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【競演】薔薇の名前

作者: keisei1

 29才の作家、只野真一は、思わず手を止めてテレビに見入った。そこでは「オリエンタル・70’s」という音楽ユニットの演奏が始まっていた。

 この「オリエンタル・70’s」は、ヴォーカルの入来真緒の単独ユニットであるものの、バンド性を失わないために、作曲者はいつも同じ、作詞は真緒が担当、とバンドの体裁を保っていた。

 入来真緒は、「2010年代注目のアーティスト10人」の一人に選ばれるほどの歌唱力の持ち主で、その率直、素直な歌詞、ストレートなパフォーマンスには定評があった。

 転じて、只野真一の方もご多分に漏れず「その10人」の中に選ばれており、真一は、入来真緒には同胞にも似た意識と、少なからぬライバル心があった。

 その真緒のテレビでのLiveパフォーマンス。しかも新曲披露。只野の手が止まらないわけがない。

 そこでは、テレビの向こう側では、自分を精一杯解放させて、精一杯炸裂している真緒が「薔薇の名前」という歌を唄っている。真一は、音楽に特に興味があり、特別造詣が深いというわけではないが、その彼でさえ、一気に惹き込む魅力と、ある種の破壊力が、爽快さが、そして疾走感がその曲にはあった。

 サビの部分で「薔薇よ、咲き誇れ。輝ける一つの魂のように」と歌い上げる真緒の姿は、鮮烈で、人を圧倒する魅力があった。真緒に、同じクリエーター、同じアーティストとして、競争心をもそこそこ持っていた真一は、そのパフォーマンスを前に感服し、苦い敗北感をも噛み締めた。

 自分は自室で、青年向けの軽いタッチの文学を手掛けている。一方で真緒の方はテレビで、多くの人の前で、多くの視聴者に向けて、一つの自分の全盛期を見せることが出来ている。

 「完敗だな」。そう思わず投げ槍気味に真一は零すしかなかった。片手にしたコーヒーを軽く口に含むと、少しの間、真一は筆を置いた。

 それからしばらくして、あの真緒の痛烈なLiveパフォーマンスを観たあとで、真一と真緒はふとしたきっかけで会う機会があった。それは共通の知人の結婚式だった。真緒にしては、地味目であるものの、華やかな衣装に身を包んだ彼女は、花嫁の魅力を損なってしまいかねないほどの、奔放な魅力があった。

 真緒は真一を見つけると、嬉しそうに駆け寄ってくる。この前の「薔薇の名前」の演奏で少なからぬトラウマ、しこりが胸に残っていた真一の方は、ややぎこちなかったが、真緒の方は天真爛漫を絵に描いたような面持ちで、その仕草、素振りには、人を惹きつけてやまない愛らしさがあった。

 真緒は真一の両手を握ると、幾度も上下に大きく振って真一に話しかける。

「真一君! 元気してた!? 久し振り!」

 言うならば「『薔薇の名前』ショック」が若干残っていた真一だが、彼女に少しつられて、笑顔を見せる。

「ああ、元気してたよ」

 すると真緒は嬉々として、この前のテレビ出演のことを口にする。その様子には嫌味や悪意は全く感じられない。真緒は、真一が真緒に抱いている複雑な心境など知るよしもないのだろう。真緒は嬉しげだ。

「観てくれた!? この前の『薔薇の名前』のテレビ初演奏!」

 自分自身、「完敗」を認めざるを得ない出来だっただけに、少し控えめに真一は応対する。

「うん。観たよ。最高だった。『完敗』だったよ。僕の」

 その言葉を聞いた真緒はあどけない表情で、目を丸くする。

「『完敗』? それ一体どういう意味?」

 彼女は笑って真一と会話を続けようとしたが、そこは人気者の彼女だ。結婚式場では引く手あまた。別の知人に呼び寄せられて、その場を去らざるを得なかった。彼女は手を振って真一に別れを告げる。

「それじゃあ、真一君、また! その時の話は今度ね!」

 真一は、まさに「輝ける魂」のようであった真緒の後ろ姿を見送りながら、なぜか「彼女と会うことはもう当分ないだろう」と漠然と思っていた。

 それからの真一と真緒は対照的な生涯を送る。真一は真緒への「完璧」な「完敗」を機に、より一層文学に、書き手として力を入れて、数多くの文学賞を手に入れていく。彼はうなぎのぼりで人生のピークへと到達していく。

 一方の真緒はあの「薔薇の名前」を披露した時の、テレビ出演が最後の「輝き」、これまた人生のピークであったかのように、その後ヒット曲に恵まれず、下降線を辿っていく。彼女は二度の結婚、離婚を繰り返し、私生活の面でも決して充実した、恵まれたものとは言えない半生を送っていく。

