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Silver tails ―少女は禍星の下を駆ける―  作者: 百七花亭
【Ⅰ】 クトリの呪詛
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19 コザルとみなされている

 闇の中を走っている。逃げている。

 息が苦しい、いや、まだ走れる。

 ふいに、この漆黒の空間に不自然に浮かびあがる、光の柱をみつけた。


 出口かもしれない!


 そっちに向かって走った。あと少しというところで、その光の柱のなかに人が現れた。

 両腕を広げたアスターが待ちかまえている。足を止めた。


 なぜ、彼がここに? なぜ、彼は笑っているのだろう?


 その笑顔が不気味な気がしたのだ。

 口の端が妙に引いてて……なにか、よからぬことを企んでいるように見える。

 あたりを見まわした。後はだめだ。右か左か。

 右のずっと向こうに青いぼんやりした光がちらついた。左はまっくらでなにも見えない。

 アスターが伸ばしてくる手をかいくぐり右へ走った。

 青いぼんやりとした光が、前方からすごいいきおいで近づいてくるのに気づいた。

 思わず足を止めた。


 ……なに、アレ?


 巨大なイボイボナメクジが、無数の突起から、青く発光する液体をまき散らしている。

 その軟体を波のようにさざめかせながら駆けてくる。


 はやい、めちゃくちゃ早っ! 逃げなきゃ!


 汗がどっと噴き出している。それは、もう目の前にいた。

 ルーの背をかるがると越える巨大さだ。威嚇してるつもりなのか、ぬめぬめの重そうな体を反り返らせている。そのまま倒れてきたら、ルーは頭からぺしゃんこにされてしまうだろう。凍りついた思考が動きだしたのは、背後に迫る気配を感じたせいだ。

 地を蹴り、左側へと走りだしていた。

 そのうしろから、またイボイボナメクジがざわざわと、さざめきながら追ってくる。

 闇の中に点々と青い水溜りがひかっている。

 時々、そこに浮かんでいた人らしきものが、ずぶずぶと沈んでゆくのが見えた。

 あっという間だったので、気のせいかもしれないが……それは青い液体に溶けているようにも思えた。




 どのくらい走ったのか、もう青い光のかけらも視界にはいってこない。

 すこしばかり落ち着きをとりもどした彼女は、遠目にちいさな光を見つける。

 近づくにつれ、それがオレンジ色の灯……どこかの屋内だと知れる。

 床とテーブルにたくさん積まれた本の山。

 長椅子の背もたれから、ひとつに括られたまっすぐな長い銀髪のうしろ姿がみえた。

「サディス……?」





 腰の鈍痛で目がさめた。まっくらだ。

 しばらくすると目が慣れてくる。ひとすじのオレンジ色の光がさしこんでいた。扉のすきまからだ。どうやら自分は寝台からころげ落ちたらしい。汗をぐっしょりかいていて気持ち悪い。

 壁ぎわの床にいくらかの本の山がある。アスターの部屋にいたところを、サディスが迎えに来たことを思い出した。


 連れて帰ってくれたんだ……よかった……


 抱きつき魔で油断ならないことに加え、さっきの夢のよくないイメージのせいかもしれない。そういえば彼の部屋に行ったときも、なにか得体の知れない不穏なかんじがした。

 そもそも、なぜそんな信用ならない人の部屋で、眠ってしまったのかも腑に落ちない。

 痛めた腰をさすりつつ、床からのろのろ起きあがると、居間につづく扉をすこしだけ開けてのぞいた。長椅子に座り片眼鏡をかけて、ぶあつい古書をめくっているサディスがいた。

 彼を見たとたんに、なぜかすごく安心した。


「目が醒めたのか」


 本から目を離さないまま問う彼に、「うん」と返事をしてルーはその室内を見まわした。

 寝室から移動したのであろう、古書の山の高さが増えている。

 そこにいるのは彼だけのようだ。

「彼女は?」

 顔をあげたサディスが眉をひそめたので、「こんな三角の目した金髪のねーちゃん」と、指先で自分の両目をつりあげてみせた。

「カトリーン・ブランジェか。帰した」

「何の用だったの?」


 よく帰ったな……あの勢いなら、ずっと居座りそうだったのに。


「クトリの資料の読みわけを手伝いたいと言ってきた。古代語が堪能らしいが断った」

「……手伝い?」


 たしか彼女は、手においしそうな匂いのする編みカゴをもっていなかっただろうか。

 「夜食お持ちしましたの、ご一緒に」な感じだと思ったが。ちがったのか。


「でも、なんで頼まなかったんだ? サディスひとりで大変なのに」


 古代語の読めない自分では、まったくもって役に立たないし。


「見落としがあると困る」


 なんて、まごうことなき完璧主義だ。


「それに女は集中力がない。煩いし、ジャマだ」


 いや、それはさ。サディスのファンだからだろ? サマづけで呼んでたし……

 なんかいまの言い方ってひっかかるよな? 

