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シンデレラ・コンプレックス

作者: 藍田陽介

短い物語です。ほんのわずかの時間で読める、一話完結のお話です。

現代のシンデレラストーリー、どうぞお楽しみください。

 恋に貴賎はない。よくそういう言葉を耳にするけれど、麗良(れいら)はその言葉が嘘だと知っていた。なぜなら麗良は上流階級の生まれだったから。東京は山手の一角に豪邸を構える神出(しんで)家の一人娘、それが麗良の出自である。

 麗良が生まれてから、徳之(とくゆき)雅乃(まさの)も一人娘の彼女をそれこそ目に入れても痛くないほど可愛がった。特に父である徳之など、まだ麗良が赤ん坊のときに目に入れようとしたほどだ。もっとも思わず「痛っ」と叫んで、麗良をベッドに戻したらしいが。

 麗良はこうして徳之の財産と母、雅乃の愛に育まれて、十八の歳を迎えた。晴れて大学生となった麗良は、生まれてはじめての恋に落ちた。

 同じ大学の一年先輩、坂本太郎。名前は平凡だったが、容姿は整っていた。引き締まった顔に鍛えられた肉体。それに背も高く、麗良は一目見て、太郎に恋してしまったのだ。

 山手のお嬢様の典型であり、容姿も申し分なく美しい麗良が思い切って声をかけたとき、太郎にもまたキューピッドの矢が射抜かれた。その日、麗良は太郎を、よく行く赤坂の和食料理店へと誘った。太郎には見たこともないような料理が、目の前に並べられた。上品に少しずつ盛られた皿が、次々と目の前に運ばれ、二人は極上の料理でお腹を満たし、何度も交わした視線で心を満たした。


 だがやはり恋に貴賎はあるのだ。二年間、二人は仲睦まじく、誰にも邪魔されることなく交際を続けた。時にいつか二人で行ったような高級料理店にも出入りしたが、麗良がいる限り何も臆することはなかった。太郎は決して、麗良の背後にある莫大な財産と付き合うつもりはなかったが、彼女が持っている財産のほんの一部で素敵な食事ができることは、彼にとって天恵といってよかった。もちろん麗良も自分の財布に入っている金色のカード一枚で、彼の堅く締まった顔が笑みで崩れるのを見ることができるのだから、たかだか月に一回くらい二人分の食事代を払うことなど、何でもなかった。麗良は何より、彼のこの笑顔が大好きだったから。

 二年経ったある日、麗良は太郎を自分の住む家に連れてきた。太郎は神出家の邸宅を外界とさえぎる大きな門の前に立った。門の奥にのぞく瀟洒な家を見た途端、彼はまるで痴呆症患者にでもなったかのように大きな口を開けたまま、動かなくなった。心配した麗良が彼の腕をつかむと、我に返ったように大きなため息を吐いた。

――まるでお城みたいだな。

 正直なところ、太郎は多少の、いやかなりの気後れを感じたが、麗良に促されてその「お城」に足を踏み入れた。

 応接間で徳之と雅乃が待っているはずだ。麗良は太郎を先導して、大きな大理石張りの玄関で靴を脱ぐと、お手伝いの麻耶(まや)が用意したスリッパに足を入れ、すべるような足どりで応接間へと向かった。

 太郎もこの日のために麗良が誂えたスーツを着こんで、馴れない服と雰囲気に気圧されながら、麗良の後を追った。

 麗良は応接間に入るとすぐに、太郎を恋人として紹介した。しかし政治家として名を馳せ、人を見抜くことにかけては自信があった徳之は、瞬く間に太郎に「恋人失格」の烙印を押した。

――こんなどこの馬の骨とも判らぬ男に、大事な麗良をやれるものか。

「坂本太郎くん……といったね。君はどこの出身かね」

「はい。両親は栃木に住んでいます。僕も……そのう、高校までは親元で暮らしていました」

「それで両親は、どんな仕事をなさっているのかな」

「祖父の代から農業をやっています。父も祖父から継いで、百姓をやっているんです」

 緊張しながらも太郎は胸を張って応えた。だが徳之が麗良の恋人候補のリストから、太郎を消すのに、この会話で十分だった。

「ところで君、今日着ているそのヴェルサーチのスーツは、どこで買ったのかね?」

 問いかけは太郎へのものであったが、徳之の視線は真っ直ぐに麗良に向けられていた。麗良は思わず俯いた。

――ヴェルサーチは父が好きだったんだわ。別の店で買えばよかった。

 結局太郎も、麗良も徳之のその問いかけに応えることはなかった。しかし徳之がすべてを了解していることは、その場にいる全員が察していた。

「残念だが、君をうちの麗良とお付合いさせることはできないな。実に残念だが……。もし君が麗良と付き合いたいのなら、せめてヴェルサーチのスーツを自分で買えるようになってから、また来ることだ。いいね」

「お父さま!」

 麗良が何とか太郎に対する父の気持ちを翻意させようと、懸命にすがったが、徳之は「駄目だ」と首を横に振るばかりだった。麗良にしてみれば、今まで自分の望んだものを全て与えてくれた愛する父が、こんな仕打ちに出るとは思ってもみなかった。あまりの落胆に麗良はその場で泣き崩れ、太郎は仕方なく肩を落として、自分の住む六畳一間のアパートへと引き揚げた。


