◆幕間⑥-1 恋わずらいは霹靂のごとく
拷問吏がいろいろな意味で、ルーを気にしているという話。
9月13日、午前11時。
寝台に横になったまま、ガジュはカッと目をみひらき天井をにらみつけていた。
顔の下半分を拘束するかのように、ぐるぐると厚く巻く包帯がいまいましい。
薬師の爺よりぜったい安静を言い渡され、はや八日。
下顎が骨折しているせいで、完治するまで顎を動かさないよう極細の金属糸で上下の歯を固定されている。
放っておけば歯のかみ合わせが悪くなるばかりか、顔がゆがんでしまうからだとか。
今さら、この凶悪なツラ構えが多少ゆがんだところで気にはしない。
不便だからとれと爺を脅したが、それに関しては頑として兄ロリンが許さなかった。
おかげで口を開けることもままならず、食事は毎日ドロドロの粥だ。つまり流動食。
……流動食! このオレがそんな病人食を食うはめになるとは……ッ、それもこれもあの黒髪女のせいで……ッ! よもや手にかけた鉄枷で反撃してこようとは!
まったくもっていまいましいッ、アレで女か? 冥府の使徒とも恐れられた、拷問吏たるこのオレがなんという屈辱───────………
クレセントスピア大陸の最北端に位置する軍国キャラベは、禁忌の海域からは〈クトリの殺人鬼〉、未開大陸からは〈未知の危険生物〉など人外的なものがよく漂着する。
だが、たまに人間も漂着する。内海をへだてたクインフォウ大陸からの貧困にあえぐ難民だ。ヤツらは象牙色の肌に黒髪黒曜眼の容姿が多い。
王城の地下の拷問室にはもともと専属の拷問吏らがいるが、黒髪の女が囚われるとまず、自分の元に知らせがくる。
「あなたさまが女を生ける屍に変えるさまは、それを生まれながらに生業とするわれらにすら、戦慄をもたらすものでございます」
そんなことを言っていた。
オレの手にゆだねられた黒髪の女らは、他国の間者としての有無を調べてのち、海水が流れこむ廃棄塔にとじこめて始末される。強情に潔白を言いはるも、最後にはかならず我が国に不利益をもたらさんとしたことを白状するからだ。
我が身かわいさで仲間を売る黒髪女もいた。
だからといって手心をくわえる気など毛頭ない。
逃げだす者も手向かう者などいなかった。あたりまえだ。
オレを前にして、そんな気力を保ったままのヤツなどいるはずもない。
なのに、あのチビでガリでクソ生意気なうす汚い黒髪女ときたらどうだ。
「……黒髪女にそうとうの根深い恨みがあるってことか?」
「それを拷問でうさ晴らししようとしてる?」
「あのさぁ、報復なら当人にしなよ」
恐怖する片鱗すらみせない。それどころか。
「あのなっ、おいらの顔よく見なよ! そのヒトにそんっなに似てるか? 目の色は? 背丈は? しゃべり方は? おいらはルー・クランだ! 名はどうなんだ!?」
どこまでも食い下がる。まるで自分が正しいとでも言うかのように。
はらわたが煮えくりかえってしょうがない、次に見つけたらどうしてくれよう……!
報復を考えかけて、飄々とした銀の男が頭をよぎる。
オレが率いる魔法士団第十六部隊は五十名。
キャラベ軍の中でも選り抜きの精鋭だというのに──ヨドヒル岬で、そのうちの五名がたったの一撃でやられた。情けないにもほどがある。
この先も、あの男が例の黒髪女の護衛につくのだろう。
部下の攻撃をすべて相殺し、なおかつひとりも討ちもらさず、殺さず……偶然か?
