2 クトリの呪詛
「潮がくる、急げ」
先を行く彼を追いかけようとしたが、どれくらいぶりに拘束から解かれたのか。
体がふらふらしてまっすぐ歩けない。足元でぱしゃりと水がはねた。
見かねたサディスが戻ってきてルーの襟をつかみ、いささか乱暴ともいえる強い力で引きずり、扉を出て階段をのぼる。
ややして、ザバアっと室内のはしから波が押しよせた。
気絶した男たちが波にさらわれる。階段の上に倒れていた線のほそい青年と、豪華な刺繍マントをつけたヒゲの小男を、サディスは躊躇なく上昇中の海面にけり落とした。
そして、通路にでると重い鉄扉をガンととじ、閂をかける。
「……あのー……溺死しちゃわない?」
いささかそのやり方に仰天しつつも、自分を助けにきてくれた人なので、ルーはひかえめに意見した。彼は一言。
「自分の置かれた状況を考えろ」
「おいらの頭はいま底が抜けちゃってるというか……判断材料がとぼしくて」
だが、徐々に記憶は戻りつつあるようだ。
骸骨は体内にあるとか、板金つけてるのは兵士だとか。魔法士は魔法を使うとか。
それでも自分が何者で、なぜここにいたかの状況などはまったく思いだせない。
教えてもらっても、他人事のようだ。
「俺なら、自分を殺そうとした奴に情けをかける気にはならんがな。逃走の邪魔になるなら、なおさらだ」
足早にゆく彼をルーは追う。
時々足がもつれそうになるが、小走りもだいぶ慣れてきた。
「そ、それはごもっとも……いや、やっぱり、ちょっとひどくないか?」
「では、もっと分かりやすく言ってやろう。この国に裁判機関はない、よって監獄は必要ない。悪と判断されれば死あるのみ。こういった〈人間専用の廃棄施設〉で処分される。またこの国の王は咎人に容赦ない。気分しだいで公開処刑に切りかえる。一瞬で死を与えずなぶり殺すのでも有名だ。そんな場所へ助けにきた相手が、おまえの乏しい頭のおかげで逃げ損ねた場合どうなると思う」
「……は、返す言葉もアリマセン」
ルーはぺこぺこと謝った。
あのヒトをヒトとも思わぬ横暴なデンカならやりそうだ。サディスが、あっという間にけ落としたので見損ねたが、どんなツラか見ておけばよかった。
通路の先に松明が燃えていて、みがきこまれた黒い鉄扉があった。
そこに、サディスと見知らぬちいさな人が映りこんでいる。
思わず近づいて手を扉につけてみた。同じ挙動が目の前にある。
これって……おいら?
扉が黒いのでわかりにくいのは色彩だが、ぼさぼさの短い髪はつまんでみると黒だと知った。肌も浅黒い。ちいさな顔、やせた頬。大きな目。
くたびれて破れたシャツのそでから出た腕と、ぼろズボンから出たふくらはぎは棒のように細い。部分防具とでもいうか堅い胸当てや肩当てなどがぴったりついている。
ブーツもぼろくて指が飛びだしてる。走りにくいと思った。
扉を押しあけて進むサディスに、あわててルーもついてゆく。
「──それで、おまえは一体何をして放りこまれたんだ?」
「そ、それは、おいらの方が知りたいんだけど……そういえば、〈クトリの殺人鬼〉がどうとか」
「クトリ……?」
サディスはその言葉が記憶にひっかかった。
しかし、すぐに思いだせない。
「なんか、おいらが何人も殺っちゃったみたいなこと言われたけど、そんなの覚えてないってゆーか……」
暗い通路の先にある出口に、ものすごくおおきな黄色い月がのぞいている。
どくり
ルーの鼓動が鳴った。
……え……?
急に視界がぼやける。思わず足を止め、壁に手をついた。
すこし目を閉じてからひらく。少しましになる。
ふと、右腕の破れかけたそでの下に、赤いものを見つけた。
気になって、そでをまくりあげた。
なに、これ……!?
