寝起き姫、100円分のデレを払う
――それは恋のコの字も知らない3歳の頃。
『あきちゃん。おおきくなったらけっこんしよ?』
『うんっ。あき、れおくんのおよめさんになる』
近所にあった公園の砂場。
覚えたての言葉で愛を誓い、泥だらけの小さな小指を絡め合った。
『やくそくだよ?』
『うんっ、やくそく』
――それは好きという感情を理解し始めた5歳の頃。
『あきちゃんをなかせるなぁー!』
同じ公園の砂場で、年上の小学生に飛び掛かる。
じゃれついているようにしか見えない未熟な喧嘩。
結果は当然年齢差のせいで惨敗だったが、それでもあの頃の俺にとっては本気の本気だった。
『れおくん……ありがとう……』
『もっとつよくなって……あきちゃんのことはずっとぼくがまもるよ』
この時も泥だらけの小指で約束してたっけ。
でも、言葉の意味はわかっていたのだろうか?
きっと当時はまっていた日曜朝のヒーローに憧れたせいもあったのだろう。
だけど、その心だけは本物だった。
そして月日は過ぎ……。
――それは紛れもなく恋をしていた9歳の頃。
『『すきですっ!』』
同学年の仲が良かった男子と共に、神宮愛姫に告白した。
『えっ……そんなこといわれても、こまるよ……』
『じゃあどっちのほうがすき?』
『すきなほうとプリントシールとりにいこう!』
当時、近所のスーパーのゲームセンターに出来た最新のプリントシール機。
そこで一緒に撮る権利を賭けるだけという、子供染みた告白。
『『どっち!?』』
『え、えっと……ごめんね?』
『え……まじか』
もう一人の男子にぺこっと頭を下げた神宮愛姫。
そして俺の方を向いて言ってくれた。
『れおくんが……すき』
『っ――よっしゃぁ!!』
思い返せば一緒に遊んだのはそれが最後だった。
何も知らなかった俺が春休み明けに登校すると、神宮愛姫は既に転校した後だった。
もしかすると、母親の病院の都合などがあったのかもしれないな……。
まぁ再び会えたのだから、当時の理由なんてどうでもいい。
あの日に撮ったプリントシールは今でもしっかり保管されている。
1枚は古い携帯ゲーム機の裏側に貼られているが、それも含めて大切に持ち続けている。
――そして…………。
『出雲なんて嫌い……恋愛なんてこの世にいらないし』
「ノォォォォォォ――――!!」
絶叫しながらベッドの上で飛び起きる。
その瞬間、最後の発言が現実ではないことを確認した。
同時に枕元で鳴っているのはスマホのアラーム。設定した時刻は午前5時。
「あっ……あぁぁぁぁ………良かった夢かぁぁ……」
途中までは懐かしい気分だったというのに、最後の最後で一気にどん底まで落とされてしまった。
まぁ恋愛に関しては実際に言っていた事だが、俺自身はまだフラれたわけではない。
恋愛が嫌いで男が嫌いかもしれないが、俺自身が明確に嫌いだとは言われていない。
……言い訳がましい気がしなくもないが、それでもまだフラれてない。
「……ねむ」
4月9日、同居生活2日目。
昨夜は意外にも、同居生活において最も懸念されていた風呂や就寝については余計なことを考えずにいられた。
まぁ神宮が風呂に入っているときは流石にそわそわしたが、日中にとんでもない『恋愛なんて必要ない』を食らったおかげかそこまででもなかった。
そして就寝は、そもそも神宮がゲームをしていて俺の方が先に自室に引っ込んだので意識も何も無かった。
とはいえ他の事は色々考えた。
それは主に――恋愛とは何か。
しかしそう簡単に答えなんか出るわけもなく、深夜までうんうん唸り続けていたせいか、浅い眠りについて夢を見ている間に朝を迎えてしまったらしい。
「よし……起きよう」
ベッドから出て洗面所に向かい、顔をしっかり洗ってからアフターケア。
――そして鏡を見ながら一言。
「俺はかっこいい」
待て……ただのナルシストじゃないぞ?
