三重人格
ウィルロアは気付くと一人農園に佇んでいた。
アズベルトから咎められた後、おぼつかない足取りは無意識に農園へと向かっていた。
何も考えたくなかった。誰にも会いたくなかった。何もしたくなかった。それが逃げだと分かっていても……。
冷たい風がウィルロアの金の髪をいたずらに擽っていく。
どのくらい時間が経ったのか、自身の腕を摩れば冷たくなっていて、途端に寒さを感じて身震いした。
「……」
いつまでもここで時間を潰すわけにもいくまい。重い足取りで戻ることにした。
「――え」
振り返ると人の気配を感じた。それまで全く気付かなかったが、驚くことに少し離れた場所でカトリが佇んでいた。
「なぜーーデルタに戻らなかったのか?」
いつからそこに、なぜここにいるのか。
軍の騒動でエーデラルに足止めし、アズベルトの謹慎が解けた段階でカトリには騒動の収束を知らせた。てっきりデルタに帰ったものと思っていたので驚いた。
慌てて駆け寄り腕に触れて確かめる。ウィルロアのように冷たくなっていないことに一先ず安堵する。
「あの、式典まで、こちらで過ごそうと……」
カトリはエーデラルで過ごした後、式典までラステマで過ごすため事前に準備してきたようだ。
「そうか……。心配をかけたね」
「いいえ。大事にならずよかったです……。その……」
こちらを気遣っているのだろう、カトリが言い淀んだので先をウィルロアが請け負った。
「兄上がお戻りになり全て丸く収めて下さった」
平静を装っていても、いつもより口数もすくなく笑顔もないウィルロア。カトリもその機微に気付いているが何も聞かなかった。
二人の間に重く長い沈黙が流れる。
「ここは寒いから戻――」
「あの! この農園はウィルロア様がお造りになったと聞きました」
ウィルロアの言葉を遮り、話すのが苦手なカトリが珍しく自分から話題を持ちかけた。
「……」
本当は戻るべきなのだが、ウィルロアももう少しだけカトリと二人でいたかった。
「ああ。玩具部屋位の小さな畑から始めたんだ。私は遊んでばかりだったがロッシが頑張ってくれてね。六歳の頃に初めて苗が出た。だけどすぐ後にデルタへ赴くことになったから、正直畑は諦めていた。こんなに大きく立派な農園になっていたとは……。驚いたよ」
国の事業として運営してもらうよう国王に頼んではいたが、自分がいなくなれば熱心にここを守ろうとしてくれる者はいないだろうと、枯れ地になったと諦めていた。それなのに、畑いっぱいに育つ作物が嬉しく、城の庭師達に感謝したのを覚えている。
隣でカトリが気まずそうに答えた。
「あの、アズベルト様が……」
アズベルトの名前が出て無意識に体が強張った。
「その、農園の世話をするよう指示し、ご自身も、よく一人でいらしては成長を見守っておいででした」
「兄が?」
「はい」
アズベルトが、農園を守ってくれていた?
信じられないというウィルロアにカトリは何度も頷いてみせた。
確かに、ウィルロアが不在の中で農園を維持するには他に後援する者がいたはずだ。
しかしまさか、あのアズベルトが? 自分を疎んでいた兄が、幼少期に大事にしていた農園をずっと守ってくれていたなんてにわかには信じがたい。
「それは……」
知りたくなかった。
「ウィルロア様?」
自分の本音を知り、呆れて顔が苦渋に歪む。あまりの醜さに思わずカトリから顔を逸らした。
素直に喜べないのは先程の出来事があったからで、愚かな自分を認めたくなくて、アズベルトが酷い奴だからこんなことになったと、心のどこかで相手を悪者にしようとしていた。
なんて情けない。なんて酷い。
アズベルトはウィルロアの裏の顔を見聞きしたわけではなかった。
ウィルロアの行動から憶測で決めつけた。
だからはっきりと否定してやればよかったのだ。
あの時、追いかけてでも反論するべきだったのにできなかった。なぜなら――。
「ずっと心の中で卑下していたのは本当なのだから反論できるわけがない」
脈絡のない言葉はカトリからすれば全くもって意味が分からないだろう。
それでも一度口を噤めば抑えこむことができなかった。
「表では兄上こそが王に相応しいと称賛し、裏ではひどく馬鹿にしていた。重責を負いたくないから兄上に全てを押し付けて俺は文句ばかり。狡く卑怯な俺を兄上は見抜いていた。だから上辺だけ取り繕う俺に、馬鹿にするなと、怒るのも当然なんだ」
争うのも嫌われるのも重圧も嫌だから、面倒事には目を瞑って逃げてきた。
それなのに裏では言いたい放題悪口を言っていたのだから相当質が悪い。
