37 真夜中の甘味屋台と三度少年剣士
ようやく見つけた。
月の光が届きにくい暗闇の中で、ハリネズミのように短い髪を立たせた男がシトロンを担いだままこちらに背をむけ、立ち止まっている。
「また悪さしてるの? 懲りないね」
さらに前方の深い闇の中から、子供特有の澄んだ、それでいて落ち着きのある声があたりに響いた。
ハリネズミ男は彼女を担いだまま、じりじりと後退してくる。
ルーとの距離が狭まるのにも気づかず。
後方から復活したらしい、フラレ男とソバカス男のさわがしい喚き声が近づいてくる。
ルーは棍をくるっと振ると、勢いをつけてハリネズミ男の脇腹めがけた。
>の形になって倒れたやつからシトロンは抜けだすと、憤怒もあらわにホウキを両手でにぎりしめ、やつをメッタ打ちにしはじめた。
「ヒトのお尻をいつまで触ってんのよ! このヘンタイ! ドスケベ! 誘拐魔! 女の敵! あんたの親はいったいどんな躾してんのよ、ええ!?」
そのど迫力に、追ってきた二人の男もすこし離れた場所から、しばし呆然とそれを見つめていた。見てくれ仔栗鼠な少女とて、怒らせると怖いものだ。
やっと我に返ったフラレ男がキレ気味に「オイ」とすごんで、一歩踏み出そうとしたとき───あわい月明かりが届く位置に、ちいさな人影が現われた。
それを見た男二人の動きがまたもや止まる。
肩の上で切りそろえた黒髪を揺らして、ちいさな少年が小首をかしげて言った。
「ねぇ、キミたち。まだ休暇中なの? たしか三ヶ月前にもファリフォン遺跡町で女の子に悪戯してたよね?」
男たちは顔を強張らせた。
「あぁ、ふたり減ってるから、彼らはボクの〈お願い〉を聞いてくれたってことかナ」
「ヒイッ!」
まるで黄泉路へ手招く死人にでも遭遇してしまったかのように蒼ざめ、脱兎のごとく逃げだした。いまだホウキで乙女の制裁を受けている不運な仲間など、もはや眼中にない。
あっという間に足音は遠ざかっていった。
「人の顔見て悲鳴をあげるなんて、いい大人が笑っちゃうね」
ルーは彼を見て驚いた。
セシル国で熊男に拉致られそうになったときと、ガレット国の温泉町で末期悪魔の食事にされかけたときに、助けてくれた少年だ。
やはり今日も、あの身の丈よりもおおきな剣を布にくるんで背負っている。シンプルな藍色のマントに黒灰色の装束。
シトロンも、ようやくこの異様な状況に気づいたらしい。仔栗鼠のようなつぶらな目を見開いたまま、逃げた男たちの方角と少年を交互に見ていた。
何がなんだか、さっぱりわからないといった顔をしている。
だが、ルーは彼の見事な剣さばきを知っているので、彼の言葉から察するに、以前に脅されたことがあるであろう、フラレんぼたちの反応は当然だとも思えた。
なにせ、十歳にも満たないであろうこのちいさな体で、食人末期悪魔の兄貴分という四メートル級の虎頭末期悪魔を、反撃の隙すら与えずみじん斬りにできる戦慄の腕前なのだから。
ルーの好奇心がむくむくと頭をもたげた。
とりあえず、やつらに何をしたのか聞いておこうか?
遺跡町で聞いた噂と関係がありそうだし。
「なぁ、最近、この近隣の町で身なりのいい暴漢が横行してるって噂があるんだけど、さっきのやつらかな?」
「そうだね。以前は五人で悪さをしてたよ。主犯格の二人はきつくお仕置きしといたから、たぶん、もう人前に出ることはないと思うけどね。残りの三人は使い走りみたいなものだったから、手加減したんだけど……いま、最近って言ったよね? 一番近い事件の話を聞いたのはいつ?」
それには彼の言動を訝しみつつも、シトロンが答えた。
「先週よ。この町で。花屋の娘が顔に大きなやけどを負って、ふたつ向こうの区にある路地裏で見つかったわ。焼きゴテを押されたようなひどい痕よ。犯人のことをしゃべったら、今度は殺されるから言えないって泣いてた」
夜の闇を受けて深く沈んだ少年の空色の瞳が、剣呑に細められた。
「そう。やっぱり禍根は摘んでおくべきだったね」
彼はくるりとちいさな背を向け、殴打のあまり顔がアザだらけで突っ伏していたハリネズミ男に近づいた。跪いて耳元でなにか囁くと、あきらかにハリネズミ男がビクついた。
無理やりあげたその顔には恐怖が張りついている。
そして、何故か起きあがることも忘れて四つん這いになったまま、必死に月明かりの届かない暗がりへと逃げていった。
「それはそうと」
何事もないかのように戻ってきた少年は、彼女たちに呆れた視線を送った。
「またこんな夜中に裏通りを歩くなんて……キミの連れだという魔法士はどうしたんだい」
面識のあるルーに問うてきた。
女の子だけで、と言いたいのだろう。
「宿で寝てる」
「一度、その呑気な連れに注意しておきたいね」
まさかの発言に、ルーは蒼白になった。
「う、それはダメ。怒るとめちゃくちゃ怖いんだ!」
「キミはちゃんと怒られた方がいいよ」
「そ、それだけはヤメテ……マジで首に縄つけられるから!」
もちろんそれは比喩だ。
例の、印をつけて繋ぐと危険があれば、即、彼に召喚されて逃げられるという魔法。
だが、四六時中こっちの思考が筒抜けになるという、恐ろしいオマケ付のことを言ってるわけだが。
無断外出がバレたら、強制的にかけられそうだ。
いつも食べ物のことばかり考えてるとか、たまに見た彼の寝顔がありえないほどカワイイとか、そんなのリアルタイムで知られるなんて冗談じゃないって!
