引き離された二人
こんなことになるなんて……。
兄アズベルトが国王を剣で貫き、逆賊と成り果てた。
惨劇を目の前にして呆然と佇むウィルロア。対して真っ先に動き出したのは、宰相レスターと近衛騎士団長サイラスだった。
「陛下を安全な場所へ! 急ぎ医師を呼べ!」
「城門を閉じろ! 城を封鎖し賊を排除せよ!」
アズベルトの襲撃を皮切りに、聖堂内に逆賊が押し入ってきた。
敵は外だけでなく、参列者に扮して中からも攻撃をしかけてきた。
厳かな雰囲気は一変し、聖堂内は一気に騒然となった。パニックを起こし逃げ惑う参列者、剣を交える騎士、取り押さえられ抵抗する賊や怪我人の治療をする聖職者。
その場にいた全員がそれぞれにこの死地を潜り抜けようと必死に動いていた。
それなのに、ウィルロアだけは石像のようにその場を動くことができなかった。
全てが音のないスローモーションのように、感覚は遠くへ飛んで大聖堂の吹き抜けから全体を見下ろしていた。
とても不思議な感覚だった。
視覚は全てを逃さないとばかりにそれぞれの動きを捉えて頭の中に記憶していく。
キリクの足元には血だまりができ、腕を抑えながら第二王子ユーゴと兵士に何かを叫んでいた。
騎士団が隠し通路までの道を確保すると、両国の王族から避難を開始した。
キリクが一度こちらへ視線を向けたような気がしたが、すぐに彼はマントで腕を隠すように扉の向こうへ引き下がった。
「――っ」
その小さな動作一つでキリクの言わんとすることを感じ取ったウィルロア。
正気を取り戻すと安全な逃げ道とは真逆の、大聖堂の外へと駆け出した。
騒動を聞きつけた騎士の波に逆らって、ウィルロアはただ一つの目的のために人込みを掻き分けて進んだ。
「殿下! お待ちください!」
追いかけて来るマイルズの制止も聞かず、騎士にぶつかりながら隙間を縫って進んでいく。
安全な場所にいなければならないはずの第二王子の姿に、そこかしこで驚きの声を耳にしたが全て無視してとにかくウィルロアは急いだ。
時間がない。
デルタはラステマからの避難を開始するだろう。
「ーーっカトリ!」
人波を抜けると、願いは届き長廊下の向こうで目的の人物を見つけた。
「ウィル様!」
二人は駆け寄って互いの手を取り合った。そのままカトリの手を引き近くの部屋に入る。
扉の外ではカトリの侍女と護衛が周囲を警戒しながら待機してくれた。
「無事か!? 怪我は――」
「私はなんともありません。それより時間がありません。我が儘を通してここまで来ましたがすぐに迎えが来るでしょう」
「分かっている。俺と一緒に――」
「アズベルト様の謀反を聞いてあなたは一番に何を思いましたか?」
「な、なに?」
何故今そんなことを聞く?
しかしカトリの声にはいつもの心許なさはなかった。
「時間がないんだ。キリクが動いたからすぐにでも君を――」
言葉では先を促しても頭の中ではカトリの問いに答えていた。
アズベルトが逆賊を率いて陛下を剣で貫いたのを目の当たりにして?