 カトリーンだけのことを言ってるわけじゃないような。


「サディス、……もしや、女ギライだったりする?」

「そうだな」

 さらっと答えた。

「ええっ、人間ギライって聞いてんのに、そのうえ女ギライ!?」

「人間は嫌いだが特に女は嫌いということだ」

「えー……でも、おいらとはフツーにしゃべってるじゃん」

 彼は持っていた大きな古書をばむと閉めた。かびくさい臭いがたちのぼる。

 それをテーブルの端に置きながら、またべつの古書を手にした。

「おまえを〈女〉とみなすのは難しい」

「……」


 そうは言われても一応、自分は女のはずなのだが……? 

 彼にとって、いったい何がちがうというのか?


 とりあえず、身近な女性としてカトリーンを思い浮かべてみた。


 身長がないせいか? それとも胸やくびれやお尻がないせいか? 

 ドレスが似合わなそうだからか? 金髪じゃないせいか? いやそれは関係ないか。


「じゃー、どうみなしてるんだ?」

 片眼鏡の向こうからちらりと視線をよこして、彼は答えた。

「──コザル」


 って、人間にすら見られてないのか、おいら! なんかそれってひどくない!? 

 ここは言い返したほうがいいのか!? いやでも、女に見て欲しいなんてゆーと、カトリーンと同じあつかいで追いだされちゃうんだろ……

 それはちょっと、てゆーか、だめだろ。ここで頼りになりそうなのはひいじーちゃんよりも、むしろサディスだし! じゃあここは百歩ゆずってって──ゆずれるかっ!


 せめて人間あつかいを要求すべきだと口をひらきかけたとき、彼は目が疲れたのか眉間を指先でおさえながら古書を閉じた。

「言い忘れていたことがある。おまえの家族のことだが」

 自分も忘れていたことを唐突に切りだされて、ルーは文句を言いかけていた口をまんまるにした。そして、思わずさけぶ。


「ひいじーちゃんだけじゃないのか? だれがいるんだっ」


「両親と四兄だ。おまえが見つかったことは、まだ連絡していない」


「ええ? なんでっ!」


 勢いよくかけよったので、木製のローテーブルのゆるやかな角にガンと膝をぶつけた。

「わ!?」

 目の前の、長椅子に座る彼の上にとびこむ形になった。……というか、ななめから加速して体当たりしたようなものなので、押し倒したというほうが正しいのかもしれない。

 サディスの胸の上に頭をのせてしまい、まさにこれ以上ないほどの大接近にあわてて顔をあげると、片眼鏡の奥の冷淡なまなざしと目が合う。

「どけ」

「ご、ごめ……っ」

 体を起こしかけて、いきなり頭がぐらついた。


 え?


 視界がぐるりとまわり、おまけに急に気分が悪くなって、また彼の胸のうえに撃沈するはめになった。

「おい?」

「胸が……むかむかする、なんか、気持ち悪いかも……」

「拾い食いでもしたのか?」

「……あいにく、ひいじーちゃん家はどこも掃除がゆき届いてるから、食べ物なんて落ちてないし」


 ということは落ちてたら食う気なのか。昔はそんなことはしなかったはずだ。

 記憶がないのだから無意識に答えたのだろうが……家出中についた悪癖か。


 あきれつつ嘆息するが、みるまに顔色をなくしてゆくルーに異変を感じ、彼女を抱えるようにしてサディスは上半身を起こした。

「さ、っきのはなし……なんで?」

 めまいまでしてきたルーは、平衡感覚を保とうと、ぎゅっと両目をつむりうつむいたままで聞いた。


「おまえはいま、取り扱い危険物だからだ。未知の呪詛にはできるだけ関わる人間は少ないほうがいい。ここは結界こそ便利だが、館にいる人間が多すぎる。べつの場所へ移したほうがいいとノアに進言はしたが……まったく聞く耳持たなくてな」


 一度は絶望的だった曾孫の生還だからこそ、手もとから放したくないのだろう。


「……そぅ、…なんだ…」

 ルーはちいさく呻くようにつぶやいた。

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