新たな火種
数日経っても国王がアズベルトを王城に呼び戻すことはなかった。
ウィルロアの忙しい日々は相変わらず続いていた。
くそー農園に行きたい! 今が大事な時期なのに! くそー農園に行きたい! 今が大事な(以下繰り返し)
政務と会合に忙殺されて、ウィルロアのストレスは溜まりに溜まっていた。
王城にはウィルロアが作った農園があり、気候が穏やかになるこの時期は大事な時期だった。
こうなったら国費をたんまりいただいて土壌改良と品種改良に回してやる!
ここ最近ウィルロアを束縛している仕事は、年に一度ある国費の予算編成だ。
毎年同じ時期に行われていた予算会議は、和睦式典とウィルロアの婚礼で例年より前倒しで行われることとなった。
若き財務大臣のアダムス=シュレーゼンと練りに練って完成させた予算案。
ようやく会議の日を迎え、ウィルロアは満を持して会議室に向かった。
議場内では、予算案について紛糾していた。
国費の割り当てに例年とは大幅に違った箇所があったからだ。
「何故軍費がこんなにも削られるのか! 軍は国防の要だ。軍を蔑ろにすれば国の安全を脅かすことになる!」
国軍代表である副司令官のローデン将軍が、今年度の予算案に異議申し立てていた。
議会は議長であるセーロンが失職したことで、臨時に宰相のレスターが務めていた。
その隣で王族の代表として謹慎中のアズベルトに代わり、ウィルロアが座していた。
「こんな予算認められるか!」
ローデン将軍の口調はどんどん乱暴になっていった。冷静さを欠いているというより、相手が自分より二十も下の若造とあって、威圧的に脅して優位に立とうという戦略だろう。
しかし若き財務大臣であり次期筆頭公爵家の跡取りであるアダムス=シュレーゼンも負けてはおらず、顔色一つ変えず淡々と応じていた。
「そもそも国軍にかける予算が年々増え続け、莫大になり過ぎたのです」
ローデン将軍の威嚇を意に介さず、アダムスは癖毛のオレンジ髪を揺らし、丸眼鏡を押し上げて至極冷静に説明した。
「毎年有り余る予算を次年度に持ち越していますよね。そのおかげで先十年は組織運営できるほど余剰金の蓄えがあります。なにも今年度予算をゼロにするわけではありません。余裕がおありなら毎年かかる最低限の軍費でよろしいのではないですか、と申しているのです」
「蓄え云々の問題ではない! 国の安全を軽視する考えが如何なものかと言っている!」
ウィルロアは議会の上座で二人の応酬を見物していた。
特にアダムスを興味津々に観察する。
強面のローデン将軍相手に一歩も引かない姿。それだけでウィルロアの好感を得た。
頭が回るし話が通じるし身分も申し分ない。加えて度胸もあるとなれば実に頼もしく将来有望な男だ。
同時に彼の髪色と同じ、祖父であるシュレーゼン公爵を思い浮かべた。
ウィルロアの大叔父にあたるアイメン=シュレーゼン卿には、幼い頃によく遊んでもらった。
いや、もらったというよりあれは一緒に遊んだと言った方が正しいかもしれない。
アイメンは子供のような男で、昔からウィルロアをおもちゃのように扱い、揶揄い、苦い記憶を多く残していった。
俺は今でも覚えている。二人で遊んでいた時おじいさまの大事な壺を自分が割ったくせに俺のせいにしやがったことを――。
バレそうになった瞬間、責任をウィルロアに押し付けて素知らぬ顔をしていた。
そしてウィルロアは前国王である祖父にこっぴどく叱られたのだ。
あれから十年ぶりに会ったアイメン=シュレーゼンは、美しく物腰柔らかい完璧王子のウィルロアに、「はぁ?」と訝しんだ。
こっちまで「ぎくり」と声に出そうになった。
あの何もかもを見透かしたような目が、俺は昔から苦手なんだよなあ。
その孫であるアダムスにも警戒しながら接してきたのだが、一風変わって掴み所のない男ではあるが、それを勝る好感が初めから持てたのも事実だった。
「君が財務大臣になって三年! 過去二年はこの予算で通してきたではないか! これが間違いだったというなら先ずは己の過ちを詫びてから頭を下げて願い出るのが筋ではないのか!?」
おおっと? 考え事をしている間も白熱してた。
筋を通せってお前らの金じゃねーし。頭下げる必要だってねぇよ。国費の割り当てを適材適所に振り分けてるんだからアダムスは本来の仕事をしているだけ。これだから脳筋は。筋肉馬鹿はすぐ根性論押しつけしてくるから苦手なんだよな。
議場が軍と財務の衝突にハラハラする中、アダムスが突如立ち上がった。
そして成り行きを見守るウィルロアへ視線を向けた。
……なんだ?
「私は過去二年、同じ進言をしておりました。今年度と違いがあるとすれば、それは担当がアズベルト殿下からウィルロア殿下に代わったことでしょう」
ざっと視線がウィルロアへ集中する。
こ、このやろ……!
「ですから私に落ち度はありません。頭も下げません。このまま予算も通します」
言いたいことだけ言うと着席し、丸眼鏡を押し上げてあさっての方を向いた。
こいつ……! 全責任を俺に押し付けやがったな!?
