8 酔狂すぎるエロボス狼の脱獄宣言
まだ夜も明けきらない。
体感的な時間の経過から数えて、おそらくいま午前四時ぐらい。
スターブレス島から移動球で飛行した十二時間、たっぷり睡眠をとっていたので眠くはない。眠れたとしても、どこの誰とも知れない鉄筋肉のボス狼を寝台代わりに寝たくなどない。
一方、このおっさんはヒトを枕とでも勘違いしてるのか、時々ヒゲヅラで頬ずりならぬ額ずりしてくるので痛くてしょうがない。
このヒゲ五センチはあるのに毛がすごく硬質で刺さるのだ。
だいたい、牢にいるくせになぜそんなに酒くさいのか? おかしいだろ。
爆睡している男に何度か、「起きろ無精ヒゲ」「ボス狼」「いいかげんにしろこの酔っ払い」と悪態をついたが、てんで起きる気配がない。
がっちり筋肉のつきまくった腕ではさまれたまま身動きとれず、すでにこの場所で一時間三十分ほどが経過している。あくまで体感なので正確ではないかもしれないが。
カニ鋏にはさまれたメダカの気分だ。
捕食される前に逃げなければいけないのに。
焦るほどに抜けだせない。なんとか動かせるのは首だけだ。
といってもわずかな角度だけ。
牢の外を見れば、いつのまにかカラス野郎がいない。
あかりはそのままで消されてはないが。
鼻に思いっきり噛みついてやったらどうだろう?
おどろいて腕の力が弱まるんじゃないか?
だが、まさしく目と鼻の先にある、ボス狼の意外とたかい鼻にはあとすこし届かない。身長差のせいだ。だから向こうも頬ずりでなく額ずりになってるという。
ちなみに、こいつの髪もほかの連中とおなじ不潔一直線なまでにぼさぼさで、肩よりちょっと長いぐらいで前髪は長め。どっかの藁頭拷問吏のように、どんな顔をしてるかわかりにくい。
む~、とその鼻先を睨んでいると、背後でなにか気配を感じた。
アゴなし男が地面を匍匐前進しながら、こっちに近づくではないか。
ルーと目が合うとたるんだ頬肉をひきつらせ、生ゴミ級にうす気味悪い笑みを浮かべた。彼女の投げだすような形になっていた足首に、そろそろと手をのばしてくる。
ドガッ!
その顔にでかいブーツの先がめりこんだ。
アゴなし男は血の流線をひきながら豪快にぶっ飛んだ。
えっ、あれっ? なんで血? いやっ、ちょっと待て!
それより、なんかさっきと体勢がちがう!?
いつのまにか膝裏に手をいれられて足を引きよせられ、無精ヒゲ男の膝上にがっちり包みこむように姫抱っこされる形になっていた。
さっきの一瞬で!?
無精ヒゲ男は野獣じみた剣呑な目つきで、アゴなし男を見た。
「何勝手に触ろうとしてやがる」
アゴなし男は叫びながら、地面をごろごろ悶絶していた。その頬から口端にかけてずっぱり横一文字に傷があり、おびただしく流血している。そうとう深く切れてるようだ。
……どこに刃物が?
無精ヒゲ男が蹴りあげたほうの足を下ろし、トンッとかるく地面に踵をつけた。
一瞬、光るものが靴裏にひっこんだのが見えた。
こいつ、武器持ってる!
ヤバイじゃないかッ、おいら捕まってんのに……!
青ざめてふりあおぐと、彼は「よお」と、口角をあげてニッと笑った。
前髪のすきまから見える瞳には、さきほどの鋭さはなりを潜め、まるで親愛の情ともとれるやさしい光を宿している。
思わずルーは、ぽかんと見つめた。
これって、さっきと同一人物?
「久しぶりだな、ルチル」
…………はい?
目をぱちぱちと瞬く。
そんな彼女にかまわず、上機嫌で語りかけてくる。
「半年ぶりか? 例のブツは全部集めたのか? もしかして、この国にもあるのか?」
その台詞で合点がいった。
この男はどうやら、おいらを知り合いと勘違いしてるらしい。
そうか、それで、他のやつらの手に渡らないよう庇ってくれてたのか。
最初はマジで寝ぼけてたみたいだけど、無意識に助けるほど仲のいい相手だったってことか……? ……どうしよ、話を合わせてそのルチルさんとやらになりきって牢をでるまで楯になってもらうか、それとも正直に話してカニばさみ風姫抱っこをやめてもらうか。
答えはすぐ出た。
「おいら、ルチルなんて名じゃないよ。人違いだから。離してくれる?」
すると、無精ヒゲ男は小首をかしげた。笑ってる。
「なわけねーだろ。オレがおまえを見間違えるわけねえんだよ」
今度は、いきなりルーの首のうしろに右手を回してきて、引き寄せ頬ずりしだした。
「いたたたたたたたた! やめろって!」
おまけに左手で尻を撫でられた。というか撫でまわされた。
「ひゃあッ!? やっ、マジ違うって! おいらはルーっていうんだからっ!