のたうつヘビのような、不気味な赤い紋様がそこにあった。
サディスに声をかけようと顔を上げたとたん、心臓がやぶれそうなほど強く、鼓動が鳴る。
どくり どくり どくり
息ができなくなって視界が暗転した。
城壁の上に出たサディスは、あたりを確認した。
潜入したときに、気絶させた三人の見張りが倒れたままだ。
眼下には整然と区画された城下町がひろがっており、それを包括するたかい壁がぐるりと囲んでいる。
彼は目をほそめて、常人には見えぬ〈城をとりまく結界〉を見る。
まだルーを助けだして五分と経っていないが、どうやら勘づかれたようだ。
わずかな綻びがあったはずの城を包む皮膜は、いまや完全に修復されている。
同じ術パターンが三重に増えていた。
──これぐらいはなんとかなる。
それより、問題は国境の〈網〉だ。強度が著しくはね上がっている。
各国に国家防衛として導入されている、魔力をもつ間者や犯罪者などの出入国を阻む術だ。侵入者をからめとるクモの糸は、国境から壁のように立ち上がり、はるか上空まで遮断する。
力ずくで突破できなくもなかったが、城に着くまではこちらの動きを知られる訳にも行かないので、国境の関所を商人の一行にまぎれ通り抜けてきた。
〈網〉は広範囲の必要性および永続性から、複数地点に配置された魔道具が用いられてる。つまり、この迅速な対応からして、侵入者を逃さないため、一時的に、すべての〈網〉の強化を行っている者がいる。
抜けるのにいくらか手間取るだろう。
敵中で足をとられるのは、こちらの計画にとって致命的なミスとなりかねない。
──この術者を潰す必要があるな。
城壁の下はなだらかな斜面の芝生があり、そのすこし先に茂みがある。
死角に潜んでいるため姿は見えないが、茂みから魔力の気配がもれている。
魔法士を手配したか。さすが軍国だけに手ぎわがいい。
背後にルーが来た。ふりかえらず半歩、体を右に避けた。
白刃がするどく空を斬る。
無表情にこちらを見すえた彼女の瞳に光はない。
「……ルー?」
応えるかのように、口角をあげた。
奇妙な笑みだった。無表情な頬の筋肉をむりやり引っぱったように見える。
そして、手にした剣をためらいなく振るう。
近くに倒れていた兵から奪ったものだろう。少女が手にするにはいささか重すぎるはずのそれを軽々とふるい、急所めがけてたたきこんでくる。
サディスはそれを難なくかわすと、剣柄をにぎる手をとらえねじりあげた。
指からすべり落ちた剣を、蹴って届かぬようにする。
ルーの右そで下にすこしだけ見えた紅に、彼の顔色が変わった。そのそでを引きあげる。
「!」
まがまがしい鮮紅色を放つそれは、三叉の矛に串刺しにされた海ヘビの形をしていた。
彼はちいさく舌打ちした。
古い文献をよく繙く彼は、〈クトリの殺人鬼〉が何であるかわかったのだ。
「古代の呪詛か、厄介なものを持ち帰ったな」
これで、なぜルーが始末されそうになったのか理由もわかった。
指で目潰しを食らわせようとしてくるその左手をもとらえ、くるっと彼女の小さな体を反転させると、背後から左腕だけでおさえこんだ。
自身の髪結いの帯をするりと右手ではずし唱える。それは生き物のようにすばやく、ルーのアザに巻きついた。帯が一時あわく輝く。
とたんに、腕から抜けだそうともがいていた彼女は、ぷつんと糸が切れたあやつり人形のようにうなだれて動かなくなった。
なんだか背中が温かい。
自分の胸前を、がっちり横切っている白いそで。
ふりあおいで、ルーは目をまばたいた。翠緑の双眸がすぐ間近で見おろしている。
なに、この体勢? いったいいつの間に!?
背後から抱きしめられている。
「……え……っと……? なんで、こんなことになっちゃってるのかナ……?」
彼は腕をほどき、ごく自然に距離をとった。
「封印を施した。簡易だから、決して外すな」
いつの間にか、右上腕にまかれた白紗の帯に気づく。
彼の膝上まで届くきれいな銀髪が、風にふわりとなびいて、白紗の帯はそれを結っていたものではないかと思いあたった。
「あの、ふーいんって……?」
問いかけたところを遮られた。
「説明はあとだ」
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