この柵の向こうに
僕の街は、鉄柵に囲われていた。四方八方、隙間なく。でも、これは別に外が危険だからじゃない。
僕たちが、危険だからだ。
僕たちの種族は、獣人と言う。読んで字の通り、獣の能力を持つ人間たちだ。半分が人間で、半分が獣。
狼男とは少し違う。僕たちは生まれた時から、半人半獣なのだ。ここにはイヌ科やネコ科、その他にも多数の獣人が生息している。
また、狼男に似ている部分も少なからず存在している。それは、月を見た時の高揚感だ。あの時の感覚は、何とも言えない。全身の血が沸騰するようで、それでいて頭ははっきりと冴えている。何より溢れてくるのは、異常なまでの捕食欲。誰かを捉えて引き裂いて血肉をすすりたくなるのだ。
近隣には人の村がある。僕たちはたびたび底を襲撃したい衝動に襲われるのだ。
だからこその、鉄柵。もし人を殺しでもしたら、それこそ種族間の大きな争いにつながりかねない。これはそんな僕たちを封じるための檻なのだ。
それに、この鉄柵を抜けなくても僕たちは別に生きていける。
なぜなら、鉄柵の中にある居住スペースには多数の食料があるからだ。おまけに、植物も育てている。獣人とはいえ、半分は人間だ。別に肉だけ食べるというわけじゃない。
そんな僕たちは、ずっとこの中に閉じ込められている。だが、不満はない。
だって、生まれた時からずっとこうだったから。これが普通だったから。
――そんな認識が崩れたのは、ある事件がきっかけだった。
季節は夏。セミたちがうるさいほど声を張り上げ、容赦のない日差しが振り込んでくる。
そんな中、僕はふと街の外壁のところへと向かっていた。普段は行ってはいけないと言われているけど、その時はどうしても行きたくなったのだ。
思えば、それは本能的なものだったのかもしれない。
やがて僕が街の外壁に着くとそこには――一人の少女が倒れていた。その姿を見て、僕は目を剥いた。
なぜならその子も――獣人だったから。髪は白く、腕や足に生えている毛には縞模様が入っている。見たところ、ネコ科の獣人のようだ。
僕はたまらず問いかけた。
「ねぇ、君。大丈夫?」
返事はない。少女は苦しそうに息をしていた。
僕は改めて周囲に視線を巡らせる。どうにも、人は近くにいないようだ。僕はすぐさま踵を返し、街の中心街へと向かっていく。無論、助けを呼ぶためだ。
僕はこう見えても狼の獣人であり、足には多少の自信がある。全速力で駆けていくと、あっという間に中心街へと到着した。僕は肩で息をしつつ、村の駐在に声をかける。
「あの……女の子が……倒れてるんですが」
「何? 案内してくれ」
虎の獣人である彼は一目散に駆けていく。僕は痛む体に鞭を打って彼の横に並び、その場所へと誘導した。
しばらくして少女の姿が見えてくると、彼は小さく呻いた。
「……獣人? なぜ、このようなところに……」
彼は呟きつつそう言って、鉄柵を無理矢理切り裂いた。かと思うと、そこから少女の体を中へと引きいれる。
本来なら、柵を破壊することは禁止だが、事情が事情だ。彼はふっと意味深な笑いを浮かべて、少女の体を抱きかかえた。どうやら、気を失っているようである。
「ありがとう、ガラーナ。君も早く帰るといい」
「あの、駐在さん。僕もお供しちゃダメですか?」
流石に助けられたから『はい、さよなら』というのは味気ない。僕がそう告げると、彼は思案気に首を捻った後、静かに頷いた。
「いいだろう。ついてきなさい」
僕は彼の後ろをついていった。彼は少女の体に負担がかからないよう慎重に足を進めていく。本来なら走った方が早いのだが、少女がどんな状態なのかもわからない。それが当然と言えるだろう。
十分ほどして、僕たちはとある病院へと到着した。このコロニーにある唯一の病院である。彼はそこに入るなり、受付にいた馬の獣人に頭を下げた。
「どうも。ちょっと急患なんですが」
「まぁ、それはそれは。わかりました。すぐに通しましょう」
彼はすぐに頷き、そっと右の方を指さした。そこには病室がある。なるほど、あそこに直接行けということか。
「じゃあ、行こうか」
駐在はそそくさと病室へと向かっていく。僕もその後をトコトコとついていき、彼の代わりにドアを開けた。すると、ドアの向こうにいたゴリラの獣人であるドクターがこちらにジロリと視線を移す。
彼は眼鏡をクイッと上にあげながら、駐在が肩に担いでいる少女を見やった。
「ほぉ……見らぬ顔じゃのう。誰じゃ?」
「詳しいことは今から説明します」
駐在は静かに答えて、少女を近くのベッドに寝かせた。ドクターは小さく頷いてから、触診を開始する。が、しばらくしてキョトンと首を傾げた。
