5 お礼はのちに
銀光を発する透明球に包まれて、ふたりは夜空へと上昇する。
追手がすぐ来るかと地上を見ていたルーは、あちこちに魔獣とともに、大量にゆき倒れている兵たちを目にした。屍の山かと思ってぎょっとした。
「サディスがやったの?」
「目潰しを喰らわせただけだがな」
雲の上に出た。
どこまでもつづく蒼白い雲の絨毯を、おおきな月がほのかに杏色にてらしている。
銀球はその上をすべるように飛行していた。進行方向に腰をおろして背中をむけていたサディスの横に、ルーもちょこんと座った。
視線が合うと、えへっと笑顔になる。
「迎えにきてくれて、ありがと。サディス」
そして、彼のマントの裾をぎゅうとつかんだ。
「なんだ?」
「また離れると困るし」
「追手は十分引き離した」
「でも、またこれが落下したらコワイし」
「ケガはしなかっただろう」
たしかに、こんな上空から無傷で生還はありえない。
今さらながら、思い出す。
「この移動球には結界要素もあるが、万が一にも壊されたときのために、おまえ自身に〈楯〉の術を重ねてかけておいた。命に関わるほどの衝撃なら弾き返す」
いつのまに……って、はじめて銀球に放りこまれたあの時かな?
それで潰れずにすんだのか。
「じゃあ、ゴーモンリの大刃を弾き返したのもこれのおかげ……ん? ちがうか、だってあのときすごい光が上からドーンッて、あいつを吹っ飛ばしてたし。……あれも?」
「〈楯〉はニ度しか効かない。執念深そうなのがいたし、残り一度では対処しきれないだろうからな」
だから、おいらのピンチに間に合うよう来てくれたんだ。
ふと、強烈な稲妻の洗礼をルーは思い返す。
あれは敵どころか、こっちもヤバかった気がする。
一瞬にして全感覚がふっとんだし。
それで気づいた。
「えーと……、あのさ。二度目の楯効果は、サディスの攻撃から、守ってくれたってことになるのかな? 巻きぞえ食ってもおかしくない状況だったと思うし」
「察しがいいな」
なんかこのヒトすごいんだけど……強いだけじゃなくて常に先を読んで行動してるし、うまく危機を回避している。その証拠がなんといっても、まったくの無傷、衣装にも一切の破れや汚れがないということだ。敵は総倒れなのに……なにこの差。
にぎりしめていたマントから手を放した。
やっぱり、出会ったときの勘は正しかった。彼は信頼できる。
これ以上にない頼もしい味方だ。彼を送ってくれた曾祖父に感謝だ。
となりで膝を抱えてあくびをするルーを、サディスは横目でちらりと見た。
──たしか、十四歳になるはずなのに、せいぜい十そこそこにしか見えない。
いったい家出中にどんな生活をしていたのか。
あの廃棄塔にはいるまで何があったのか。
ルーの格好はお世辞にも少女として判別できるものではない。
肌も麦色に日焼けし、ボロをまとった海賊少年といった風体だ。
……といっても、昔のコレが少女らしかったかといえば、そうでもないのだが。
五年もの歳月を経て、ろくに変わっていないのも奇跡だと思うが……
いくらかは成長したのだろうか。
小一時間も飛行が続くと、さすがに疲れからか、ルーはうとうとし始めた。
時々ハッと顔をあげ、ぷるぷると首をふる。
敵の追跡を警戒しているようで、四方の雲間を確認している。
「なー、おいらのひいじーちゃんが大魔法士ってことは、おいらにも才能あったりする?」
「まったくの魔力なしだ。どうせ家出の原因もそのあたりなんだろうが」
「ヘー……そうなんだ」
たいしてショックでもないらしい返事に、記憶がないからすべて他人事のようにでも思えるのか。まあ、いま問題にすべきはそこじゃないと彼は思い、本題に入ることにした。
「その封印のことだが」
ルーは右の上腕にまかれた封印帯をそっとさすりながら、そこにあったものを思い浮かべる。
「なんかここ、変な赤いアザがあったよね。ヘビみたいな……」
