20 彼を殺したら
サディスが旅からもどり、ルー失踪の経緯を聞くべく、この館を訪ねたときのことだ。
ノアは猛牛のごとくおしとどめる弟子たちをはねとばし、最新の鎧型・魔法拡張兵器をフル装備して、今まさにキャラベの王城に単身つっこもうとしていた。
いくらキャラベが軍事国家で、魔法に長けた軍を配備しているとはいえ、ノアの〈クレセントスピア大陸五指の大魔法士〉という肩書きはだてではない。
そんな兵器まで持ちだされたら、軍どころか大地ごと吹きとばされて、国そのものが消滅するだろう。無論、そんなことをすれば、キャラベと縁戚つながりのある友好国や、軍事による恩恵を受ける属国も黙ってはいない。
すぐにでも、このスターブレス島を包囲襲撃し、各国にいるノアの弟子や旧知の者にも牙を剥き、全面戦争はまぬがれなくなる。
それを承知でやろうとしたのだ、あの老人は。
おそらくは、ルーに記憶がもどったとしても、海賊にもどすつもりなど毛頭ないだろう。手元にかこったまま、ルーが年頃になれば自身の気に入りの男をあてがい、危険に首をつっこまぬよう生涯監視させるにちがいない。
──そして、その気に入りの男の中に、まっ先に己の名があがるであろうことを彼は知っていた。
「ルーを連れもどしてくる」
そう言った途端、ノアは「任せた」と、あっけなく武装解除したのだから。
───冗談じゃない。
コレは〈生きた未知の呪詛〉だから、相手にしているだけだ。
呪詛の謎を解く、それ以外に興味はない。
あらゆる災禍の種の運び手たる少女……もとい、コザルはうなだれたままだ。
呼吸があさく乱れている。
その首の包帯がはずれかかっているのに気づいて、手をのばした。
かなり腫れていたし、もしやひどくなっているのではと思い、ぐったりと自分の胸に預けたままの頭を動かさないように、包帯をとりはらった。
首筋の腫れは、すこし赤みがのこるていどにまで治っていた。
これではないとすると、急に具合の悪くなる要因はなんだ?
ルーがぺたぺたと彼の腕をたたいてくる。
不可解な行動にその右手をつかんだ。
「なにをして……」
「なんで、いきなり消すんだよ」
「なに?」
「だから、室内の魔法ランプ! はやく点けて」
室内は先ほどと変わらず、オレンジ色のあかりに照らされている。
サディスは右手を、ルーの顔の前にかざしてみた。その碧瑠璃の瞳は、何の反応も返さない。
「──おまえの周りは暗いのか?」
「なに言って……まっくら闇じゃないか! 自分の指先さえ見えない、また、さっきの夢の中に舞いもどった気分で、なんかやだ」
視点は戸惑ったようにゆらぐが、こちらを向いてない。とつぜん失明した、というわけではなさそうだ。この感じ、ルーとの間に認識できない壁があるかのようにも思える。
「具合はどうだ」
「悪い、頭ぐらぐら、吐き気するし、なんか、サディスの声もやたら遠く聞こえるし……」
「さっきの夢とは、どんな夢だ?」
「あのさー…それよりランプ! 暗すぎていやなんだ」
「点いている」
「え? だって……」
「異変が起きているのは、おまえだけだ。解明するには、ささいなことも判断材料となる。どんな夢を見た?」
ルーはすこしだけ首をかしげた。その額にうっすら汗が浮かんでる。
「……えーと、闇の中を何かに追っかけられたり、アスターに待ち伏せされたりとかさ。彼から逃げたあと……挿絵にあっただろ、町を襲うイボだらけの巨大ナメクジ……あれ見たせいかな。強烈だったもんな。そいつがすごいスピードで追いかけてきて、おいらを溶かそうと青い液体をまき散らしてくるんだ」
しばし黙してのち、サディスはあることに思いあたった。
アスターの部屋へ彼女を迎えに行ったときだ。
「アスターの部屋でなにか口にしたか?」
その問いに、ルーは怪訝そうに答えた。
「……うん、お茶とちっちゃい花の砂糖菓子をね」
仕掛けられた可能性があると──
