったことがあり、そこで薬を手に入れたそうだ。
主君が切実に薬を必要としていると話すと、旅人はお守り代わりに持っていただけなので譲ってもいいと申し出た。
しかし十年近く前のものだから効果の保証は出来ないとして、お金を頑なに受け取らなかった。結局薬だけ置いて逃げるように去って行ったという。
「名前を聞く前に足早に去ってしまい、問答の時間も惜しいと譲り受けて参りました」
「エーデラルといったか?」
「はい」
「十年前?」
「はい」
「貴重な薬を旅人ごときが手に入れるわけがない」
「……ウィルロアか」
その場にいた全員が同じ考えに辿り着いていた。
エーデラルはラステマの前王の邸宅がある領地だ。そこで病に罹ったと言った。前王が西大陸で手に入れた薬。十年前。時期も合う。そして突如逃げ出したウィルロア。全てが繋がっていた。
初めは母とカトリを会わせるために両国の約束を中断する目的で逃げたのだと思った。
しかしウィルロアが城を抜け出した理由はそれだけではなかった。
過去の記憶を頼りに、母に治療薬を届けるためデルタを飛び出したのだ。
もしかしたら十年前に手に入れた薬は余分にあったのかもしれない。
では何故直ぐに申し出なかったのか?
その理由は旅人が言っていた、十年近くも前のものでは効き目に保証ができなかったからに他ならない。
過度な期待をさせて治らなければ、ウィルロアが非難される。これまでのウィルロアに対するデルタ人の対応で強く思い込んだことだろう。
正規のルートで薬が入手できるのが最善であると考え、ウィルロアは様子を窺っていた。
しかし一週間が経っても入手の目途は立たず、間に合わないと判断した彼は家出という形で薬とカトリを同時に届けようと行動に移した。
回りくどい形になったのは、ウィルロアがラステマに迷惑がかからないよう、母国を第一に考えていたからだ。
ラステマのために動きながら、可能な範囲でデルタ人を救おうとする。それが彼の本質のような気がした。
その救おうとした者達の中に、キリクも含まれていたとしたら……。じわりと涙が滲む。
「オルタナ、これからウィルロアの捜索に行くと言ったな」
「捜索と言いますか、我が隊に匿名の情報提供が入りましたので、迎えに行くと言った方が正しいかもしれません」
父とキリクは顔を見合わせた。やはり協力者がいたようだ。
「ウィルロアを見つけたら今回の事は不問にいたす故、心配せず戻るよう伝えてくれ」
「畏まりました。しかし捜索は難航すると思われますので、おそらく二、三日は見つけられないかと」
オルタナの言葉に父が笑った。
「そうか。ではラステマにウィルロアの無事を伝えつつ、カトリは三日後に送り出す旨も伝えよう」
温かな気候で、庭園に紅茶の香りが漂った。
母は順調に回復をし、医師から気分転換に外に出る許可が出た。
花の香りに包まれて、母と愛する婚約者と妹が談笑し、父と弟が小さな言い争いを始める。母が窘めると二人は小さくなって謝り、皆で声を立てて笑った。
失われた時間を取り戻すように、キリクは日常の小さな幸せを心から噛みしめていた。
三日後、カトリはラステマに戻って行った。
帰りはキリクが同行した。ウィルロアの暮らしたラステマがどんな国か知りたかったのと、自慢していた兄アズベルト王子と会ってみたかったからだ。
期待に満ち溢れた道中は、ラステマ国内に入ってがらりと変わった。
ラステマで見たもの全てに衝撃を受けた。
洗練された技術と整備が行き届いた道路。人々の暮らしに寄り添った産業は、まるで未来を見ているかのような光景だ。
驚くと同時に、いかにデルタが後れを取っているのかと考えさせられた。
「我が国は、こんなにも劣っていたのか……」
国交を断絶していた結果がこれか。長きに渡って国民に我慢を強いていたのだと痛感した旅となった。
ラステマの王城に着くと、キリクは大いに歓迎を受けた。
アズベルト王子はウィルロアとは全く似ておらず、体格も大きく言葉の節々に自信と威厳が溢れていた。
なるほど。ウィルロアが憧れるのも頷ける。
ただ少し、危うさの様なものも感じ、ウィルロアの話を聞きたがらない所を見ると、兄弟間でも感じ方が違うのだなと察した。
キリクの滞在は急なものだったので、相手方に配慮をして一日で帰る予定だった。
