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やさぐれ王子と無表情な婚約者  作者: 千山芽佳
第二章

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十年経って変わったもの

 

 一方、デルタに戻ったカトリも、ウィルロア同様忙しく過ごしていた。

 和睦式典の前後にある婚約式と婚姻式に成婚パーティーや両国で開催されるパレードなど、装いの準備もさることながら、他国へ嫁ぐカトリの教育にも力が入っていた。

 苦手な社交術やダンスの練習も、ウィルロアとの幸せな未来が待っていると思えば頑張れた。


 忙しい合間の一時に、カトリと共に庭園のあずま屋で歓談しているのは、幼馴染みのシシリ。


「お困りのカトリ様に助け舟を出すとは……さすがウィルロア王子ですわね」


 シシリは名門伯爵家の娘で、次兄ユーゴの婚約者でもある。年も近くカトリの話し相手になってくれた。

 快活で世話好きの彼女は、口下手なカトリの社交の手助けしてくれている。

 シシリはカトリの結婚を心配してか、こうして頻繁に訪ねて来てはウィルロアの話を聞きたがった。


「ええ!? ウィルロア王子に手紙を五十枚もお書きになったのですか!?」

「……多かった、かな?」


 カトリは忙しい日々の中で、毎日の出来事をウィルロアへ送る手紙にしたためていた。

 日記のように書き溜めていたので思ったより枚数が増えてしまった。


「え、いえ、ウィルロア王子は優しいお方ですから、カトリ様からの手紙に喜ばれたでしょう。ですが、そんなにたくさん、よく封に入りましたね」

「ううん。入らなかったから、筒に入れて、送ったの」

「筒に!?」


 シシリの反応で、自分が何をしでかしたのか気付き、しまったと顔を赤らめた。


「あらあら、大きな声が聞こえて来たかと思えば、あなた達だったのね」


 そこへ、カトリの母親であるデルタ王国の王妃と、長兄キリクの妻である王太子妃オリガが通りかかった。


 カトリとシシリは慌てて席を立ち礼をとる。


「こうして庭園から楽しそうな声が聞こえてくるのは随分と久しぶりな気がするわ」

「はい。カトリ様が戻られてから城内も一層明るくなった気がいたします」


 カトリは母と義姉の誇張した会話に恐縮した。


「そういえば、まだクイーンズ・サロンは定期的に開いているのかしら?」


 王妃の問いかけに、オリガが頷きシシリに説明を促す。


「はい。不定期ではありますが、オリガ妃殿下のご厚意で王城の一室で開催させていただいております。一同、貴重なお話を聞けて有意義な時間を過ごしております」


 デルタ国では伝統的に、王族の姫や上位の貴族令嬢が集まるサロンが催されていた。現在のホストは王太子妃オリガとなっていた。


「四年前に私が病に倒れてから中々開催出来ず気になっていたの。オリガが再開してくれたのよね。感謝しているわ」

「最近は私も忙しく参加できていないのですが、シシリがよくやってくれております」

「陛下の意思を継いだ妃殿下のお手伝いができ、身に余る光栄に存じます」

「王太子妃は忙しい身だと皆知っているでしょう。シシリもいずれは王族の一員になるのですから、二人が助け合っていると聞いて私も喜ばしいわ」


 名門貴族の出身であるシシリは、生まれた時から次兄ユーゴの許嫁であった。いずれは彼女も王族の一員となるので、シシリが会を仕切っても文句を言う者はいない。


「次のサロンには是非カトリ様も参加くださいませ。皆ラステマで経験されたお話を聞きたがっております」


 シシリの申し出に困惑するカトリ。

 その様子に母とオリガも戸惑いを隠せなかった。

 カトリが人の集まる場所、会話を楽しむ場を苦手としているのは周知の事実だ。

 だがこの時のカトリは、らしくもなく「行きます」と頷いた。


「カトリ様は結婚の準備で忙しいのではなくて?」


 心配するオリガに、大丈夫だと再度頷く。

 ウィルロアの、他国の王子に嫁ぐのだから、これくらいの社交はこなさなければ……。

