エーデラルの住人
デルタ王国の王女カトリは、数人の供と護衛を連れて馬車に揺られながら国境を越えようとしていた。
先日ウィルロアから誘われた遠出は、あれから手紙のやり取りをして、彼が管理するエーデラル領の屋敷で過ごすことになった。
エーデラル領はデルタとの国境沿いにあり、デルタ城から馬車で四日、ラステマ城から一日かかることから、ウィルロアとは現地で合流することになっている。
国王から数日の滞在許可を得たカトリは、エーデラルで過ごした後はそのままデルタへは戻らず再びラステマに滞在するつもりだ。
ニ週間後にはデルタの王族もラステマに集まるので、その旨を国王に告げた。
国王は若干呆れながらも了承してくれた。
和睦の締結と婚姻は、教皇庁で神の元に結ばれ、その後両国で婚礼行事が執り行われる。
二週間後のラステマでは、儀式として婚約式を執り行うことになっていた。
その他にも細かい儀式が組み込まれており、式典の後に行われる結婚に関する催しは二か月以上かかる予定だ。
大陸の中でも強大な二国間の、王族同士の婚姻ともなれば規模が大きく盛大にもなる。
その分国民の喜びはひとしおで、市政はお祝いムードで暫くはお祭り騒ぎが続くだろう。
ウィルロアが時間を取るなら今しかないと思ったのも理解できた。
しかし彼が慣れない政務に忙しく過ごしていると聞いたばかりでは、約束を果たすために無理をしたのではないかと一度は断りを入れた。
しかしウィルロアがどうしてもと言うので推し進められた。
楽しみの中に不安と心配も混ざっていた。
ガラガラと車輪の音が響くだけで、馬車の中は静かだった。
三日前に王城を出発し、昨夜寝泊まりした伯爵家を早朝に出て五時間が経った。
時折休憩を入れながら、一行は国境を越えてラステマの乾いた土地に足を踏み入れた。
「ウィルロア様は無事に出発なさったかしら……」
ウィルロアはやはり政務が立て込んでいるらしく、今日、馬車ではなく早馬でエーデラルの屋敷まで向かうという。
王太子の起こした騒動でラステマは混迷しており、盤石だったアズベルトの地位が揺らいでいるというのだから相当だろう。
無理をしてでも遠出をしたがったウィルロアの真意は、考えてもさっぱり分からなかった。
謹慎中の兄に代わり政務を一任されたウィルロア。それが何を意味するのか勘繰る臣下に、引っ張りだこだという。
そして、カトリは馬車の中で父王の言葉を思い出した。
『ウィルロアが王位を継ぐに越した事は無い』
父の考えに衝撃を受けて言葉を失った。
この騒動をデルタは肯定的に受け止め静観していた。
まさか父が、ウィルロアの王位継承を望んでいたなんて思ってもみなかった。
いや、自分の考えが浅慮だったと言える。
娘がより高い地位に就くのを望むのは親として当たり前で、皇后に就けるなら拒む理由はない。
ああ、なんということだ。
ただでさえウィルロアには自分との結婚で肩身の狭い想いを強いているというのに。
もしもデルタが、ウィルロアに王位を継がせようと本格的に動いてしまったら……。
彼の望まぬことばかりだと、己の存在を嘆いた。
一行は、その日の夜にエーデラルの屋敷に到着した。
「お待ちいたしておりました。エーデラルへようこそお越しくださいました」
屋敷中の使用人達が玄関ホールに並び、カトリを快く出迎えてくれた。
カトリは挨拶をした壮年の家令の男をじっと見た。すらりとした立ち居振る舞いと声には品があり、その風貌は誰かを思い起こさせる。
「家令のハリス=カンタールと申します。レスターは私の弟です」
「!」
カンタール家のお方だったのね。どうりでどこかで会ったことがあると思ったわ。目元がレスター宰相に似ている。でも、何故お兄様がここで家令のお仕事をなさっているのかしら?