 それからも二人は時々キャンパスで会ったが、食事をすることはなくなった。以前のように愉快な気持ちにはなれなかった。徳之の出した条件、それは二十二歳の太郎にとってあまりにも途方もないものだったし、麗良も久しく、あの大好きな太郎の笑顔を見ていなかったから。

 太郎には、逞しく畑を耕す父と母から受け継いだ根性があった。彼は一念発起して、国家試験を受験するための猛勉強を始めた。

 麗良のお父さんに認めてもらうために、俺は国家公務員になってみせる。官僚になるのだ。そうすれば、俺のことを見直してくれるに違いない。麗良との永遠も約束される……。

 麗良はたびたび「会いたい」といって電話をしてくる。しかし太郎は「今は会えない」といって、彼女の申し出を断った。麗良はひどく嘆いたが、太郎には試験まで時間がなかった。将来の麗良との時間を約束するためには、今は彼女と会うための時間も勉強に費やす必要があった。このわずかな期間の後に訪れる試験は、太郎と麗良の将来を合否判定する試験でもあった。


 一方麗良は、太郎との交際を父に反対されてから、日に日に口数が少なくなった。徳之は自分の下した判断は間違っていないと思っていたが、明るかった我が娘が元気を失っていくのを見るのは辛かった。

 ある日、徳之は思い切って麗良に聞いてみた。なるべく優しげな慈愛に満ちた笑顔で。

「麗良、以前連れてきた坂本君のことだが……」

 はっと麗良は顔を上げ、徳之の方を見た。その目にはうっすらと涙が浮かんでいた。徳之は視線をそらして、なるべく麗良の顔を見ないようにしながら続けた。

「彼はあれからどうしている?」

 麗良はもはや流れる涙を拭うこともせず、嗚咽の間に間に応えた。

「お父さまが……あんなひどいことをいうから……、太郎さんは勉強を始めたわ」

「ほう、一体何を勉強しているんだい」

「お父さまに認めてもらうんだ……そういって……、国家公務員の……試験を受けるための……勉強をしているわ」

 麗良の言葉は、途切れがちで聞き取り難かったが、それでも太郎が勉強を始めたことはわかった。徳之は「ふむ」と曖昧な返事をすると、麗良の部屋から出て、そっとドアを閉めた。


 太郎の努力は、麗良への想いへと結実した。翌春、彼は国家公務員に合格したのである。それは麗良を我が手にすることのできるチケットでもあった。栃木で父とともに畑を耕す代わりに、彼は霞ヶ関の財務省へと通う身となった。太郎の父もこれで畑を耕す継ぎ手はなくなってしまったが、息子の快挙を喜んでくれた。

 財務省に入省後、五年経って彼はめでたく麗良と結婚した。正確に言えば、養子として、神出太郎となったのである。いずれは父となった徳之の後塵を拝して、議員となることも夢ではない身となったのだ。

 神出麗良と結婚し、高級官僚となった彼は、財務省の中でも一番といってよいほどの出世頭となった。一番信じられなかったのは、太郎自身だった。太郎は持ち前の粘り強い性格で、入省後も懸命に働きはしたが、それにしても自身の出世スピードは異常と思えるほど速かった。つい先日までは寄る辺ない身だった自分が、今や一躍スターダムにのし上がり、シンデレラボーイとなったのだ。



 さてこの物語は、愛する女性のために一心不乱に努力して、成功を掴んだある男のサクセス・ストーリーである。だから本当なら、この話はここで終わるべきであろう。

 けれどもやはり話は、余すことなく正確に伝えるべきだ。


 あまりにふさぎこむ麗良を見かねた徳之は、愛する娘に暖かい手を差し伸べようとしていた。麗良は太郎のことを諦めてはいない。しかし徳之は己の娘に「畑を耕す男」を与えるわけにはいかないと考えた。

 一晩考え抜いて、麗良が太郎を連れて徳之の前に現れた翌日、彼は太郎に短い電話をした。彼の電話番号など、徳之が秘書官に指示をすれば、調べることくらい訳はなかったのだ。

 そうして何事かと思いつつおずおずと電話に出た太郎に、徳之はこういったのである。

――麗良とのことを認めてもらいたいなら、せめて国家官僚くらいにはなりたまえ。そうなれば私も、もう一度君に会っても良い。だが私が君に話したことは、麗良には内緒だ。いいね。

 一週間後、彼のオフィスで秘書官の高村を呼んだ。

「高村君、先日お願いしていた件だが、大丈夫かね」

「ええ、お任せ下さい。私と大山財務大臣の秘書をやっている橋本くんとは旧知の仲なんです。そのつてでお願いしたところ、大臣も快諾されたといっていましたよ」

「そうかい、それは良かった。じゃもう安心していていいんだね」

 財務大臣へのコネがある高村は、その点便利な男だった。徳之は矢継ぎ早に、高村に指示を出した。たいしたことではないのだ。

 たった一人の男を国家公務員試験に合格させ、財務省に入省させればよかったのだから。

(了)

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― 新着の感想 ―
[一言] ショートというか、短編、限られたページの中で表現するのは、多分、想像以上に難しいことだと思われます。ただ、彼が財務省での異例の昇進をするあたりで、お父さんの影の力が後押ししてるのではとの予測…
[一言] ども、近藤です。  上手な文章、テンポの良い展開、ほどよいからくり、文句言うところがないんだけどいまいち乗り切れないのは、やっぱうまくいきすぎだからかなあ。  太郎くんはこれで、義理の父の言…
2008/04/12 12:17 退会済み
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