◆幕間②-1 とある便利屋の因果応報
逃げた便利屋をサディスが追う話。
女の名は、マチルダ。
酒場で知りあったジョゼフとピートとともに、便利屋をしながら旅の路銀を稼いでいた。
彼らふたりは人よりすこしばかりは剣が使えるものの、このパーティには必要不可欠な〈魔力持ち〉……いわゆる、魔法士、魔獣召喚士、錬金術師、薬師がいない。
そのため、おおきな仕事は受けられず、三人で組んでもせいぜい子供のこづかい程度の稼ぎにしかならなかった。
こんなことなら男だけで、単独に用心棒の仕事でも請け負った方がはるかにましだ。
ふつうならそう思うだろう。だが、男たちはマチルダに弱い。骨抜きというべきか。
くるんと大きく内巻きになった栗色の髪に、色香のある愛らしい顔立ち、豊満な胸。
そんな彼女がすりよって甘えればどんなことも否とは言えない。
男たちは彼女の言いなりになる従順な下僕だった。
彼らは不器用すぎた。だからこそ、そのていどの女にひっかかったわけだが。
女も女で、使いやすい男を選んでいた。
自分の言いなりにならない男などおもしろくもない。
常に自分を立てて、望みをかなえようとしてくれなければ。
そのていどの女がひっかけた、そのていどの男たちなので、どれだけ必至に仕事を探そうとも、十分な稼ぎといえるほどの仕事を請け負うことなどなかった。
しかたないので男たちがたまに交替で日雇いの用心棒をやって、その間、もうひとりの男が彼女の機嫌をとりながら貢いで養う、という日々がかれこれ一年もつづいていた。
ついにマチルダはキレた。自分は働かないが、貧乏日暮しが心底苦痛になったのだ。
楽してお金を手にいれたい。
宿に泊まる金持ちをねらって近づき、眠り薬で昏睡させてる間に部屋を物色し、金目のものをいただいたら逃げる。
たよりなさそうな男たちの見目と、女連れが幸いして、相手は無用心になりやすかった。それでもたまに危ないときはあったが、そんなときはマチルダの迫真の涙の演技で罪をまぬがれた。
今回は非常に楽だった。なんといっても、ついでのつもりが大もうけだ。
便利屋と聞いてやってきた熊のようなもじゃもじゃ毛におおわれた大男から、小金でおなじ宿の少女を誘いだすよう脅された。
そんなすぐ足のつく犯罪の片棒には、さすがにマチルダも渋った。
すると、熊男はいきなり仲間の男の首を、素手で絞めあげた。本気で殺る気かと思った。
とりあえず相手を調査してから、人目もあるしできそうならやる、と曖昧に返事をしておいた。
ほどなく、熊男が目をつけた少女が、背の高い女と同室だということがわかった。
それなら簡単だと、ジョゼフを誘い出しにいかせた。
しかし、連れの背高の女の警戒心がことのほか強く、逆にいつ出したかもしれない光る剣で脅されて、ジョゼフは逃げ帰ってくる始末。
どうやら、その女は魔法士らしい。これは相手が悪い。いくら仲間の男たちが剣に多少の覚えがあっても、所詮、魔法を使う相手にはかなわないからだ。
熊男にはそれを理由に断ろうと思ったが、また腹いせにこちらになにかされても困る。
そのまま逃げるか。いや、無理だ。外の砂嵐に躊躇する。
あの熊男が、もし、いらだちから目標を変えて自分に迫ってきたりなどしたら、ジョゼフたちでは自分を守りきれないだろう。
マチルダも体のラインは成熟した女性のそれとはいえ、まだぎりぎり十代だ。
化粧はしているものの童顔でもある。
ロリコン野郎の目から逃れきるとも思えない。油断は禁物だ。
男を足蹴にするのは得意だが、あんなうす汚い物体にのしかかられるなど冗談ではない。
その夜は我が身かわいさから一睡もできなかった。
翌朝、食堂にいた件の少女を目にして、マチルダは怒りがわいた。
みためも上等な南国風衣装に身をつつんでいる。あのうすくグラデーションされた美しい桃色の染めは、町娘が買えるようなものではない。
苦労のなさそうなあかるく可愛らしい顔に、さらにムカついた。
熊男がなにをする気かなど察しがついていた。金持ちの娘が護衛に魔法士までつけて優雅に旅をしているなど、彼女の神経を逆なでする以外のなにものでもない。
めちゃくちゃにされてしまえばいい。
少女の持ち物はとりあげてやろう。
今度は女魔法士の警戒心をとくために、自分もジョゼフとともに誘いにいった。
なんという幸運、女魔法士はいない。
少女はマチルダが遊びに誘うと、すぐに乗ってきた。
なんという世間知らず!
