32 つきまとう眠り茸と小人オヤジ
9月14日、午前三時四十五分。
息苦しくて目が覚めた。煙が充満してる。
火事!?
すぐに焚き火のことを思い出した。
消してなかったっけ? サディスは?
目の前に光るものが見えた。
とっさに蹴り上げると「フギャッ」という声がした。
カンと短い刃物が落ちるのが見えたので、足で踏んづけて、取ろうと伸ばしてきたまるまると太った手を妨害してやった。すると、さっきの声の主だろうか、気配がひとつ洞窟の奥に、ささささと逃げていくのを感じた。
サディスがいたであろう向かいの岩壁に声をかけた。
煙のせいでよく見えない。返事がない。
おかしい。
さっきのお粗末な襲撃者に、あの他人の気配に敏感なサディスが動かないなんて。
自分のマントを使って、立ちこめる煙を洞窟の外へ追いだした。
えんえんと、焚き火が煙だけを吐いているという不思議。
水筒の水をざばっとかけると、煙はなんとかおさまった。
夜明け前であたりはまだ暗い。わずかに火種の残った薪からランタンに火を移し、それを掲げてあたりを見回す。
彼は岩壁に背もたれて眠っていた。ゆさぶっても起きない。
やはり、昨日の強行軍が堪えたのか。
陽が落ちてからも、魔法の光珠を頼りに五時間ぐらい山道を歩いたし。
前日、彼はほとんど寝てないし……いや違う、それだけじゃないだろ。
なんか昨日も似たようなことがあったし!
彼の足下に、なんでまた蛍光ピンクの茸が転がっているのか。
ここに来たときはなかったはずだ。もしや、マントかどこかに胞子がくっついてきて、寝てる間に発芽したとか? 夜から朝にかけて成長するって言ってたし…………生えてる。生えてるよ。おいらの布鞄に毒々しいピンクの茸が! 眠り茸が!
おそるおそる鞄のふたを開けてみた。
そっと、傾けるとピンク茸がごろごろとなだれ出てきた。悪夢だ。
ビスケットとのこり四つの干し杏に、大小さまざまなピンク茸がみっしり生えている。
ビスケット……マズイはずだ。胞子食っちゃってたのか。
どうりで鼻は利くはずなのに、あんなに煙が充満するまで起きれなかったはずだ。
昨日は一日中歩き通しで疲れてたもんな。でも、なんとか起きれたってことは、まだ睡眠が足りてるからか。とりあえず、サディスを起こさないと。
ピンク茸より、さっきの変な生き物のほうが気になる。子供みたいな背丈だったけど、なんかはちきれそうに太った手はごつかったし……声も野太いオッサンだったし。
ちょっと考えた。
前は途方にくれて呼びかけたら起きたんだっけ。
同じように呼んでみた。起きない。
あれえ~?
はっと鞄に付着した茸群をみる。
アレか。かつてないほどの、アレの胞子を大量に吸いこんだせいか!
おのれピンク茸め。サディスも修行が足りない! 茸に負けるなんて!
両足を投げだしている彼の上に膝立ちでまたがり、顔半分を隠していたフードをあげ、正面から右の頬を軽くつねってみた。起きない。左の頬もつまんでみる。起きない。
もっとイタズラしたら起きるかな?