無表情で内心不思議に思っていると、見過ぎたせいだろう、ハリスが自ら説明をしてくれた。
「元々はアズベルト殿下の守り役をしておりましたが、十年前に殿下の逆鱗に触れ王城にいられなくなりまして……。爵位なしの私は行き場を失い、ウィルロア殿下に拾っていただいたのです」
「……すみません」
また配慮が足らず辛い過去を語らせてしまった。
無表情のまま後悔するカトリに、ハリスはその胸の内を読み取ったのか、「お気になさらず」と言葉をかけた。
「ウィルロア様に拾っていただいたのは私だけではありませんので」
「え?」
「そうですよ! ここにいるほとんどが王城を追い出された者ばかりなんです!」
「皆ウィルロア様に拾われました」
「子犬かよ」
「皆じゃないわい! わしは先代の頃からお使いしておる。お前ら出来損ないと一緒にするな!」
「たしかに王城の奴らに比べれば俺達は出来損ないですが、腕のあるいいい奴らばかりですよー」
「……私も一緒にしないでもらいたいのだが」
静かに反論するハリスに、どっと笑いが起こる。
「たしかに! ハリスさんは有能だった!」
門番もメイドも家令も料理人も庭師も、皆が入り混じって仲良く話す姿に、カトリは呆気に取られていた。
「失礼いたしました。このように作法はなっておりませんが気の良い者達です。どうか寛大なお心で許していただければと思います」
カトリは返事の代わりに頷いた。
「ではお部屋へご案内いたします。長旅でお疲れでしょう、どうぞごゆっくりお過ごしください」
そしてそのまま、賑やかなエーデラルの屋敷へと招き入れられた。
既に到着していると思われたウィルロアだったが、王都でトラブルがあったらしく、その日はエーデラルへ来ることが出来なくなったと知らせが届いた。
残念な気持ちもあったが、こちらを優先しないで良かったという安堵もある。
ただでさえ忙しい方ですもの。私との約束でさらに無理をされたら嫌だわ。
でも、久しぶりにウィルロア様にお会いしたかった。
「……ふぅ」
胸の中で痞えている想いを処理できず持て余していた。
今夜は一人で晩餐を取ることとなった。きっと淋しい食事になるだろう。
「せっかくなので着替えましょう! 殿下がいらっしゃらなくてもお洒落していいと思います。可愛い服は気分も良くなるしとっても素敵です!」
「暗くなったのでご案内できませんでしたが、裏庭には農園があるのです。そこで収穫した野菜を貯蔵する倉庫も作りました。ご興味がおありでしたら明日ロッシに案内させましょう」
「料理はお口に合いましたか? せっかく殿下の好物を用意したのに。よかったら全部食べちゃってください。それで明日殿下に思い切り自慢してください」
「姫様……、ここだけの話ですぞ。わしが言ったとは言わないでくださいよ。……殿下の幼少期の話を聞きたくはないですか? ヒヒ、とびっきりの恥ずかしい失敗談をお聞かせしましょう」
一人きりの晩餐を終え、部屋に戻ったというのにカトリの興奮は冷めやらなかった。
実に楽しく有意義な時間を過ごせた。
夜着を纏うと一目散に机へと向かった。
ラステマの最新モデルのドレスは素敵だったわ! あんなにドレープが上がってボリュームがあるのに軽いなんてどうやって作っているのかしら!? お母様やオリガ様にも教えて差し上げましょう。それに新鮮な野菜を保存しておく貯蔵庫なんて聞いたことがない! 明日が楽しみだわ。だって出された料理はどれも美味しくて、野菜は一週間前に収穫したというのにまるで取れたて新鮮そのものだった! さすが産業の国ラステマね! 様々な工夫が所々に散りばめられていたわ。料理長の言う通り明日ウィルロア様に自慢しましょう! それから――。