おかしくて笑いをこらえるのが大変だった。
手はずどおり、カードゲームに勝たせて時間をひきのばし、飲ませたジュースに混ぜた眠り薬が効くのを待った。そして、ようやく眠りこんだ少女をやってきた熊男に渡した。
その前にポケットをさぐり、マチルダは部屋の鍵を手にいれた。
ジョゼフに荷造りをさせ、ピートを近所の騎獣屋に行かせて魔獣を借りさせる。
そして、彼女は慎重に三階奥にある少女の部屋へゆき、まだ女魔法士がもどってないのを確かめてから、中にはいって鞄をみつけた。
思いがけない大金がはいっていた。やはり金持ちの娘だ。
カモがネギ背負って歩いてるとはまさしくこのこと。
カモは熊男がうまく食ってくれることだろう。
彼女はほくそ笑みながら、鞄ごと奪って仲間のもとにもどった。
気分は高揚していた。
あれだけ躊躇した砂嵐などいまやどれほどの障害でもない。
この手につかんだ獲物を奪い返されてはたまらない。
気づけばあの女魔法士が追ってくるだろう。
男たちをせかして魔獣にまたがり、暴砂が追い風となる大通りを南へと下った。
何時間駆けただろう。
砂嵐からようやくはずれた丘陵へでて、ほっと息をつく。
おおきくてまっ赤な夕陽が沈みかけている。
昼から休みなく駆けたかいがあった。
熊男は無事ではすまないだろうが、そんなのは知ったことではない。
女魔法士が熊男を始末してもきっと手遅れ。
ズタボロになった主人の心のケアでもしてるがいい。
マチルダは愉快な気分で大声で笑った。
体にななめ掛けした戦利品の肩掛け鞄を満足げにみつめた。
とにかく嵐はぬけた。
これからは美味しいものをいっぱい食べて、あの少女のようなきれいな衣装を着て、たくさん贅沢をしよう。そうだ、着飾れば自分はもっときれいになれる。
こんな自分の指示なくして動けないような頼りなくて情けない男たちではなく、もっと使える男をつかまえよう。
今度は金のある男がいい。見目よい男がいい。そして、強い男がいい。
見通しのよい緑の中に、人影がぽつりと見えた。
まわりは山と森で、畑があるわけでもない、そんな場所に人がいるのが不自然に思えた。しかも、マチルダたちの進行方向だ。
近づくにつれ、それがフードマントですっぽりと覆われた人だとわかる。
ジョゼフがまさかとつぶやいた。そして、あわてたようすで、マチルダとピートに魔獣の手綱をひかせた。ジョゼフが言った。
「ヤバイよ、アレ……例の女魔法士だ!」
マチルダは息を呑んだ。
「マチルダは早く逃げて! ここはぼくらが食い止めるッ」
みなまで聞かずにマチルダは方向転換し、来た道をひきかえした。彼女は見たのだ。
こちらをまっ直ぐにめざし、鳥のように近づいてくる女魔法士の姿を。
一度、森にはいって方向を狂わせてやればいいわ。
来る途中にあった鬱蒼とした森を思いだす。そう遠くはない。
危険な獣がいるかもしれないとさっきは迂回したが、いまはそんなこと言ってられない。
磁石はもっているのだ。高かったが、うしろ暗いことをやっている以上、逃亡中に森で野宿もあたりまえなので必要なものだ。だから方角を失うことはない。
ほとぼりが冷めたら南下して、ジョゼフたちと合流すればいい。
いや、彼らは必死に自分を捜してくれるだろう。
幸いにも、森にはいるまでに女魔法士は追いついてこなかった。
どんどん魔獣を飛ばした。人に飼いならされた大人しい魔獣だから、どれだけ腹を蹴りあげて急かしても、暴れて乗り手をふりおとすことはない。
だから、かなり乱暴にあつかった。この森をぬけて自分さえ助かればいいのだ。
すべてそんな風に考えるマチルダの誤算は、陽も落ち、空が紫紺にそまり月がでるころに起こった。
突然、魔獣の速度が落ち、ドウと横倒れになったのだ。
マチルダはふりおとされた。運良くおおいしげる草むらの上に。
魔獣をみれば、口から泡をふきブルブルと痙攣を起こしている。
これはもう捨てていくしかない。
ずいぶん駆けたのだから、そろそろ森の外に近づいているはず。
なんの根拠もなく彼女はそう思った。
あとは歩いていけばなんとかなる。月があかるいのが幸いだ。
彼女は立ちあがろうとして失敗した。足首が痛くて力がはいらない。
ひねったようだ。いまいましい。
マチルダは悪態をついた。
体にかけた鞄から薬でもないかと探すがみあたらない。
