グレー
騒動以来ウィルロアへの面会や会食の誘いはぱたりと止んだ。
静かになった周囲に満足なウィルロアだったが、勝手に担ぎ上げておいて掌を返したように寄り付かなくなった臣下達には腹が立つのも事実。複雑な気持ちで生活していた。
「殿下。少しお時間よろしいですか?」
そんなウィルロアに声をかけたのは、若き財務大臣のアダムス=シュレーゼンだ。
「残念ながら私は財務の担当から外れることになった」
てっきり仕事の話かと思いそう答えたのだが、アダムスは「いえ……」と歯切れ悪く返答する。
首を傾げるウィルロアに、丸眼鏡を持ち上げながら用件を伝えた。
「以前私と話がしたいと仰っていたので、私も殿下と一度ゆっくり話がしたかったのです。よかったら一緒に昼食でも」
「ははは」
思わず笑ってしまったウィルロアに、不思議そうな顔を向けるアダムス。
「君は周りが群がる時には群がらず、引いた時には寄って来るのか」
面白い男だ。
「その節は失礼をいたしました。殿下のことは祖父から伺っておりましたので、玉座に興味のないしがらみを嫌うお方と聞き、迷惑をかけるのではと思いました」
「その通りだよ」
「はい。それから――」
再び丸眼鏡を押し上げる素振りを見せたアダムスのガラス越しの瞳は、先程の心もとないものとは違い、知的な光が宿っていた。
「殿下が未だに間諜を探しているのも、軍に臣下を送りお調べになっているのも知っています」
「……そうか」
ウィルロアは誤魔化すことも考えたがすぐに止めた。アダムスの真意を知りたくなったからだ。
「それで?」
人気がないのを確認し、そのまま先を促した。
「以前から私も軍が怪しいと調べておりました」
「それは意外だな」
「とは言ってもこれといった収穫はありませんが……。この件について殿下とは一度ゆっくり話がしたかったのです。私にお時間を割いていただけませんか?」
「……わかった」
最初に戻って同じ誘い文句を言うアダムスだが、和やかな雰囲気は一気に消え去っていた。
二人はウィルロアの私室へと移動した。
防音で鍵もかかる部屋でメイドがお茶を用意すると、マイルズも下がらせ二人きりになった。
「なんだか、緊張しますね」
アダムスはきょろきょろと顔を動かしソファに縮こまって座している。
「何も緊張することは無い。肩書きを取れば私達は再従兄弟で親戚関係なのだから」
ウィルロアが肩を竦めリラックスした様子を見せると、アダムスも笑って紅茶に口を付けた。
「君は、今の状況をどう考える?」
漠然とした質問になってしまったが、どんな答えでもいいからこの男の考えを一度聞いてみたかった。
アダムスはカップをソーサーに戻しながら確認した。
「それは一臣下としてお答えした方がよろしいですか?」
そう聞いている時点で問答無用に話す気満々ではないか。
「フッ。再従兄弟の意見が聞きたい」
アダムスは一度背後を気にして、二人きりであるのを確認すると口を動かした。
「先ず王位争いですが、王太子の復権で一見落ち着いたかのように見えますが今後も争いは激化していくでしょう」
「……その理由は?」
「現在のお二人の勢力図です。一見、議会や軍が後押しするアズベルト殿下が有利に見えますが、国内の貴族、二大派閥が騒動の最中にウィルロア殿下に接触したのは大きかった。現在両派はこの王位争いを静観しています。ところが静観している時点で現王太子であるアズベルト殿下には不利なのです。それを抜きにしても数的に言えば王太子側が有利なのですが――」
「待ってくれ。私は王位を望んでいない。有利、不利の話ではない」
「あ、そうでした。言い方を変えます。あなたを慕う臣下が大物ばかりというのが厄介なのです。近衛騎士団長サイラス様や、宰相含むカンタール家、筆頭公爵家であるうちの祖父も然り」
「シュレーゼン卿は私を毛嫌いしているが?」
「あれはあの人の意趣返しです。子供みたいな方ですから」
きっぱりと言われれば反論できない。
しかしレスターも過去に守り役だっただけで、今では関わりも薄く腹の底が知れない。
アダムスの言う要人全てがウィルロアを支持しているとは思えなかった。
「国の要人達があなたを次期国王にと推し進めたら、王太子側には危機でしかありません。今回の騒動を経て表向きでは国内が安定したように見えますが、火種は至る所で燻ぶっています。その最たる爆弾が、大国デルタの姫カトリ王女との婚姻です」