きっと、拳骨や頬をひっぱられるどころの制裁ではすまないに決まっている!
ルーのはげしい動揺ぶりをみて、少年はちょっとだけ息をついた。
「もしかして、この先の屋台に来たのかい? しかたのないコたちだね。……まぁ、アレを早々に片付けておかなかったボクにも責任はあるし、嫌な思いをさせただろうからね、奢ってあげるよ。ついておいで」
暴漢を言葉だけで追い払った不思議少年に、シトロンははじめ戸惑っていたようだが、いまの台詞で、もうその程度の疑問はささいなことと空の彼方へすっとばしてしまったらしい。仲良くなったウルと知り合いらしいことも見てとれたので、安心してうきうきしながら彼の後をついていった。
「そうだ。以前、末期悪魔から助けてもらったのに、お礼言わなくてごめんな。それと、ありがとう」
ルーが後から声をかけると、少年は振りむいて目を細めた。
「どういたしまして。……棍、まだ代えてなかったんだね。ちゃんといいものを持たないと、キミのその腕も十分に発揮できないよ?」
「あ……うん、さすがにこれじゃもう使えないから、そうするよ」
そういえば、と折れた棍の先を見つめた。
本当にサディスの予言通りになってしまった……。
ふと、名前を聞いてないのを思い出した。
「おいらはウルって言うんだ。名前教えてもらえるかな?」
命の恩人に偽名しか名乗れないのもなんだが。
「名乗るほどの者ではないよ」
彼はちいさく笑ってそう言い、また前を向いて歩きはじめた。
隣区の木々にかこまれた暗い広場に、ぽつんと明かりの灯るちいさな屋台があった。
甘味という心の癒しを裏切るような極悪ヅラオヤジがそこにいた。
シトロンはびびって、屋台から五メートルほど手前で足をすくませてしまった。
旅の間にその手の顔は見慣れたルーでさえ、壊れた棍を構えてしまうほどだった。
顔には縫合痕がミミズ腫れのごとく縦横断しているし、肌の色も死者のように青白く、戦士並にガタイのいい巨躯をしている。
つまり人間というより化物により近いので、つい、憑物士か! とルーは勘違いしてしまったのだ。
しかし、一拍のち、すさまじい違和感がソレをとりまいていることに気づく。
頭に赤い格子柄の三角巾をかぶり、その巨体にかけられたホルスタイン柄の白黒エプロン、青白くばかでかい手が生クリームの袋を器用な動きで絞っている。
おどろおどろしい冥府の戦士が、なんとも心なごむ装いで調理中。
どうやらクレープをつくっているらしい。ふつうの屋台で売られているような折りたたんだものではなく、ケーキみたいに厚みのある層を作っている。
最後にオレンジの皮を漬けた酒瓶を手にして、全体にそれをふりまき、調理台の下からトングでつまんだ燃える石炭を近づけると、クレープの山が赤紫に燃えあがった。
シトロンがびっくりしたように目を見開いて、いつの間にか、そのゆらゆらと幻想的に揺れる綺麗な炎に魅入られるように、屋台のカウンター前に近づいていた。
しばらくして火がちいさくなりやがて消えると、クレープの上に美味しそうな焼き色がつき、柑橘系のさわやかな香りがしていた。
「旦那。少々お帰りが遅いので心配しておりました」
一作業区切りをつけた冥府の戦士……もとい屋台オヤジは少年に声をかけた。
「このコたちの分はボクが払うから」
「滅相もありません、旦那の客人であればオレが奢らせて頂きましょう」
淡々とした低い声音で見かけのごつさとは裏腹の丁寧さで、少年の申し出を断った。
「でも、それじゃ商売になんないでしょ?」
「いえ、旦那のお陰で十分、稼がせてもらっておりますから」
「そう? じゃあ、頼むよ」
「承知しました」
思わず二人の会話に聞き入ってしまったが、屋台オヤジはえらく言葉使いがきれいだ。
そして、この少年に頭が上がらないようだ。
先の暴漢と違ってなにやら恩義があるようす。
ますます不思議なコだな~。
目の前に先ほどのクレープの山が出てきた。
さらにその上に彩り鮮やかなシロップがけの果物と生クリームがかかっている。
なんというゴージャスぶり。
まるで王族が晩餐で食するデザートのようではないか。見た事ないけど。
ムーバ国のカフェで食べたパンケーキも絶品だと思っていたけど、何かレベルが違う。
生地が絹のようになめらかでしっとり甘過ぎない。
となりに座るシトロンを見れば、口に入れたそれに、うっとり目を閉じて堪能している。
真夜中の甘味屋台ということもあって、甘味通の男性客が多いとのこと。
そのせいかけっこうな盛りようだったが、それほど大食いではないというシトロンでも、ぺろりと平らげてしまっていた。そう、ついつい食べてしまうのだ。
お代わり欲しいなと思っていたら、「来月の新作を試食しますか?」と言われたので、ルーはシトロンと一緒に思いっきり「もちろん!」と、大きな声でハモった。