それはまるで過去に壺を割って逃げた祖父のように。
先程までの騒がしさが嘘のように、会議の間は静まり返ってしまった。
くっそ、特大の爆弾投げやがって。
ウィルロアは内心でアダムスを恨んだ。
ただでさえ王位が揺らいでいる微妙な時期に、あの言い方ではアズベルトとウィルロアの対立構造と見えかねない。
軍は筋肉繋がりでアズベルトの統治下にあった。
彼らの間柄は昔から根強く深いもので、軍がアズベルトを支える最大派閥と言っても過言ではない。
貴族の二大派閥がこの王位争いを静観している中で、軍の存在は王位継承に有利に働いていた。
ウィルロアだって筋肉はないが別に軍と仲が悪いわけではないし、敵に回したいわけでもない。
アズベルト不在に軍の改革をしたら、いよいよウィルロアは玉座に欲を出したと思われるだろう。
だからウィルロアは極力前に出ないようこっそり予算案を通そうとした。
アダムスめ。これを分かってやっているなら相当質が悪いぞ。
軍=アズベルトとの対立は避けるべきだ。脳内の小ウィルも警告を出している。
さて……どうするか。
たっぷりと時間をあけ、ウィルロアは仕方なくという体でアダムスの後を請け負った。
「軍費を削るよう進言したのは私だ」
ウィルロアのきっぱりとした意思表明に、会議の間は騒然とした。
弟王子が兄王子に反旗を翻したのだ。
避けられない運命とはこういうことを言うのかもしれない。
別にアズベルトを蹴り落とそうなんて考えていない。だが同時にアダムスに反対するつもりもない。軍費の削減は、いつか誰かがメスを入れなければならない案件だった。
「ここ数年は軍を動かす程の戦は皆無だ。国境警備に重点を置くだけなら、ここまでの予算は必要ないと考える」
「お、王家の代表が国家の安全を軽んじる発言をなさってはいけません!」
「私もアダムスも軽んじてなどいない。有事のような予算は過剰だと言っているだけだ。軍費の貯蓄は十分にある。戦が始まっても補えるだけの予算があるなら、暫くは予算を他に割り当てるのが妥当じゃないか?」
「し、しかし――」
「何もこの削減案を永年やって行くとは言っていない。情勢に合わせ適材適所に国費も使わねばならないだろう。国を守るのは軍事力だけではないはずだ」
ウィルロアの毅然とした態度に、ローデンは顔を強張らせていたがそれ以上の異議は申し立てなかった。
顔こわっ。
でもこれで引いてくれてよかった。長引くようなら次の会議では、軍師ファーブルが出てくる可能性もあった。軍を納得させるにはファーブルが不在の今日しかなかった。
腰痛で欠席とか、マジでタイミングよかったわ。
アズベルトの権力が及ぶ内は安泰だった軍も、この一件で後ろ盾がなくなれば危うくなると感じたはずで、ウィルロアへの反発は避けられず、恨みを買っただろう。
それでもいいよ。俺は王になるつもりはないから。国のための汚れ役なら進んで買って出てやるさ。
「お手を煩わせて申し訳ございません。財務大臣には私から注意しておきます」
隣に座るレスターがウィルロアに耳打ちした。
会議の再開を進行するレスターを横目で見ると、彼はローデン将軍を黙らせたウィルロアに嬉しそうだった。
ほんと、こいつは読めねーな。
そしてアダムスもこちらへ笑みを浮かべ軽く会釈した。
そんでお前はほんとな、じーさんそっくりな性格しやがって後で覚えとけよ!
呆れながらも顔には出さず、いつものように仮面を被って笑顔で返した。
「軍費を削減した分は食糧危機への貯蓄へ回します。食料危機は三年に一度のサイクルでやってきます。王城の農園以外では既に兆候が表れておりますので――」
多少の火種を残し、その日の内に予算は決議された。
怒涛の予算会議を終えると疲労困憊。ベッドで今すぐゴロゴロしたい気持ちを抑え、執務室へ向かった。
マイルズが主の帰りを待っていた。
「心配されていた予算が決議されたそうで、おめでとうございます」
「慣れない仕事だったけどうまくいって良かった。貴重な経験をさせてもらったよ」
大仕事が一段落し、支えてくれたマイルズにも労いの言葉をかけて執務机へと向かう。
うはー。また書類が増えてるしー。
机の上に積み上げられた書類の束に内心辟易していると、マイルズが嬉しい報告をしてくれた。
「カトリ王女から手紙が届いております」
「え!」
それはなんというご褒美か!
ウィルロアはマイルズに駆け寄って手紙を受取ろうとした。
「あの、机の上に置いてございます」
「ああそうか! ありがとうありがとう……」
再び執務机に戻ってウキウキと手紙を探す。
「……? 見当たらないのだが?」
机の上には積み上げられた書類ばかり。
するとマイルズが言い難そうウィルロアへ告げた。
「そちらの、書類のように積み上げられた部分です」
ウィルロアは目を疑った。
よく見ると色のついた用紙に見覚えのあるカトリの字が躍っている。だが――。
これ、一体何枚あるの?
「五十枚ほどございまして、我々も手紙と気づかず開封してしまいました。申し訳ございません」
「ごじゅっ、いや、大丈夫だ。はは。そうか。嬉しいな~」
動揺を隠し必死に完璧王子の仮面を被る。
「デルタに着いたら手紙を書くと約束したんだ。きっと張り切ってくれたのだろうな。カトリ王女は日頃から日記を書いていてね。書き始めたら筆が止まらなくなったのかな? それだけ重、想いが込められているなら、私としても嬉しい限りだ。ははは」
「そうですね」
「その……、返事はさ、何枚くらいで返すのが失礼じゃないと思う?」
女性に手紙というものを書いたことの無いウィルロアは、恥を忍んでマイルズに意見を求めた。
五十枚も寄こした相手に一、二枚で済ませるのは失礼ではなかろうか。
「さん、二十枚程が妥当かと」
「にじゅっ、そ、そうだよね。うん……。後で書くから部屋に持ってきておくれ……」
嬉しいはずの手紙も、返信を考えれば気が重くなり、今夜は徹夜決定! と己に言い聞かせたウィルロアであった。




