12 座礁船
冷たい潮風を肺の奥まで吸いこむ。濃い潮のかおり。
転移の術で跳ぶのは、ほんとうにまばたく間だった。
三日月の形をしたクレセントスピア大陸の、西側くぼみに存在する内海、そのど真ん中にあるスターブレス島は、まだ残暑といった気候でわりと暑かった。
だが、大陸北東に位置するヨドヒル岬は、もう秋も終盤の気配にみちている。
ゆるやかな傾斜の岩場を、ルーたちは歩いていた。
「腕は大丈夫かい?」
「うん、へーき」
カトリーンにポットのお茶をぶちまけられたが、中庭の噴水口に腕をつっこんで冷やしたので問題はない。
「それにしても、カトリーン嬢に頭突きして気絶させたのは、キミがはじめてだろうね。彼女はアレで、大陸南端ターナ帝国の七番目のお姫サマなんだよ」
すこし先をゆくアスターが、おかしそうに笑って言う。
「だから、あんなに態度がでかいのか……? もしや、グレイってやつもどっかの王族だったりなんかして?」
「うーん、オレ、男に関しちゃあまり詳しくないけど……貴族だったかな?」
金持ちに生まれつくと、あんなにもボージャクブジンになるものなのか。
「よくひいじーちゃんも、あんなヒトたちを弟子に迎えたよね」
何度も思っていた疑問を、つい口にした。
「ノア師も、若いころはけっこう無茶苦茶やってたらしいからさ~、たいていのことは目をつむっているんじゃないかな」
「……殺人に目をつむられても困るけど……」
空を渡る廊下から投げ落とされたし、ヤバイ封印はずそうとしてきたし。
「や、それはさすがにないって。失踪したキミを不眠不休で探してたんだから~! …………でもアレかな? わりと本気で呑気なとこあるし……み~んなノア師の前じゃネコかぶりだしなー。弟子を信頼しすぎて気づいてないだけかも…………ありうるなぁ……」
ハハと乾いた笑みでごまかす彼に、ルーはちいさくため息をついた。
大陸屈指の大魔法士である曾祖父も、〈弟子の管理〉においては器用ではないのかもしれない。
岬の先端までたどりつくと、その下をのぞきこんだ。
そりかえるような崖に、波しぶきがあたっては砕ける。
「すご……」
まさか、これほどとは思わなかった。
海面下の岩場に、なすすべなくつかまり乗りあげた、ぼろぼろの船が六隻ほど滞留している。波にゆられぶつかりあいながら壊れていったのだろう、甲板の破片や折れたマストが波間をただよっている。
「あれがガンドル号だよ。黄金の戦乙女像が舳先についてるやつ。……ここからじゃ見えにくいかな」
「海岸に下りて、岩づたいに行ったほうがいいかも」
ルーが崖下をのぞいているななめ後で、アスターは得意げに言った。
「なんのためにオレがお供したと思ってんの。ささ、お手をどうぞ。こんな崖ひとっ跳びでエスコートしてあげるよ」
そんなことばを無視して、ルーはやぶれた帆をなびかせるマストを見つめた。
ガンドル号より手前にある大型船だ。はがれかけているが船縁の装飾は凝っていて、帆にも色あせた紋章らしきものがのこっている。かつては高貴な人を運んでいたのかもしれない。
マストの先端は、ルーの位置から五メートルほどはなれていた。
けっこう近く見える、とびつけるんじゃないかと思えた。
しかし、マスト土台まではそうとうの距離がある。
とびつき損ねたら怪我ではすまない。
ビョオウ
強い突風に背中を押された。
屈みこんでいたルーは、そのまま宙に体を投げ出すかっこうになった。
「──っっ!」
反射的だった。
放物線をえがいて落ちたことで、マストの横棒に両手で運よくつかまることができた。
しかも、その反動を利用して体が自然にくるっと一回転する。
「……は……」
ぶらんと、さがった足の裏を冷たいしぶきとともに、一陣の凶暴な潮風がかけてゆく。
……れ? おいら……なんかすごくない!?
それとも、運がよかったのかな……?
さっきまでいた場所をふり返り見あげた。アスターはそこにいない。
「……アスター?」
呼んでも返事はない。いっしょに崖から飛ばされたようすもない。
いくら小柄で身が軽いとはいえ、ルーがつかまっていることで、マストはぐらり右へとかたむいてゆく。危ないのでまず甲板まで降りることにした。するするとすべり降りてゆく途中、なにやら聞こえたような気がして、もう一度上を見あげた。
……なんだろ、遠くの空に……なにか飛んでる……?
翼のある四脚の獣だ。
近づくにつれ、それがなんとも不細工でやせたいかめしい猪面だとわかる。
魔獣ってやつだ。キャラベでみたのにそっくりだ。
そういえば、魔法士とかがあーゆーのに乗ってたんだっけ?
そう、あんなふうに鎧着たやつが……って、キャラベの追手じゃないか!
マストの裏にまわりこみながら、なんとか気づかれずに甲板まで降りた。
水のたまったそこを慎重に歩いて船縁までいくと、隣接しているガンドル号を見る。
よかった、まだ分解しそうには見えない。
船縁どうしが接触している場所から、ジャンプして跳びうつろうと、その舳先のちかくまで移動した。かがやく金色が目にとびこんだ。どくんと鼓動が鳴った。
上空を旋回する騎獣を気にしながら、体を乗りだして、それを凝視した。
ひじより先のない右腕を空にかかげ、体に鎖をまきつけた黄金の乙女像は無数の亀裂がはいり、その腰よりしたは無残にうしなわれている。
パチリ
なにかが、ちいさく頭の中ではじけた。
右手に剣をもっているだろ?
