23 悪魔四分の一
巨大イボナメクジの骸が散乱していた。
地面はどこまでも、まっ青にぬれている。
ものを焼きつき溶かす水の上を、頓着なく歩いてゆく人がいる。
ひとつに結われた長すぎる銀の髪が、遠目にも研ぎ澄まされた刃物のようにさえ見える。
けどられぬよう細心の注意をはらって、ルーから吐きだされた〈悪夢〉を隠れ蓑に、彼の動向を観察していた。
四分の一の悪魔の血──〈魔血〉あればこそ、オレにしかできない他者の〈悪夢を具現化〉する術。
深層意識から忠実に再現させたそれは、二度と夢巣にもどることはない。
危険な術なのでめったに使うことはないのだが……それすら、ヤツはあっさりばっさり何事もないかのような顔で、切り捨てていっている。
まきぞえをくらった館の連中のほうに深刻な被害が出そうだ。
──無茶ぶりもいいところだと思う。あの似非聖女の、家族や使用人らを含む四十人あまりの命を楯にした命令は、やすやすと遂げられるものではない。
いっそ投げてしまえ、この屋敷から出れば追ってはこれないはず───
それもできなかった。女に枷をつけられたからだ。
縁は切れたとはいえ、オレは元・魔法士団体ゲドルフの一員だった。
魔法士派生の正統権を主張するゲドルフは、反ノア派としても有名だ。
団長のオッドーが、ノアを長年敵視してるのは周知の事実だし、これまでも、すきあらば大陸五指の大魔法士であるノアの失脚を、陰で画策してきたとも噂される。
そんなオッドーは大陸五指に名を連ねてはいない。なり損ねたぐらいの実力はあるのだろうが。
とかくそんな事情があるわけで、そもそも、ノアの弟子であるサディスに近づくことすら難しいと思った。
ヤツはあまりに世界中を飛びまわりすぎて行動も迅速で、つまり、外ではつかまえることも追いかけることすらままならない。弱点を探るには、ヤツが拠点とする場所でおなじに師事する必要があると考えた。
あたって砕けろで門戸をたたいたら、なぜかすんなり通った。敵の元弟子なのに。
ノアは変わり者で弟子の受け入れ基準もよそとはちがう、むしろ難解で厳しいとすら聞いていたのだが。およそ野心ある人間のほうが大物になる確率が高いと、のたまっていたのが印象的だった。
つまり、弟子にするなら大物を育てたいとのことなんだろう。
べつに、偉大な魔法士になることなんて興味はない。
ただ、自分の命をつなぐため、ヤツを消さなければならないだけ。ついでに、放蕩息子を見捨てることなく養ってくれた家族も助けられたら、それに越したことはない。
「これでも気は長いほうだからね、そなたもヒトとしてはまだ幼い。五年やろう。だけど、それをすぎても果たせぬなら見こみ違いということだ。一族で仲良く石におなり。生きながら砕いてやろうよ」
約束のその日まで、もう一月を切っていた。
サディスが救い出したあのコの存在は、まさに千載一遇のチャンスだった。
人間嫌いの潔癖が、そばにいることを厭わない。ふつうに拉致するだけでは、早々に足がついてしまう。石にされる前にあの世送りになるだろう。
策をめぐらせているところに、書斎にしかけられていたノアの幻術で化物をみたと、あのコは言った。忘れ去られた意識の奥に、それは確実にいる。
悪夢として術でひっぱり出すことが可能だ。
あのコには悪いが利用させてもらう。良心が痛まないわけじゃない。
だから、あのコが自分の悪夢の産物に襲われないよう、現実から隔離した。夢現のはざまにある黒い塔に。
ヤツとて、すぐには見つけ出せない、一石二鳥ともいえる。
噴出した悪夢は、さらなる広がりをみせていた。
館内も庭も霧におおわれ、さらに動揺し逃げまどう人々に追い討ちをかけている。
ほかの弟子たちが苦戦しているのに対し、サディスだけがそれを一撃でけちらしている。
元々もっている資質、魔力値が桁はずれにちがうのだ。
おなじ攻撃の術をやっても、ほかの連中とは威力が格段にちがう。だから、あの生物どもに多少、術の効きの悪さがあったとしてもまったく問題にならない。
やはり、直接しかけるしかないか。
ゆううつに嘆息した。
アスターは吐き出された悪夢の澱に身をひそめている。それはこの霧だ。
視界がきかないほどに濃く、魔力の波動すら漏らさない。
攻撃の呪をとなえた。千の闇色の毒針が、背後から心臓一点めがけて飛ぶ。
捕らえたと思った。わずかな瞬間に、ふりかえる相手の口許に笑み。
まるで、それを待っていたとでも言うかのような。
マントを翻す挙動だけで、すべて防ぎ粉々に砕いた。
すぐに自分の場所をくらますために、べつの方向からまた毒針を撃った。
ひとつでも当たればいい。心臓からはずれても、たとえ指先の皮一枚かすめるだけでも、すみやかに息の根を止めるはずだ。
そんな甘い考えは、攻撃のたびに粉砕された。焦りが出る。
はやくしとめないと。大丈夫。なにが大丈夫なんだ?