 逃げるばかりでなく変われる努力をしたいと思った。

 心配する二人を余所に、息巻くカトリにシシリが微笑んでいた。



 サロンは先々代の王妃から伝統的に受け継がれ、貴族の娘たちの交流と勉強の場になっていた。

 参加者は会のホストが選び、王族は無条件に参加できた。

 サロンに参加するため、カトリは王城の一室へ足を運んだ。

 昨夜、遅くまで話す内容をメモに書いて練習をした。皆にラステマのことを知ってほしい。うまく伝わればいいのだが。


「姫様、大丈夫でございますか?」


 入り口前で壮年の侍女が心配そうに声をかけた。


「妃殿下も無理はしなくていいと申されました。中へ入れば私共もお側につくことは出来ません。本当に、行かれるのですか?」


 心配性の古参の侍女が再三引き留めるので、カトリはその度に何度も頷いて意思表示をしていた。


「シシリもいるから、大丈夫よ」


 安心させるため友人の名も出し説得する。侍女はカトリの勇ましい姿に涙ぐみながら送り出してくれた。彼女の中でカトリは六歳のまま時が止まっている気がする。

 深呼吸をし、案内された部屋へと入っていく。

 カトリは室内を見回した。

 ゲストは既に集まっており、席には座らず挨拶もまばらで、室中は自由にグループを作って会話を楽しんでいた。


「……」


 てっきり挨拶の場は設けてもらえると思っていたので肩透かしを食らった。

 フリースタイルは逆にどう動いていいのか分からず、入り口付近で足が止まってしまう。

 背伸びをして見回し、ようやくシシリの姿を確認できた。

 表情筋は動くことなく心の中では安堵し、手を小さく振って挨拶した。

 しかしシシリは数人の令嬢達と談笑中で、一度こちらに気付いたはずなのに、そのまま顔を背けてしまった。


「……」


 友人と一緒なら仕方ない。

 その輪に進んで入っていく勇気のないカトリは、残念な気持ちで暫くその場に佇んでいた。

 誰も話しかけて来る気配もないので、端に置かれたソファへ腰掛けることにした。


「……」


 やはりこういう場は苦手だ。

 誰もこんな無表情の、口下手な女と話したいとは思わないだろう。

 むしろこの場に自分がいては、せっかくの楽しい時間を台無しにしてしまうのではないだろうか。

 やはり侍女の言う通り、やめておけばよかったのかもしれない。


「……」


 いいや違う。一体私は何のためにここへ来たの? 皆を安心させるため、ウィルロア様の自慢できる妻になるため、これからの自分自身のために、変わろうとしたのではなかったの?

 話しかけられないなら、自分から話しかけたっていいではないか。無表情でも口下手でも、傷つくことを恐れていたら変われるわけがない。

 カトリは意を決し、ソファに座るのを止めて振り返った。


「ねえ、こんな面白い話があるのだけれど……」


 同時に部屋の中心で、四、五人で固まっていた少女達の中の一人が、響き渡る声で話し始めた。

 雑談で騒がしかった部屋が、その令嬢の言葉が合図のようにしんと静まり返った。


「ある国の、身分の高い女性のお話なの。離れて暮らす婚約者に手紙を五十枚も送り付けたんですって!」


 カトリは驚いて固まってしまった。


「ええ!? 本当に?」

「五十枚も!?」


 令嬢は周囲を見回して頷き、「それだけじゃないのよ」ともったいぶって続けた。


「五十枚もあったら封が出来ないでしょう? だから書簡のように筒に入れて送ったそうなの!」


 輪にいた少女達が一斉に大きな声で笑い出した。

 カトリも、そこで自分のことを言われているのだと確信した。


「信じられないわ!」

「なんて可愛げのない!」

「お相手の都合も考えたなら、絶対にやらないわ」


 ひそひそと、部屋の所々で嘲笑と戸惑いが聞こえてくる。

 カトリは部屋の奥で少女達に囲まれて談笑していたシシリを見た。彼女は堂々と背筋を伸ばし、話に耳を傾けるだけだ。

 カトリは混乱していた。

 なぜならこの話はシシリにしか話していないからだ。

 だけど、シシリがこんなことをする理由が分からない。というか、これは本当に自分の話なのだろうか?


