笑い声が聞こえる
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
「行く川のながれは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」。
かの有名な鴨長明の著した、「方丈記」の出だしね。
私たちは毎日を生きている。たとえルーティンワークによる代わり映えのない日々だったとしても、流れた時間は、二度と返ってくることはない。
あなたはどう? 一日一日が去っていき、時間は前へ進み続けている。その実感を抱けているかしら?
私たちは、常にすり減り続けている。カッターの刃みたいに、さび付いた身体と心を癒して取り替えたつもりでも、その実、備わっていた刃の長さは短くなっていき、やがては底をつく。それがいつやってくるのかは、神のみぞ知るといったところね。
やがては、余さずこの地上から消え去っていってしまう、私たち。命はどこへいくのかしら。
そんな命の在り方を伝えてくれる、ひとつの伝説があるのだけど、聞いてみないかしら?
今をさかのぼること、数百年前の江戸時代。
その年は軒並み、農作物が不作で、年貢を納めるとほとんど蓄えが残らないほどだったとか。山のふもとにあった村では、物を作るか、猟で動物を狩るかのいずれかで、足りない糧を補填していく必要が出てきたわ。山にはすでに雪が積もり出している。
獣の他にも様々な危険が待ち受ける山の中。そこへ入っていく者に対し、村の長老はあるものを用意することが習わしとなっていたとのこと。
それは懐に入れられる大きさに加工し、ひもを通した小石。
かの村の屋根は板葺きで、風が吹いた時に板が飛ばないよう、石をいくつも置いて重しにしている。石は家長が亡くなった時、その半分が下ろされて、新しい石と取り換えられる。
回収された石は、家ごとにまとめて袋へ入れられ、村長宅に持っていかれるの。それが加工された結果が、件の小石というわけ。
そして各人が猟から帰ってくると、その石は回収されて保管。農繁期に入る直前に、田んぼに引く水を確保している川の、できる限り上流に捧げ入れられていたわ。
「そなたらが世に生まれしは、これまでの父祖のおかげ。その石には家の歩みが詰まっているのだ。
山は神々の領域。天地神明、そして自らの父祖へ堂々と顔向けできるよう、誠実に臨め。さすれば、その身に幸を持って報いるだろう」
長老の言葉は、年若い者から歳を重ねた者まで、変わらずに告げられ続けたわ。
我が身に授かる幸。それを実感するのは、身体が衰える老年になってからか、九死に一生を拾った時。自分の命が無事であることが、奇跡であると強く思えた時なわけ。
その分、経験浅く、己の力をひけらかす傾向がある、若く健全な者にとっては、右から左へ聞き流しがちな言葉だったのも確か。
気が満ちていると、己の無事は己の力があってこそと、うぬぼれたくなるものよね。精進を積んでいる人ならば、なおのこと。
その時、山に入ることになった若者のひとりも、表向きは従順に話を聞いていたけれど、心中では舌を出していたらしいわね。
当時、害獣駆除の名目で貸し出されていた鉄砲は、狩猟にも扱われた。
彼らのお目当てはクマ。皮、肉、肝のどれをとっても十分な稼ぎになるわ。首尾よく雪の上に残った足跡を追い、一頭のクマをしとめることに成功。致命傷となった一発は、かの年若い猟師が放ったものだった。
解体し、熊の皮を背負うことになった彼は、すっかり浮ついていたわ。
昼頃から下山を始め、四半刻ほどで休みを入れながら進む一行。その間には、避けられない斜面がいくつか。西日が強く、気持ち溶けかけ始めた雪の上で。
彼は足を滑らせたわ。
よほど体重のかかり方が悪かったのか、それとも皮をくくりつけた背負子がよほどオンボロだったのか、地面にぶつかった衝撃で背負子はバラバラになってしまい、皮も放り出される。
彼自身はというと、滑り初めはとっさのことで身体が動かなかったけれど、すぐ後ろを歩いていた猟師の一人が自分の名前を大声で呼んだことで、反応。杖のように手に持っていた火縄銃を、雪中へと突き立てたわ。つっかえ棒にして、止まろうとしたのね。
雪をかき分ける銃身と彼の足。落ちる速度は目に見えて落ち始めている。けれども、遅かった。
足の先で、雪の抵抗がなくなる。銃の先も身体全体も、雪の拘束から解放される。
代わりに彼らへ触れ始めたのは、空。途切れた斜面の向こうへ、彼は身体を投げ出していたの。
槍のように先端をとがらせる、葉を失った木々たち。それらがひとりでに、目の前をぐんぐん上がっていったかと思うと、背中に衝撃。彼はそのまま、意識を失ってしまったそうよ。
ふと、耳の中を通り過ぎていく笑い声がして、彼は目を覚ましたわ。