「ふふふ、ウィルロア様にあんな過去があったなんて!」
カトリは塞ぎ込んでいたのも忘れるほど、夢中になって日記を書いた。
久々に晴れやかな気持ちで一日を終われたカトリ。
部屋の明かりは遅くまで消える事は無かった。
翌日、朝食を済ませたカトリは、ウィルロアが到着する午後まで農園や庭園を散策することにした。
農園を散策するには持ち合わせのドレスでは不釣り合いだったので、メイドに簡易なドレスはないかと訊ねた。
「こんな服しか御用意できずすみません」
そうして用意されたのは、街の少女たちが着ているようなワンピースだった。
カトリ付きの侍女達はいい顔をしなかったが、上等な絹を使っているしデザインも可愛らしいと喜んで受け取った。
「次までに動きやすいシンプルなドレスも用意しておきます!」
別に誰かに見られているわけでもないので気にしないとカトリは思ったが、いつも通りの無表情でせっかく用意してくれたメイドに気持ちを上手く伝えられなかった。しかしメイドは気にする様子もなく、ご機嫌に着替えを手伝ってくれた。
袖を通すと動きやすく、自分が王女ではなく普通の少女のように生まれ変わったようで心が躍った。
庭師のロッシはカトリに丁寧にラステマの作物事情を説明してくれた。
「ラステマはデルタと違い、乾いた土地で作物が中々育ちません。なので食料の半分以上を輸入に頼っております。野菜は乾物が多く、国民の殆どは新鮮な野菜を口にしたことがないのです。ウィルロア様は他国に頼りきっている食糧事情を打開し、自給率を上げようとなさっています。我々はここで国民に負担なく浸透する苗の品種改良など日々研究しております」
「大きな違いは土で、デルタに近い土地で土壌を耕しております。元々水と栄養に乏しい乾いた土地ですから、土壌は水場の近くの湿気の多い場所で特殊な肥料を加えて耕し、運搬します。日照りの時は日光を通し蒸発を防ぐ布をかけ、益虫を利用して少ない水で栽培できるよう改良しました」
「これは土を耕す器具です。硬い土を耕すには手作業では労力と時間がかかりますので、ラステマの鍛冶職人に作らせました。器具にも工夫が施されております」
「庭園は花が少ない分オブジェなどで荘厳な造りになっております。ラステマの職人たちのこだわりが凄まじく、精巧過ぎて運ぶのに苦労しました」
ロッシとは実に有意義で充実した時間を過ごせた。侍女の制止も聞かず畑の中にも積極的に入ったので、足元は所々泥が付いてしまった。
ワンピースをお借りして良かったと思う。
カトリは庭を散策した後、四阿で休憩を取っていた。
侍女が飲み物を持ってきてくれるのを待ちながら、エーデラルの風景を見渡す。
昨夜は到着が遅く暗くてよく見えなかったが、白亜のアーチからお屋敷まで広大な庭が広がり、屋敷も近代的な作りで広々としていた。
四阿でくつろぎながら、ゆっくりと草木の香りを吸い込んだ。
乾いた土地のラステマで、こんなに草木に囲まれた場所があるとは知らなかった。
素敵なところだわ……。
乾いた風に髪を揺らされ、心地よく目を閉じた。
「こちらにいらしたのですね」
聞きなれた声にカトリが驚いて振り返る。
侍女たちが傾いでいる中を、いつもの護衛二人を連れたウィルロアが歩いて来る所だった。
ウィルロア様!?
カトリは慌てて立ち上がり淑女の礼をとった。
どうして? 朝に出発しても、夜にしか到着できないはずなのに……。ああ、服も簡易でこんなに汚れて、出迎えもしなかったなんて!