まだ奥の手はある。あのコを使えば……
「まさか、こんなふうに裏切られるとは思わなかったよ!」
思い出して、一瞬だけ迷いが生じた。
ハッとする。目の前に標的はいない。
「面白い術だな、アスター・ホーン」
いつのまにか背後をとられた。
悪夢の澱が、その強烈な〈気〉に当てられ、ほどけて四散してゆく。
隠れ蓑はあえなく剥がされた。
まだ誰にも見抜かれたことのない術だったのに。
天才魔法士の名はだてではないということか──
って、感心してる場合じゃないっ、はやく次の手を打たないと……!
「俺を殺す気なら、わずかな逡巡も命取りになる。残念だったな」
冷めたまなざしで言い、サディスの右手のひらに銀の閃光が集まる。
「理由も聞かずにそっこー始末かい!」
殺気に気圧されつつも、なんとかそう返した。
「聞いて欲しいのか、何のために?」
「いや、ふつー一応、命乞いぐらいしたいだろ!」
「却下だな」
銀の閃光は手のひらほどの大きさにすぎないが、もう直視できないほどにまぶしい。
圧迫感すら受ける高エネルギーの結晶だ。
あれで体をぶち抜かれたらひとたまりもない。
「……お、オレが死ねば、あのコはもどってこれないよ?」
しかし、彼は鼻で笑った。
「おまえごときが俺を出し抜けると思うな」
そして、銀の閃光をぴたりと向けてきた先は、アスターの左胸。
心臓をぶち抜くつもりだ。さすが冷血無比。
たしかに、こっちも物陰からこそこそヤツの心臓を毒針で狙ったよ?
狙ったけど………ふつーは何故そんなことを、と疑問に思うんじゃないのか?
オレが死んだあとでそれ思い出して、なんかスッキリしないなんて気にならないのか? ………やっぱ、これも因果応報なのか───
逃げても背後からやられる。
この場の空間全体にびりびりと張りつめるように、静かに殺気が満ちている。
逃げ場がない。そのかざした手から、銀の閃光がほとばしる。やけにゆっくり見えた。
短い人生だったな、そう思ったときだった。
「待って、サディス! アスターをシメるのあとにして!」
どこからともなく声が降ってきた。
放たれた銀の閃光は軌道を変え、アスターの顔面を平行に上に向かって抜けていった。
助かったと心底、安堵する。
それと同時に、アスターはありえない事態に気づく。
「っ、今の、ルーちゃん……? え、うそ、檻から出ちゃった……? どうやって──」
まさか、塔からも出てきた──?
確かめるべく、夢現のはざまにある黒い塔へ転移で跳ぼうとするも、できなかった。
その右肩を背後から、がっちり掴む男がいる。
「アスター」
低い声音で呼ばれた。
その場の空気が、瞬間的に凍るのを感じた。
「……ハィ?」
「今、右腕を失いたいか」
疑問符がついてない。肩をつかむ手が銀光を発している。本気で殺りたいようだ。
「……メッソウモゴザイマセン」
ルーがくれた好機を無駄にせず、アスターはあっさり降伏した。
次話の更新は8/8です。