「正気かしら。嫌ってくださいと言っている様なものよ」

「そのまま嫌われてしまえばいいのではなくて?」


 扇で隠しながらくすくすと笑っている。

 カトリはショックで押し黙ってしまった。

 そんなカトリの姿に、ようやく視線を向けたシシリ。

 目が合うと、小首を傾げて困った顔をした後、口角を上げて不敵に笑った。


「何をそんなに楽しそうにお話しているのかしら」

「!!」


 嘲笑からざわめきに。ざわめきから沈黙へ。

 突如現れた人物に皆の反応が忙しなく切り替わった。


「私も混ぜていただける?」

「ひ、妃殿下……」


 入り口には、この国の次期王妃となる王太子妃オリガが立っていた。

 オリガはここ最近の集まりには不参加だった。だから予告なしの登場に、しかも会の途中で姿を現したことに皆が驚いていた。


「あら、どうして皆さん黙ってしまうのかしら。先程まであんなに楽しそうに笑ってらしたのに……」

「……」

「どうぞ続けて? それとも、王族の一員になった私には話せない内容なのかしら?」


 誰もが息をするのも忘れ静まり返った室内で、オリガはゆっくりとした動作で近くの席にかけた。

 皆が緊張しながらオリガの一挙手一投足を見守った。

 ふう、と一つ意味深にため息を溢すと、オリガは雰囲気をがらりと変えて冷たく言い放った。


「忙しいからと、淑女の集まりを疎かにするものではないわね。いつからここは低俗な者が集まる場所になったのかしら」


 オリガが放つ怒りに先程まで笑っていた令嬢達はガタガタと震えていた。


「伝統とはいえ、私自身も皆さんに素敵なレディとなれる学びの場を提供したいと願い会を設けました。それが、どうやらこの場に相応しくない者まで呼んでしまったようね」


 重苦しい空気に会話の中心となっていた令嬢達が膝をついた。それに続いて嘲笑っていた者達も腰を折る。


「も、申し訳ござません!」

「わ、私達はただ――」

「言い訳など聞きたくないわ。王族を侮辱した上、両国の和睦にも水を差したのですよ。その上更に家名に泥を塗るつもり?」

「そ、そんなーー!」


 〝家名を汚した〟という貴族の死活問題に係わる言葉に令嬢達が崩れ落ちた。


「ち、違うんです! 私達はただ、そう言えと命じられて――」

「オリガ様!」


 いてもたってもいられず、カトリは人を掻き分け大声で叫んだ。

 視界の隅、青ざめた顔でカタカタと震えているシシリが映ったからだ。

 口をついたものの、皆の視線が集まり、緊張で言葉がうまくまとまらなかった。


「……そうね。私、カトリ様に用があったのだわ。ここで失礼するわ」


 オリガと約束などしていない。身が竦んで動けなくなったカトリを見かねて、助け舟を出してくれたのだ。

 オリガが立ち上がり、皆も礼をとって見送る。オリガはわざわざカトリの所まで来て、肩を抱いて共に退出した。


「あ、あの……」


 部屋を出て廊下を少し進んだ所で声をかけた。


