1話
教室に入った瞬間。あれ、と思う。
夏休み前とは、少し違和感があると体感する。
なんていうか、夏休み前とは違う。
夏休みを終え、登校日の今日、9月1日。
始業式と2時間の授業のために登校した私は、スクールバッグを机の上に置いて小さく首を傾げた。
教室の中は夏休み中どこに行ったか、何を買ったかと自慢するように話し合う人たちの声や笑い声で賑わう。バイト漬けだったとか、身内が亡くなってお葬式に行っていたなど不幸を自慢するような話し方をする声も聞こえる。
一方、私は旅行も行っていなければバイトもせず、寝てばかりの夏休みを過ごしていたから思い出なんて一つもないけれど。
あるとすれば25時間寝ていた日があったことだけ。
何故だか誰とも夏休み中の思い出を語り合わない自分に焦りを覚えた。
誰かと話さなければ、という焦り。話に入れそうな人がいないかと辺りにキョロキョロと目を向ける。
1人の女子と目が合った。
優紀ちゃん。この子はクラスの中で仲良くしてもらっている子の1人だ。
他には玲美ちゃん、沙耶ちゃんも一緒にいた。
夏休み前はこの3人とお昼ご飯を食べたり、移動教室の時は一緒に移動していた。多分、きっとこれからも。
鞄の中身を取り出して机の中に入れ、鞄のチャックを閉めて優紀ちゃんの所に駆け寄る。
「おはよう、優紀ちゃん」
おはよう、と返事をしてくれる。
もしかしたらどこかに行って、何かお土産でもくれるんじゃないか。
勝手な妄想を膨らませていながらも、中々お土産をくれるという場面に移らないことに気づいた。そこで返事が返って来ないことを理解した。
──本当に気づいてないの?
「お、おはよう。優紀ちゃん、玲美ちゃん、紗那ちゃん」
1人1人の顔をのぞき込みながら手を小さく振る。
3人はわざとに見える驚き方をした。
これは絶対さっきの挨拶聞こえていたはずだよね、と心の中が曇る。
「わぁっ!」
「おはよう、えーと」
「名前はりっちゃんだよ!」
「あ、稜月かぁ!」
3人の弾けるような笑い声に、私も苦笑いをこぼす。
この学校は人数が少ないから3年間クラス替えがない。
言ってしまえば1年の入学式で、高校生活を上手くやっていけるかが決まるのだ。
名前をド忘れするなんてありえるのかと目を細めると、玲美ちゃんが両手を叩いた。
「あ、そうそう。みんなにお土産!さなちんとゆっきー、お土産ありがとうってことでー」
紗那ちゃんと優紀ちゃんからのお土産、あったのか。でもくれないのか。
そもそもお土産を求めることがまず正解だとは思わないが、少し傷つく。
玲美ちゃんはごそごそとショルダーバッグの中に手を入れると、3つの色違いのプレゼントバッグを取り出した。
「ゆっきーは、オレンジ。さなちんは黄色」
「えぇーっ、ありがとう!」
2人は声を揃えて言うと、携帯を内画面にして自撮りを始めた。
玲美ちゃんは私をバカにしたような目で見ると、近くの、クラスの中では割とかっこいいと言われている男子に残りの青い袋をプレゼントした。
「はい、どうぞ。気に入るといいんだけど」
「あ、ありがとう」
満更でもないような顔でその男子──河月くんはお礼を言った。
そういえば夏休み前の終業式の日、玲美ちゃんは私に河月くんのことが好きだと打ち明けていた。
夏休み中に付き合ったのかどうかは知らないが、周りからは冷やかすような声や2人を良い関係だという声が上がったから付き合ったのだろう。
「河月くんと私だけの、おそろいのキーホルダーも入ってるから良かったら使って?」
見事な上目遣いと困り顔にやられたのか、河月くんは口元を袋で隠しながら顔を赤くさせた。周りの男子もその顔に視線を集中させていた。
「い、家帰ったらすぐに開けるよ」
今度は河月照れんなよ、とか玲美ちゃん河月くんとお似合い、とかそんな声で騒がしくなる。
見てるこっちが恥ずかしくなるような空気に耐えられなくなり、自分の席へと戻ろうとした時だった。
紗那ちゃんが私の腕を掴み、意地悪に笑って見せた。
悪魔かこの子はと思っていると、腕を引っ張られ教室を出される。
「わ、なになに」
焦った私はその腕を振りほどくようにばたばたと動かした。
でも紗那ちゃんの手は離れなかった。腕に吸い付くように掴む手の指には吸盤でもあるのかと少しだけ疑った。
廊下の突き当たりまで進むと、紗那ちゃんはふぅと息を吐いて顔をこちらに向けた。悪魔のような笑顔を携えて。
「最後の最後に地獄を見せるわ」
「どういうこと?」
言葉の意図がわからずすぐに聞き返した。
紗那ちゃんは舌打ちをすると私の胸ぐらを掴んだ。
足元がぐらついたが、壁に押しつけられて足をひねることは無かった。
私の方が紗那ちゃんより背が高いはずなのに、どうしてか自分がちっぽけに感じた。
「私たち、本当は稜月と仲良くする気なんて無かったの。それでもクラスに馴染めない稜月が可哀想になってきたから保護してあげるつもりで一緒にいたのよ」
目を見開いて、クラスに馴染めない、保護してあげるつもりでの部分を強調しながら話された私はどうすることも出来なかった。
仲良くする気なんてなかった。保護してあげた。
ということは、友達じゃなくて飼い主とペット感覚だったの?
友達どころか、クラスメイトとも思われていなかったの?
嫌に心臓が大きく鳴る。景色が揺らぐ。動揺してると嫌でもわかった。
階段を誰かが上る音が聞こえた。
紗那ちゃんは小さく先生だと呟いて私の襟を離し、教室へと駆け込んだ。
階段を上りきった担任の衣純先生は私を見ては、ふんとそっぽむいた。
先生からも挨拶されない自分って一体。
いや、挨拶くらいは生徒からしなさいってことかな。
紗那ちゃんの手が離れた私は、支えが無くなったかのようにその場で崩れ落ちた。
これはなんというのだろう。
この行為とは一体。
私が今体験しているのは、絶望か。