キリクの過去6ウィルロアの家出
ウィルロア失踪の騒ぎを聞きつけて、キリクは急いで父の執務室に駆け付けた。
昼過ぎまで起きてこないウィルロアの様子を見に行ったメイドが、もぬけの殻になったベッドと置手紙を見つけたそうだ。
手紙には一目で読み終えるほど短い言葉が綴られていた。
『家族に会いたい。ごめんなさい。心配しないでください』
「こんな時にあいつは!」
ユーゴが怒りで手紙を嬲り棄てた。
まさかウィルロアが逃げ出すなんて。キリクはにわかには信じ難かった。
何故? 昨日は側で話を聞いてくれたのに。笑ってまた明日と、挨拶を交わしたのに……。
「昨日まで出て行く素振りは微塵も感じられなかった……」
「ここに書いてある通り、家族が恋しくなったのでしょう。母上の件で混乱している我々の隙をついて逃げたんでしょう!」
そうなのだろうか?
キリクが母の死を前に、動揺したのを見てウィルロアも家族を失う怖さを抱いたのだろうか。本当に家族が恋しくなったのか?
気持ちが分からないわけでもない。それなのに、なんだか裏切られた気分だ。
目の前がぐらぐらと歪み、立っているのがやっとだ。父も呆れて吐き捨てる。
「子供一人でラステマに辿り着けるはずもない。無謀な事をしたものだ」
「王子を連れ戻すため直ぐにオルタナ公爵が出立しました」
「放っておけばいいんですよ。逆に追い出せて清々しました」
ユーゴはそう吐き捨てて執務室を出て行った。
悩みの種が増えた陛下は頭を抱えていた。キリクも眩暈がして視界が狭まっていく。
「……!」
突如として頭の中に閃光のように一つの可能性が浮かんだ。
「父上」
「なんだ」
「……」
「? どうした」
まさか……!
キリクの視界ははっきりとし、顔を上げて声を張り上げた。
「ウィルロアがラステマに帰ったのなら、和睦締結前の約束が中断されるのではありませんか?」
「そうだ。ラステマへ抗議を――いや待て。まさか……!」
「はい。カトリを連れ戻しましょう! ウィルロアがデルタにいないなら、カトリがラステマにいる必要もありません!」
「急ぎラステマに使者を送りカトリを連れ戻すのだ!」
「ウィルロア様を連れ戻すため既にオルタナ公爵が馬車で出立しております。早馬を出し、行き先をラステマに変更して王女様を連れ戻すよう伝えます」
執務室は一気に慌ただしくなった。
母の容態は刻一刻を争う。宰相と侍従が慌てて飛び出していった。
「キリク」
「はい」
「ウィルロアはカトリを連れ戻すために家出を装って城を飛び出したと思うか?」
執務室で父と二人きり、事が事なだけに、外には漏れないよう慎重に言葉を選んだ。
「ウィルの性格ならやりかねないと思います。優しく、自己犠牲の塊のような男なので」
「そうか……」
「ですが剣も握れないひ弱な男です。護衛もなく一人で出て行ったならその身が心配です」
「手紙には『心配はするな』と書かれていた。もしかしたら協力者、或いは安全に身を隠せる場所があるのかもしれん。それでも万一に備えて捜索隊も出そう。きっとラステマも血眼になって探すだろうから、先に我々が見つけて安全な場所で匿っておきたい」
「カトリを連れ戻している間は、ということですね」
「ああ。ウィルロアをすぐに見つけられてはカトリが王妃に会う機会を失ってしまう。時間は限られている。ウィルロアと我々の意図をラステマに悟られてはならん。悟られたとしても、発言から証拠を残さぬよう、知らぬ振りを通せ。宰相達にも他言しないよう命じておく」
「分りました」
父が大きく息を吐き出した。
「正直、手は尽くした。西大陸からの使者が間に合わなければ、王妃を救う手立ては無いだろう」
「……」
「諦めたわけではないが、同時にあいつが心置きなく残された時間を過ごせるよう、全ての事をしてやりたいのだ」
「……はい。父上のお気持ちは痛いほど分かります」
「せめてカトリが間に合ってくれれば、あの子に会えたなら……」
父が言葉に詰まり目頭を抑えた。
「薬もカトリも間に合いますとも。母は強い人です」