「あの……大事に、しないで下さいませんか?」

「カトリ様がそう望まれるのなら、私から事を荒げるつもりはありません。お灸をすえておいたのであの子達も反省するでしょう」


 その言葉にほっと胸を撫で下ろす。


「それにしてもシシリには困ったものだわ……。悪い子ではないのだけど、幼稚なところがあるのです」

「……」


 何がいけなかったのだろう。

 きっと、無意識にシシリをひどく怒らせることをしてしまったのだ。


「配慮が足りず申し訳ございません」


 落ち込むカトリに何故か謝るオリガ。慌てて首を大きく振った。


「キリク様に頼まれていたというのに。あなたのことだけを見て大丈夫だと判断してしまったわ。そうよね、あなたはウィルロア様の婚約者なんですもの……」

「?」


 オリガは何でもないと手で制し、話を終える。


「あ、あの……。私、うまく出来なくて……話を合わせていただいて、ありがとうございました」

「いいえ。実はカトリ様に、本当に用事があったのです」


 後ろに控える侍女に命じ、カトリの目の前に大きな筒が差し出された。


「ウィルロア様からお返事が届きました」

「!」

「書簡と間違われてキリク様に届いてしまったの。ふふ、あなた達おもしろいわ。似た者同士ですね」


 手紙を書簡で返してきたウィルロアをオリガは笑っていたが、先程の令嬢達の笑いとは違って嫌味は無かった。


「待ちわびた想い人からの手紙でしょうから、きっと早くお読みになりたいだろうと思って。結果的に、カトリ様を助けることが出来てよかったです。きっとウィルロア様がカトリ様の元へ私を向かわせたのでしょう」


 オリガが片目を瞑って微笑みかけた。


「……ありがとうございます」


 手紙を両手で受け取り、頬を紅潮させ大事に握りしめた。

 それからオリガは自身の経験も踏まえ、「結婚前は自分でも気づかないうちにナーバスになってしまうものです」と助言をしてくれた。


「他人の言葉に振りまわされないでください。自分の心と相手の言葉だけ信じていればきっと大丈夫ですから」

「……はい」


 もう一度オリガは優しく微笑んで、その場を後にした。


 カトリはウィルロアからの手紙を大事に抱えながら、私室へ急いで戻ることにした。


「何だカトリ。何の書簡を持っている」


 カトリを呼び止めたのは、次兄で第二王子のユーゴ。

 カトリは足を止め、軽く淑女の礼をとると、書簡と言われた手紙の説明をした。


「これは、ウィルロア様の、お手紙です……」


 実の兄相手にも相変わらずの無表情と抑揚のない声で返す。


「ぶーっ!」


 すると突然ユーゴは、下品にも吹き出して腹を抱えて大笑いした。


「あいつ、馬鹿だろう! 婚約者に書簡を送るって!」

「……」


 カトリは内心で反論した。書簡のような形になったのは、枚数が多すぎて封に入りきらなかったからで、この形状になってしまのは仕方がない。それでもウィルロアまで笑われてしまったことが申し訳なく項垂れる。