そんなわけない。あの場にいた五名すべて命に別状はなかった。
手足の骨を粉砕されただけだ。原型をとどめてないので元通りには治せないだろう。
いや、非合法の魔獣移植をすれば形はどうあれ機能はとりもどせるだろうが……金がかかるし副作用によるリスクが高い。
確実に戦力は削がれたといった方がいい。
「置き土産なしはやはり失礼だろう」
キャラベから、黒髪女の逃亡手引きをしたときもだ。
───ヤツは囲みの魔法士軍を突破し、彗星のごとく巨大な白銀の熱球をぶちこんできた。王城を背にした我らはこれに対し、総出で守りの態勢を強いられた。
あのときあの場にいた魔法士のただひとりでも抜けてヤツらを追えば、たちどころに守りの均衡は崩れただろう。足止めを食らわせるための絶妙の攻撃量だった。
本気を出せば王城ごとふき飛ばしたかもしれない。
いまいましいことだが王の腰巾着が加勢しなければ、追いすがることも不可能だった。──とはいえ、愛用の長柄戦斧を折られた時点で、あの男の相手は腰巾着にまかせたが……結局は、逃げられた。
天才魔法士の噂は騙りでないと知った。真っ向からやりあってもおそらく無理だ。
そもそも術の威力のけたがちがう。
一見とはいえ、あれは大陸に数人しかいない大魔法士クラスに迫るだろう。
キャラベ軍に従事する魔法士千人を総動員しても倒せるかどうか。
もとより、オレは魔法士団の第十六部隊隊長とはいえ、その立場を重要と考えたことはない。はなから勝てないとわかる相手に、国の軍事力をつぎこんで挑むほどばかばかしいことはない。
スターブレス島での報告をもってきた兄上も言っていた。
べつの島に隠していた新式の魔法武器は、使う前にすべてヤツに破壊されたと。
目はしが利き、術の痕跡ものこさず迅速に行動に移す。
やっかいな銀彗の魔法士とやりあうことが目的ではない。
目的は、どうやって……ヤツの目を盗み、黒髪女をとらえ八つ裂きにするかだ。
そうだ、黒髪の女は、この世のすべての黒髪をもつ女は災厄を呼ぶ。
許してはいけない。生かしてはならない。
ふいに脳裏をかすめた。
猛烈な吹雪の中にひるがえる長い黒髪。雪よりもしろく温度のない顔は蝋人形のようで、口角をあげた真っ赤な唇しかみえない。
もう、いないはずの女。殺されたと聞いた。
千年生きた化け物だから蘇えらぬよう、こまぎれにされて燃やされたと聞いた。
いや、ちがう。そんなはずはない。あの女が死ぬはずはない。
かならず生きて、オレを、オレたち兄弟を探しているはず。
あちこちで賞金首になった女は、得意の怪しい術で姿を変えているかも知れない。
だが、女であることをつねに武器にしていたのだから、決してそれを捨てないだろう。
闇夜より漆黒の自慢の髪色を変えるはずもない。
どこに隠れているかわからない。
それでも、きっと黒髪女の姿でもどってくる。
すきを見せれば、今度こそ確実に、裏切ったオレたちを殺しにくる。
だから、こちらが先に見つけ狩るのだ。もう子供ではない。
大事なものはこの手で守れる。
それは自身に課された正義の制裁。
呪われた過去に穿たれた運命の楔。
断ち切るには黒髪女を殺すべし殺すべし殺すべし。
「そのヒトにそんっなに似てるか?」
いまわしい過去の記憶を打ち消すように、声がさえぎった。
「……」
まるで少年のような短い黒髪に、おおきな瞳が憤然としてこちらを見ていた、あのとき。
髪が黒い以外の共通点は、……ない。
……そういえば、あの千年魔女の顔はどんな顔だっただろうかと、ふと思う。
思いだせない。ずいぶん昔のことだから、覚えてない。
やたら濡れたように艶めいた赤い口唇だけが、鮮明に残っているぐらいで。
いつも、嫌な笑みをはりつけていた。高慢に命令を下していた。
残虐で愉しいことを思いついたときだけ、猫が機嫌よくのどを鳴らすように、女は「ねぇ」と甘い声を出した。
拷問にかけた女たちは、こびてすりよるような命乞いをしてきた。
──あのチビの黒髪女は?
言葉で反発するばかりか、反撃をしてきた。
そして。
「おいらだって命は惜しいし、だれだって害されるって思ったら反撃ぐらいするんだから。これでチャラにしようよ。誓って、おいらはその黒髪女がやったようなことは、あんたに一切しないよ!」
いきなり図星をついてきた。
キサマに何がわかる。言おうとして、だけど言葉にならなかった。
似てないのかも知れない。アレと同類ではないのかも知れない。
〈同類〉……そうだ、わかっている。知っている。
もしあの女なら、手枷をはめられるような間抜けなことにはならない。
自慢の黒髪を手入れもせず、艶もないままボサボサにしてるわけがない。
だが長年に渡り、身体の、心の奥底に噴きだまるこの憤怒は、憎悪は、はげしい殺意は、おさえようがない。
ガジュは一度、目を閉じた。そして、うっすらと目をあけた。
剃刀のようにするどく酷薄な光がやどる。
そこに先ほどまで生じていた混乱や迷いはない。
この世の黒髪女はすべて死ぬべきだ。
そのとき、心の平穏は訪れる。
彼は本来の曲がりくねった信念に立ちもどった。
〈クトリの殺人鬼〉は国外へ逃亡した以上は抹殺すべき……いつも死にぎわで手を止める拷問とはちがう。最終的には、どうやって……殺すか。
鉄壁の守りを崩すのは至難だが、それを越えて血の海にうかぶ獲物を想像しただけで笑いがこみあげてくる。くく、と思わず笑いがもれる。
ふと気配を感じて視線をむけた先、扉のすきまから盆をもってはいりかけていた若い女中がいた。彼女は顔面蒼白で、そのままそっと後ずさり、音も立てず扉の向こうへひっこんでしまった。
───薬をもってきたんじゃないのか。
見たことのない顔だった。新入りか。
いつもならそんな無礼な女中はとっつかまえて鞭でニ、三発しばくのだが、起きようとしたとたんに顎まわりに強烈な痛みが走った。
思わず顔をしかめ掛け布をにぎりしめた。
くそ、……傷が治ったら覚えていろ!