予想よりはるかに速い到着に動揺していると、ウィルロアは「気持ちが急いて馬で駆けてきました」と目を細めて説明した。
「すみ、ません……」
最近思い悩んでいたカトリは、その言葉を前向きに受け止めることができなかった。
やっぱり、私のせいで無理をなさったのだわ。ラステマ城からは早馬でも半日はかかる。暗いうちに出立なさったのね。心なしか少し痩せた気もする。
「? お元気でしたか?」
「は、はい……」
「私から誘っておきながら遅れてしまいすみません」
「い、いえ」
目の前にウィルロアがいるというのに、申し訳なさで顔を上げることができない。
「……」
俯いたままのカトリの顔色を窺うように、ウィルロアは小首を傾げて覗き込んできた。
「!?」
透き通るような空色の瞳と目が合った。瞬間、不安な心が全て吹き飛んで喜びでいっぱいになった。
ああ、嬉しさで泣きそうになる。
久々に会えた喜びを噛みしめ、ドキドキと高鳴る心臓を抑え、落ち着け自分! と言い聞かせ、荒い鼻息を整えた。
「……怒ってます?」
「!?」
怒っていません! うれしくて心を落ち着かせようと――。
懸命に伝えようと拳を握って口をパクパク動かした。
「くふ」
ウィルロアは口に手を添えて急に俯いた。笑っているようだ。
わけの分からないカトリと目を合わせ、耳元に近づいて囁いた。
「ごめん。喜んでくれてるのが可愛くて、つい。揶揄った」
離れる瞬間、視線で後ろの侍女たちを気にした素振りを見せた。視線を戻したウィルロアと至近距離で目が合うと、彼は少し照れ臭そうにしながら悪戯っぽく笑った。
『完璧王子』からの『やさぐれ王子』&『はにかみ王子』!?
と、とと尊い! 破壊力あり過ぎて色々考えていたのに全て忘れてしまいそう!
平静を保てないカトリと違って、ウィルロアは紳士に戻って「少し歩きましょう」と手を差し出した。
土付きのワンピース姿であるにも関わらず、いつも通り紳士の対応をしてくれる。
カトリは深呼吸して気持ちを落ち着かせると、ウィルロアの手を取り二人は丘の方へ歩き出した。
二人で散策しながら、ウィルロアがエーデラルの屋敷について教えてくれた。
「ここは先王である祖父が余生を過ごした屋敷です。子供の頃は王城が窮屈で、よくここへ逃げては悪戯ばかりして遊んでいました。祖父が亡くなってからは私が譲り受け管理しています」
「素敵な、所ですね」
「はい!」
満面の笑みで返すウィルロアに、彼がエーデラルをとても大切にしているのが伝わる。
「その、私がいない間、困ったことや失礼なことはありませんでしたか?」
「?」
歯切れの悪くなるウィルロアに首を傾げながらカトリは返事をした。
「ありませんわ。皆が良くしてくれたので、一人だというのも忘れて、とても楽しかったです」
あ、でもウィルロア様がいないのに楽しんでしまったらそれはそれで失礼じゃないかしら? 何と言えばいいのかしら……。
「ふっ」
「?」
ウィルロアは口に手を当て、笑いながら「みんな俺の代わりに頑張ってくれたんだな」と呟いた。
そして小高い丘に辿り着くと立ち止まった。
「……?」
屋敷を見下ろしながら押し黙ってしまう。今度はカトリが顔を覗き込んで心配した。
「家令のハンスは、カンタール家の長兄としてしっかりとした教育を受け、兄上の守り役を任されておりました」
「あ、はい……」
「当時は気難しそうなハンスに苦手意識を持っていたのですが、仕事以外のことになると意外と大雑把で自分には無頓着な男でした。私はその差異に親しみを持ちました。懐が深く、家令としてよく支えてくれています」
黙っていたかと思えば急にハンスの話をし出したウィルロア。その意図が分からず返答に詰まった。
「庭師のロッシは私に農業を一から教えてくれました。この国で葉物の発芽を成功させた功績があり、今でも大陸中を回って研究をしています。私の進める政策に力を貸してくれた人です」
「? はい」
「料理長のガストンはあの風貌で菓子作りが得意で、特に彼の作るポディングは絶品です。毎日でも食べたくなる料理ばかり作ってくれます。それからメイドのビーナとハンナは少しお喋りな所もありますが、気遣いができ二人とも優しい人です。なによりカトリを退屈させないでしょう。それから門番のソルと給仕のラルトは、口は悪いですが――」
