デルタの意思
国王とウィルロアの問答を聞き、執務室にいた一同は言葉を失っていた。
うーんと、これやばいよね。明らかに俺劣勢。
「情報を得た相手をここで言うことはできません。しかしその人物は信用のおける者で、危険を冒してまで我々に忠告をしてくれたと断言します。その者に他意はありません。それから、確かに警備図案は私が命じて入手しました。しかしそれは私も間諜を捜していたためです。犯人を捜す手段として情報を得たのであって、他に情報を流すためではなく、その事実もありません。したがって私がラステマを裏切って和睦を阻止しようとしたわけではありません」
ウィルロアは反対組織の人間ではない。真実なのにどうしてこうも嘘っぽく聞こえてしまうのだろう。
「それは分かっている」
それまで黙っていたアズベルトが口を開いた。
俺を陥れた張本人であるアズベルトが。
「和睦の象徴であり婚姻を結ぶ予定のお前が、わざわざ式典を壊す理由はない」
そ、そう! なんか予想外の所から援護射撃があったんだが……。
あれ? だけど間諜の疑いがあるってお前が言ったんだよなアズベルト!?
「我々が疑っているのは、お前がデルタの間諜ではないかということだ」
「!?」
「情報を得た相手も、恐らくオルタナかリジンか、とにかくデルタの人間なのであろう? お前はデルタ人と親しく、デルタの情勢に精通している。またその逆も然り。ラステマの王族として機密情報を知れる立場にあり、ラステマの情勢に精通している。つまり、お前の気持ち次第で簡単に情報をデルタに売れるという危うさを孕んでいるのだ」
ぐえー。援護射撃だと思ったら致命傷に一発撃たれてしまった。
「お前は長らくデルタで暮らしてきた。既にデルタ側に染まっていたとしても不思議ではない」
「言い過ぎだアズベルト」
陛下が頭を抱え、溜息を溢した。
ここに来てウィルロアの立場の危うさが明確にされてしまった。
だから俺は、政治に関わるべきじゃないと思っていたんだ。思ってたのに結局関わってこの様だよ。俺ばーか。
「否定しないのか?」
「もちろん全くの誤解です。警備図案もそれ以外の情報も、今までに一度もデルタに提供したことはありません。私は……、国は違えどもずっとラステマの王族としての誇りをもって暮らしてきました。この身体にはラステマ人の血が流れております。ですが兄上は、信じて下さらないのでしょうね……」
「ああ。お前の未来に不安要素が多すぎるのだ。お前がこのままカトリと結婚をすればラステマの未来が危うい。私にはこの国の王太子として危機を回避する責務がある」
だから条約に明記される文言を、ウィルロアではなくラステマ王子に変更するというのか。
はっ! くっそアズベルトお前が言いたいのは結局そこなんだろ? 諦めた振りして結局未練タラタラじゃねーかバーカ! 俺を油断させて後ろから突いてきやがってこの卑怯もの!
「お待ちください」
そこでやっとウィルロアの(おそらく)味方であるレスターが口を開いた。
「カトリ王女とウィルロア殿下の婚姻は、ラステマ、デルタ両国の民が望んだものです。勝手に結婚相手を変えては和睦の締結自体が危ぶまれます」
「宰相ともあろうお方が何を仰っているのやら。危ぶまれるのは我が国の安全です」
レスターに応戦したのはセーロン議長。
「それは誠にウィルロア殿下がデルタ側に寝返っていた場合だろう。本人は否定しておられるし証拠もない」
「それは無実の証拠もないということだ」
レスターとセーロンの応酬に国王が咳払いをして止めた。
これ以上は水掛け論だろう。
結局は間諜なんて関係なく、アズベルトはウィルロアに難癖をつけてカトリとの結婚を邪魔したいだけだ。
お前がカトリを簡単に諦めたと思った時は情けないと憤慨したが、ここまでくると大概しつこい。何より陛下と、国をも巻き込んだお前のやり方は気に入らないね。
ウィルロアは一歩前に出てはっきりと意思を示した。
「カトリ王女の婚約者は、後にも先にも私です。たとえ兄上でも、譲るつもりはありません」
「なんだと!?」
間諜だ裏切り者だと侮辱されても腹は立つけどまあいいよ。だけどな、これだけは、カトリとの結婚だけは譲る気はないんだよ。
二人の王子の睨み合いに、場違いなセーロンの声が部屋に響く。
「そうまでしてデルタの後ろ盾が欲しいのですか?」
「何だと!?」
「口を慎めセーロン!」
即座に反論したのは近衛騎士団長のサイラスとレスター。
は? 何こいつ。
「無礼は承知でございます。この国の未来を憂う一臣下として、どうか発言をお許しください!」
ふざけんなよ。誰が許すか。
「許す」
お前が許すんかい! こんのアズベルトぉぉぉ!
