黄信号
マイルズが会議の間を出ると、怒りが治まらないレスターが追いかけて呼び止めた。
廊下で胸ぐらを掴まれる。両眼を見開きぶるぶると拳を震わせていた。
父の取り乱した姿を前にして、マイルズは逆に冷静でいられた。
「お前は何をしていた! 何故お一人で行かせた!」
「勿論お止めしました」
好んで主を危険に晒したわけではないと否定する。
「ですが主君の意志は固く、私の説得ではどうやっても覆らないと判断しました。一人でも行くというので、せめて護衛を連れていくのを条件に折れたのです」
「閉じ込めてでも止めるべきだった! 主君を守るのが臣下の務めではないか!」
「主君の望みを全力で叶えて差し上げるのもまた臣下の務めではないですか!」
レスターは力任せに胸ぐらを離し、マイルズはその拍子で壁に背中を打ち付けた。
「お前に任せるべきではなかった!」
父に何と言われようと関係ない。マイルズは侍従としてウィルロアを支えていくと決めたのだ。
「勝機ならあります! ウィルロア様なら必ず戦争を止めラステマに条件の良い交渉を引き出します。どうか信じてください!」
「あのお方にもしもの事があれば何の意味もない! 私は! 私は――」
レスターは崩れ落ちる様にその場に膝をついた。
「父上……」
父は国よりもウィルロアの方が大事だと言った。まるで真に仕える主君はウィルロアであるかのように――。
「……最初はウィルロア様を排除したいのだと思いました。しかしそうではないのですね。父上はあの方を王にしたかったのですね」
一体いつから父は、宰相レスターは、ウィルロアに王位を継がせようとしていたのか。
「……私は、ずっと夢見ているのだ」
レスターは地べたに向かって呟いた。
夕日が影を造り伸びていく。夕闇の中で年若い主君に忠誠を誓ったあの日を思い出していた。
『私はあなたに忠誠を誓ったのです』
『忠誠?』
『はい。実はカンタール家は、王家に忠誠を誓うのではないのです。王家に仕え、たった一人の主君に忠誠を誓い生きていく、そういう一族なのです』
『ふーん?』
『今は分からなくてもいいです。ただ私はウィルロア様が大好きで、ずっと殿下を支え働きたいと思っています』
『僕もレスターが好きだよ』
『……はい。ですからどうか、必ず、無事にお戻りください』
レスターはずっと夢を見ていた。諦めた日はなかった。その頭上に戴く冠を――。
「だからアズベルト様を排除したかったのですね」
「……それだけではない。アズベルト様は気性が激しく、独裁的な政治をするお方だった。戦時中にお生まれになれば、強く畏怖を抱く良き王となれただろう。だが時代は、国は平和を求めていた。あの方では和睦どころか、大陸中に侵攻する危険性も孕んでいた」
宰相としても次期国王には平和を愛するウィルロアが適任だと判断したということか。
レスターは項垂れていた顔を上げてモノクルを外した。
「本当に、あの方は昔から私の想い通りになってはくださらない。十年前も必死に止めたが結局は和睦の人質として行ってしまわれた」
「それなら今回も、私の気苦労は理解してくださいますよね?」
「……そうだな」
「殿下はどんな逆境も乗り越えてきた強いお方です。必ず目的を成し遂げ無事戻ってきます」
「……ああ」
レスターはモノクルをかけ直し、前を向いた。
「カンタール様、アダムス様がお呼びです」
二人の元へ慌てた様子で行政官が伝令に来た。
教皇庁から書状が届いたというので、二人は急いで会議の間に戻った。
会議の間は暗い雰囲気で、書状に書かれていた内容が凶報だったと見て取れた。
「教皇庁は何と?」
レスターはアダムスの元へ駆け寄り訊ねた。
「謝罪は受け入れるが和睦締結は取りやめにするそうです」
予想通りの返答だったが、それでもショックを隠し切れなかった。
「また、一世一代の制約により、今後同一人物の君主の元、同条件での聖約を持ちかけられても取り合うことは出来ないとのことでした」
「分かっていることをわざわざ追い打ちをかけて書く必要がありますか!?」
マイルズは悔しさでつい文句を言ってしまった。
「これでは殿下は何のために――」
危険を冒してまで戦争を止めに行ったウィルロア。彼が和睦を望み、諦めていないのは誰もが知っていた。
そんな中での教皇庁の知らせに、皆複雑な思いでいた。
「主君が一番危険な仕事をしているというのに臣下が弱音を吐くわけにはいかない。我々も殿下と共にデルタとの関係修復に力を注ぐべきだ」
宰相レスターが皆を発起する。
「教皇庁には粘り強く交渉し、抜け道がないか知恵を絞ってくれ。最悪、教皇庁抜きでも和睦締結を結べよう準備を進めよう」
きびきびと指示を出す父に、自分も負けてはいられないと前を向いた。
だが悪いことは重なるとよく言う。
そこへ更なる凶報が飛び込んできた。
「た、大変です!」
慌てた様子で報告に来たのは近衛騎士で、彼は血相を変えて叫んだ。
「ご、獄中で、アズベルト様が死んでおります!」
「!」
アズベルト様が、死んだ?