「ふむ……」
「どこか悪いんですか?」
僕が問うと、彼は静かに首を振った。
「いや、単なる栄養失調じゃ。飯でも食えばすぐに治る」
「……そうなんですか?」
僕の言葉にドクターは欠伸で返した。
「無論。しかもそこまで重度ではない。じゃから、安心せい。この子は死なぬよ」
彼はそう言ってカルテに何かを書き始めた。が、ややあって首を捻る。
「この子の名前は、何じゃ?」
ドクターと駐在の視線が僕の方へと集まる。だが、僕は静かに首を振った。
「知りません。僕が見かけた時には、すでに気を失っていたんです」
「ふぅむ……まぁ、それなら適当な名前でも書いとくかのう」
「それでいいんですか?」
この問いは、駐在のものだ。彼はまじめな性格をしているので、それが少しばかり許せなかったのだろう。だが、ドクターは飄々とした様子で肩を竦める。
「いいんじゃよ。わかれば後で書く。よいな?」
「……わかりました。ですが、この子はどうしましょう?」
「とりあえず、点滴でも打っておくか。その後は、ガラーナ。お主の家にでも連れていってやれ」
「ぼ、僕ですか!?」
目を丸くする僕をよそに、ドクターは当然のように首肯した。
「無論。お主が見つけたんじゃろう? じゃったら、最後まで責任を持たんかい。それに、こやつは新婚じゃて。色々厄介ごとを持ち込むわけにもいくまい」
ドクターに指差された駐在は照れ臭そうに頭を掻いていた。
「悪いね、ガラーナ。私も本当ならそうしたいんだが、まだちょっと忙しくてね」
「いや、いいですけど……」
――と、少しだけ声を潜めた僕を見て、ドクターがいやらしい笑みを浮かべた。
「それにお主、こんなべっぴんさんが家に来るんじゃぞ? 男ならちっとは喜ばんかい」
ドクターはセクハラギリギリの発現をして、またカルテを書く作業に戻った。僕はちらりと眠っている少女の方に視線を寄越す。すでにその脇では指示を受けた看護師が点滴の準備をしていた。
「さて……どうしたもんかなぁ?」
僕はそっとため息を漏らし、瞑目した。
――それから一時間ほどして、ようやく少女は目を覚ました。当初は酷く混乱していて僕たちにも襲いかからんばかりだったが、ドクターが優しく彼女に語りかけた。
「お主はな、この村の外で倒れておったんじゃよ。そこを、こやつが見つけたんじゃ」
少女の視線が僕の方に向く。綺麗な瞳だった。鮮やかな金色で、見ているだけで吸い込まれてしまうんじゃないかと思ったほどだ。
ゴクリ、と息を呑む俺を見て、少女はゆっくりと頭を下げた。
「どうもありがとう。それにしても、ここは?」
「メッカの村さ。君はどこから来たの?」
「リュカの村よ」
僕が問うと、少女は即答した。だが、そんな村は聞いたことがない。ドクターも駐在も同じように渋面を作っていた。
大体、鉄柵から出たことがないというのに他のところなど知るわけもないだろう。僕たち以外に獣人がいるのだって今さっき知ったというのに。
それに、どうして獣人が外にいるんだ?
殺人衝動には駆られていないのだろうか?
不思議に思う僕たちをよそに、彼女は続けた。
「私はニーリ。よろしく。今は旅をしているの」
「旅!?」
これでもかと目を見開く僕に、少女は静かに答えた。
「ええ、そうよ。旅。自由気ままな旅よ」
「いや、でも……君にはないのか? その……衝動が」
獣人である彼女にはその真意がすぐに伝わったようだ。ニーリはポン、と手を打ちそれから真剣なまなざしで口を開く。
「大丈夫。それを押さえる術を知っているから」
「まさか。あるわけがあるまい!」
ドクターが声を荒げた。そうだ。そんなものがあれば、こんな柵なんていらないじゃないか。
いぶかしがる僕たちをよそに、ニーリはそっと自分のポケットから袋を出してみせた。そこには……いくつかの丸薬が入れられている。黒くて小さい、ダンゴ虫ほどの大きさをしている。彼女はそれを僕たちに見せつつ、そっと囁きかけた。
「私たちの村では、こういうものがあるの。月の出る晩にこれを飲むだけで、衝動を抑えることができる。人を殺したいという、肉を喰らいたいという、他者を殺したいという、欲求から身を守ることができる」
「そんな馬鹿な……」
唖然とするドクターにニーリはそっとその丸薬を手渡した。
「よかったら、作り方を教えましょうか?」
「いいの?」
僕の問いに、ニーリは優しく微笑んだ。
「ええ、そうよ。助けてもらったお礼。如何かしら?」
ドクターはそれをまじまじと見つめた後で、そっと目を閉じた。それは、了承の意と捉えていいだろう。
