18 濃い一日の終了後に
部屋にもどると、サディスはいない。
再び、近所の図書館へ出かけたのだが、まだ帰ってないようだ。
古代関連の書はあまり期待できそうもないので、ホラフキ学者を紹介してくれた司書に文句のひとつも言いにいったのかもしれない。
……いや、ちがうかな? たしかあの司書、古代史にくわしくて古代博士の異名をもつとかなんとか武器屋の子が言ってたような……だから聞きにいったのかな?
おいらの右上腕にあるアザ──〈三叉の矛に串刺しにされた海ヘビの鮮紅印〉は古代王国クトリの呪詛。
いまは、サディスのほどこした封印帯で呪詛の発動をおさえているので無害にひとしい。だけど、それでキャラベの追手がひくはずもない。軍国キャラベでは、クトリの呪詛を受けた者は〈クトリの殺人鬼〉と呼び、抹殺対象としているのだから。
以前、サディスが知り合いの考古学者らに、クトリ関連の資料を送ってもらったことがあったけど、呪詛を解く方法はまったく見つからなかった。
クトリ王朝の終焉が三千五百年前。
そんな資料がほとんど残ってないような状況なので、やはり、昔の記録をしるした書物があると思われる〈幽玄図書館〉を見つけたい。巷では眉唾ものとして語られているが、実際、考古学者のアビ・ゼルハム氏から借りた古書に入館証のカードがはさまれていたので、きっとあるものだと信じている。
まぁ、そのカードは有効期限消失と書かれていたので、使えないとは思うけど。
窓の外はもう暗い。
食事の盆をテーブルに置き、鞄の中にある湿った洗濯物を干すことにした。
旅に出るとき、鞄は曾祖父が用意してくれたもの。
その中にほそい縄の束があったのを思いだす。
いったいなにに使うのかと思っていたけど、なるほど洗濯物干しにはちょうどいい。
けっこう頑丈だし、これならほかにもいろいろ使えそうだ。たとえば、強盗とか悪いやつを捕まえたときに縛るとか、庭木が近くにない建物上階から脱出するときとか。
カーテンをつるす棒と、マント掛けの木製フックに縄をつないで、そこに洗濯物を広げてかけていった。派手好みの曾祖父からの借り物なので、オレンジ、紅、茶、金の目にまぶしい配色だ。マントで隠すので気にはならないが。
これにくらべたらまだ、いま着ているものは、すきとおる白地に薄桃色の染めと目にやさしい色合いだと思う。そでと胸元にゆるやかな襞のはいった上衣、ズボンはだぼついた感のある形なので動きもさまたげない。生地もふんわりした上物で着心地はいい。
カワイイ南国姫系とでもいうような衣装なので、中身のおいらが浮きまくっているであろうことは百も承知だ。当然ながら、おいらは南国姫など見たことない。
つまりイメージだ。姫のようにおしとやかで可憐な人にしか似合わないだろうなという……それにしても、これをくれた長は、おいらが女だと気づいてたのか。
目利きな商人だな。どうせ外出時にはマントで隠すのだから、気にしないことにするけど。
背後で風の気配がした。
ふりむくと、かすかな銀光をまきながらサディスが立っていた。
図書館から直接、転移の術でもどったようだ。
「お帰り! ご飯もらってきたよっ」
こちらを見たサディスは目をまるくしたかと思うと、次にはなぜか渋面になった。
「……おまえ」
眉間にしわを寄せてなにかを言いかけて、彼はやめた。
ちら、と廊下につながる扉をみる。
「なに? 鍵ならちゃんとかけてるよ?」
彼の留守中は鍵をかけろと、念を押されていたためだ。ルーが首をかしげて扉をみた。ふっと、さっきまでの文句言いたげな凍気を彼はおさめた。
「食事にする」
「うんっ」
ルーはにこにこと、食事を用意したテーブルの椅子に座る。むかいの席に彼が腰をおろして食べはじめると、図書館で何をしてきたのかを聞いた。
「司書さん、クトリについてなにか知ってた?」
「いや」
古代博士な司書は古代については大まかな講義ができるレベルだと、出会ってすぐに訊いていたらしい。大まかなので、呪詛などつっこんだ情報は持っていない。
それで、古代史を研究する彼の師や仲間といった人脈をあたっていたとのこと。
