22 黒き夢魔の長
魔法の資質は十分以上と言われた。五歳のときだ。
祖父の知人を介して、古き伝統ある魔法士団体ゲドルフに入団した。
努力せずともそこそこ優秀だったが、思春期にはいるころには、規則だらけの閉塞的でかたくるしい男ばかりの団体生活が馬鹿馬鹿しくなり、興味は華やかな街へと向いていた。
修行をさぼっては遊びほうけていたので、よく団長のオッドー・ゲドルフに大目玉を食らっていた。
十三になったばかりのころ、あまりに体裁が悪いとのことで団を追いだされた。
それで、遊ぶ金もなくなったし、ひさしぶりに実家に帰ることにした。
親父が商人なのでいくらか金を無心するつもりだった。
屋敷は静寂につつまれていた。
庭の木々はいつから手入れを放棄したのかのび放題で、いたるところにジャマな石くれが転がっていた。しかも無人だ。両親も、姉も、執事も庭師も女中たちもいない。
はじめは屋敷を捨ててよそに移ったのだろうと思った。
でも、すぐちがうと思った。調香が趣味の母が、庭一面に色とりどりのバラを大事に育てていたからだ。それが蕾のまま腐りおちていた。
藻でにごった噴水池の上に、みしらぬ女が陽炎のようにゆらいでいた。
むこうの景色が透けて見えた。息がつまるような錯覚。
呼吸が知らずあさくなり、自分の鼓動がうるさいほどに鳴った。
「そなたがベルモードの孫か、ふむ、魔力はまぁまぁか。いくらかは使えそうではあるな」
異質な、薄紫のバラのような肌をした女だった。
ふくよかな頬にやわらかな笑みをうかべ、髪はベールでおおいかくし、楚々とした白いドレスに身をつつむ、聖女のようないで立ちではあったが──
その獣じみてかがやく金色の双眸が、唇をちろりと舐めるヘビのように割れた黒い舌先が、その清らかさを裏切っていた。
悪魔だ。一目でわかった。
魔法士としての実戦には、何度かゲドルフ団体の一員として駆りだされたことがある。
低級な悪魔に身を捧げ、人間をやめた輩を屠るために。
目の前にいる透明な女はちがう。
あの悪魔どもよりも、はるかに強い魔の気を発している。
息苦しいのはそのせいか。
「我が名はタイニー、黒き夢魔の長よ。そなたが祖母ベルモードは、我が忠実なる部下であった。あるとき、何を血迷うたか人間の男とともに生きるなどとほざき、魔族であること、主たる我を捨てたのだ。哀しいことよの、あれだけ目をかけてやったのに。地上の理では我らは魔力を剥ぎとられるさだめ。魔力無効化現象〈ダウンフォール〉があるからの。あの者は昔から要領が悪いゆえ、自力で魔力を再体得もできず、いまごろは人間のように醜く老いさらばえておるのだろう、なんと憐れだこと」
女は、さも気の毒そうな表情をしてみせた。
「祖母は……祖父が他界した三十年前から、自由気ままに世界中を旅しているけど──」
おそらく殺したって死なないぐらいぴんぴんしている。
暴漢ぐらい杖で叩きのめす元気なバーサンだ。
「おや、まぁ……そうなのかい」
女は大仰にそう言って、金色の目を見ひらいた。
自分が魔血を引いていることは知っていた。それも高位悪魔の。
だから、大した努力もなしに術の会得もできた。
魔法士は術の発動に精霊を使うが、闇の属性をもつ精霊もいるので、まったくもって容易だったのだ。この女が祖母の元上司だというなら、祖母も地涯に居つづけたなら、きっと、歳なんかとらなかったってことなんだろう。
数年に一度、思い出したように旅の土産をもって訪ねてきた。
生まれてから三、四回ぐらいしか会ったことはない。
悪魔が棲むという地涯について興味半分に尋ねたとき、彼女は言った。
「自由のないつまらん場所じゃ」
「首輪をつけられ朝となく夜となくこき使われての」
「恋人はつくるたびに気にいらないと殺されて」
「アタシはヤツの所有物だったんだよ、ドレイと同じさね」
顔だけが取り柄で非力な祖父を養うべく、商人としてゼロから身を起こし、莫大な財を築いた彼女には一族のだれも頭があがらない。
気位、気性の荒さは天井知らずともいえる祖母に、そこまでの屈辱を強いたという話は、幼心にも忘れられない強烈なインパクトがあった。その女が目の前に。
いったいなにしに来たのか? 無人の屋敷と関係があるのか……
ないはずはない、きっとこの女がなにかした。自分も消されるのか?
女は黒い舌をちろちろと出して、目を三日月のように細めた。
「安心おし。いまのところ、そなたは不用意な言葉を吐いてはいない。魔力だけならそなたの姉の方が上とみるが、あれは礼儀を知らぬゆえな。ベルモードの息子においては、まったくの期待はずれで魔力のカケラもない。二世からはダウンフォールがかからぬと思うて、期待しておったのに」
のどが渇いた。言葉を選ばなくては───
「母や姉……たちはどこへ?」
「役に立ちそうもないし引き裂いて遊んでもよかったがの、まだ使い道はあると思うて、踏みとどまったのだ」
優雅に薄紫色の腕をあげ、庭のおおきな石塊をさししめした。
石、……石に変えられたということなのか。
女は口端を、くぐっと耳の近くまで引いた。笑っている。
なにが楽しい。なにが……自分の反応だ。家族はまだ生きている。
それを楯に脅している。なにを要求する気なのか……?
「なにが目的で──」
そう言うのが、やっとだった。
タイニーは、満足げにさらに目を糸のようにして微笑んだ。
「そうか、そうか、引き受けてくれるか。本来ならベルモードにさせるべき仕事なのだがな。まあ、あれも聞き分けのよい孫をもったものよ」
用件を言わないうちから、引き受けるもなにもあったものじゃない。
そう言いたいが、言葉が喉の奥にはりついて出てこない。完全に気圧されている。
地上に〈ダウンフォール〉があることは、女も承知だ。
わざわざ部下の孫に会うためだけに危険は冒すまい。
あの陽炎の姿は、悪魔の住処である地涯からの投影にちがいない。
だけど、それだけで人を石に変えるだけの術を送りこむことができるなんて、一体どれほどの力の持ち主なのか──!
彼女はつややかな声音で命じた。
「我が弟を滅した者を始末しておくれ。名はサディス・ドーマ」