はいっているのは水筒、財布、通行手形の木札、ちいさなランタン、タオル、小型ナイフ、ほそい縄、羊皮紙の世界地図、ハデなオレンジ色の上衣下衣。
それから、おそろしく高価そうな凝った意匠の薄紫色の絹の下着。
まるで、貴族の令嬢か姫君が身につけるようなものではないか。
それをもった手が、妬みと怒りでぶるぶる小刻みにふるえる。
改めてあの少女が憎らしくなる。
自分との生きてきた境遇の差をみせつけられて。
田舎で生まれ、その地で腐るのがいやで家をとびだした。
町で働くと男たちがよってきた。お菓子の店の売り子だったが、すぐ看板娘になった。
うわさを聞きつけた地主の館に、客間女中として雇われた。
文字通り応接室で客の接待だけをする女中だ。
容貌がかなり良くなければつけない仕事だった。だけど思ったほど稼げない。
若旦那様のお手がつくのを待っていたが、女中頭の目が厳しく、また若旦那様は年増好みだったため、あきらめた。自分をみそめてくれた大旦那に言いよられてはいたが、顔も腹もだるだるに垂れきっている上に、自分はモテると勘ちがいしているジジイなど論外だ。
ここでは幸せになれない。贅沢をできるだけのお金と、自分に尽くしてくれる、見てくれもそれなり以上の若い男が欲しい。
ジジイの書斎から金の指輪と飾り皿を退職金代わりにもらって、館をあとにした。
ジョゼフとピートに酒場で出会ったのは、そのすぐあとのことだ。
彼らは顔こそ凡庸だが、そこそこ剣の腕があり、自分になびいてかつ従順だった。
月が、やたら大きかった。
森の上空まで木々が枝をのばしてないため、所々光が降りてきていて、道はなんとか見える。ランタンをつける必要はなさそうだ。火がないのでつけようもないことに気づく。
水筒には半分ほど水がはいっている。
助かった。
これで食料があれば、もっとよかったのに……。
遠くで獣の遠吠えがする。びくっと肩をすくませた。
いると思ったわけではない。だが、ふりかえった。五メートルほど離れていた。
月が照らしだす巨岩の上にフードマントの人物が立っていた。
ちいさく悲鳴をあげた。
すでに息絶えた魔獣がそこにあるのも忘れ、座ったままあとずさりしてそれの腹に背中をぶつけた。我知らず体にかけた鞄の肩紐を、両手で強くにぎりしめた。
これを奪い返されるわけにはいかない。
でなきゃ、何のために、自分はケガをしてまでこんな森の奥に迷いこんだというのか。
「返してもらおうか」
よく通るすこし低めの澄んだ声。
「あ、あの二人は……!?」
女魔法士は岩をひらりと音もなく降りて、こちらへ歩いてきた。
「当分は動けないだろう」
……殺されなかったということか。
当分……ということは、いずれ動くことができる。
重度のケガを負わされたわけでもないらしい。
ずいぶん温情ある追手だこと。
これはしめたと、彼女のしたたかで狡猾な思考が頭をもたげる。
以前も似たようなことがあったからだ。空き巣泥棒がバレて、財布の持ち主に怒り狂って追撃されたが……この手合いならばきっとうまく逃げられるはず。
「どうか、釈明をお聞きください。私の母が重い病に倒れているのです。
高い薬が早急に必要なのです、どうかお慈悲をください」
殊勝に両手の指をくんで見あげるように懇願した。
悲壮な表情で涙をはらり、こぼすのも忘れない。
だてに地主の館で客間女中をしていない。
ていねいな言葉使いで相手を立てへりくだるのは得意だ。
相手の顔が逆光でまっ黒い闇にぬりつぶされたかのように、見えない。それでも、ふるふると小刻みに肩をふるわせうつむいて、祈るような仕草をしてみせた。
「大した女だな」
それはどちらの意味なのか。その口調には呆れがあった。
「自分のしたことは分かっているのか」
問われて神妙に「はい」とうなだれる。
「そうか」と女魔法士は答えた。
やった、うまくいく!
思わず笑いだしたい衝動に駆られたが、ぐっと拳をにぎっておさえた。
ふいに影が近づいた。女魔法士はフードを払った。息を呑んだ。
あわい月の光の中、銀糸の髪がこぼれおちる。
見たこともないその美しさに茫然とした。
「では、何をしたか答えてみろ」
「え?」
低くてでも艶のある澄んだ声。
この人はまさか。
マチルダは瞬きもせず、目の前の人を注視した。
「おまえは何をした?」
「お、お嬢さんの部屋から、……鞄を持ちだしました」
「その前は?」
その前?
