1 廃棄塔の少女
おいらは、だれだろう?
なんで、ここにいるの……?
闇にしずむ塔の地下室。その床に、ひとりの子供が横たわっていた。
両手両足を鉄の拘束具でしめられ、フルフェイスの重い鉄冑が頭部をおおう。
じめじめした湿気。床に敷きつめられた小枝のおかげで体が濡れることはなかったが、それでも体の芯は冷えきっている。子供には一切の記憶がなかった。
だが、さっきまで縦横無尽にごろごろ転がっていたので、ここが四方を囲まれた場所だということは知っている。
扉のきしむ音。子供は鉄冑のすきまから、いくつかの灯りが近づいてくるのを見た。
甲高い声が耳を打つ。
「これが、例の〈クトリの殺人鬼〉か? ちんけなイモムシだなっ」
……くとりのさつじんき?
「お近づきになりませぬように、殿下。なりは小さくとも、屈強な兵を三名、バシュカ村の民七名を一撃で殺害しておりますから」
柔らかい声が制止した。殿下は、フンと鼻を鳴らす。
「どーも信じられんな。見ろ。この小物ぶりを、余の偉大さの前にひれ伏しておるではないか」
「ただ転がっているだけかと」
「余が信じられんと言っておるのだ!」
「……では、処分は中止にいたしますか?」
しょぶん?
「わたくしとしましては、ここに放置しておけば問題なく危険物は処理できるのですが……じきに満ち潮がはいる時刻ですし」
ふいに、からっぽだった子供の脳裏に、あざやかな青い波が打ちよせた。
……みちしおって……しお……………し、……潮……?
ここ、海のちかくか……海! あぁっ、それはわかる。
青い海、潮風……帆をふくらませて走るでっかい……船………!
急激に自分の中が埋まってゆく感覚。
同時に、ひどくイヤな予感に急き立てられる。
……そうだ、ここはまわりが囲まれていた。
こいつらは満ち潮がはいるだの処分だのと言ってた。それって───
「溺死」という言葉がひらめき、思わず声を上げた。
〈待て待てっ、おいらは悪いことなんかしてないぞ! 覚えてないけどっ、殺したとかなんとかって、してないと思う!〉
彼らは、ちらっと視線をよこしただけで無視した。
罪人用なのか、拷問用なのか──その鉄冑は外の音は聞こえても、こちらの声はこもってまともに届かない。
カッと足を強く踏みならす音がした。
殿下のフンッという、でっかい鼻息が聞こえる。
「お前の意見など聞いとらん、だれも中止などと言っておらぬわ! 察しろボケ」
柔らかい口調で、従者はこれに答えた。
「仰せのままに。では、さっそくコレを獰猛な人食い魔獣の檻にほうりこみましょう。〈クトリの殺人鬼〉なれば最高のショウとなるでしょう」
魔獣──その単語に子供は、ぴくりと反応した。
凶悪なイメージが瞬間的にうかぶ。
まっ赤な口腔、でかい歯牙、ヨダレがだらり……みじかい前足には太く鋭い鉤爪。
やけに鮮明だ。さっきの海と同じぐらい。実物見たことあるって感じの。
やばい、ヤバイよそれっ、人食いつったら人食うんだよ! おいら人じゃん!
これって溺死よりひどくないか! いや、どっちもか。
「うむ、余だけ楽しんではまずいな。民草にもたまには娯楽が必要であろう」
〈この外道め!〉
「では、すぐに闘技場に観衆をあつめてご用意いたします」
〈おまえもだっ!〉
柔らかい声はてきぱきと指示をだした。
「衛兵、その咎人を運びだしてください。手足の枷と冑はそのままで。殿下に噛みつかれては困りますから」
殿下は意外そうな声をあげた。
「噛みつくのか? どんな顔か見たいのに」
「用心のためです。イモムシだの小物だの失礼なことを言う、偉大な殿下に逆恨みしてるかもしれません」
「そうか。まあ良いわ、どうせ期待できる顔でもなかろ。余は美しき者しか相手にせぬ主義だ」
〈ナニサマだ───っっ!〉
近づく衛兵に鉄冑で頭突きを食らわし、捕まるまいと子供はごろごろ転がって逃げる。
それを見ていた従者が、思い出したように言った。
「それにしても活きがいいですね……ガジュが残念がっていましたよ。自分がつかまえたのに素性調査をさせてもらえないと」
「お前の弟の拷問吏か。仕方あるまい。〈クトリの殺人鬼〉は生かしてはならぬのが国の決まりだからな。そもそも、拷問を楽しみたいだけの変態の理由なぞまかりとおらんわッ」
「そうですね。彼は魔法士軍の一隊長ということをよく忘れていますから」
「そのとーりだ、あやつを拷問室でばかり見かけるから、余も今の今まで、あやつが魔法士だということをすっかり忘れておったぞ」
ハッハッハッと豪快に笑いながら、殿下と従者は去ってゆく。
〈ちょっと待て──ッ、そこの人でなしコンビ!!〉
呼べど叫べど声は届かず。
衛兵たちに背中を押さえこまれて、なすすべもない。
─────ふいに背中の重さが消えた。
え?