これはこうやって己の顔を見ながら言い聞かせることで、自己暗示をかけて内側からイケメンな顔を作るという一つの努力だ。
まぁ暗示が効いているのか、最近では本気でかっこいいと思ってるけど……。
ただこの習慣はもうやめた方がいいかもしれない。神宮に見られたら何を言われるかわかったもんじゃないからな……。
「今日から久々に二人か……」
洗顔後は着替えと髪のセットまで完璧に済ませてから朝食の準備に取り掛かる。
親父がいる時は二人分作っていたので特に大変ではないが、相手があの神宮愛姫ともなれば俄然熱が入るというもの。
日頃はパンなどで適当に済ませることが多いが、今日からはしっかり米を炊いて準備をする。
昨日の話し合いで、食費節約の為に俺が弁当を作る事になったからな。
これまでのように高い弁当をコンビニで買うわけにもいかないし、しっかりやらないと……。
「あ……」
「……お?」
ちょうど朝食と弁当の準備を終えた6時半頃、開かれたリビングの扉。
声と共にその場で立ち尽くし、ボーっとした顔を嫌そうに歪めた神宮。
「おはよう」
「うるさい……話しかけないで……」
あれ? おかしいな……またふりだしに戻ったぞ?
昨日はあの後、多少なりとも普通に会話が出来ていたと思うのだが……もしかして寝起きだからだろうか?
まぶたが半開きだからか、昨日よりも遥かに嫌そうに見える視線で睨み付けられた。
だが怯んではいけない。
――何故ならこれは盟約によって定められているから。
「はい、100円」
「…………え? あっ、しまったぁ……」
失敗に気付いた直後、少しだけ寝癖のついた長い黒髪を鷲づかみにしながら頭を抱えた。
寝付きが悪かった俺よりも頭がぼーっとしていたのは、遅くまでゲームをしていた神宮の方だったらしい。
「うぅぅ~……ちゃんと言おうと思ってたのにぃ~……」
寝起きのせいなのか、ふにゃふにゃした可愛らしくも思える力の抜けた声。
この分だときつい目つきも、単にまだ目が覚めていなかっただけかもしれないな。
どうやら神宮は寝起きがあまり良くないらしい。
「うぅー……言い直すから無しにならない?」
「100円くらいスッと払えっつの」
「むぅ……ケチ」
「どっちがだよ。こういうのをなぁなぁにすると後々響くから駄目だ」
もう一度「ケチ」と言いながら一度部屋に引っ込むと、100円玉を持って出てきた。
そして俺に差し出しながらもう一度。
「ケーチ」
「……くっ」
やや腹立たしく思う部分もあるにはあるし、なんなら俺の顔は少し引きつっていたと思う。
ただ……寝起きの無防備な美少女からちょっとした文句を言われるのは案外悪い気分じゃない。
「じゃあ、改めておはよう」
「……おはよう」
「はい、よく出来ましたー」
「子供扱いしないでよバカ。あともう話しかけないで」
再び会話を拒否されてからは、よく聞こえない恨み言をぶつぶつ言いながら洗面所へと消えていった神宮。
その後ろ姿を見送ってふと思う。
――どうしてだろう……全然ときめかない……。
昨日恋愛についてボロクソに言われたせいもあるかもしれない。
しかしそれにしたって、今の俺は何も感じなさすぎじゃないか?