マチルダは記憶をたぐった。
少女に薬を盛り、部屋の鍵を盗んだ。だが、そこまで話せば少女が誰の手に渡ったかも……知っているのか、だから白状させようとしている。
白状させて……何を……そのことについて断罪しようとしている……?
一瞬のうちにそこまで理解し、言いよどんだマチルダに、目の前の人は冷たく言い放った。
「言え、俺の連れに何をした」
あぁ、とマチルダは納得した。
この魔法士は男だったのか。だからか。
穢された少女の仇をうちに来たのか?
ここにいるということは、とっくに熊男もなぎ払って少女を助けたのだろう。
そして、怒りおさまらず砂嵐の中を追い、ジョゼフとピートを足止めして、少女の鞄をもつ自分を追ってきた。
また、マチルダの中でどす黒い感情がわきあがる。
あんなちいさな、世間知らずの、金持ちであるというだけの少女に、こんな上等な男がつくなんて……!
「あの女の子がそんなに大事?」
つい、口をついて素の言葉がころがりでた。
問いに対し問い返された彼は、無表情で見おろしていた。表情に変化がない。
ちがうのだろうか?
もしかしたら、彼は金で雇われているだけなのかもしれない。
それなら雇い主に忠実で当然だ。その可能性を捨てきれなかった。
マチルダは彼が欲しくなったのだ。
だから、もう一度、「すごく大事な子なのね、うらやましい」とカマをかけてみた。
「預かりものを気にかけるのは当然だ」
彼は眉ひとつ動かさずそう言った。やっぱりとマチルダは歓喜した。
おそらく少女が雇い主ではなく、少女の親が雇い主なのだろう。
つけいる隙はある。
「ねぇ、私ほんとうに困っているの。母の病を治したいの」
甘えしなだれるような声で懇願した。
ていねいな言葉など、もはや使う気にもならない。
「でも、あなただってお金に困っているのよね? いっしょに来てくれるなら、私が雇ってあげる。この鞄のお金は全部あなたにあげてもいいわ。だから、私の旅の護衛をしてちょうだい」
彼は黙ってこちらを見つめていた。
「あの子といるのもお金が欲しいからなんでしょ?」
核心をついたのだと信じて疑わなかった。
自分がそうであるように、だれもがお金を一番に欲しているのだと。
彼は銀の髪をゆらして触れるほど近くに膝をついた。
そうして、ほそく長い指先をのばし、鞄の肩紐に手をかける。
言質をとろうと、肩紐をしっかりと彼女はにぎりしめた。
「私と来てくれるのね?」
問えば、うっとりするほどの笑みを彼は返した。
しかも鼻先すれすれで思わず心臓がはねた。あまりのまばゆい美貌に免疫がなく、また一方でとっさになにかを期待してしまい目を閉じてしまった。
気づけば鞄は体から離れ、立ちあがった彼の右手の中にあった。
「自分がしたことの相応の報いを受けるがいい」
彼のもう一方の手で、何かがはじけるように砕けた。
銀色の風とともにその姿もかき消えた。まるで幻だったかのように。
しばらく思考が止まったかのように、目の前の空間を見つめていた。
地面にはいつのまにか、マチルダが首にかけていたはずの、ペンダントの先についた磁石が壊れて転がっていた。
「──え?」
それを見て、ようやく自分がもっとも不利な状況で、森に置き去りにされたのだと気づいた。
お金がないどころか、ここをぬけだすのに必要な、磁石も水もランタンもない。
獣の遠吠えが近くなる。自分のすぐ側に魔獣の屍骸があるのを思いだした。
死臭をかぎつけた獣の赤い瞳が、深い闇を生むしげみの奥にいくつもあらわれる。
マチルダはひねった足を庇いながら立ちあがり、やみくもに走りだす。
いや、走ってるつもりだが、ほとんどびっこを引きながら歩いているようなものだ。
「だれか!」
悲鳴をあげた。
「助けてえっ!」
何度も何度も。
獣はマチルダを飛び越えて屍骸にむらがっていった。
こちらには見向きもしない。死んだモノしか食べないようだ。
安堵しつつもこんなところ一秒だっていられない。いまは屍骸を食べるのに夢中でも、それを食べつくしたらこっちに牙を剥くかも知れないのだ。
ジョゼフとピートの名を狂ったように叫びつづけた。
ひたすら、彼らが助けにきてくれるのを期待して。
なにかが駆けてくる音がした。
奇声を発しながらしげみを割って、魔獣に乗る男たちが現われた。薄汚いなりをしている。まるで傭兵崩れのようだ。手にはナタのような武器を掲げている。
魔獣の上からマチルダのほそい腰を抱き去り、男たちはまた奇声をあげながら森の闇へと消えていった。