「くくく。相変わらず変わった奴だな。それで、どうだった? 初めて会った婚約者の印象は」


 カトリは顔を上げて言葉を選びながら口を開こうとした。しかし返事が遅すぎたのか、初めから聞く気がなかったのか、ユーゴは一方的に捲し立てた。


「相変わらずヘラヘラ愛想を振っていい子ぶってたか? 中身のないただの優男にがっかりしただろう」

「そ、ウィルロア様は、素敵な方ですっ!」


 カトリに反論されたのが気に食わなかったのか、ユーゴは苛立ちながら更に早口で続けた。


「お前も見た目に騙されたのか? あいつはお前が思っているような善良な男じゃないぞ」

「?」

「デルタではお前がいないのをいいことに、紳士の振りをして人の女にちょっかいを出していた」

「――え?」

「どうせラステマでもキャーキャー言われて調子に乗っていたのだろう。想像しただけで吐き気がする」

「ウィルロアを侮辱するなユーゴ」

「!」


 二人は一緒にいたのだろう、時間差で同じ方向から長兄であるキリクがやって来た。

 カトリは動揺を隠して会釈する。


「別に、侮辱してません」


 ユーゴは叱られて拗ねる子供のように、口を尖らせ顔を背けた。

 それからキリクは手紙を一瞥すると、カトリにもやんわりと苦言を呈した。


「たくさん送ればいいというものではない。目を通すウィルロアのことも考えろ。あいつは今アズベルト殿の空いた穴を埋めるのに大変なはずだ」

「……はい」


 カトリは書簡を握りしめて素直に頷いた。


「しかしあちらの王太子も馬鹿な真似をしましたね。王太子が謹慎しているならラステマでは権力争いが起こっているのでは? 内乱が起きれば和睦どころではないですね」


 ユーゴの物騒な言葉にキリクが間髪入れず窘める。


「口を慎めユーゴ。身内だけだからといって他国の、和睦相手に放つ言葉ではないぞ」

「別に。和睦なんてどうでもいいですよ。カトリだってウィルロアが玉座に就いた方が都合いいだろう?」


 そうではなくて、ウィルロアは王位に興味が無いのだと言おうとしたが、それもキリクの言うように余計なことかもしれないと結局口を噤んだ。


「アズベルト殿も気の毒だな。謹慎している間に弟は政務を任されて実績を積み、大国のお姫様と結婚して後ろ盾を得る。これじゃあ王太子の座も危ういな」

「いい加減にしろユーゴ!」

「そんなに怒らないでください。私はただ妹の心配と両国の未来を憂いただけですよ」


 今度は反抗期の子供のようにキリクを睨み返したユーゴ。

 険悪な雰囲気にハラハラしていると、ユーゴが下品な舌打ちをしてその場を後にした。

 数年ぶりに戻ると変わらないものもあれば変わったものもある。

 幼馴染みのシシリ然り、兄達の仲も然り。

 昔はユーゴがキリクを追いかける微笑ましい間柄だったというのに。数年の間に何があったのか。喧嘩までとはいかないが、ギスギスした関係が続いていた。

 ユーゴの背中を見送りながら、肩を竦めて去ろうとするキリク。カトリはその背を引き留めた。


「お兄様! あの、先程の、お話ですが……」

「気にするな」


 ユーゴの話の真意を聞きたかったのだが、カトリに聞かせる気は無いと先に打ち止められた。


「でも……。あの、ユーゴお兄様は、ウィルロア様のことを……」


 よく思っていないのだろうか。キリクが先に気遣って話を遮ったのは分かっていた。それでもカトリはどうしても気になって、珍しく自分から食い下がってみた。


「男というのは、自分が一番でありたがる生き物なのだ。ユーゴは所有欲が強くウィルのようにただその場に居るだけで目立つ者に嫉妬したのだろう」

「?」

「ウィルは何も悪くない」

「??」


 更に前のめりになって聞き出そうとするカトリに、キリクも観念したのか具体的に説明を始めた。


「大事になったわけではない。一時期ユーゴの許嫁がウィルに懸想してな。それをいつまでも引きずっているのだ」


 シシリが、ウィルロア様を?

 そんな話は初耳だ。

 だけど、それなら今までのシシリの行動も、オリガやユーゴの言動も全て結びつく。

 カトリは失念していた。

 ウィルロアには、ここでカトリの知らない十年が存在するのだと……。

 キリクは過去の事だと話して聞かせたが、シシリの行動を考えればそうではないと思った。


「プライドを傷つけられたユーゴが一方的にウィルが誘惑したと決めつけた。勿論、ウィルに特別な感情はなく、ただの社交の一環で当り障りなく接していただけだ。が、あの容姿で人当たりが良ければそれだけで勘違いする少女も少なくはない」