騎士は涙を浮かべて報告をしている。あまりの衝撃にマイルズは膝から崩れ落ちそうになった。
「反対組織の仕業か」
冷静に呟くファーブルを残し、レスター達は急いで牢獄へと向かった。
城の地下にある牢獄でも、ひと通り家具が供えられた鉄格子の部屋でアズベルトは投獄されていた。
しかし椅子にもベッドにも彼の姿はなく、多くの近衛騎士に囲まれて床で横たわっていた。
マイルズはレスター達と共にサイラス団長の足元に横たわる死体を確認した。
ああ。なんということだ。
死体は両目が剥き出し、口からは涎と血が流れて顔の原型が分からない程、苦悶の表情を浮かべていた。両手で喉を押さえている姿から、毒殺だと分かった。
マイルズ達が死体を確認したのを見計らって、サイラスが苦い顔で死体に布をかぶせていく。
「ほ、本当にアズベルト様なのですか!? 何かの間違いでは――」
マイルズは思わず叫んでいた。かつて二年間侍従として彼に仕えてきた。謀反を起こした先に死が待っていると分かっていても、こんな形で亡くなるとは思ってもいなかった。
辛うじて体格と髪の色からアズベルトと判断したが、顔は苦悶の表情で判断しづらい。どうか嘘であって欲しいと願いながら一縷の望みで訊ねた。
「我々近衛騎士が24時間監視していたのだ。アズベルト様をここに入れてから、怪しい者は誰一人通していない」
「では死因は?」
アダムスが訪ねる。
「自殺です。襲撃犯と同様に、毒薬を仕込んでいたようです」
自殺――。
「そんな……。こんなこと、ウィルロア殿下に何とお伝えすればいいのか……」
遂にマイルズは膝から崩れ落ちてしまった。
アズベルトの死は、謀反の失敗による自害とされた。
その日、ラステマ国中に第一王子の死が知らされた。それは奇しくも彼が王となる呪縛からようやく解放された日でもあった。
***
一方のウィルロア。
ラステマを出国してから三日が経ち、睨み合いを利かせる両軍を避けながら、ようやくデルタへと入国した。
国境沿いにある奥深い森の中に、ウィルロアがデルタで暮らしていた時に見つけた小屋があった。
普段ここは狩人の休憩場になっているが、戦争が起こりそうな時期に狩りに出る者などいない。
「ほら、言った通り誰もいない」
ウィルロアは護衛のロイとサックスと共に山小屋に入って行った。
簡易なベッドを見つけて思わず飛び込んだ。
俺は絶対今夜このベッドで寝る! 野宿辛い! 馬でケツ痛い!
「周囲を調べます。ついでに近くで食料と水を調達してきますね」
ロイが小屋を出て行く。うつ伏せになりながら返事をした。
「私は大人しくしているから、サックスも行ってきていいよ」
「しかし」
渋るサックスを効率が悪いから一緒に行って来いと再度促す。
「軍の配備から遠いし、来ても小者くらいだから自分の身位守れるさー」
そう軽口で言った数分後に、ウィルロアは両手を挙げていた。
「不審な男を発見!」
「オルタナ将軍に報告しろ!」
首に剣を突きつけられ、両手をあげて降参する格好のウィルロア。
かっこつけて戦争を止めて見せると大口叩いて出発したウィルロアだったが、早くも計画に黄信号がともっていた。
やばいやばい! 屈強な兵士相手に俺のへっぽこ剣術じゃどうにもならん! 護衛を行かせるんじゃなかった! 一人で残るんじゃなかったー!(泣)
四方をデルタ兵に囲まれたその状況は、正に絶体絶命の大ピンチであった。
第二章 おわり




