完璧王子の正体は
誰もが愛せずにはいられない、慈愛に満ちた美しい王子ウィルロア(過大な自己評価含む)。
その内情は皮肉屋で口が悪い、やさぐれ王子だなんて一体誰が信じるだろう。
誰一人として疑い気づかれることなくこの数年を安泰に過ごしてきた。
この先も、こんな裏表の激しい自分を誰にも知られることなく一生を終える自信はあった。
それが……。
絶対に知られてはいけない人物に知られてしまった。ウィルロアの生涯伴侶となる婚約者、カトリ王女である。
カトリはただの婚約者ではない。
この結婚は和睦の条件に含まれ、国の行く末を担う重要なものだ。だからこそ本性を知られるわけにはいかなかった。
それなのに、国王と宰相に悪態をついているところをバッチリ見られてしまった。
これが原因でカトリに婚姻を破棄されたら?
この王子は裏表があるぞと国内で吹聴されたら?
王に、こいつは逆臣ですと告げられたら?
終わりだ。
何時如何なる時も動じず笑顔で応じてきたウィルロアからはじめて笑顔が消えた。
この世の終わりかというくらい、悲壮感が漂い言葉を失って顔面蒼白に佇んでいる。
終わった、と思った瞬間、いやいやここで終わるわけにはいかないと気持ちを立て直し、でもこの状況じゃどうやっても誤魔化しきかないだろうと諦め、とりあえずこいつを何とかしなければという焦りが先行して、ほとんど無意識に壁際にカトリを押し付けていた。
華奢な肩に触れた瞬間に目が覚め、自分の愚行に後悔した。
「――っごめん!」
カトリの眉は僅かに寄る。思いのほか力を入れ過ぎていたようだ。慌てて離し、両手を挙げる。
何やってんの俺。最低だな。
だけど、どうする? どうする!? そもそもなんでここにカトリがいるんだよ! いやもうどうするよこの状況!
解決策が見当たらず、どういう態度で接していいのかも、再びついた言葉が暴言になりそうなで怖く、カトリの無言も、全てに追い詰められ反応が出来なかった。
いつもなら人の目に映る自分というものを異常に気にするウィルロアだが、この時ばかりは挙動不審で頭を抱え、滑稽な姿なのにも気づかぬほど気が動転していた。
「もしかして……」
「え?」
酷く参っているウィルロアの代わりにカトリが先に口を開いた。
「私、殺されます?」
「!?」
「……殺」
「いやいや、殺さない、殺さないよ! なに言ってるの!?」
どういう発想!? え俺人殺すような顔してた?
「物語で……」
「『俺の正体を知ったからには生きてこの部屋から出られると思うなよ』って? そんな展開は物語の中だけだよ」
「でもこの場合、口封じが一番手っ取り早いと思うのです」
「それは俺のリスクが高過ぎる!」
真っ昼間に自分の部屋で殺人て……。被害者と加害者は護衛にばっちり目撃されてるし、鍵かけて密室でカトリだけ倒れてたら犯人俺って即バレだし外に出た瞬間捕まるわ!
「……確かに」
カトリの口角が上がり、目じりが下がった。はっきりと分かる程、カトリが笑っていた。何がおかしかったのか口に手を添えて笑っている。
「…………はっ!」
いやいや、カトリの笑みに見惚れている場合じゃない。
今のは冗談だったのかな?(自分の冗談で笑ったの?)現状は何も打開できていないぞ(笑顔が可愛かったな)また素が出て現状悪化してるし馬鹿か俺(もう一度笑わないかな)それにしても口封じに殺すって(そういえばカトリから俺に話かけたのこれが初めてじゃないか?)俺そんな極悪人みたいな顔してた?(どさくさに紛れて肩掴んじゃったし)それとも冗談?(冗談言って笑うんだな)とにかく、カトリの肩が折れそうなくらい細くて笑顔が可愛い……って違う!!
駄目だ! 落ち着け俺!
必死に対策を考えようと思うのに、先程のカトリの笑顔が脳裏にこびりついて離れない。
頭を振ってもう一度考え直そうと乱れた金色の髪の隙間からちらりとカトリの顔色を窺ったのは、決して先程の笑顔をもう一度見たくて、とかではなく、これからの事を考えての必要な行動である……。素晴らしいほどの微動だにしない無に戻っていたけども。
「こちらに姫様はいらっしゃいますか!?」
外が騒がしくなったと同時に、カトリの侍女であろう数人の慌てた足音と共に扉をノックされた。
え? まさかカトリは誰にも告げず一人で訪ねて来たのか?