「吐いたほうがいいな」
暗闇の中でサディスの姿は見えていないルーではあるが、そのセリフとひたと頬にあてられた指先の感触にぎょっとした。
「な、なに? アスターがなんかしたってこと? でも、お茶はアスターだって同じの飲んだし、お菓子だって口のなかですぐ溶けちゃったよ!」
必死に彼の手をふり払いながら、あとずさった。
「その菓子、どのぐらい食べたんだ」
「……わりと……たくさん」
ルーの体がふわりと浮かんだ。否、すぐにその体勢で担がれてると知った。
「ちょっ、と、まって! なにする気!?」
「浴室。とりあえず水を飲んで吐け」
「む、ムリだってば! だから、なんなんだよっ、おいらが毒でも盛られたってゆーのかっ!?」
「あいつは根からの女好きだから、毒などつかわないだろう。おそらく術に用いられる薬だ。人体に深刻な被害をもたらさないためには、一過性で水溶のものをつかう。術が発動する前にうすめれば大事には──」
じたばたする脚を右腕でおさえこんでいたサディスは、息をのんだ。
ルーのほそい手足を這うように、影の蔦がざわり広がってゆく。
彼は舌打ちした。術が発動したのだ。
「──!」
ふたりの背後にぽかりと闇が渦まく。
ふりむいた途端に、それは膨張し部屋全体をおおいつくした。
とっさに、ルーを抱える両腕に力をこめた。
しかし、彼女を侵食するがごとく増殖した影の蔦は、あっという間に彼女自身を闇の一部にとりこみ、サディスの腕からいとも簡単にうばい去っていった。
肩から重みがうせ、しっかり掴んでいたはずのほそい体は今やない。
漆黒にぬりかえられた室内はまばたきの間に、もとどおりの明るさをとりもどしていた。───否、天井の片すみに、無視することのできない巨大な異物がはりついている。
闇より吐きだされたそれは、青く発光する液体を突起物よりぴしゃりとまき散らし、貴重な古書を溶かしながら、ゆるゆると彼にすりよってくる。
時おなじくして、遠くから数多の悲鳴があがった。
ルーは目をこらした。まっくらな場所でごろんと横たわっている。
「サディス……どこ?」
呼んでみるがあたりは静かで、自分の声だけが闇に吸いこまれていった。
急にめまいがこらえ切れないほどひどくなって、しばらく意識がとんでいたような気がする。自分をがっちり捕まえていた、あの大きな、でも繊細な手はない。
さっきまで近くに感じられていた気配もない。
体を起こし、しゃがみこんだままで前方を注視した。なにかが近づいてくる。
ぼんやりとした灰色の人影が闇に浮くように、ひたひたとこちらへ向かってきた。
アスターだ。……なんで、彼だけ見えるんだろ?
五歩ほど先で彼は足をとめた。
そして、心配そうに身をかがめたずねてきた。
「体の具合はどう? 悪くない?」
そこではじめて、ルーは自分がいま、吐き気もめまいもしていないことに気づいた。
あれは何だったんだというぐらい。
「……へいき……だけど。なんで知ってるんだ?」
アスターは、ほっとしたような笑みをみせた。
「あんなにたくさん食べるとは思わなかったからね。術が発動すれば薬はぬけるとはいえ……一時的に起きる副作用はきついから心配だったんだ」
「……術……って、なんの……?」
「ルーちゃんは知らなくていいよ。ただ、もうしばらくここにいて。ことが済めば、ちゃんと館に帰してあげるから」
そう言って、くるりと背中をむけ去っていこうとする。
「ちょっと待てって! ぜんぜん説明になってないだろっ」
ルーはあわてて立ちあがり、彼を捕まえようとかけだして──
すぐになにかに顔をぶつけ、はねかえるように尻餅をついた。
アスターがふりかえり、苦笑して、目の前のなにかに手を沿わせてそれの存在を教えた。
「ここ、柵があるから。気をつけて」
ルーは鼻をおさえながら、闇と同化しているその柵に飛びついてさけんだ。
ついでに、アスターの左袖を右手でギュッとつかむ。