あ、こいつはもうだめだと思った。
アズベルトにはもう、この国を任せてはおけないと。
「……」
束の間の沈黙だけでカトリが答えを悟るには十分だった。
「あなたが国を第一に想ったのなら、あなたは既にこの国の王となるに相応しい」
一瞬何を言われているのか分からなかった。何故今、そんなことをカトリが言わなければならないのか全く理解できない。
「俺は王にはならない」
自分の発言に違和感を覚えて狼狽える。
こちらを真っすぐと見つめるカトリに全てを見透かされたようでぎくりとした。
「俺は、王になんてなりたくない」
確かめる様にもう一度言ってみたが、言葉だけが宙に浮いて舌に馴染まなかった。
何度も口にしてきた言葉が、何故こうも嘘のように聞こえるのか。憤る自身の感情を受け止められず、どんどんと焦りが増していく。
「どうなろうと知るかよ……、俺が知ったことか」
迫りくる運命に抗おうとするが、同時に逃れられない運命なのだと理解していた。
「やめてくれ!」
頭を抱え、湧き上がる感情を否定するように吐き捨てる。
「俺は、君と穏やかな暮らしが出来ればそれでいい。カトリと共に生きていければ、それだけでいいんだ」
そんなささやかな願いさえ叶わぬというのか。
共に生きたいと願う未来がどうしてこんなにも空虚に感じてしまうのだろう。紡いだ願いは言葉と共にこぼれ落ち、それが叶わぬ未来だと知っているかのようだ。
懸命に浮かべては消えてしまう未来を、そうじゃないと否定し抗い続けるウィルロア。対してカトリは、全てを受け入れ覚悟を決めているようだった。
その落ち着きが更に不安を駆り立て、おもしろくなかった。
君は言った。側にいると。太陽の匂いがすると。エーデラルで気の良い住民たちと、時には喧嘩をしながら、楽しいことも辛いことも分かち合って生きていく。君がそばにいれば、俺は毎日が楽しくて、それだけで満たされるというのに……。
「デルタに帰ります」
いやだ。だめだ。
「君は私の妻だ」
「まだ正式な婚姻は結んでおりません」
「そんなの関係ない」
「いいえ。二国間の関係が悪化するのは目に見えています。和睦が反故にされそうな今、私がここに留まれば事態は更に悪化するでしょう」
「ーーっ」
分かっている。結婚もしていないのにカトリを引き留めれば、デルタは王女を人質に取られたと攻めてくるだろう。
既にキリクがカトリに迎えを出したのも、この手を離さねばならぬことも、分かっている。だけど――
「手離せるわけないだろう!?」
握りしめた手に力が籠る。
「姫様!」
「「!」」
限られた時間は目の前に迫っていた。
扉を蹴破りデルタの兵がぞろぞろと入ってくる。ウィルロアは数人の兵に剣を向けられ、あっという間に二人は引き離されてしまった。
「迎えに行く!」
何の策も何の保証もないが懸命に声を張り上げた。
むしろもう二度と会うことがない、これが最後の別れかもしれなかった。
囲まれながら連れ出されるカトリは、最後にウィルロアへ振り返った。
「駄目です」
「姫様お急ぎを!」
「なぜ――」
「すべきことをあなたは分かっているから大丈夫あなたならやれ――」
「カトリ!」
デルタの兵はカトリを連れ去り、扉はウィルロアの前で固く閉じられた。
それでも足は扉へと向かい、無意味なことだと分かっていても拳を振り上げ叩きつけた。
「くそっ!」
だから嫌なんだ。王族なんて、ままならないことばかり。
引き止めてはいけない。行かせなければならない。そう王族としてのウィルロアは判断している。
「カトリの言う通りだよ……」
ウィルロアは自分が成すべき事を分かっていた。
進むべき道は、ずっとウィルロアが拒んできたもので、彼女はそれを知っていたから、最後に自分ならできると残された時間の中で懸命に伝えようとしてくれた。
分かっている。カトリの覚悟と想いは痛いほど理解し伝わっている。
だけどな、君の意思全てを受け入れるつもりは、ない。
「必ず迎えに行くからな!」
もう一度、一人になった部屋で聞こえるはずのない相手に約束をする。
「俺は君を諦めない」
事態は何も変わっていない。それでも先程までの空虚な言葉とは違い、確固とした覚悟と未来がそこにはあった。
それがウィルロアを再び奮い立たせる。
考えろ! 投げ出すな! 嘆く前に動け!
先程までの姿が嘘のように目まぐるしく頭は働き、はっきりと前を見据えていた。
先ずは王の容態を確認しなければ。絶対に死なせるわけにはいかない。それから被害状況の確認、アズベルトの処遇、黒幕の特定、襲撃の規模と全容。デルタと教皇庁への対応に国内外の対応――。
頭はフル回転に動かしながら髪を掻き上げ前を向と、扉を開け放ち侍従の名を呼んだ。