ヒト違い!! 変態行為やめろ!!」
腕をふりまわして暴れるが、鉄筋肉にはまったくダメージがなくて震撼する。
しかも、うっかり名まで教えてしまった。
やつは、なぜか目を光らせてうれしそうに言った。
「なるほど、そっちが本当の名か?」
「は? 本当の名って?」
とりあえずヒゲ攻撃と尻撫ではやめて、意味深な笑みでしげしげとルーの瞳をのぞきこんできた。
「わざわざ言ってほしいってのか? ルチルは宝石専門の女怪盗だ。そのツラは仮面で覆っているが腰まである美しい金髪に、瞳の色がめずらしい碧瑠璃色をしている。
素顔はだれも知らない」
「おいら、ドロボーやってた覚えはないんで!」
というか古代呪詛を受けた弊害か、これまでの人生十四年間分まるまる記憶がない。
だが、サディスと曾祖父から自身の生いたちぐらいは聞いて知っている。
のどかな田舎育ちで、魔力なしを苦に九歳から十四歳までの五年間、家出をしていた。
その間、天下の義賊・海賊喰いガンドル号の一員だったはずで、コソドロなどではなかったはずだ。
まかりまちがっても牢になじみきってる上に、狂人どもを支配するとか、無断でヒトの尻を撫でまわすような危険かつ非常識きわまりないやつが、自分の知りあいにいるわけがない。
「髪なんざ切って染めればいくらでも変えられる。だが、瞳の色は変えられないだろ」
「珍しいったって世間は広いんだからさ、探せばいるだろ」
「いや、待てよ……逆かも知れねえな。あれは、そもそもヅラだったのかもしれねーし」
言いながら、ルーの頭をなでるようにして髪に指を潜らせ、ひとふさ掴んでかるくひっぱっている。地毛かたしかめてるらしい。
べしっ!
ルーは、その手をはたき落とした。
頑丈な男の手にこっちの手のひらが痛い。
この鉄筋肉め。
何が何でもおいらを怪盗ルチルとかにしたいのか。
「だいたい、素顔知らないんだろ? なんで、おいらがそのヒトだと思うんだよ」
「みかけ可憐だが、野猿並にいい反射神経してたからなぁ~。さっきのおまえみたいに」
……。
なにかひっかかった気がしたが、あまり沈黙すると変な誤解をあたえかねないので否定した。
「怪盗なんだろ? 運動神経よくて当たり前じゃないのか?」
「そーだな。いつも一体どんなトリックを使ってやがるのか、こつぜんと屋根に現われたり、袋小路で消えたり、密室から消えたり、氷の湖に沈んだと思っていたら生きてたり、炎につつまれた屋敷からも生還したり……不思議な女だったな」
それ、運動神経いいとかの範疇越えてるから。人間じゃないよ、きっと。
だからそんな熱い視線を送られてもさ。困るから。キモいから。
「あー、そう。おいらオ・ト・コだからさ。はやく放して」
なんで、手をゆるめないんだよ。いい加減にしろよ。コワイんだよ。
初対面で鋼級にガタイのいい男に抱っこされ続けるとか苦痛なんだよ。
何の嫌がらせだよ。もうそろそろ限界で涙目になりかけてんだよ。
「クサイし」
するり、男は手を放した。ルーは急いで飛び離れた。
そして、やつを見ればなんだかガックリとうなだれていた。
……なに? なんかすっごい傷ついたって顔してるんだけど。
なんでそこまでへこむんだよ。おいらが悪いみたいじゃん、こっちが被害者なのに!