鉄冑の目元にあるすきまから、強烈な光がさしこんでくる。
思わず子供はぎゅっと目を閉じた。急に周りが、しんと静まり返る。
パチ、床を埋める小枝が折れる音。空気が動いた。
静かに気配が近づいてくる。
だれ?
強い光はしだいに引き、かわりに銀色の残光が、ちらちらと降ってるのが見えた。
顔が……のぞきこんでいる。きれいな顔だ。
白い、頬……すこしふせられた翠緑の瞳、長い……銀色の……まっすぐな髪をひとつに結い……信じられないまでに輝かしい美女だ。
キンと金属を打つ音がして、手足の枷がくだけ散った。
「立て」
少し低めの声音はしずかで透明感があった。
このひと、知ってる……覚えてる……!
足もとにはいつのまにか、ふたつに割れた黒い鉄冑が落ちていた。
「聞こえないのか」
そう問われてあわてて立ちあがった。すこし膝がかくかくする。
彼女はきっと味方にちがいない。ただの勘だけど。
ここまで曇りなき美貌の主が、あのど腐れ根性のデンカにつらなる悪人とは思いがたい。思うだけ失礼だ。
お礼を言わなくてはと、子供はその人を見あげた。
「あ……ありがと……! 親切なねーちゃん」
ごすっ
目の前で火花が散った。げんこつが頭上に降ってきた。
視線だけで射殺しかねないほどの迫力とともに。
「ふざけるな」
「……ち、ちがうのか?」
じんじん痛む頭を両手でかかえ、涙目でしげしげと相手を観察する。
すらりとした姿態、自分より頭ひとつ半以上は背が高い。
丈がながい上着も、ゆったりとしたズボンも、軽やかにゆれるマントや靴も──すべてが真白で統一されていた。ひとつにくくられ膝近くまで流れる銀髪の光彩は、夜空にかがやく白銀の三日月を思い起こした。
物腰はしなやかで隙がない。拳の力もそうとう強い。
「えっと……じゃあ、男の、ヒト……だったりなんかして?」
ありえないと思いつつ聞いたら、二度目の拳が落ちてきた。
早すぎて避けられなかった。
「疑問符をつけるな」
「そ、そうなのか! ……ごめん!」
すこし離れた場所で、金属板をまとった無骨なヒゲ男ふたりが倒れているのが見えた。
「あのヒトたちはどうしたの?」
「気絶している」
いったい何故どうして? まあ、どうでもいいか。
きっと、あのデンカとかの仲間だし、心配してやる義理はない。
それより気になるのは、このきれいな男のひとだ。
「ところでさ、あんたダレ? 知ってるなら、おいらの事とか、ここがどことか教えて欲しいんだけど」
「何……?」
片眉をあげ、彼はすきとおる翠緑の瞳でひたと見据える。
「恐怖で錯乱するほど繊細な脳はもっていないはずだが……頭でも打ったか」
「それはどおゆー意味かな?」
彼はしばし考えこむように黙してのち、答えた。
「おまえの名はルー・クランだ。大魔法士ノアの曾孫紅一点。五年前に家出し、五ヶ月ほど前から禁忌の海域で消息を絶っていた。それでノアが弟子たちに捜索させていた。俺もその一人だ。名はサディス・ドーマ」
「サディス」
「なんだ?」
「いや、なんかすごく覚えがあるような気がして……もしかして、おいらの兄貴?」
「姓が違うだろう」
「友だちとか?」
「ありえん」
「じゃあ幼なじみ」
「人の話を聞かないザル脳は相変わらずか。おまえの曾祖父の弟子というだけだ」
ん? でも、幼なじみ……否定しなかった。
あながち外れでもないのかな?
「ここは軍事国キャラベにある廃棄施設の塔だ。面倒になる前に出るぞ」
どこかから水の落ちる音が聞こえたような気がした。
いまだ周囲が妙に明るいのは、頭上に小さな光の珠が輝いているせいだ。
視線を感じた。そちらに目を向け、ギョッとする。ぽっかりと空ろな暗い二穴でこちらを見つめる、まるくて白い石。うす暗い壁ぎわをぐるりと埋めるように、山積みになっている。
「え……ええ……っ?」
ここは廃棄施設だと彼は言わなかったか? 廃棄というからにはゴミ捨て場のはずだ。
しかし、あれは……ヒトの頭の中にあるものでは……!? そう、ドクロだ!
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