ニーリはふっと頬を緩めて、僕の方に向きなおった。
「本当にありがとう。助かったわ」
「いや、僕は何もしてないよ」
その時、ふとドクターがいやらしいジェスチャーをしているのが目に入った。なんというか、本当にやめてほしい。
嘆息する俺に、彼女はそっと手を突き出してきた。僕はその手をそっと握り返す。柔らかくて、温かい手だった。
「よろしく、ニーリ」
「よろしく。えっと……」
「ガラーナ。ガラーナっていうんだ」
「じゃあ、ガラーナ。改めてよろしく」
僕と彼女はがっしりと握手を交わした。
――だが、この出会いが後に悲劇を生むとは僕たちはまだ知らなかった。
曰く、ニーリの住む村は遠い山の中にあり、人もいなかったそうだ。だが、それでも山を訪れる人々はいる。そう言った者たちに危害を加えないために編み出されたのが、彼女たちの作った薬『獣薬』だったのだ。
ドクターが言うには、僕たち獣人が満月の日に分泌する脳内物質を極端に減少させる効果があるらしい。当然、彼はそれの量産化に入った。
その効果に反して作り方はいたって簡単だった。いくつかの野草を調合して、それを乾燥させるだけである。だからこそ、ニーリも旅でそれを切らすことがなかったという。
その薬ができるなり、村に住む者全員にそれが配られた。そして、満月の日。それを飲んでみると――効果はてきめんだった。
あれほど苦しんでいた殺人衝動が一切なくなり、すっきりとした気分で夜を明かすことができた。その結果に、ニーリ以外の全員が目を剥いてしまったほどだ。
その後、鉄柵が、初めて取り除かれた。僕たちが人間に危害を加える危険性がなくなったからだ。
子どもたちは初めて見る外の景色に歓喜した。いや、もちろん僕たちもだ。生まれて初めて柵の外に出たのだ。
見慣れない木や、花や、動物が次々と視界に飛び込んでくる。
僕はニーリと並んで歩きながら、前を歩く子どもたちを見やった。
「無邪気なものだね」
「ええ、そうね。可愛い」
彼女は暫しこの村に滞在することに決めたようで、一か月が経っても僕と同居していた。彼女の話すことは何もかもが面白く、僕はそれだけで幸せだった。
僕はそっと微笑み、呟く。
「ねぇ、ニーリ。よかったら僕と……」
「ガラーナ! 来て!」
ふと、彼女のものではない声が耳朶を打った。見れば、前を歩いていた子供たちが手を振っている。僕はすぐさまそちらに寄った。
「どうした?」
「ほら、あそこ!」
彼らが指差しているのは――人の集落だった。そこでは、多くの人々が暮らしているのが見てとれた。僕たちと、大体同じような生活を送っている。
「ねぇ、行ってみようよ」
「そうだよ! きっと仲良くなれるよ!」
子どもたちは無邪気にそう言っている。だが、ニーリが不意に割り込んできた。
「ダメ!」
普段の彼女からは想像もできないほどの語調に、僕たちは飛び上がった。彼女は目尻に涙を浮かべながら静かに告げる。
「それは、ダメ。絶対に」
「どうして? いいじゃないか」
「絶対にダメなの!」
彼女は大声を上げて否定した。その様相に、僕だけじゃなく子どもたちまで息を呑む。
「……行こうか」
僕はそれだけ言って子どもたちを先導して村へと向かっていく。彼らは皆一様に肩を落としていた。ニーリだけは、どこか鋭い目つきで村の方を見つめたまま、肩をいからせていた。
その次の日のことだった。人間の村へ行った子供が大怪我をして帰ってきたのは。彼は、ただ人間の子供と遊びたかっただけだという。
なのに、人間たちは鉄熊手や松明を持って彼を撃退した。その子は全身ボロボロで、生きているのがやっとという状態だった。
その様を見たニーリは、村人たちにこう告げた。
「人間たちには近づいてはならない。彼らは危険で、獰猛で、なにより他者を嫌う」
――と。
――その時になって、僕たちはようやく理解した。
僕たちのご先祖は、人間を傷つけることを恐れてあの鉄柵を張ったのではない。
彼らから身を護るために、張り巡らせたのである。
僕たちはすぐさま柵を張りなおそうとした。だが、その時にはもう遅かった。
人間たちは僕たちの村を見つけており、襲撃を開始したのである。
そうして――僕たちの村は、壊滅させられた。
村人は土地を追われ、散り散りに去っていった。
すでにその時には、ニーリの姿もなくなっていた。
もしかしたら、彼女は僕たちと同じ目に遭ったのではないだろうか?
人間たちに歩み寄ろうとしたのに、迫害を受けたのではないだろうか?
だが、それを確かめるすべはない。
僕は今日も、安住の地を求めて歩き続ける。