これがほんとに狼なら、耳もシッポもだらりと下がっていることだろう。
しばらく俯いていた男は、やがてなにか吹っきったのか、頭をばりばりかきつつ、もう一方の手で自分のとなりの地面をぽんぽんと叩いた。
となりに座れってことか。
なんとなく、ちょっとだけ罪悪感というか気の毒感があったので、言われるままにそこに腰を下ろした。間に二人分あけてだけど。
「タダ飯食えるんで居ついてたけど、さすがに風呂はねーからな」
クサイと言われたのが、よほど堪えたらしい。
そんな繊細な面があるというのが不思議なんだが。
体臭もまあアレなんだけど、むしろ酒くさいほうがきつかったんだけど。
……居つきたくなるほど美味しいご飯がでるのか。ちょっと興味がわいた。
「……どんな食事?」
「んー、地酒と肴」
なにその好待遇。犯罪者に酒って。
だいたいそれご飯じゃないだろ。
「なんでそんなのが出るんだよ」
「初日にそこにいる薬物中毒どもを躾て遊んでたんだが、厭きたんでカラスを脅してここから出ようとしたら、所長の機嫌が直るまでせめて三日はいてくれ、そのかわり高い酒飲み放題って言うからよ。つい」
「……受け入れるなよ。そもそも、なんでこんなとこにはいることになったんだ?」
「不夜城の賭博場でちょっとな。ゲームでバゾフ所長のイカサマを暴いたら、十羽のカラスにとり囲まれて連行されちまった。あのとき、しこたま飲んでたからなぁ……
オレにしてはめずらしく酔ってたし。七羽目まで切り刻んでやったのは覚えてるんだがな」
カラスががたがた震えていたのは、こいつのせいか。
「バゾフ所長ってあの胴回りがおいらの五倍あるやつ?」
「ああ。ところでおまえは何でここに?」
隠すことでもないので話した。そしたら、やはり隊商の長のように爆笑された。
ナゼ笑う。こっちは必死だったのに。
「さて、もうここには用はねえから出るか」
ルーは、きょとんとした顔で見つめた。
「無精ヒゲ男」
「……ソレ、オレの名じゃねーからな」
「エロボス狼」
「それも違う。酔っ払いでもないぞ? ドルクだ。忘れたフリするな、ルチル」
「マジでそんな名知らないんで。おいらルチルじゃないし。それよりどうやってここから出る気? ここの鍵を持ったカラスはどっか行っちゃってるよ?」
ドルクは立ちあがると、大きな左手を差しだしてきた。
躊躇してると手首をつかんで、ぐいと立たされた。あわてて手をふり払おうとすると、彼はルーを引き寄せて、空いてる右手で岩ででこぼこした天井を指した。
「上に通風孔がある。たぶん人ひとりなら通れるはずだ」
そう言われて、ルーも上を見た。
天井が高すぎて闇の中にかすかに岩が確認できるだけで、どのへんに穴があるかまではよくわからない。
仮に通風孔があったところで、あの高さまで登るのはかなり難しいと思われる。
建物なら四階か五階分ぐらいの高さはありそうだ。それに壁の岩の突起はあさく、下は固い地面しかない。途中で落ちたら生存率はいたって低そうだ。
「どうやって登るんだよ」
素手と素足、とか言わないだろうなと思いつつ、ガタイもよければ背も高い彼を見あげて問うた。
「こうやって───」
彼はよく聞きとれない短い言葉をつぶやいた。
パシュウウウゥ
彼の宙に向けたままの右手首の太い腕輪から、何かが鋭い音をたてて放たれた。
細い縄が壁に近い天井にのびている。どうやら腕輪になにかカラクリがあるらしい。
彼は細縄をつかんでひっぱり強度を確かめた。
「すごい、どんな仕掛けになってんの?」
「簡易魔道具だ」
「って、え? 魔力あんの?」
「んなもん、ねえよ。魔道具てのは三種類あるんだ。魔法の威力を底上げをするもの、わずかな魔力で魔法を起動させるもの、そして、魔力なしでも使えるもの。
最後のは精霊言語を正しく詠えねえとまったく起動しねぇがな」
「精霊言語!?」
それは魔法学校にでも行くとか魔法士等に師事でもしないかぎり、習得できないものじゃないのか? 目の前の汚いおっさんとそれにはギャップがありすぎる。
見透かしたように彼は答えた。
「こいつを買った魔道具屋の主人に起動の呪を習った。別料金とられた上に、すんげえスパルタで覚えるのに丸三日かかったけどな」
……あれ?
でも、さっきつぶやいたのって確か単語二つ分ぐらいだったような……。
思わず、かわいそうな人を見るような目を向けたら、「発音がくそ難しいんだッ!」とムキになって弁解された。