「おまえが消息不明になった禁忌の海域には、さまざまな噂がある。食人のまかりとおる未開大陸や、古代に世界を制覇したクトリ王国が没しているとかな。とかく、あの海域から五体無事に生還した者はいない。おまえがなにを思ってそんな場所へ行ったかはさておき、大陸の最北端でもっともあの海域に近いキャラベが軍事国家であるのは、自衛のためだ。未開大陸からの未知の危険生物の流入や、秘宝めあてでクトリ遺跡をさぐったあげく、呪詛で殺戮の獣となりはて、漂着してくる馬鹿者どもを排除している」
「ふぅん、そうなんだー」
まったく気づいちゃいない目の前の馬鹿に、サディスはひとつため息をついた。
「クトリ遺跡の呪詛は、〈三叉の矛に串刺しにされた海ヘビの鮮紅印〉としてその身にきざまれ、肉体は強靭さを増し、ただ殺戮を行うにふさわしい狂気と戦闘力に支配された獣と化す。──キャラベではこれを、〈クトリの殺人鬼〉と呼んでいるようだな」
「あ」
やっと理解できたルーは、碧瑠璃の瞳をみひらき固まった。
「俺の背後から剣で襲いかかってきたぞ」
「……剣?」
「下手くそだった」
むうーと頬をふくらませつつも、ルーは怒るべきか謝るべきかとしだいに複雑な顔つきになっていった。彼は淡々とつづけた。
「塔の中では何も起こらなかった。状況から考えると呪詛の発動は、月光を浴びるか見ることかも知れないな」
「あ、でも、封じてるから心配ないよね?」
「古代の呪狙は、完璧に封じられるものではない。だから、その帯を外すなと先に言ったはずだ。もう忘れたのか?」
そういえば言ってた気もするけど、いろいろありすぎてすっかり忘れてたよ。
忘れてるといえば、こんなに強烈な美人との過去を、なぜいまだに思い出せないのだろう……? いや、たしかに最初に見たときすごく覚えのあるような気はしたけれど、そんな気がしただけで、名すら頭のすみにも浮かばなかったし。
きっと絶対、知り合いなんだと思うし、勘だけど、けっこう仲良くしたんじゃないか? とか思うし。じゃあ何でそんなそっけないのかといえば、ひとえに性格的なものじゃないかとか。そうそう、クールでどこか他人を寄せつけないってゆーか、他人ギライっぽいってゆーかさ。……あれ? じゃ、仲いいと思ってたのはもしや、おいらの方だけ? それなら、なんでおいらを助けに来てくれたんだろう……
あ、そうか。恩師の曾孫だからだ。ひいじーちゃんの弟子たちに捜索させてたっていうし、断れなかったにちがいない。なんだちょっと残念…………残念? いや、そんなわけないだろ、おいらを見つけて危機一髪のとこ助けてくれた。むしろ、ありがとうだ。
うーん、お礼は言ったけど、なんかそれだけじゃ足りない……?
などなど考えながら、じいと彼を見つめていると、彼はちょっと片眉をあげて不審げに「なんだ」と問う。
「……あのさ、お礼した方がいいよね? なんか、おいらに出来ることある?」
しばし、沈黙が落ちた。
彼は微動だにせず、こちらをまっすぐに見ている。
「……おまえ、そんなこと気にしてる場合じゃないだろう」
深いため息とともにそう返してきた。どうやら呆れているらしい。
記憶ないわ、危険な呪詛付だわで。自分の状況をわかっているのかと。
「でもさ、助けてもらったらお礼すんのは当然だよね?」
「必要ない」
ルーは、ぱんと両手をたたいた。
「じゃー、こーゆうのは? おいらが友達になってあげるっ」
「何故そうなる」
「だってサディス、近寄りがたそーな雰囲気だし、友達少なそうだから」
「近寄るな」的なオーラが氷柱となって周囲をとりまいているというか。
「そんなものはいないし、いらない」
「……」
「その哀れむような眼差しやめろ」
おでこをビシッと指ではじかれ、銀の球体のなかでルーはひっくり返った。
彼女はおでこをさすりながら起きあがると、めげずに言った。
「だからぁ、おいらが友達になるって! ぜったい毎日楽しいよ?」
「却下だ」
「じゃあ、おいらの親友ってことで」
「意味は同じだ」
「じゃあ、おいらの兄貴ってことで」
「御免だ」
「じゃあ」
「いいかげんにしろ、……わかった、あとで何か考えておく」
勝手におしかけ友や兄貴分にされてはたまらないとでも思ったのか、彼はそう
告げた。そこまで嫌がられるとちょっと悲しいものがあるが、それでも彼が望む
答えが得られるならまあいいかと、ルーは快く承知した。
次話の更新は明日です。