「?……??」
訳が分からなかった。
突然始まったウィルロアの使用人自慢に困惑していると、彼は全ての使用人の紹介を終えると再び黙ってしまった。
「あ、あの……」
「私は、あなたと結婚したらいずれは王籍を外れ、ここに移り住もうと考えています」
ウィルロアはカトリの方へ向き直ると、一度視線を揺らしたが、すぐにカトリへ向けて言葉を続けた。
「ここは田舎で華やかな王城とはかけ離れていますが、自然が豊かで使用人達も気の良い者達ばかり。きっとカトリもここでなら、楽しく暮らして行けると思うのです」
緊張した面持ちで告白をするウィルロアに、ようやく彼の意図を理解した。
「私に……見せたかったもの?」
この遠出を提案した時、ウィルロアはカトリに見せたいものがあると言っていた。
「はい。この屋敷と、私の使用人達です」
そしてカトリとの未来を、結婚する前に彼はどうしても見せたかった。
「……」
ウィルロアが思い描く未来に、当たり前のように自分が入っていた。
そのことに嬉しさと恋しさが込み上げて、胸がいっぱいになった。
だけど同時に、怖くもなった。
政略結婚だと分かっていても、ウィルロアは誠実にカトリを大切に想ってくれている。
その想いに答えられるだけの価値が自分にあるだろうか?
以前までは好きだという気持ちだけで何でもできる気がした。それが今では自分の至らなさが際立ち、申し訳なさが大きく心を占めてしまう。
「カトリ?」
ウィルロアの心配が伝わってくる。
「こんな……」
私でもいいのでしょうか?
カトリはその先の言葉を飲み込んだ。
答えをウィルロアに求めるべきではなかった。
これはカトリの問題だ。
だって私は、自分が相応しくないと分かっていても彼のことが大好きで、他の女性に譲る気なんて更々ないのだから――。
「……なんだろう」
唐突に二人の元へ、風に乗って慌ただしい声が届いた。
カトリが顔を上げる。ウィルロアも声のする屋敷の方を窺っていた。
「何かあったようです。戻りましょう」
二人は話を中断して屋敷へと急いで戻ることにした。
玄関先で家令のハンスや守衛、給仕などが集まり何やら話し合いをしていた。
「駄目だと思うよ、こんなの見せちゃあ」
「しかしワシ等が勝手に処分していい物でもあるまい」
「一先ず私が預かりますので殿下には内密にお願いします」
「どうした」
突如現れた主の姿に、使用人達は慌てて一斉に礼をとった。
その中心には、梱包された箱が置かれていた。
「何だそれは?」
「……」
誰も答えないので、ウィルロアは首を垂れる使用人達の間を縫って箱に手にかけた。
厳重に梱包された箱の中からは、楕円形のガラスが出てきて、中にはこれまた精巧なガラスで造られた薔薇が飾られていた。
カトリは思わず感嘆の声を漏らしてしまった。それだけそのオブジェが今まで見たことがないほど美しかったのだ。
ウィルロアはオブジェを一瞥し、そして添えられたカードに目をやる。小さくため息を溢した。
「アズベルトか……」
その名を聞いて嫌な予感がした。そして直後に反応したことを後悔する。
「兄上からあなたへ贈り物が届きましたよ」
ウィルロアの声は固く、棘があった。
そして「わざわざエーデラルに送って来るとは……」と不快そうに呟いた。
それはカトリも同じ意見だった。
ラステマでもデルタに戻ってからも、アズベルトと個人的なのやりとりをした覚えは無い。
これでは何度も隠れてやり取りをしたように見えてしまう。婚約者に要らぬ誤解を与えてしまう。現にウィルロアは珍しく人前だというのも忘れて感情的になっていた。
誤解を解きたかったが、張り詰めた空気に圧倒されて言葉が出なかった。
「さすが兄上だ。あなたの好みを良く分かっている」
言葉とは裏腹に不穏な空気を纏うウィルロア。使用人達は気を遣いそっとその場を後にした。
玄関ホールはウィルロアとカトリの二人きりになった。
どうしようかと戸惑っていると、ウィルロアは贈り物をカトリの目の前に差し出した。
「どうぞ」
「……え?」
驚いて反応が遅れたが、はっきりと拒否する。
「受け取れませんわ」
「……何故?」
何故!?