だがやはり、クトリ王国に関する有力な情報はなかった。
そのかわり、旅に必要不可欠な情報を得ることはできた。
午前中に国からの布告ですでに街では周知していることだが、昼も過ぎてこの街に降り立ったふたりには見落す危険性のあったことだ。
「今夜はここに泊まる。移動球なら次の国境まで一時間でつくが、いまの時期、ガレット国にある砂漠から砂嵐がこちらにまでくるらしい。飛行中に視界が利かないのはまずいからな。早朝には発ちたいが、状況しだいではしばらく待機することになる」
「砂嵐……? となりの国からくるのか?」
「この街に来たとき、大通りが混雑していただろう。砂嵐が西に移動してくる情報がすでに伝わっていて、人々が仕事を早めに切りあげていたからだ」
「なるほど」
そういや、ガレット国の通過証をサディスはもってないんだっけ。
となると、あと一時間だからと砂嵐の中を強行軍したばあい、視界が悪いせいでうっかり国境を過ぎてしまったりなんかしたら、魔法による不法侵入をはばむ〈網〉にひっかかる可能性がある。ということか。
窓の外をみた。
三階だし広場をへだてた向かいの建物が低いので、わりと遠くまでみえる。
紺色の帳のおりた空の下、かさなりあう建物の屋根のずっとむこうが、なんとなく白いような黄色いようなぼんやりと霞がかっている。
もしかして、あれが?
もしそうなら、今夜にも砂嵐がこの街に到達しそうだ。
食事を終えると、食器はサディスが返してくると言って扉からでていってしまった。
鍵はかけておくようにと言われたので、すぐにかけておいた。
とりあえず早朝に起きて、砂嵐が来てるか確認。
来てなければ発つということになった。
思い返せば、昨夜から実に濃い一日だった。
深夜にムーバ国で牢に放りこまれ、狂人と追いかけっこのちにエロボス狼に助けられ、昼前に失くした記憶がもどりそうなのでそれに集中してたら、なぜか発熱。それでちょっと寝て、そのときサディスに膝枕されて……や、これは、そう。記憶ちがいかもしれないナ。熱あったし、気分悪かったし。たぶん夢だったのだろう。それから、えーと、昼過ぎに市場で棍を買って、宿屋が火事になったんで同じ階の赤ん坊を背負って窓から脱出して、それから路地裏に憑物士があらわれたんで挑んだらあっさり棍が折れちゃって、サディスに助けてもらった。雨でずぶぬれになって………。
まだ旅の二日目だよ。
いますぐしっかり寝て、疲れを明日に残さないようにしなくちゃ。
部屋の左右壁ぎわにふたつ置かれた寝台のひとつに、ルーはころがった。
テーブルに置かれたランプの火がかすかにゆれている。
それを見つめていると、寝台にのばした手足が疲れからか重くなる。
しだいにうとうとと眠くなってきた。
目が半分閉じかけたころ、扉の外で人の話し声がするのが聞こえた。
だが、すぐ聞こえなくなる。あわてたようにばたばたと遠ざかる足音。
直後に、サディスが転移で部屋の中に戻ってきた。
あぁ、鍵かけてたんだっけ。言ってくれれば開けるのに。
ぼんやり夢現に考えていたが、ふと疑問。
じゃあ、さっきの足音は……?
マントをはずし、濁緑の長そでチュニックを脱いで、黒いシャツと黒ズボン姿になった彼をみつめる。
その白皙の横顔と、まっすぐに膝近くまで流れる銀の髪が、うす闇のなか、ランプのあかりで幻想的にかがやいてみえる。いつもは後頭部のやや下がわでひとつに髪を結っているのだが、眠るときには下ろすようだ。
きれいだなー……。
ランプの内にある蝋燭の火を吹き消そうとしていた彼が、ふいにこちらを見た。
ぼんやり見あげていたルーは、寝ぼけながら聞いた。
「なぁ…そこで、だれかと話してた?」
「気のせいだ」
「でも、足音が」
彼は近づいてきた。
ランプが彼の背後のテーブルにあるので、逆光で顔がよく見えない。
長くてほそい指先が額をさらりとなでる。その感触が気持ちよくて瞼がさらに落ちてゆく。仔猫が人になでられて、なんであんなに気持ちよさそうにするのかがわかった気がした。それで思わず目を閉じたまま、ちいさく微笑んだ。
「寝ろ」
「うん……」
頷いたあとは、急速に眠りに落ちていった。




