人目を避けて忍び込む理由
人生最大のピンチを切り抜けたウィルロアは、私室に戻って来た。
「殿下! 御無事でなによりです!」
騒動の知らせを受けたウィルロア付きのメイドが心配そうに扉の前で待機し、主の無事を確認すると皆手を取り合って喜んだ。
「みんなに心配をかけさせてしまったね。特にロイとサックスには助けてもらった。とても心強かったよ、ありがとう」
臣下を労り、ここにはいないマイルズも後で労おうと思いながら扉に手をかけた。
「甘いお菓子と紅茶をお持ちいたします」
「ありがとう。それなら同じ物をみんなの分も用意してくれ。私からのささやかなお礼だ」
頭を垂れる臣下達に背を向け、余裕を見せながら今度こそ私室に入った。
しっかりと扉を閉めて鍵をかける。
「あっぶねー! 俺あぶなかったー!」
余裕の表情など吹き飛んで、化けの皮を剥がしたウィルロアは先程の危機的状況を思い出し、身悶えながら絶叫した。
デルタ王国との親密な関係を疑われ、カトリの婚約者という立場を剥奪されかけた。更にはアズベルトの代わりに――。
「ひぃっ! 口にするのも恐ろしい!」
あまりの衝撃に思い出したら変な声まで出てしまった。
温和な国王が珍しくキレて違う意味でウィルロアは絶体絶命のピンチになるところだった。
「アズベルトが王太子剥奪されたら次に白羽の矢が立つのは絶対俺じゃん? 悠々自適でしがらみのない自由な暮らしが、俺のライフプランが! 全て水の泡になる!」
だからウィルロアは必死で止めた。
国王を説得し、アズベルトの王太子剥奪を阻止した。
それは優しい王子を印象付けたかったからでも、アズベルトを許したわけでもない。アズベルトにはこのまま王太子として居続けてもらわなければならない。
「俺は! 絶対! 王になんてなりたくないんだよ!」
「そうなのですか?」
「そう! …‥‥!?」
ウィルロアは3センチ飛び跳ねて振り返った。
「カ、カトリ、王……女?」
またしても私的密室空間に他人がいるという衝撃。
カトリは動じることなく無表情で壁際に佇んでいた。
おおぉい護衛、じゃないメイドだな!? メイドもか! マジで俺付きの臣下無能じゃん!
今度全員を集めて勉強会をしよう。
『人が来たら知っている人でも勝手に部屋にいれてはいけません』
『お客様がお待ちなら先に主に伝えましょう』――と。
頭を抱えるウィルロアにカトリが側に寄る。
またしても失態を見られてしまった。
カトリは黙ったまま、じっとウィルロアを見つめていた。
「ええと、その……」
言いたい事は色々あるのだが、先ずは「また一人でいらしたのですか?」と丁寧に訊ねた。
口の悪さを知られて今更な気もするが、カトリの好んだという完璧王子の姿で対応することにした。
カトリは十分に間を開けて「はい」と返事をする。
ウィルロアは内心ため息を溢しカトリをちらりと盗み見た。
困ったお姫様だ。なんで供も付けず一人で来ちゃうかなー。また俺が気を使わなくちゃならないんだぞ? カフスボタンはもう使ったし、今度は何を言い訳にしようか。
「ずっと……」
「?」
「ウィルロア様に会えたなら、お礼がしたかったのです」
カトリは深く腰を折ってウィルロアに礼をした。
「あの時は助けていただき、本当にありがとうございました」
「……」
何故二度も供を付けず忍ぶように会いに来たのか。やっと合点がいった。
「何のことです?」
カトリの目的が分かっても、その話をするつもりがないウィルロアは敢えて知らぬふりをした。
「お礼ならば私の方が王女にしなければなりません。先程は不甲斐ない姿をお見せしてしまいました。王女とキリク王子には私の尊厳と立場を守っていただき、心より感謝申し上げます」
本当に二人には感謝しているし、後でこちらから訪ねるつもりだった。
だがカトリの目的を知った後とあって、明らかに話を誤魔化したウィルロアに、カトリは無表情のまま小首を傾げた。
「あの……」
「はい」
また話を蒸し返されるのではないかと警戒を強める。あの時の話をされても誤魔化すつもりだった。
カトリは声を落として訊ねた。
「あの、『カトリ』と、呼んでいただけないのですか?」
「!?」
じっと見つめてこちらの様子を窺うカトリ。
ウィルロアの顔がみるみる赤くなり、思わず顔を背けた。
今それを言うか? あーもう! いつもの調子でいられない!
「その……、カト、リ」
「はい」
「……私との結婚に、あの時の恩を感じているのなら気にしなくてもいいのです」
言った後に後悔する。
さっきは知らない振りをしたくせに、引き合いに出して滅茶苦茶なこと言い出してるし、カトリの気持ちを遠回しに試すようなことして格好悪すぎだろ。
あーもう調子狂う。こんなのいつもの俺じゃない。
「恩は……、勿論ございます。ですが、私がウィルロア様と結婚したいのは、また別のお話です」
俺を選んでくれた理由が他に君にあるのなら、それは何? という疑問は淡い期待も芽生えて聞きたいけど結局怖くて聞けなかった。
「カトリ、俺と結婚する気あったんだね」
諦めに似た感情で言葉がぽつりと口から零れた。
今まで誤解していたのかもしれない。
二度も醜態をさらしたというのに、カトリはウィルロアを避けるどころか結婚を前向きに考えてくれているようだ。
もしかしたら彼女も自分と同じ想いを抱いてくれているのかもと、期待が幸福となってウィルロアの心の中に広がった。
しかし早とちりに傷ついた経験を二度もしたウィルロアは、甘い考えに首を振って振り払った。
***
『カトリ、俺と結婚する気あったんだね』
え?