……あれは……自らにかけられた鎖を断ち切る、自由の……あかし……
ガンドル号たる、所以なのさ………
潮風のなかに、それは聞こえたように思えた。
導かれるように下方にあるガンドル号の甲板へと跳びおりると、耳をざわめきがかすめた。いつのまにか甲板を行き来する人々がいた。それは蜃気楼のように、色のない影のように、おぼろな姿で顔すらさだかに見えることはない。
だけど、飛びかう怒声や笑い声、足音、気配ははっきりとした臨場感をもっていた。
〈ルー、こっち来いよ。メシにしよーぜ〉
だれかが、人ごみの奥からこちらに手を振っている。ひとりではない。
〈あの島までひと泳ぎしねえか〉
〈手合わせだ! 今日こそは負けねーぞっ〉
〈武器の手入れしとけよー、明日は久しぶりのドンパチだ〉
〈見張りの交代の時間だぞぉ──〉
通り過ぎるさまざまな影が、彼女の肩をかるくたたいてゆく。
────なつかしい────……
そうなんだ。彼らこそはガンドル号の乗組員。
長い旅を共にしたおいらの仲間なんだ。
でも、なぜ……顔が見えないんだろう───……?
ギイイイイイイイッ
いびつな獣の咆哮が耳をつんざいた。ルーはハッと我に返る。
とたんに白昼夢は霧散した。否、夢を見ていたわけではない。
記憶の残滓が引きだされていたのだ。
そう理解するまもなく、再度、不快な獣の叫びが聞こえた。
空をあおげば、不細工なやせ猪魔獣とばっちり目が合う。
げ、見つかった!? 仲間呼びよせてんのかっ!
しかも乗り手のやつ、なに槍かかげてんだよ、おいらを串刺しにする気か───
って、マジ投げたっ!
とりあえず横っとびで避けた。
ざまみろとか思っちゃいけなかったのかも知れない。
そいつの手からさらにもう一本、立て続けになにかが飛んできた。
斧だと認識できた瞬間、足もとがゆれ轟音がひびきわたり黒い影が頭上をおおった。
えっ、岩?
とび散る水しぶきのなかで、思わず目をこらした。
いつのまに出現したのか、自分よりもでかい岩が目の前に壁のようにそびえていた。
これ、床下から生えてる……?
まさか、波の加減で船がとがった岩に乗りあげ刺さったとか?
足元が急激にかたむく。そりゃそうだろう。
いまや、ガンドル号はその岩に真下から分断されまっぷたつ。
「うわわわわわわわっ」
かってに体は甲板をすべり、船体の割れめへと突入してゆく。
岩にぶつかる───っ!
だが、岩にはぶつからず、そのすきまから水没した船倉へ吸いこまれるように落ちた。
浅瀬とはいえ、人間にとってはけっこうな深さはあるわけで。
死にもの狂いで手足をばたつかせ、損壊した木の壁や床をなんとか泳ぎぬけながら、あかるい水面へ出た。
あぁ、記憶なくても運動神経まで忘れてなくてよかった……!
なんて安堵してる場合ではない。
敵はっ!? とあたりを見まわせば、壊れた船のむこうから怒号が近づきつつある。
ルーはおおきく息を吸いこむと水中にもぐり、ほかの難破船の陰に身をひそめながら海岸まで泳いだ。そして、そこからは岩場に隠れつつ移動する。
水を吸って重くなったマントは外し、岩のすきまに隠した。
海岸ぞいのうっそうとした森にたどりつくと、ようやく息をついてふりかえる。
キャラベ軍の魔獣が、五騎ほど難破船の上空をうろうろと飛んでいた。
岬を確認する。やはり、アスターはいない。
かわりにちがう男のうしろ姿がそこにあった。
重そうな暗い色の長い髪をなびかせて、暗色の鎧をつけている。
遠目に、陰気なオーラが黒く立ちのぼっている感じがするのはナゼなのか。
背筋がぞわっとした。
あれって、あいつじゃないか? 拷問吏とかゆー……!?
はっ、もしや、アスターはあいつらに捕まったんじゃ……っ。
とっさにかなわないと思って逃げたのなら、それでいい。
出かける前にキャラベについて言わなかった自分が悪いのだ。
それでも、まだその辺に彼がいないかと見回していてたルーは、岬に目をもどして、びくっとした。
こっち向いてる。あいつこっち見てる……!?
ルーの位置からは、そいつはそら豆ほどのおおきさにしか見えないが、むこうからはどうだろう。森の緑の間から覗き見しているのに気づいているのか。
マズイ……
ルーがいま着ているのは渋緑の膝丈ズボンと、クリーム色のブラウスだ。
緑の中でクリーム色は目立つ。ルーは唾をのみこみ、ゆっくりとしげみへ完全に隠れるようにあとずさりした。ゆっくりとだ。
実はまだ気づいてないかも知れないのに、その動きひとつでバレたらもともこもない。
視界から岬が見えなくなる直前、そいつの姿が消えた。
え!?