「噂ではウィルロア殿下は王位に全く興味が無いとか。しかし、ここまでカトリ王女との婚姻を強く望まれるのは何故でしょう? まるでデルタの後ろ盾を得て、何か事を起こそうとしていると疑われても仕方ありません」
「貴様いい加減にしろ!」
「先程から貴殿のウィルロア殿下に対する態度は目に余るものがある」
「サイラス! レスターも、陛下の前で声を荒げないでくれ」
お前ら落ち着け。分かるよ? さっきからすごい失礼な態度だよな。ありえないよな。でも、お前らが怒ってくれるから、俺すっごい冷静でいられる。味方がいるのは心強い! ありがとう!
「セーロン。君の言う通り私は王位には全く興味が無い。カトリ王女と結婚したら王籍も外れるつもりだ。だがカトリ王女との結婚は、デルタの後ろ盾があろうとなかろうと譲れないんだ」
ウィルロアは皆を落ち着かせるためにゆっくりと丁寧に語りかけた。
そして議論が紛糾している間も静観していた陛下が、やっと重い口を開く。
「この婚姻は、十年デルタで暮らしてきたウィルロアこそが望ましい」
「!」
「アズベルト、セーロン。これはデルタ側の意思でもあるのだ」
『デルタの意思』という言葉に、ウィルロアの胸はちくりと痛んだ。
「『デルタの意思』……ですか」
逆にアズベルトとセーロンは、その言葉を待っていたかのように不敵な笑みを浮かべた。
嫌な予感がする。
「『デルタの意思』と仰いましたが、陛下はご存知ではないのですか? 実はデルタが、最初からウィルロア殿下を望んでいなかったと……」
レスターとサイラスが驚いた顔をした。
「その事実は陛下もご存じのはずだ」
アズベルトの代弁を、国王は否定せず黙認した。
理解できないサイラスが顔色を伺いながら訊ねた。
「……どういうことですか?」
「ははは! そのままの意味だ。デルタはカトリの結婚相手に、ウィルロアではなく私を望んでいたのだ!」
場違いなほど高らかに笑うアズベルトに、セーロン以外の皆の眉間が険しく寄った。
「十年前、この婚姻は両国の和睦の象徴として結ぶことが決定した。そもそもが、ウィルロアに限った話ではなかった」
「……」
「ここに極秘に入手した当時のデルタ王とのやり取りが書かれた書簡がございます」
セーロンが取り出したのは紺色の書簡。
ああそうか、この二人はあの時、中庭でウィルロアと鉢合わせした時には既に、計画は佳境に入っていたのだ。
そして書簡から意識を逸らすためにその場を離れ、計画を誤魔化し、自分を油断させるために寄り添う振りをした。
まんまと信じて、バカだなー。
「ここには当時デルタ王が、愛娘カトリ王女をアズベルト殿下の元へ嫁がせたいのだという文言がはっきりと明記されています」
「……」
ついにこの時が来てしまった。それも、最悪のタイミングで……。
可能性としてはあっても、怖くて言葉に出来なかった最悪のシナリオが、ここに来て表沙汰にされてしまった。
和睦の象徴としてデルタで暮らすことになったウィルロアは、ずっとカトリと結婚するのだと思っていた。
それが自分の運命だと。
だがその裏には両国の思惑があり、全く表向きとは違っていた。
俺は、身代わりの人質だったんだよ。しかも使い捨てのな。
仮和睦宣言の折、ラステマには王女がいなかったので友好の婚姻を結ぶためにはカトリ王女をラステマの王子が娶ることが先ず決定した。
そしてラステマには二人の王子がいた。
兄アズベルトと、弟ウィルロア。