「……痛い所を突いてくるね」
「巨大な後ろ盾を得れば、いくら殿下が王位を望まなくても周囲は素直に受け止めません。それは今回の件で殿下も身に染みて感じたはず。ですから、正式にアズベルト殿下が戴冠しない限り、今後も王位争いは激化の一途を辿るでしょう」
「カトリとの結婚を諦めるつもりはない」
「え? あ。はい……。なるほど」
そして兄上に御子がお生まれになれば、王籍を外れ自国領で暮らすつもりだ、という話はアダムスには言わなかった。なんとなく肯定的な言葉は貰えないと思ったから。
「……」
この男、周りがよく見えてはっきり物を言う。
アダムスを冷静に評価する反面、ウィルロアは頭の痛くなる話にため息を溢した。
俺が望まずとも周りは、アズベルトは、俺の存在を疎ましく意識する。
それはアズベルトが王になるのを強く望んでいるからに他ならず、ウィルロアがその未来を脅かす唯一の存在だからだ。
だけど、こんなにも憎まれているとは思わなかった。
はっきりとした非難と拒絶の目。あの時点で、もう兄弟として歩み寄ることは困難になってしまったのかもしれない。
それだけアズベルトの憎しみが根深いものだと気づかされた。
「望まずとも兄上との争いは避けられないか……」
「それ以前にあの方はグレーです」
「!」
丸眼鏡の向こうで真っすぐこちらを見るアダムスは、少し視線をずらし、それでも続けた。
「財務に携わる者として、この和睦は必ず成功させてほしいです。デルタと国交を結べば無駄な関税を払わずに済み、今以上に財政が潤いますから。和睦は必ず両国を今以上の発展をもたらすでしょう。そのためにも私は、このままアズベルト殿下には大人しくしていてほしい……いや、ほしかったです」
「何が言いたい」
「和睦を確実に結ぶためには少しの危険因子も取り除くのが政治的、警備的観点から見て常識です」
「何か知っているのか?」
アダムスは首を振った。
「確証はないです。個人の意見を求められたので、不確かな意見も含ませていただきました」
「王太子をグレー扱いする根拠は?」
「アズベルト殿下とその周囲は、昔からウィルロア殿下の存在を厄介に思っていました。その証拠に今回の騒動でも殿下を最大限に牽制しました。しかしどんな大義名分を掲げても、今のこの大事な時期に国内に混乱を引き起こした軍のやり方は間違っています。王太子側は和睦より王位争いを重視しているのがこれで分かりました。更にアズベルト殿下の態度を見ると和睦と共に結ばれるカトリ王女との婚姻も必ず阻止したいはずです」
「つまり?」
「アズベルト殿下には和睦の反対組織がつけ入る隙がありすぎます」
「兄上は王太子だ。国を危険に晒すはずはないし、簡単に接触できるお方ではない」
「上層部にスパイがいるとしたら?」
「……」
「既に接触した可能性も否定できない今、アズベルト殿下はグレーです。あなたも、薄々感づいているはずです」
「……憶測に過ぎない」
「憶測ですが様々な状況を予測し対策を講じなければなりません」
ウィルロアは当惑して頭を抱えた。
こんなに人前で溜息を溢すのは初めてではないだろうか。
「もう一つお話がございます。二年前に国内で不穏な動きを察知し、私では対処できないとこの件をカンタール宰相に報告いたしました」
「アダムス」
「ですが全く取り合っていただけず、宰相殿は――」
「アダムスもういい。わかった」
ウィルロアは手を上げて降参した。
まさかここまで突っ込まれるとは思わなかった。
「これは一臣下として、アダムス=シュレーゼン個人としての進言です」
ウィルロアは項垂れる頭を押し上げ、真っすぐこちらを見ているであろうアダムスへ顔を向けた。
「どうかウィルロア殿下も様々な状況を鑑み、御覚悟をーー」
その覚悟とやらが何か分からないほどウィルロアも馬鹿ではない。だから安易に返事は出来なかった。
アズベルトの謀反の先にあるもの――。
アダムスは祖父と同じように話が終わると席を立ち、礼をして颯爽と出て行った。
『いつかきっとアズベルト様も分かってくれます』
こんな時思い出したカトリの言葉が、あの時とは違って実に空しく感じた。
その夜は悪態をつく事も出来ず、久々に静かな夜となった。




