窮地
ウィルロアに間諜の疑いがかけられた。
連行しようとする兵とウィルロア付きの護衛とマイルズが睨み合い、廊下では一触即発の緊張が漂っていた。
「そこをどけ!」
「誰がどくかよ」
「我々はウィルロア殿下をお連れするよう命じられている!」
「お前らに命じたのは誰だ」
「……」
「一体誰の命令でここに来た!」
兵士は軍所属で見慣れない者達だ。
ロイとサックスが引き渡しを拒絶し、殺気を纏っているものだから逆にウィルロアは冷静になれた。
どういうことだ? 俺が間諜だと?
あまりに馬鹿げていて怒りさえ湧いてこない。
ウィルロアにスパイなどという高度な仕事がこなせるわけがないし、全く身に覚えがないのだから誰かが自分を嵌めようとしているのは明らかだった。
「お前達、下がれ!」
兵の後方から現れた新たな人物は、この国の宰相であるレスター=カンタールだった。
「ウィルロア殿下は私がお連れする」
「父上!?」
彼の息子であるマイルズも動揺していた。
まさか、レスターが俺を?
「カンタール宰相、しかし我々は――」
「こちらは陛下の御命令だ」
「!」
再び顔を見合わせた兵は、陛下の命令に逆らうわけにもいかず渋々退散していった。
どうやらレスターとこいつらは仲間ではないらしい。
だからといって解決したわけではない。レスターも自分を連行しに来たのだから。
しかも陛下の命令で――。
慌ただしかった廊下にはウィルロア達だけが残され、不気味な静寂が流れた。
「子細を説明いたします。殿下、御移動を。場所は会議の間から陛下の執務室へ移されました」
「……わかった」
どうにもこうにも、先ずは話を聞かなければ始まらない。陛下の命令ならばいくら王子であるウィルロアでも拒否権はない。
護衛は警戒を緩めることは無かったが、ウィルロアが動き出すと前を開け、マイルズと共に後方から付いてきた。
「先ずは順を追ってご説明いたします」
並んで歩きながらレスターは事の成り行きを話した。
今日はデルタ側と和睦式典に関する取り決めに、合意のサインをする予定だった。
会議の間で作成された文書が読まれていた。キリク王子を始めとしたデルタの使者と、ラステマ国王並びにアズベルト、大臣たちが参席していた。
「会議が始まり数刻のことです。デルタの侍従が慌てた様子でキリク王子に何かを伝えました。王子は自国で問題が起こり、直ぐに帰国をしなければならなくなったと申されました。何があったのかは分かりません。オルタナ公爵をご自身の代役に立て、挨拶もままならずカトリ王女を連れてラステマを出立されたのです」
デルタの代表者であったキリクが突如帰国の途に就いた。
本来合意には国王とキリク、それから教皇庁から派遣された使者の三人で成されるはずだったのだが、急遽オルタナ公爵に代役が立てられ、会議は一時間後に再会される筈だった。
「取り決めには『確固たる意志』の条件に則り、教皇庁に提出する正確な文言が決められておりました」
『確固たる意志』
――デルタ王国とラステマ王国は、カトリ王女とウィルロア王子の婚姻を以って和睦を成立することとする――
それは十年前、両陛下が仮和睦宣言の時に提示した文言そのままだった。
「ところが直前になってラステマの一部から、ウィルロア王子という名指しではなく〝ラステマの王子〟という表記に変更が望ましいという意見が出たのです」
「――っな!」
それは暗に、アズベルトにも可能性を残すべきだということだ。ウィルロアではなく、アズベルトがカトリと婚姻を結ぶのを望んでいると言っているようなものだ。
一体何処の誰がそんなことを……。
「セーロン議長を筆頭に数十名の臣下が陛下に署名を持って進言いたしました」
「セーロンが?」
「セーロンは陛下に、大国デルタと和睦を結べば、これからデルタがラステマにとっての最重要国に躍り出ると言いました。デルタの姫と婚姻を結ぶウィルロア殿下に、強大な後ろ盾が得られてしまうのを懸念しているようです。下手をすれば王太子であるアズベルト殿下の地位が危ぶまれると、それならば王太子との婚姻こそが望ましいのではないか。無益な争いの火種は今の内に消すべきと、その場で申し出たのです」
ウィルロアは内心の怒りを無理矢理打ち消し、努めて冷静になろうとした。
「突然そんなことを言われても困る」
「突然ではございません。以前から、セーロンによる王太子派はアズベルト殿下とカトリ王女の婚姻を目論んでおりました。アズベルト様も……、ご存知の通りカトリ王女に想いを寄せておいでで、共に陛下に進言しておられたのです」
「それは……」
「以前申しましたでしょう。和睦の件を反対しておられると――」
反対とは、和睦自体ではなく、和睦と同時に結ばれる婚姻を反対していたということか。
「陛下は?」
「勿論、両陛下は婚姻は十年デルタで暮らしたウィルロア殿下こそが望ましいとのお考えです」
「……そうか」
両陛下のお気持ちを聞けて、今までの苦労が報われる想いだ。
「私は王になる気はない」
「十分承知しております」
「兄は……、アズベルトは私に言ったのだ。誤解だと。私達の結婚を待ち望んでいると。ただ、心配していただけなのだと……」
あれは全て嘘だったというのか?