デルタははじめ、自国の王女を次期王となる王太子アズベルトに嫁がせるのが望ましいとした。
しかしラステマは、当時敵国であった危険な場所に単身王太子を送ることを渋った。
そこで白羽の矢が立ったのが、もう一人の王子である弟のウィルロアだった。
デルタはウィルロアを婚約者とするのをあっさり承諾した。
受け入れたのではない。ラステマにはアズベルトが残り、カトリが同じ城内で暮らしていくのなら、逆に好条件と思ったのだ。
自国の王女を兄王子に嫁がせるために、それがより親密になれる状況だと条件を呑んだ。
そしてラステマも、当時は密かにその可能性を期待していたのだろう、アズベルトには長らく婚約者を設けていなかったのだから――。
デルタはカトリを王妃にしたかった。
ラステマは王太子を守りたかった。
俺は、ただの身代わりで捨て駒だった。
だからデルタにいた時から、いつ自分がお払い箱になるのか。いつ婚約者の役を降ろされるのか。先の見えない恐怖は心の奥底に隠していても、いつもウィルロアの側にあり怯えさせた。
だが結局は十年、ウィルロアが不要の烙印を押されることもなく、そのまま自分がカトリと結婚することが決まった。
そう、知らぬ間に風向きは変わっていたのだ。
『我々はお前だからこそ大事な妹を任せるのだ。これは私一人ではなくデルタの意思だと受け止めてくれて構わない』
『婚姻は、十年デルタで暮らしたウィルロアこそが望ましい』
このまま、自分がカトリの婚約者でいいのかと喜んだ。
期待しては取り消された時に傷つくと考えないようにしていた。それでも、喜びは隠し切れなかった。
十年で皆の考えが変わっていったのだと、俺がカトリと結婚するのだと、煩わしいと、面倒臭いと言いながら、心の底から喜び、そして覚悟し、強く願った。
このままカトリと結婚し、何のしがらみもない静かな暮らしを、彼女と――。
「このように! デルタ国王はカトリ王女を王太子であるアズベルト様へ嫁がせ、王妃となることを望まれています! ウィルロア様を望むというデルタの意思とは、一体何処から、誰が言ったものなのでしょう! どうぞ我々の様に書簡でも証人でも納得のいく証拠を提示いただきたい!」
ゆっくりと瞼を閉じ、浮かんだのはあの濃く美しい茶の大きくな瞳を宿した無表情の彼女の姿だった。
……遠出、できなくてごめんな。
ウィルロアの、十年願ったささやかな想いは、これで消え失せた。
「証言でいいのなら私がその役目を引き受けよう」
突如執務室の扉が開かれた。
堂々とした姿で勝手に入って来た男に、一同は振り返って目を見開く。
扉の前にはここにいるはずのない男が立っていたからだ。
「キリク!?」
先程帰国の途に着いたと聞いたのに、何故ここに、というか国王の執務室に他国の王子が乗り込んでくるなんて滅茶苦茶じゃないか。
護衛は何をして――と思ったら俺の能無し護衛たちが陛下の護衛を押さえつけている……のは見なかったことにしよう。
「キリク王子よ、何故ここに? 先程出国されたのではないのか」
「オルタナ公爵から連絡を受けて引き返して参りました」
一同が呆然とキリクを見つめていた。
「陛下、只今の話はデルタも無関係ではないようです。デルタの代表として私にもこの場で発言するのをお許しください」
「勿論だ」
突然の登場と無礼にも、陛下は事の重大さで大目に見て了承した。
キリクは前に進み、ウィルロアと視線を交わすと小さな声で一言かけた。
「間に合って良かったよ」
「! キリク……!」
馬鹿野郎……!