「おいらに薬盛ったってほんとうだったのか!? 一体なんのためにっ、なにが目的なんだよ! 言うまで放さないからなっ」
すると、彼はちょっとおどけたような表情で肩をすくめてみせた。
「うーん、困ったな……これ言うと、ルーちゃん怒るだろうし。いや、泣くかも? 女のコ泣かすのってシュミじゃないしねー」
「わざわざ、おいらに薬盛ってどんな悪巧み考えてるわけ? 親切ぶっておいらに近づいたのも、はなからそれが目的だったんだろ! 魔力ナシに偏見ないなんてウソついてっ」
「え、いや、そのさいごのだけは嘘じゃないよ。キミをわりと気にいったのもホントだし」
「おいらだって、ちょっといいヒトかもって思ってたのにさ! なんか不審で怪しい感じもしてたけど、まさか、こんなふうに裏切られるとは思わなかったよ!」
のらくら適当に逃げるつもりだったアスターは、じっとルーを見つめ返した。
「キミって正直だね……でも、ふつー不審で怪しいと思ったら、距離をとろうとするものじゃないかナ」
ルーはムッとして、かみつくように言った。
「そーだよ、今後あんたのことは一切信用しない!」
「思いきり嫌われたねぇ、予想の範囲だけど。……ちょっと悲しい」
「だったらワケぐらい言えよな! おいらにちょっとでも悪いと思ってるならっ」
アスターはほんの少しだけ、困ったように眉をひそめた。
「……そうだね、ルーちゃんを苦しめる気はなかったけど、最初から巻きこむつもりではいたよ。オレにはそれ以外の手段がなかったから」
そこで区切って、彼はルーの顔をのぞきこむように、信じられない言葉を吐いた。
「キミはサディスを罠にはめるための人質。だから、彼を殺したら自由にしてあげるよ」
一瞬、なにを言ってるのかわからなかった。
おなじ師のもとで学んだ弟子のはずなのに───
いま、殺すって言ったのか……?
だが、彼の顔からは、グレイらから感じたようなサディスに対する羨望や嫉妬、怒り、苛立ち、卑屈さのないまぜになった負の感情は微塵も感じられなかった。
「さ、答えたんだから放してくれないかな」
にこやかに袖を引こうとするアスターに、はっと我に返る。
「そ、…そんなこと聞いて行かせられるわけないだろっ、なぁ、冗談だよな……?」
放そうとしないルーの右手をつかむと、アスターは、すっとかがんでその指先に唇をおしつけた。
「な…っ!?」
ぞわっと鳥肌を立てたルーが、とっさに手をひっこめると、彼はおおきく一歩退く。
じゃあね、とかるく手をふって闇のなかへ消えていった。
「あっ、こら! 待てってば───ぜったい、ムリ! ダメだって! むしろ、アスターのほうが返り討ちにあうって───」
一寸先も見えない闇の空間に吠えてみたものの、返事はなかった。
なにを思って殺す気なのかは知らないが、所詮、彼は曾祖父のさだめた弟子格付けからして三番……いや、サディスが一番上なんだから四番目か。
間にふたりもいるんだから差は歴然だろうに。
そこまで考えて、自分が〈人質〉と言われたことを思いだす。
〈サディスを罠にはめるための人質〉だと。
いまこの時点でそれが成立しているのなら、ここからはやく脱出しないといけない。
柵は押しても引いてもびくともしない。柵の切れ目はないかとそれに沿って歩いてみるが、カーブしてるので円形らしいことと、そこがせいぜい直径十歩ていどの狭い檻と知る。
ならば上はどうだと、ちょっとのぼってみたが天井に頭をぶつけ断念した。
そもそも、ここはいったいどこなのか。
どこからか、悲鳴が聞こえてきた。
目をこらしてあたりの闇を凝視すると、ぽつ、ぽつと数メートル先にひかる四角いものが浮かびあがった。それは戸もガラスもない窓のようで───その向こうに繰り広げられる〈光景〉を見たとき、やはり、ここは悪夢のつづきだと疑う余地はなくなったのだ。
次話の更新は8/7です。