あお向けに倒れている自分。その目の前に広がる空は、ほとんど暗くなってしまったけれど、まだかすかな青みを残してる。
手に持っていた火縄銃を見やると、岩にぶつけたのか、銃身が真ん中から砕けてしまい、引き金を含めて片腕の長さ程度しか残っていなかったそうよ。
身体は痛むけど、まったく動けないほどじゃない。彼がぐっと上半身を起こすと、びきりと背骨がうずいた。滑落した時の体重がもろにかかったのでしょうね。
かといって、このままじっとしても、助けが来てくれるのがいつになるか……。
悩む彼の耳に、また笑い声が聞こえてきた。声変わりをしていない子供のもので、誰かを嘲るというより、複数人ではしゃぎまわっている感じだったそうよ。
こんな雪深い山の中で、遊び回っている子供がいるとは考えづらい。もののけの類かも知れない。
警戒する彼だけど、空はなおも暗くなっていく。下山の手掛かりを求めて、彼は痛む身体をかばいつつ、ゆっくり歩き始めたわ。
笑い声は、一定の時間間隔で響いてくる。彼は声が大きくなる方へ、大きくなる方へと進んでいったわ。
やがて木立の間を縫って、ちらちらと動く、複数の小さい影が見え出す。影たちは小さく上下に揺れつつ、定まった範囲内で円を描くように、ぐるぐる廻っていたわ。
彼は足音を立てないようにしながら、木の一本へ身を隠す。影の動きが変わらないのを確認したら、更に一本近づいて隠れる……という具合に距離を詰めていき、やがてはっきりと顔が見える位置まで迫ったの。
影の正体は、想像していた笑い声の主に違わない、幼い子供たちだったの。いずれも冬とは思えない、薄手で丈の短い上下を身に着けて、跳ねるように走りまわっていたそうね。
正体を見極めんと、じっくり様子をうかがっていた彼だけど、やがてあることに気がついたの。
円を描くように回る四人の子供のうち、二人は女子。そのうちの一人が着ている服に見覚えがあったの。
いくつも当て布がされた、黄土色の合わせ。あれは確か、自分の弟が生まれた時、おしめに使われていたものと同じ生地。今となってはもう糸くずになってしまったもので、同じ色の合わせを持っている家は、もはやないはず……。
そう彼が思い始めた矢先。走り回っていた男の子の一人が、突然、転んでしまったの。
顔から盛大に滑った彼を前に、残りの三人も足を止めて駆け寄る。笑い声は途絶え、一呼吸の後、盛大な泣き声へと変わってしまったわ。
顔を上げた子の顔を見て、三人は驚いたらしく、一斉に飛びのく。隠れていた彼にも、その理由が分かったわ。
転んだこのまぶたの上が、ぱっくりと切れていたの。転んだ拍子に、雪の下に潜んでいた石の先が、しでかしたんでしょうね。
雪も転んだ子の顔も、血で赤く染まっている。自分の顔の血を拭って、真っ赤になった手を見たその子は、泣きながら彼方へ走り去ってしまう。残りの子供たちもその後を追っていき、彼自身も慌てて動き出したわ。彼らの行く先を見失ってはいけないと、本能的に感じたから。
泣き声は止まない。先ほどの笑い声もそうだったけど、よくもこれほど離れた場所まで聞こえる、と彼は不審に思ったみたい。もう、彼らの姿は見えないというのに。
幾度か背中が痛んで足を止めてしまうけど、あきらめずに声を追っていく彼。やがてその耳に新しい音が飛び込んできたわ。
自分の名前が呼ばれている。その声も、自分の知る猟師仲間のもの。ほどなく木立の向こうから揺らめくたいまつの火が見えた。
もう泣き声も、笑い声も聞こえない。代わりに耳を打ち始めたのは、自分を呼ぶ声と、水の流れる音。
「ここだ。ここだ」と彼は火元へ向かって叫びながら、背中が痛まない程度の早さで、歩いていく。
無事に村へと帰り着いた彼は、長老の家へと連れていかれる。猟の前に渡した、例の石を返してもらうためにね。
ところが彼が首から提げていたのは、出発前とは違い、小指の先にようやく乗るか、という大きさのかけらだけとなってしまった石。残りの部分は、いくら服の中を漁っても見つからない。
それを見た長老は、感慨深くあごをしごきながら「ご先祖様に助けられたな」とつぶやいて、合流前までに何があったのかを彼に語らせたとのこと。
一番反響を呼んだのは、子供のひとりが転んだくだり。子供たちの服や容姿もつぶさに伝えたところ、転んでまぶたを切った子は、すでに他界した長老の父親と同じ姿だというの。
他の子どもたちについても、彼らが着ていたような服を持っていた、もしくは持っていると申し出た家があったわ。
このご先祖様の導きは、瞬く間に村中の噂になったそうよ。
そして春先。彼らを無事に村へと帰らせた石たちは、すっかり雪が解けた山の中。そこを流れる川の中へ、次々と沈められていく。
やがて石が川の流れに削られて、完全に消えてなくなってしまうまで、ご先祖様も我々もその中で生き続けるのだろうなあ、と長老は感慨深く、皆に告げたのだそうよ。