無理はしないでくれ。自分の事だけ考えろ。俺を庇うために下手なことはしなくていいんだ!
視線で想いを伝えたが、キリクは微笑むだけでそのまま陛下の前まで進む。
それからゆっくりとした動作で礼をとると、横に数歩ずれてこちらに振り返った。
「外で話が漏れ聞こえてきたが、何やら我が国の書簡を持ってデルタの意思がどうとか申した者がいたな」
「う……」
セーロンが紺色の書簡を背後に隠したが既に手遅れだった。
「我が国に間諜を送って機密書類を盗んでいったのはあなたか」
「わ、私は――」
「ついでに私を騙したな。あなたは書簡を入手させた間諜を使い、自国で不穏な動きがあると嘯いて私達をラステマから追い出した。その間にウィルロアを排除するつもりだったのだろう」
「ち、ちが」
「君達の不穏な動きを察知したオルタナ将軍のおかげで引き返せることができた」
セーロンは顔を青ざめ、既に反論できない所まで追い詰められていた。
「君への断罪はラステマ国王に委ねよう。それで、デルタの意思と言ったか?」
デルタの意思。デルタ国王がアズベルトとの婚姻を望んでいたという事実。
それがデルタの意思だというのならば、デルタの後継者であるキリクは何を発するのだろう。彼の言葉を皆が固唾を飲んで待った。
「たしかに当初はアズベルト殿との婚姻が望ましいと思われた。しかし情勢は常に変わっていくのだ。デルタの考えはこの十年で変わった」
「な、なんですと!?」
余裕の表情を浮かべていたアズベルトの眉間に皺が刻まれ、セーロンも口を大きく開けて驚愕の声をあげた。
「ウィルロアがデルタの考えを変えさせた」
俺が……?
「ウィルだから結婚させる。ウィルだから国民が納得している。ウィルだから――」
キリクの言葉に皆の注目が集まっていた。そこへ突如『ばたん!』と扉が勢いよく開けられた。
一同は驚いて後方を振り返る。
「ウィルだから、カトリを任せられる」
再び勢いよく開けられた扉。
またうちの無能護衛が関係しているのではとハラハラしたが、扉を守る護衛やうちの護衛達も呆気に取られ、侵入者を呆然と眺めていた。
「お兄様、待って、くださいと申したのに……!」
「カトリ?」
息を切らし、ドレスの裾を掴んで立っていたのはカトリだった。
「私は――」
カトリは瞳に強い意志を宿し、か細い声ではなくはっきりと部屋中に響く大きな声で宣言した。
「私は、ウィルロア様以外の方とは結婚いたしません! 以前からお父様にも、両陛下にもそう申し上げていました!」
登場するや否、あまりの大声と剣幕に、その場に居た全員が言葉を失った。
ウィルロアは山火事での話を思い出していた。
啖呵を切った無口な王女。信じられないと思っていたが、今の姿を見て納得した。
この子、やっぱりキリクの妹だわ……。
あまりの衝撃に皆が目を丸くし、呆然と立ち尽くす。
逆にカトリの荒い呼吸は徐々に落ち着きを取り戻し、視線が集中していることに気付くと先程の勢いはどこへ行ったのか、突如真っ赤になって金魚の様に口をはくはく動かし小さくなってしまった。
ウィルロアを救うために息を切らして駆け付け、我を忘れて勢いで叫び、正気を取り戻すと次第に恥ずかしくなった、といったところか。
「って、かっこよすぎだろ……!」
思わず口から滑り出た素の呟きすら、誰にも聞こえることなく衝撃は続いていた。
「『デルタの意思』とは、『カトリの意思』でもある」
最後にキリクがそう告げた。