「……そうだな」
気丈に振舞ってはいても、目の下の隈や顔色の悪さから父からも疲労の色が見て取れた。
「ウィルロアには感謝している。戻ったウィルロアがどんな態度に出るかは分からないが、どんな要求を提示されても飲むつもりだ」
父は窓辺に立って待ち焦がれるように遠くを眺めた。
父の言葉でキリクも後悔しないよう、残された時間は出来得る限り母の側で過ごそうと部屋を後にした。
ウィルロアの捜索は、両国が協力したにもかかわらず難航した。誰一人、その足跡さえ掴めなかった。
そうなると父の読み通り、協力者がいて身を隠している可能性が高かった。
誘拐や事故の可能性もあるので楽観視はできないが、キリクはウィルロアの無事を祈りながらもカトリの到着を待った。
そして、五日後にカトリがデルタ城に到着した。王妃が発症してから二週間が経っていた。
衰弱していた王妃は意識も混濁し、皆が心のどこかで最後の別れを覚悟していた。
馬車が到着すると幼女だった頃の記憶しかないカトリは少女の姿で降り立ち、一目散に駆け出した。
おぼつかなかった足はしっかりと地面を踏み、大きなスライドで城内を駆け抜ける。
扉が大きく開かれ、息を弾ませたカトリが母の元へと駆け寄った。
「お母様!」
先程まで誰の声にも反応しなかった王妃が、うっすらと瞼を開けた。この時を待っていたかのように、命を懸命に繋げていたのだと感じた。
部屋にいた者達の声にならない歓声が上がる。乾いた唇は張り付いて、ぱつんと剥がれる音がした。
「……ト……?」
「はい。カトリです」
声のする方へ頭がゆっくりと傾ぐ。瞳には涙が溜まっていき、一筋流れて枕に吸われていった。
「おおき、なっ――」
「――っはい」
母とカトリの再会に目頭が熱くなる。同時に、これが最後の母娘の会話かと思うと胸が張り裂けそうだった。
母は何度も口を動かすが、もう音を出して発するのも難しかった。
新緑の中で、甘い香りと歌声に誘われた、あの陽だまりのような時間が鮮明に思い出された。
家族が幸せに満ち溢れていた時間。もう、二度とあの美しい歌声が聞こえないのかと思うと、堪えていた涙が止まらなくなる。
「……は、しあわ……」
弱々しく上げられた手をカトリが両手で掴み、愛おしそうに頬に摺り寄せた。
最期に二人が会えてよかった。
この先、カトリを母に合わせてやれたことが家族の救いとなるだろう。
カトリは顔を上げた。
「お母様、もう大丈夫です」
力強い声にキリクも顔を上げる。
その目には、悲観ではなく希望が宿っていた。
カトリは勢いよくこちらに振り返り、医師に向けて小瓶を差し出した。
「急ぎこの薬を飲ませてください!」
差し出された茶色い小瓶に入った液体を皆が凝視する。
「まさか――!」
キリクだけではない、王やユーゴも医師と同じに駆け寄り、カトリを囲んだ。
期待と不安で誰もが訊ねられずにいる。
カトリは大きく頷いて、「エミエラ病の治療薬です!」と、力強く答えた。
「どこから――いや、今は投薬が先だ! 急ぎこれを王妃に!」
場所を開け、医師が薬を確認する。驚いた顔をして王に頷くと、急いで王妃に飲ませた。その一挙手一投足を不安な気持ちで見守った。
今まで生きてきた中で一番長い夜だった。
深夜に、医師から「もう大丈夫です」と、薬が効いて峠を越えたという知らせを聞いた。
緊張感から解き放たれ、安堵で膝から力が抜ける。力強く握っていた拳を解くと震えていた。
「王妃様の容態は安定しました。薬は無事効いたようです」
一先ずは命の危機を脱した。
部屋の中にすすり泣く声がする。床に座り込んだキリクが見ると、ユーゴは壁際で泣いていて、カトリも父に抱きつき声を上げて泣いていた。
二人が泣くものだから、実感の方が勝って嬉しさのあまりユーゴに駆け寄って肩を抱いた。
医師は体力が衰えた王妃が合併症を起こさないよう、細心の注意を払いながら体力を戻せば元の生活に戻れると保証した。
その日は誰からともなく母の部屋に集まり、身を寄せ合って家族五人で夜を過ごした。