性格面のきつさもあるかもしれないが、これについてはツン要素が100%のツンデレだとでも思えば可愛げがあると言えなくもない。
まぁ100%ツンの時点でツン『デレ』ではないが、恋愛脳の俺ならこの程度は個性で済ませられる範囲内だ。
ということで問題は性格面じゃない。そこに関してはむしろ振り向かせてみたいと燃えるくらいだと言ってもいい。
問題があるとすれば、寝起き姿を見たのになんの衝撃も無かったことだ。
初恋の相手で、昨日再び一目惚れをした相手。
まだ内面こそ知っているとは言えないし、そもそも恋ってなんだっけ状態に陥っている俺ではあるが……それでも相手はとびきりの美少女。
そんな相手に何も……いやまぁ『寝起きのぼーっとした顔も可愛いな』くらいは思ったけど、それくらいだった。
特にこれといって狼狽えることもなく……。
「ねぇ。シャワー浴びてもいい?」
開けっ放しになっていた廊下へと続く扉。
その先にある洗面所から顔を出した神宮を見て理由に気付いた。
「…………」
「さっきのは本気じゃないからね? それで、いい?」
「朝からシャンプーすると髪によくないぞ?」
「知ってるし。さっと流すだけ」
「まぁいいけど、一緒に飯食えなかったら100円だからな」
「っ……そうだった。りょーかーい」
神宮に全くときめかなかった理由……それは、
――寝起き姿に色気がかけらも無かったからだ。
寝癖がついた長い髪は無防備で可愛いとも言えるが、言い換えればだらしないだけ。
寝間着に関しては1着持ってきたものを着ていたらしいが、恐らく中学時代に着ていたと思われる青一色のジャージ。しかも長袖長ズボンで露出無し。
いくら容姿が優れていても、初日に見せられた寝起き姿がこれではどぎまぎ出来る方がおかしい。
が、しかし……これは神宮が悪いわけじゃない。
――俺が男として意識されていないだけだ。
ならば、朝一でも身なりを整えてから会いたいと、そう思えるような相手に俺がなればいいだけの話。
見てろよ神宮。そして見せてみろ、お前の本気の寝起きをっ!!
――と思っていると、風呂場から漏れ出てくるシャワーの音。
「あ……これは聞いちゃいけないやつだ……」
大前提として盟約を決めたときに聞くなと言われている。
そしていくら寝起きに色気が無かったとはいえ、こんな音を聞いていたらちょっと変な気分になりそうな気配がある。
「食卓の準備しとくか……」
自ら己に言い聞かせながら台所へと戻る。
今日からが本当の同居生活だが……果たしてどうなるか……。
「出雲ー、バスタオルどこにあるのー?」
「あぁ、悪い。今持っていくから引っ込んどけ」
「あーい」
うん。まぁ……こういうのも悪くはないな。
問題は恋愛禁止の盟約がある中で……。
――俺がどこまで我慢出来るか……か。
「あっ、ねぇ……一つ聞いてもいい?」
バスタオルを持って細心の注意を払いつつ、同時にほぼ目を瞑りながら洗面所に入るとかけられた声。
「なんだ?」
「何時から起きてるの?」
なんだろうその質問は……まぁいいか、普通に答えよう。
「5時くらい」
「ふーん……そうなんだ」
「あぁ」
そこで会話が途切れた。
え、なにそれ。なんで聞いたの?
「……ねぇ」
「ん?」
少し経ってからようやく届けられた遅い反応。
更にそこから数秒空けて返ってきた声は、ぼそっと呟く吐き捨てるようなものだった。
「…………ありがとっ」
ぁ……あ……。
――――アァァァァァァァァァァァァ!!
可愛い! なに今の可愛いぃ!!
素直に言うのは嫌だけど、言わないのも嫌、みたいな雰囲気が超良い!
デレたよな!? これはほんのちょっとだけどデレたよなぁ!?
今すぐこの扉を開けて抱きしめたい!! 通報されるけど!!
「気にすんな」
と内心は異常に盛り上がっていても、そんな感情の高ぶりを見せて引かれるわけにはいかないのでクールに返す。
「……わかった」
これから毎日の事だから気にされても困る。
そもそもここまで早いのは、俺が身なりを整えたいっていう個人的な事情も含まれてるしな。
いやぁ、それにしても可愛かったな今の。やっぱツンデレは――
「ねぇ」
「ん? なんだ?」
「さっさと消えて」
「…………うっす」
落差が凄まじいな……。