二十一、新しい世界
『にゃあ』
クツシタは、アイルーミヤの膝の上に乗り、目を閉じて喉を鳴らしている。『優しい言葉』の全信者向け通信から三ヶ月が経ち、拾った頃に比べると大きくなった。今では明らかに雌だと分かった。
あれから、そのままルフス将軍の城に滞在している。あの直後は大騒ぎだったが、そろそろ落ち着いてきた。
結婚式などの儀式は行われなかった。全信者向け通信があった日が結婚した日となった。
大騒ぎというのは、二つの魔法の融合から発生していた。勉強や修行が必要とは言え、闇は光の、光は闇の魔法も使えるようになった。
アイルーミヤたちや魔法技術者たちは、光の同様の地位の者たちと交流し、お互いの魔法を教えあった。
そういった交流から、時には揉め事が発生したが、おめでたい婚姻を汚しては、と譲り合って解決した。
しかし、信者の獲得は解決しきれない問題だった。主に光の信者が闇に転向したがる事がその原因になりやすかった。
光の住民が闇の住民の暮らし方、特に見た目で差の分かりやすい農業を見学すると、そのような転向が起りやすかったので、光の側は制限したがったが、完全には抑えきれず、光の信者の減少と、闇の信者の増加が水面下の争いになりつつあった。
「アイルーミヤ、信者数の統計が届いた。目を通しておいてくれ」
ルフス将軍は資料の山を指差した。アイルーミヤは滞在中、彼の助手のような仕事をしていた。おかげで調査官や特使と言った肩書が無くなり、宙に浮いたような今の状態でも事態の推移から取り残されずに済んでいる。
また、ルフス将軍はそういう立場のアイルーミヤに対し、過度に気を遣ったような物言いをしないのがかえってありがたかった。
「増えていますが、前と違って単純に喜べませんね」
資料をめくりながら言う。
「難しい世の中になったものだ。信者の増加に悩まされるとは」
「陛下が脱出できる程度には増やしたいですが、あちら側との交渉が必要でしょう」
「そうだな。私は外交は苦手だ」
期待するかのような目でアイルーミヤを見る。
秋風の中、アイルーミヤ大使がA帝国に向けて出発した。信者数の折り合いを付けるのが任務だった。ここを始めとして他の国家とも交渉を行う予定だったが、A帝国を納得させられれば他はなんとかなりそうだった。
問題は、光の女王は人間から見て、手に触れられる利益を提供できない点にあった。闇の技術なら楽な作業で手にするものは多い。扱いやすく壊れにくい農具を使った農作業は手間がかからず、改良した肥料を与えられた作物は手にずっしりと重い実を付けている。皆が十分な食事を摂り、病気にかかりにくく、治りやすい。赤ん坊や子供の死亡率は下がる。
だからと言って、無制限に転向を許せば大昔と同じ事になる。彼女はハヤブサ号に揺られながら、出発直前の会議を思い出していた。
「平和のためには、こちらも妥協しなければなりません」
その会議の席でアイルーミヤは将軍たちに説明した。大使として交渉に送り出される事が決まった後だった。
「我々はもう、沸騰する湯ではありません。ぬるま湯です。変化はごくゆっくりと、気がついたら変わっていたというくらいの速度で行いましょう」
「陛下のご納得は頂けるかな」
フラウム将軍が疑わしそうに言った。
「ご結婚されたのですから、その点はお分かりでしょう。急激な変化の時代はもう終わったのです」
「そうだな。昔のように、変化を取り入れたのに慣れる前にまた変わる、というのではいずれ信者がついてこなくなる」
過去を思い出しながらローセウス将軍が同意した。
「一方で、提出した資料にあるように、それだけの数の信者は必要です。陛下の脱出とその後の力の維持のためです。ここは譲れません。あちらにも妥協してもらいます」
アイルーミヤは一度言葉を切って続ける。
「もちろん、急には困難でしょう。ですから時間をかけます。我々は苦手ですが、何でも短期に行う時代ではありません。変化はします。しかし、ゆっくりとです」
彼女は『ゆっくり』という言葉をわざと何度も発言に混ぜた。この概念を受け入れてもらわなければならない。
「アイルーミヤ大使、想定している時間は?」
フラウム将軍は手を三角に組み合わせた。
「数十から百年程です」
返事を聞いた彼は、わずかに首を傾げた。
A帝国では、アウルム僧正将軍が出迎えてくれた。前と同じ礼装だった。
「歓迎致します。アイルーミヤ大使」
彼女は兜を取って挨拶をする。やはり近いので身のこなしに戸惑った。この距離感での礼法を学ばねば、と思った。
前回と同じく一人だが、今回はそれほど緊張を感じていない。元の城から届けさせた礼装を着用している。また、戦化粧はしていないが、失礼にならない程度には飾っていた。
会議の席は終始和やかな雰囲気だった。アイルーミヤ大使の妥協案は好意的に受け入れられ、技術移転と信者の転向は禁止されないが、共に制限される事となった。
「お互いに有意義な結論を見いだせて大変嬉しく思います」
「私もそう思っております。大使のご提案に感謝します」
その後の夕食の席で、アイルーミヤは他国から訪問中の外交官たちに紹介してもらった。皆、光と異なる様式の礼装や化粧に興味を持ち、様々な質問をされた。中には失礼と思わされるような問いもあったが、気にしないようにして受け流した。
「いかがされました? お疲れですか」
顔を覚えてもらおうと、食後は各国の外交官一人一人と会話をし、飲みながら歩き回っていたので少し過ごしてしまったようだ。酔いを覚まそうと庭に出て、伸びかけた髪を夜風になでさせていると、アウルム僧正将軍がやってきた。
「いいえ、少し飲みすぎたので。ここは気持ちいいですね」
「ええ、今が一番良い季節です」
僧正将軍は近くに立った。近すぎるが、不快ではない。もう慣れたのだろう。
「大使は随分とお働きになりますね。結婚もあなたが仲介したようなものだし、今日もずっと歩き回っておられた」
「いいえ、結婚はすでに決まっていた事を後押ししたにすぎません。それに、我々は今まで外交に重きを置いてきませんでしたから、今日はその報いが来たと思って歩き回っていました。まずは覚えてもらわないと」
「素晴らしい。席に座ったまま食べるばかりの外交官だっています。あなたは仕事の本質を分かっておられる」
「お上手ですね」
僧正将軍は微笑んだ。会場から漏れる灯りと、月の光が二人を照らしている。
会場からかすかに音楽が聞こえてきた。僧正将軍はそちらをちらりと見て言った。
「いかがです? ダンスを申し込んでも失礼ではありませんか」
「五百年も踊っていませんよ」
「心配無用です。ステップはほとんど変わっていません」
「では、一曲だけ」
アウルム僧正将軍は、アイルーミヤ大使の手を取り、二人で会場に戻った。