ウィルロアの言葉にカトリの色白の顔から血の気が失せて、ますます青白くなっていった。
ウィルロア様は、私と結婚する気が無いの?
「――っ」
はくはくと動く口からは上手く言葉が出てこない。
こちらを不思議そうに眺めるウィルロアに、カトリは自分を鼓舞するように胸の前で拳を握り、必死に訴えた。
「あ、わ……」
「ん?」
「わ、私達の結婚は、和睦の条件に盛り込まれています! だから、結婚は避けられません。絶対に。わ、私のことがお嫌でも、絶対、しますから。結婚しますから!」
自分で言っていて泣きたくなる。
勢いで思わず大きな声になってしまった。羞恥で俯く。
「ごめん」
なぜウィルロア様が謝るのだろう。
「勘違いしてたみたい」
「?」
ウィルロアが一歩前に出たのでカトリとの距離が縮まる。
見下ろすように見つめるのでカトリの心臓は激しく脈打った。
真っすぐ見つめられる水色の瞳に吸い込まれそうで、気恥ずかしくて目を逸らしてしまった。
こんな時、自分の表情が恥じらいで可憐な姿であればいいのに、実際は真逆の可愛気のない無表情だと知っていた。
何度も鏡の前で練習したがうまくいかなかった。眉間に皺が寄って涙を溜め、唇を噛みしめて怒ったように頬が紅潮している。なんとも不細工な顔になっていることだろう。
「可愛い……」
「!?」
かわ!? え? ウィルロア様、私のことを可愛いと言ったの? 本当に?
「今、なんと――」
「あ!」
呆けるカトリにウィルロアは驚いて口を抑え、視線を逸らした。まるで思っていたことが意図せず口をついてしまったかのように。
よく見れば耳から首が真っ赤に染まっている。
「二回は言わない。恥ずかしいから」
ぶっきらぼうに呟くウィルロアに口から心臓を吐き出しそうになった。
いやいや可愛すぎるのはあなたの方ですよ!?
美形のはにかみって破壊力があり過ぎる。
「あのさ」
「は、はい」
「……」
「?」
「言うよ」
「は、はい」
「……ぎゅうしていい?」
ぎゅう!?
すうっと内心の衝撃に反し、表情は無に戻っていった。
「……それは、抱きしめるというこここ、ことですか?」
しかし衝撃発言に対して心の動揺までは隠しきれない。
「だから、恥ずかしいから二回は言わないって。……嫌なら、抵抗して」
嫌なわけがないし抵抗できるわけがない。
ただ気恥ずかしくて、戸惑う気持ちを抑えるのに必死で固く目を閉じた。
だがすぐにそれが失敗だったと気づく。
目を閉じると余計にも感覚が鋭くなり、ウィルロアの気配を鮮明に感じた。
戸惑うように腰に回された手の温もり。
「っひゃあぁ」
思わず変な声が出てしまった。死にたい。
無意識に腰が引けると、ウィルロアの添えた手は力強くカトリを引き寄せた。
勢いのままウィルロアの固い胸板に顔を埋める様に飛び込んでしまう。
そっと背中に回された腕の中で、カトリは直立不動のまま息が止まってしまうのではないかと思った。
「助けに来てくれて、ありがとう」
掠れた声で囁くウィルロアの吐息がカトリの髪にかかる。
「不甲斐ない婚約者でごめん。俺なんかよりずっと、ずっとカトリは勇気がある……」
ウィルロアの言葉に何故か泣きそうになった。
抱擁は一瞬だった。
ぎゅうと言うほど力強く抱きしめられたわけでもなく、直ぐにウィルロアが体を離してしまうので何だか物足りなさが残る。
うっすら目を開けると彼は既に元の位置に戻り、恥ずかしそうに微笑んでいた。
「……」
熱を帯びた体は一向に冷める気配はなく、離れてしまえば急に寂しさが増していった。
「……離れたくないです」
気付くと口からするりと願望が言葉に出ていた。
「す、すみま――」
「あのさーそういうセリフはさー男の前で簡単に言っちゃいけないよ?」
「?」
「今度は離れてほしいって言っても離さないし、痛いって言っても緩めないからな?」
「!」
カトリのおかわりは採用された。
今度は両手を広げて待ち構える態勢を取ったウィルロア。
あ、これ私が飛び込むパターンですね?
カトリはごくりと喉を鳴らし、無表情のままじりじりと近づいた。
力強い抱擁、望む所です!
「殿下ぁ王女様のお迎えがぁ来ましたぁ!」
二度目の抱擁は、扉を叩く音で邪魔が入り寸でのところで実現しなかった。
ウィルロアは直ぐに切り替え、柔和な笑みを浮かべて颯爽と扉へ向かっていった。
「……」
「ああ姫様! 勝手に一人で出歩かれては困りますぅ!」
「王女は私を心配して駆け付けてくれたのだ。あまり怒らないでやってくれ。二人きりになったのも時間にして数分だ」
先程のやさぐれた感じが嘘のように、もうウィルロアは完璧王子に戻っていた。
カトリだけがいつまでも、先程の甘い余韻から抜け出せずにいた。
こんな時、素のウィルロアならこう悪態をつくのだろう。
折角いい所だったのにもう少し空気を読んで! と。