視線でカトリに訴えても顔色一つ変えずに扉に目を向けているだけで可否は分からない。
それでもウィルロアは大股で扉に向かいながら咄嗟に自身のカフスボタンを千切って扉を開けた。
「王女様!」
「姫様!」
ぞろぞろと断りもなく私的空間に入り込みやがって俺を誰だと思ってる。侍女風情が許可なく他国の王子の部屋に無断で上がり込むなんて外交問題だぞ?
カトリの体を隅々まで確認している侍女に、自分を汚らわしい野獣とでも思っているのかと更に不快にさせられた。
王女を守るようにこちらに向きを変えたデルタの侍女と護衛。
鍵をかけて無理やり二人きりになろうとした野蛮な男とでも思っているのだろうか。
言っておくが俺は何もしていないしお前らの主がのこのことやって来て俺のマル秘プライバシーが侵害されるというむしろ被害者は俺! と内心で悪態をつく。
「ああ、しまったな。ついいつもの癖で鍵をかけてしまった」
芝居を打ってわざと大声で言い訳をする。
デルタの護衛は確かにウィルロアがデルタ国でも鍵をかける習慣があったと侍女に頷いて見せた。
なんで俺がこんな回りくどい事をしなければならない。カトリが勝手に俺の部屋に入って来たんだぞ。
色々な意味で鬱屈したものを抱きつつ、それでもカトリの名誉を守るため、先程袖から千切ったばかりのカフスボタンを見せた。
「王女は落とし物を拾い届けてくれたのだ。部屋で二人きりになったとしても、時間にして数分なので心配するようなことは何もない」
いくら無能なウィルロアの護衛達も、この時ばかりは空気を読んで主の潔白を(婚約者だけど)晴らすために大きく頷いてくれた。
そこでやっと自分達の早とちりと無礼に気付いたのだろう、焦りだす侍女たちに留飲を下げると、優しく微笑み「わざわざ届けてくれてありがとう」とカトリに礼をし、「だが黙って一人で出かけては皆が心配するよ」と忠告も忘れなかった。
その昂然とした姿に侍女たちも申し訳なさと有難さで気まずそうにしていた。
まったく、こんな紳士が無体な事する訳ないだろう。
このように、腹を立てつつもカトリ付きの侍女たちの自分に対する株を上げることも忘れない。
今ならこんなに淀みなく嘘をつけるというのに、どうして先程はその能力を発揮できなかったのだろうか。
笑顔の下では後悔と暗い気持ちが浮かび、先程の失態を悪魔に扮したやさぐれ王子が、天使に扮した心優しい王子に『何やってんだよぉー』と責めかかっていた。どちらも俺の顔だけど。
お騒がせなデルタの連中は頭を下げ退出する。その後ろ姿に思わず「あ」と声が出てしまった。
振り返る侍女とカトリ。
カトリに先程見られた俺のやさぐれタイムの言い訳をしていない。
このまま行かせてしまっては諸々と問題がありすぎる。
せめて口止めだけでもお願いしなければ、俺の人生これにて完結だ。
呼び止めたくせに人の目もあり後の言葉が続かないウィルロアは、直接伝える術もなく「また、後程……」と言葉少なめに言うしか出来なかった。
そんな様子にカトリは、ゆっくりとした動作で手を動かした。
「「「!?」」」
ここにいるウィルロア以外の全員が首を傾げたことだろう。
カトリは無言で親指を立て、片側だけ口角を上げ不敵に笑ったのだ。
「ひ、姫様?」
先程の自然な笑顔が嘘のように、皆の顔が引きつる程カトリの笑顔は不気味だった。
その不気味な笑顔と立てられた親指の意味を、ウィルロアだけが知っていた。
〝お前の弱みは握ったぞ〟
ウィルロアの鉄壁の笑顔は、口角がひくひくと歪み僅かに崩れてしまう。
口封じしておけばよかった……。
そう強く後悔したウィルロアであった。