 真一と真緒は、あの時、あの披露宴会場で会って、別れた時、真一が感じたように、もう会うことはなくなっていた。片や文芸の成功者、文壇のスターとなっていた真一と、落ちぶれてしまったシンガー。接点も何もないと周囲も踏んだのだろう。二人を引きあわせる場を持たせることもなかった。

 真一は、自分の成功を喜び、自分の辿った足跡に感謝していたものの、何か物足りないものを感じていた。「彼女と、真緒と一緒に成功したかった」。そのような思いが、一種の恋愛感情にも似た思いが、真一にはあったからだ。

 だがそれは叶わなかった。「神様は自分の望みを叶えるのがお嫌いらしい」そう、うそぶいてみせることしか真一には出来なかった。

 それからやがて、あの時、「薔薇の名前」から30年の月日が経ち、59才となった真一はちょっとしたパーティーで、彼女、真緒と再会する。髪の毛に白髪の混じる真一は、パーティー会場の片隅で、元気がなく、覇気なく、ひっそりと椅子に腰掛けている真緒に近づく。

 真緒はその時、ワインを嗜んでいたが、知人の話によると彼女は重度のアルコール依存症にもかかっていたらしい。真一は、そのことを彼女に極力感じさせないように、ゆっくりとワイングラスを彼女から取り上げる。

「飲み過ぎは、よくないよ」

「真一さん」

 真緒はまるで初恋の人に再会したかのような、一種の高揚感を顔に見せたが、それは瞬く間に消えてしまった。「薔薇の名前」以降の彼女の不遇が、そうさせたのかもしれない。

 彼女は一瞬、辛そうな、切なそうな表情を見せると、「それにしても」と前置きして話を始める。

「随分、差がついちゃったわね。二人とも『2010年代注目のアーティスト』だったのに」

 彼女の瞳は憂い気だ。だが恨みがましい様子は微塵もない。

「真一君は小説家として大成。大きな成功を手に入れて、私は落ちて行く一方。本当に散々な目に遭ったわ」

 「散々な目に遭った」と真緒が口にした時、彼女に一瞬、盛時の茶目っ気が戻ったように見えたが、それもやがて掻き消えた。真緒は、彼女は寂しげに口にする。

「結局、才能に差があったんでしょうね。私は持って10年の花火のような命。そしてあなた、真一君は後生にまで名を残す大器。二人とも居場所が違ったのよ」

 その言葉を聞いた真一は、口を真一文字に結び、少し身を乗り出すと、真緒の左手を握る。

「とんでもない。二人に差があったなんて。あなたは不運に見舞われただけ。私は運が良かったのです」

 そして真一は「何しろ」と言葉を続ける。

「私は未だに『薔薇の名前』に完敗したままですよ。あの時の敗北感がのちの私を支えています」

 「薔薇の名前」の曲名を耳にした真緒は、「いいわ。その話はもうやめて」とさり気なく遮った。だがその素振り、仕草を見た瞬間、真一は大声をあげて「薔薇の名前」のサビを歌い上げた。

「薔薇よ。咲き誇れ。輝ける一つの魂のように!」

 壮年となった白髪の男性が、周囲の目も気にせず、はばからずに、当時若者だった二人の思い出の歌を歌い上げる。相当覚悟のいることだったろう。だが真一は恥じらいや、遠慮など、微塵も見せなかった。

 その様子を見た真緒は、若干恥ずかし気に、顔を伏せて、瞼を閉じると「ありがとう。真一さん」とだけ口した。

 それからしばらくして、あのパーティーでの素晴らしい思い出から、一、二年経った頃だろうか。真一は真緒の訃報を聞く。彼女は膵臓を患っていたらしい。過度のアルコールへの依存が、彼女の体を蝕んでいたのだろう。仕方なく、来たるべくして来た「死」であったかもしれない。

 その訃報を知らせてくれた、真一の担当編集者は、こういう噂話を口にする。

「彼女、最晩年は本当に恵まれなかったですね。酒に溺れていたみたいだし。それに二度の離婚が彼女を傷つけていたようです。彼女、レズビアンの気もあったとか。『輝ける魂』も落ちぶれるものですね」

 その話を聞いた真一は、目を鋭く見開くと、こう口にする。

「彼女、入来真緒は、私にとって『輝ける魂』のままだよ。彼女がいたからこそ今の私がいるんだ」

 そして望郷の念、ノスタルジー、感傷など一切感じさせない口調で、真一はこう言い切るのだった。「『入来真緒』とはまさに私にとって『薔薇の名前』だ」と。

【競演】に投稿する予定だった作品です。締め切りに間に合わなかったので、唯野さんの許可を得て【競演】と銘打って投稿させていただきました。楽しんでいただけたなら幸いです。_(._.)_

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