6話
「え?」
思わず聞き返す。
だからぁと河月くんはため息をつき、だるそうに頭を掻いて壁から背を離してこちらに来る。
私は15cmほど高い位置にある顔を眉をひそめて見上げる。
「落書きをしたのは、僕だって言ってるの」
彼は言った。
「なんで、どうして」
唇が渇く。声が震える。
そんなに傷ついてないのに。
それは自覚していないだけだろうか。
でも確かに普通じゃ無い。
「理由かぁ」
河月くんはまた水道場の壁に寄りかかった。
んー、と目線を泳がして小さく声を漏らす。
「別に言ってもいいけど、玲美には内緒だよ」
内緒と言われても、もう話しかけることは無いと河月くんもわかっていたと思っていた。
「まぁ、はい」
「玲美に言われたんだ、河月くんが私と付き合いたいなら落書きをしろって」
私と付き合いたいならって、それは好意の感情があるのか。
なぜ玲美ちゃんは河月くんに言ったんだ、他の人ではいけない理由があったのか。
それでも河月くんは、その言葉で私の机に落書きをした。
「ほら、玲美ってモテるじゃん。だから落書きの件については従って、可愛いこと付き合ってた方がスクールカースト的にも上に立てるじゃん」
スクールカースト。
一軍、二軍、三軍に別れる。
上位にいる方が何かと得だろう。
玲美ちゃんと紗那ちゃんは一軍。
優紀ちゃんはどちらかといえば二軍キャラ。
もちろん私は三軍に落ちていたわけで。
河月くんは玲美ちゃんの落書きについての条件を飲まなくても、一軍に属する性格だ。
顔もいいと言われていれば背だって高い。
3年生なのにサッカー部のキャプテンをまだやっているほど責任感はありリーダーシップもある。
クラスでも授業中はよく発言するし、誰かが問題が解けずに手が止まっている人を見かけたらどこが分からないの?と進んで話しかける。
高2の頃からだろうか。その時にはもう河月くんはかっこいいとか、イケメンと呼ばれていた。
一方で誰かに告白するところや女子と帰っているところ、浮いた話は聞いたことがなかった。
「かっこいいとか優しいとか、そんな言葉は言われてきたけど告白されたことは無かったからね。普通男子から告るだろって言うけど僕にはそんな勇気はないしね」
「だから楽に付き合えて、尚且つ可愛くて自分と同じ立ち位置にいる玲美ちゃんの条件を受け入れた」
「そんなところかな」
あぁそうそう、と河月くんは人差し指を立てて慌てたように話を追加した。
「正直な話、玲美のこと好きじゃないんだよね」
付き合ったことがないのは、果たして一軍と言えるのか。
河月くんはさて、とまたこちらに歩み寄る。
すれ違いざまに耳元で囁かれた言葉。
──「玲美と別れて稜月ちゃんと付き合うことだってできるよ?」
言葉の意味がわからなくて、いやわかってはいたが理解するのに時間がかかってバッと後ろを振り向く。
河月くんの細くて大きな背中が遠ざかり、教室に入っていった。
私も帰ろう。雑巾をしまってスクールバッグの中身を整理して、帰ろう。
気持ちを改め曇った心を晴らそうとする。
でもわからない。河月くんの本心が。
何かに踊らされてばっかりで、河月くんは本当はどうしたいのか。何をしたいのか。
「帰ろ」
いくら何を考えたってどうしようもないものはどうしようもない。
教室から玲美ちゃんと河月くんが出てくるところが見えた。
河月くんの顔は赤かった。
あれは演技なのか。
男子の闇も深いものだな、と思った。