そういやサディスの驚いた顔って、あんま見たことない気がする。
何したら驚くかな。
ふと、以前寄った街角で、五、六歳の女の子が窓から身を乗りだして、外で談笑していた紳士の肩をたたき、振り向きざまに頬にキスするという場面に出くわした。
紳士はすごく驚いた顔をして、そのあと笑顔で女の子を窓から抱きあげていた。
紳士は父親だったのだろうか、それにしてはずいぶん若かった気もする。
兄だったかもしれない。とても仲よさそうだった。
ほっぺちゅーしてみよっか? そりゃ驚くよな~……。
なんて暢気に考えてると、いつのまにか氷点下級の冷ややかさを含んだ翠緑の双眸で、真正面から睨まれていた。
「何をしている」
本格的にイタズラする前に怒らせてしまったようだ。
両頬を軽くつねったぐらいなんて、イタズラとは言いがたい。
むしろ、ルーは常から何かあるたびに、彼にパン生地のごとく頬をひっぱられているのだから、この程度のささやかなホーフクぐらい大目にみて欲しい。
しかし、逃げ出せないように腰をがっちり両手でつかまれて怖かったのと、さっき考えてたことがけっこう大胆不敵で気恥ずかしかったので、猛烈ないきおいで謝り倒してごまかしておいたが…………なにやら変なことを企んでいたことは勘づかれたようだ。
「おまえ、いま」
「元凶はこいつだからっ! 責めるならまずこいつに!」
むりやり話題を眠りの犯人に向けた。
彼の膝上から逃げたルーが、自分の鞄をもちあげて見せると、さすがに彼も唖然としていた。そして「あいつの仕業か」と舌打ちしてた。
いやいや、こいつの仕業デスヨ?
まだ寝ぼけてんのかな。
いまいましいピンク茸は、新しく起こした焚き火で全部燃やした。
また夜が来たら生えるだろうが、鞄を燃やすわけにもいかない。
買い換えるまでしばらくは、夜なべして茸を摘まなきゃならないのか。
さらば、ビスケット。眠気を誘う食料は、いくらおいらでもお腹に入れられない。
さらば、心と体の甘い癒し干し杏。もったいないからなんて、ちまちま食べず、どうせ遺跡町は近いのだから、昨日のうちに全部食べてしまえばよかった。
煙の犯人はすぐ捕まえた。
煙幕草を焚き火にほうりこんだとか。侵入者を撃退するときにも使うが、燻製を作るときにも重宝する草らしい。この洞窟の先住者だという。
ならば、こちらが不法侵入していたことになるのか。
彼は目をせわしなく泳がせながら喋った。
「て、ててて、てっきり、ピンク茸を夜のうちに栽培して、朝方にでもぼくを眠らせて押しいるのかと思ったんだヨ!」
いや、強盗ならそんな悠長なやりかたしないだろ。だいたい寝コケてたのおいらたちの方だし。
彼は背丈百センチほどのコォルタという民族で、精霊でも悪魔でもなく、ちゃんと人間だという。氷雪地帯や標高の高い山岳地などの過酷な環境に好んで住むのが特徴の民族で、めったに平地付近には出ないらしいのだが。
「ぼ、ぼくは、す、すっごい寒がりなんだ! だ、だから、平地にも近いこの山の洞窟に三年前から住んでいるんだヨ!」
頭のでかい三等身だった。あまり人慣れしてないのか、どもりが激しい。
それとも単に、こっちが不審者だと思われているせいだろうか。
肥満ぎみの男だった。そして裸足だ。
まるまるとした足は甲が高すぎてはける靴がないとみた。
洞窟に住んでるわりに食べ物には困らないようだ。
「ぼ、ぼくは二十二歳独身! こ、こう見えて、嫁募集中なんだヨ!」
うん、誰もそんなこと聞いてないんだけど?
こう見えてって、どう見えてると思ってるんだろ。
とりあえず、非はこちらにあるようなので謝った。
すると、やつは急に態度がでかくなった。
「そ、そそそ、それなら誠意をみせろ! こ、これから一ヶ月、銀髪美女は、ぼ、ぼくとデートしろ! てっ、手を握らせろッ、いちゃいちゃさせろッ! そ、そっちの赤毛チビは飯をつくれ、洗濯しろ、肩をもめ!」
棍で軽くアゴをどついたら、「ほぐっ」と変な声を出して倒れた。
軟弱だな。
いつもなら先に手を出しそうなサディスが、疲れたように息をついた。
「行くぞ」
彼は道端の落ち葉でも踏むかのように、優雅にそいつの腹を踏みつけていった。
くっきり美しい靴跡がついた。
そろそろ夜明けらしい。外が薄明るくなってきた。
見ればまた鞄にびっしり茸が生えていたので、とりあえずそれをかき集め、どうみても三十代という老け顔な小人オヤジの上に大量にばらまいて、洞窟を出た。