アズベルトの怒りを目の当たりにしてようやく己の愚かさに気付いた。
「俺は本当に、最低だ」
「……」
一息にぶちまけて静かな農園で我に返る。直後に後悔が押し寄せた。
「ごめん」
何の関係もないカトリに憤りのままぶつけてしまった。情けない姿を晒した失態に、隣で黙ったままのカトリを直視できなかった。
「……ごめん」
もう一度謝って、長く息を吐き出した後、冷たい空気を一気に吸い込んで全身に染み渡らせた。頭を冷やせば少し冷静になれた。
重い沈黙に耐え切れず、一人踵を返してその場を去ろうとした。
するとカトリがウィルロアの袖を掴んで引き留めた。
「そ、それは少し違うのでは!?」
振り返るとカトリの大きな焦げ茶の瞳と目が合った。瞳の中に映る自分はなんとも情けない顔をしていた。
目を逸らすがカトリがじっとこちらを見ているのが気配で分かった。
何を言われるのか、呆れて嫌われたのではないかと怖くて自分からは何も言えなかった。
「ウィルロア様は、ご自身の本質を理解しておりません」
意味が分からず顔を上げた。カトリは真っすぐな瞳でゆっくりと言葉を選びながら話した。
「ウィルロア様の中には、表の顔である完璧王子のウィルロア様と、ちょっと口が悪くて文句や悪態ばかりつくウィルロア様がおります」
「……二重人格みたいだね」
「ですが、その奥にはもう一つ。家族想いで臣下想いの、国を大切に想う優しいウィルロア様がおります」
「……」
「アズベルト様を悪く言っても、そこには慕う想いがあったはず。だってウィルロア様は何度もアズベルト様の危機を救おうとなさり、悪く言う者を咎め、庇い、支えておりました。本当に馬鹿にしていたのならそんな行動はとりません。それに、ウィルロア様が悪態をつく時は必ずお一人で誰にも聞かれることのないよう配慮なさっておりました。陥れたり騙したりするわけではない。そこに悪意がないからにほかなりません」
カトリの言葉に目頭が熱くなった。
感情が込み上げて思わず泣きそうになる。ぐっと喉を鳴らして堪えた。
アズベルトに対する後悔と贖罪が消えたわけではない。それでも何の疑いもない真っすぐな瞳で言われれば、本当にそうなのかもしれないと思えた。
「私はどのウィルロア様も全部大好きですよ」
都合のいい考えかもしれない。それでも途方に暮れていたウィルロアに、カトリの言葉が一筋の光を差しこんでくれたのは事実だった。
「……ありがとう。そんな風に言ってくれて、すごく、嬉しい」
「いつかきっとアズベルト様も分かってくれます!」
「うん」
二人は見つめ合いながら微笑んだ。
「二重人格かと思ったら三重人格だったか。情けない婚約者でごめんね」
カトリは首をぶんぶんと振った。
「『話してくれてよかった』です」
「お」
エーデラルの夜にカトリが悩みを打ち明けた時に放った自分の言葉を、そのまま返された形だ。
「……そうだな。辛いことや楽しいこと、なんでも話して欲しい。楽しいことは一緒に分かち合いたいし、君一人に辛い想いをさせたくはないから」
カトリがウィルロアの側に来て寄り添った。
「はい」
「……カトリ」
「はい」
「全部好きってもっかい言ってー」
ゆーっくりと無表情が茹蛸になっていく姿を堪能した。
勢い余って言った台詞を思い出したのだろう、逃げようとする身体を背後から両腕でがっしりと捕まえた。
「や、そ、そこは聞き流してくださいぃ……」
両手で顔を隠し、消え入りそうな声で頼まれるが聞き入れる気は毛頭無い。しっかり脳内録音させていただきましたありがとうございます。
「あの……腕を」
逃げないように後ろから捕まえたものだから バックハグ状態で身じろぐカトリ。
離して欲しいのだろうが聞こえない振りをした。
「振り返るなよ。絶対に振り返るなよ!?」
「?」
深呼吸をしてから覚悟を決める。
「好きだ。俺の方が、もっと大好きだから」
ようやく言えた。好きだと、きちんと言葉にして伝えられた。
「あ、こら! 振り返るなって、やめてえええええ!」
真っ赤になった顔を見られまいと抵抗するが、カトリの華奢な体のどこに潜んでいたのかと思わんばかりの凄まじいパワーでばっちり情けない顔を見られてしまった。
「くっそ可愛く笑うなよ!」
頭の中では何度も理想の告白を繰り返した。それなのに実際口に出来たのは一言だけ。
一言には到底収まらないこの想いを、君が理解する日は来るのかな。
農園の土と葉の香りに混じって花の香りを吸いながら、カトリとの未来を思い幸せを噛みしめた。