「〝少なくはない〟」

「それがさらにユーゴを不快にさせたのだろう。つまりユーゴのただの逆恨みだ。だからウィルにはなんの落ち度もなく――」

「ウィルロア様は相当オモテになっていたのですね……」

「あ。いや、うん? どうだったかなー」

「……」

「カ、カトリ……?」

「お話聞かせていただきありがとうございました。お先に失礼いたします」


 狼狽えるキリクを残し、カトリは踵を返して部屋へと戻って行った。



 カトリは自室に戻ると、ウィルロアからの手紙をテーブルに置いて生けてある花々を眺めた。

 早く開封したかったのに、今は開けるのが怖かった。

 先程の兄達の言葉が頭から離れない。

 ここラステマではシシリを始め、多くの少女がウィルロアに心奪われたのだろう。あの容姿で大国の王子とあれば、夢見る少女は一瞬で恋に落ちても不思議ではない。

 あまり気分の良い話ではなかったが、だがそれ以上にカトリが気になったのはラステマの現状だった。

 今ラステマでは王太子アズベルトの謹慎と、それに代わって第二王子ウィルロアの大頭に跡目争いが起こっているという。

 更に第二王子ウィルロアがデルタの王女である自分と婚姻を結ぶことにより、ユーゴの言う通りその存在は大いに兄王子を脅かすだろう。


「私のせいで、ウィルロア様にご迷惑を……」


『俺は王になりたくない』


 いつもの物腰柔らかい態度とは別の姿で、本心を語ったウィルロアを思い出す。

 同時に、いつも何かに怯え虚勢を張ったアズベルトを思い浮かべた。

 この人は何を怖れているのだろうと、当時は不思議だった。

 十年、同じ所で暮らせば情も湧く。接点はさほどなかったが、アズベルトが時折庭園にやって来てはぼんやりと花々を眺めている姿は印象的だった。

 そしてあの、間諜の疑いをかけて弟を廃そうとした姿を見た時、全てが繋がった。

 アズベルトはウィルロアを怖れているのだ。

 だがウィルロアは、兄アズベルトを慕っていた。王にはアズベルトが相応しいと認めているのに。当のアズベルトにはそれがうまく伝わっていないようだ。

 今のラステマの状況はどちらにとっても酷だ。

 王になりたいのにその道が遠ざかっていく兄と。王にはなりたくないのにその道が勝手に近づいてしまう弟。

 その一端に、カトリとの婚姻が大いに影響しているとしたら――。

 考えてはいけない考えに、辿り着いてしまった。


「それでも……私は……」


 自身を抱きしめ罪悪感に抗おうとした。そしてウィルロアから届いた手紙に視線を落とす。

 恐る恐る開いて読むと、一枚一枚丁寧に隙間なく、美しい文字が躍っていた。

 手紙にはマイルズ侍従の飼い猫の話や、護衛の方々の居眠りのお話、最近食べたお菓子、それからカトリを心配する言葉と、何一つ、今のウィルロアの大変さが伝わることのない配慮ある手紙だった。

 そして、手紙の最後にはこうしたためられていた。


『式典の前に、どうしてもカトリに見せたい場所があります。約束していた遠出をしませんか?』


 忙しい時期だというのに、ウィルロアは時間を作ると言ってくれた。

 それなのに私は自分のことばかり。


「お兄様の言う通りだわ」


 相手の事情まで頭が回らず、自己満足で送りつけた結果、ウィルロアにいらぬ恥をかかせ迷惑をかけた。

 これではシシリ達が嫌がらせしたくなる気持ちも分かる。無表情で口下手なだけではない。配慮の足らない自分本位な人間が、本当にウィルロアの伴侶として相応しいのか。

 ウィルロアもデルタやラステマでたくさん魅力ある娘達を目にして、カトリの至らなさを痛感していることだろう。

 学ぶべきは礼儀やダンス以外にもあったのだ。

 無性に泣きたくなって部屋に籠って枕を濡らした。

 その日から、カトリは毎夜思い悩み、眠れぬ夜が続いた。


 本人は気づいていないのだが、オリガの心配は的中し、カトリは俗に言うところのマリッジブルーに突入してしまったのであった。


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