かるく扉がノックされ、兄が入ってきた。
ふんわりとした柔らかそうな青く波打つ髪が、歩くたび肩の上でゆれる。
先ほどの無礼女がもっていたと思わしき、水差しと薬包の乗った盆を手にしていた。
「また、そんなコワイ顔して。女中が部屋に入れないでしょう?」
笑顔でやんわりいさめるように言う。
入りたくない、のまちがいだろう。
さっきの新入りに限らずだ。どこへ行こうと女には敬遠される。
目が合っただけ、近づいただけで脱兎のごとく逃げられたり、怯えたり泣かれたり悲鳴をあげられたりなど日常茶飯事だ。
さもあらん、魔法士団の一隊長の肩書きよりも、非情な拷問吏のほうでガジュ・ロビンの名は通っているからだ。拷問吏は賤民として蔑まれる地位にあるが、それを嬉々として趣味でやっているからだろう。
賎民とは「名誉をもたぬ者」、つまり「人としての権利を持たぬ者」であり、接触したり会話を交わしたりともに食事をするだけで、賤民に落ちると一般的に考えられている。
オレの場合は、キャラベ第一王子直属の第十六部隊隊長という誉れ職にもあるため、賤民などと口に出しては言えないが、できれば近づきたくも近づかれたくもないのが本音だろう。
特に黒髪女限定で執念を燃やしているオレは、世の女どもから見れば賎民として忌み見下すよりも、恐れおののく存在らしい。
兄からちいさくたたんだ薬包を受けとりながら、ふと、なにかを思い出しかけた。
そういえば、いつだったか、だれかに薬を飲まされたような……もやがかかったようではっきりしない記憶だが、あれは…………スターブレス島で………か………?
金……金色のながい髪……だれか………だれだ? ……おんな、そうか、思いだした。
兄上と殿下の居場所を探していたときだ。
館の庭まで忍びこんだもののだれもおらず、具合も悪くなる一方であせっていた。
そこに現れた女だ。やたら病的で不健康そうな顔色だった。
こいつもまた、ほかの女と同じくオレの顔を見たとたん逃げだしたので、とっさに逃がすまいとその足に飛びついた。女は動揺のあまりこけた。
目の前で盛大にスカートがめくりあがった。見るともなし見てしまった。日差しの中でなおまぶしい純白フリルレースのひざ丈ズボン。生地がうすい。きっと下着だ。
こけたはずみで四つん這いになったときに、年頃にしてはちいさく滑らかな臀部の形がくっきり……。思わずこっちまで動揺した。
よけいなことまで思いだした。
侵入した女を鞭打ちであられもない姿にすることもあったというのに、よもや、そんなことで今さら……?
しかし、侵入者といえばみな、海や山を越えてきたため泥臭く汚いなりだ。深窓の令嬢のごとき絹の下着など身につけてるはずもない。……少々、免疫がなかっただけだ。
そのあとは、たしか、痛みと熱で意識が朦朧としてきて……そいつに手をひっぱられて魔獣車まで歩かされた気がする。
「コレ飲んで。痛みと炎症おさえるから」
そう言われて、沈みかけていた意識が一度だけ浮上したときに、女の顔がはっきり見えた。病的に痩せこけて見えるのに、おおきな目には強く輝くような精気がやどっていた。
魔獣車の中で陰って色まではよくわからなかったが、青……っぽかったような。
そしてなぜか、心配そうな表情をしていた。
さっきは怯えて逃げようとしたくせに……よくわからない女だ…………………今ごろになって気になった。なんという名だったのか。
聞いておけばよかったと、ちょっとだけ後悔した。
……ナゼ後悔? それに名なぞ聞いてどうする。
……また会うつもりか? 会いたいと思っている……? このオレが?
なんのために? 拷問したいのか? 血を見たいのか?
いや、ちがう、そんな気持ちは湧いてこない。じゃあ、なんだ? わからない。ナゼ?
病的な金髪女に会って、自分はいったい何がしたいというのだ?
疑問符の無限ループに突入しかけていた。