俺と向き合ってくれたと思っていた時間は、俺を懐柔して騙すための時間だったというのか。
「……レスター?」
レスターが突然足を止めたので、ウィルロアも足を止めて振り返った。
「アズベルト殿下は、セーロンの進言の後に会議の間にいる重鎮たちの前でこう申されました」
『ウィルロアには間諜の疑いがある』
そんな……。
アズベルトが……、俺を……疑っているのか。
「先程殿下を連行しようとしたのはアズベルト殿下の私兵です。皆の前で殿下を尋問にかけるつもりだったのでしょう。会議は騒然とし、即刻陛下が咎められ先ずは両殿下のお話を聞いてからだと、場所を執務室へ移し、その他の者は退出させた次第です」
「……」
そうか……、アズベルトは俺を信用していなかったのだな。
その事実に傷つきはしたが、奴にもそれなりの理由がなければ第二王子に間諜の疑いをかけるはずはない。
国王の言う通り先ずは話を聞いて誤解を解かなければと思ったのだが、それよりも別の問題があった。
「兄上は皆の前で口にしてしまったのか」
陛下や大臣が集まる場で、無実であるウィルロアに疑いをかけてしまった。
バカだアホだとは思っていたが、ここまで脳筋だとは思ってもみなかった。
「私の無実が証明されれば皆の前で私の名誉を傷つけたことになる。兄上もただでは済まない」
アズベルトは何故そんなことをしたのだと悔やまれる。せめて皆の前でなければ誤魔化しも利いただろうに……。
廊下に靴音だけが響いた。
「……殿下、お願いですから無実の罪を被ろうとなさらないでくださいね」
「? 分かっている」
レスターに答えると、微妙な空気に皆が浮かない顔をしていた。
四人は国王の執務室へと到着した。
「最後に、セーロンがここにきて大胆な行動を取ったのには何かあるはずです。私も全力で殿下をお守りいたしますが、どうかご自身も投げやりにならず、自分の事だけをお考えになってください」
「うん」
「本当にわかってます?」
「? わかってるよ」
「ち、レスター宰相! 殿下を頼みます!」
「「頼みます!!」」
三人の励ましを背に、国王の護衛が扉が開けた。
ウィルロアは前を向いてレスターと共に執務室へと入出した。
執務室ではレスターの言う通り、陛下と侍従長、アズベルト、セーロン議長と近衛騎士団長のサイラスという少数の者達が待っていた。
「宰相から話は聞いたか?」
「はい」
父である国王陛下にウィルロアは堂々とした態度で返事をする。
挨拶は省き早速事情聴取が始まった。
「乱暴な扱いは受けなかったか?」
「はい」
「急なことではあったが大事なことだ。お前に間諜の疑いがかかっている。申し開きがあれば聞こう」
「すみません陛下。申し開きも何も身に覚えがなさ過ぎてお話しすることがございません」
「……そうか。では先日、和睦を阻止しようとしている反対組織が国内で暗躍していると、お前がアズベルトに話を持ち掛けたのは本当か?」
「はい」
「その情報をどこから得たのかお前は明かさなかったという」
「……はい」
「アズベルトは半信半疑で私兵を使い調べたそうだ。すると、最近重要な和睦の警備図案を持ち出した騎士がいたそうだ。……お前は護衛騎士を使って和睦の警備体制の図案を入手したか?」
「……しました」
「その図案は一歩間違えば国の安全を揺るがす重要な情報だ。お前に接触して間諜の存在を教えた人物は、お前と繋がりがあり、重要機密をも盗める立場にあるということだ」
「!」
「もう一度聞く。一体、誰からその情報を得たのだ?」
「……」
「申してみよ」
「……」
あ、これマジで俺やばいかも。