「あれは――」
「あ、あれはウィルロア様が作った、農園、です。土を耕すために、最新の機械を使っているそうで……お兄様!?」
キリクの目から雫が一筋、綺麗に流れ落ちた。
「ど、どう、え?」
「すまない……」
無意識に流れ出た涙を拭う。
もう一度顔を上げ、最新式の農機具を前に言葉を失い、悔しさで顔が歪んだ。
情けなくて、羨ましくて、胸が張り裂けそうだ。
ああ、あの時のウィルロアの気持ちがようやく分かった。
初めてデルタに来た日の晩餐で、前菜を口にして涙したウィルロア。
あれは寂しくて泣いたわけでも、心細くて泣いたわけでもなかったのだ。
今のキリクの様に、国民にもこんな暮らしをさせてやりたいと、渇望し、己の無力を悔いて涙したのだ。
「お、お兄様……」
心配するカトリにキリクは向き直って答えた。
「和睦の象徴として責務を全うするウィルロアが羨ましかった」
脈絡のない話に訳が分からないだろうに、それでもカトリは真っすぐとキリクを見て耳を傾けた。
ずっと、心に抱えていた贖罪の念だった。
「私は、お前一人に苦労を強いたことを悔いていた」
驚いた顔をする妹に、自嘲気味に笑う。
「お前に負い目を感じていたんだ。私が望んだことなのに、幼い妹にその責を背負わせなければならなかったことに」
「それは……」
「あの時、お前のラステマ行きを最後まで反対し続けた。それは保身から来る贖罪の気持ちが大きかった」
カトリは口を開きかけたが、しかしぐっと堪えるように苦渋に顔を歪めると、おもむろに侍女を呼んでモスグリーンの手帳とペンを受け取った。
カトリが愛用する日記より小さな手帳に、今思っていることを文字で伝えようとしているのだと気付いた。
「……」
失望しただろうか。罵られても仕方がない。カトリが手帳を開いて目の前にかざした。
『お兄様は知らなかったかもしれませんが、当時私は祝福子の重圧から言葉を発するのが怖くなっていました』
「それは……知らなかった」
言葉の発達が遅れているか、喋るのが苦手なのだと思っていた。
カトリは祝福子であったことで、教会や国民が自分の言葉を重く受け止めることに恐怖を感じ、言葉を発せなくなっていたという。それを知っていたのは母と侍女達だけだった。
『お母様はそんな私に、しがらみのない環境で暮らすのも良いのではないかとお考えになったのだと思います』
妹の辛い過去を知って言葉を失うキリクに、カトリは穏やかに微笑んだ。
『私はお兄様に感謝しています』
キリクが読み終えるのを待って、上手に日記を持って再び筆を走らせる。
『お兄様が私や国民に新たな未来を、夢に見させてくれたのです』
書いては広げてを繰り返し、時折キリクを見ながら当時の想いを伝えようとしてくれているのが伝わった。
『お兄様は贖罪と言いましたが、私は最後まで反対してくれて、嬉しかったです』
『私はこんなにも家族に大事にされ、愛されているのだと知ることができました』
『家族の愛が私に勇気を与え、今も私を支えてくれています』
『ありがとうございます』
鼻の奥がツンとしてまた泣きそうになる。
カトリは微笑んで手帳をまた開いた。しかしペンは軽快に踊らず、時間をかけて書き終えたかと思えば、迷うようにゆっくりと顔を隠しながら広げて見せた。
『お兄様のお陰で、素敵な婚約者に出会えました。私は幸せ者です』
手帳は真っ赤な顔を隠すためにピンと張られ、閉じられる事は無かった。
「……ウィルロアとの結婚を望んでいるのか?」
「はい。素敵な、方だと思っています」
手帳の向こうから恥じらう声で答える。
「そうか……」
妹が勇気を出して想いを告げてくれたのに、兄としてそれ以上の気の利いた言葉はかけられなかった。
カトリは知らない。本当はアズベルト王子との結婚が望まれているというデルタの思惑を。
しかしキリクもまた、カトリと同様にウィルロアこそ妹に相応しいと考え始めていた。
第二王子が相手でも王妃にはなれなくても、いいではないか。カトリが好いた相手と一緒になれるなら、兄としてこれ以上の喜びはない。
そしておそらくウィルロアも、夢に見る程カトリに想いを寄せている。
「ラステマに来て良かったよ」
キリクはそんな二人を応援すると心に決めて、デルタへと帰路に着いた。