ウィルロアらしくない言動にカトリは戸惑った。
「あなたの手から受け取れるわけがありません」
当たり前のことを言わせないで欲しい。
「では侍女に渡しておきます」
「ーーそっ」
そういうことを言っているのではない。
カトリが受け取りを頑なに拒むと、ウィルロアは溜め息を溢して黙り込んでしまった。
無実のカトリは段々と腹が立ってきた。こんな風に責められる謂れはないはずだ。
ウィルロアだってデルタではたくさんの女性に好意を寄せられていたではないか。
「わ、私とは何の関係もありません。受け取る理由もありません。ここへ来ることも、それ以前の連絡も私から取った覚えはありませんし、何故わざわざウィルロア様のお屋敷に届けるのか、こんなことをされて私も困っています」
アズベルトからプロポーズを受けた。だがすぐに断ったし当事者達の前でウィルロアと結婚するのだと宣言した。
分かってくれたと思っていたのに。まるでアズベルトとの仲を疑われているようで心外だ。
悔しさで涙ぐみそうになり唇を噛みしめた。
「……すみません」
消え入るような声で謝られ、恐る恐る顔を上げた。ウィルロアは頭を下げていた。
「嫌な態度を取りました」
ウィルロアは俯き加減に視線を逸らすと、決まりの悪い顔をした。
「あなたが受け取れば私は気分を害したでしょう。それなのに、試すようなことをしてすみませんでした」
「……」
カトリは首を振って大丈夫だと伝え、謝罪を受け入れた。
カトリが困ったようにオブジェに目をやると、「これは私が預かります」と言った。
「あんなことをしましたが、本音はあなたが受け取らなくて良かったと安堵しているのです。兄上の好意が籠った物を、あなたが持っているのを許せるほど私は心が広くないですから」
ウィルロアの気持ちを聞いて、カトリもその想いは痛いほど理解できた。
だからウィルロアが必要以上の罪悪感を抱かないよう誤解を解きたかった。
「十年ラステマで過ごしましたが、アズベルト様と会話をしたのは数える程です。本気で私に好意があるとは思えません」
あの求婚は好意から来るものではない。政治的なものだったとカトリは考えていた。
デルタの姫と結婚すれば、大国の後ろ盾を得るという利点がある。
「ですから――」
「いいえ。兄はあなたを慕っています。それは打算でも冗談でもなく、本心からです」
ウィルロアは真っすぐな瞳でカトリを見つめていた。
「その想いに答えられなくても、どうか否定しないでやってください」
カトリの顔がかっと赤く染まった。
不快だと言っていたウィルロアは、それでもアズベルトの想いに寄り添っていた。
それなのにカトリは、保身だけで相手の気持ちを決めつけて、好意を否定した。
最低だ……。
己の器の小ささに、穴があったら入りたい気分だ。
本当に、こんな自分が大っ嫌いだ。
鼻の奥がつんとして、じわりと涙が滲む。必死に堪えたが、感情が溢れ出して涙がぽろりと零れた。
「カトリ?」
顔は相変わらずの無表情なのに、瞳からは涙が玉のように次々と溢れ出す。
私が泣いてしまったらウィルロア様を困らせるだけなのに。
そう思って止めようとするが、焦れば焦る程涙はとめどなく流れて、あまりに情けなくて消えてしまいたかった。
「待ってカトリ!」
ウィルロアの制止も聞かず、逃げるように駆け出した。




